第二話 俺の恋敵(上)

「二人でどこか、旅行とか行ってみたら良いんじゃない?」


 初詣からの帰り道、陽さんが唐突にそう言った。何て突拍子もないことを言うんだ、と唖然としたが、彼女は至って真面目だった。どうしてそう考えたのか。俺を茶化して、責付いてるだけなのか。後ろで楽しそうに話している二人にバレないように、こそこそと俺は彼女に問い掛けた。冷やかしならいらない。そう思ったからだ。

 だけれども、彼女は本気だった。冷静に緋菜を分析した上で、そう言っていたのだ。時間をかけるよりは、短期集中でいった方が良い。緋菜の性格を考えれば、確かにそうだな、と思える話に、俺は直ぐに飛びついた訳である。誘うには、日帰り観光が良いんじゃない?温泉よりは、足湯なら一緒に入れるよ。彼女は色々提案してくれた。何だかいつもよりも軽快で、楽しそうに見えた陽さん。成瀬くんからの誘いが嬉しかったんだろうか。


「まだ空いてるかな」


 待ち合わせた喫茶店を目の前にして、ボソッと零す。ここは、上野からも浅草からも少し離れた喫茶店である。正月でどこも混んでいる今日は、こういった住宅地の中にある店を選ばざるを得ない。まぁなかなか渋いチョイスになったが、緋菜はそれに関しては何も言わないだろう。ナポリタンってあるかなぁ、とメッセージを打って来たくらいだ。そもそも緋菜にとって今日は、デートではなく作戦会議なのだから。


「いらっしゃいませ」


 品のある老夫婦でやっている店だ。店内には既にのんびりした雰囲気が漂っていた。正月らしいのは、カウンターに鏡餅があるくらい。その辺の親父がスポーツ新聞を読んでいる、多分いつもの光景である。待ち合わせは、十一時半。今は十一時少し前だ。緋菜は未だ来ないだろう。


「コーヒーを一つ」


 通してくれた婦人にそう告げ、ソファに腰を下ろす。前に陽さんと入った喫茶店のような物ではないが、座面がふかふかしていて座り心地は良さそうだ。緋菜にメッセージを送ろうと携帯を手にしたが、慌てさせてはいけない。もう少し待ってからにするか。直ぐに手持ち無沙汰になった俺は、日帰り旅行、と検索を掛けた。緋菜の目的は、温泉と美味しい料理。行き方は後から考えるとして、その目的の方から絞り込んでいくとしよう。

 直ぐに、東京からの日帰り旅行、と謳ったサイトが目に入る。とりあえずは検索結果の一番上から、目を通し始めた。伊豆箱根、房総、日光、秩父。何となくの位置関係を頭に描きながら、ざっくりと読み進めた。そうやって数サイト目を通していくうちに、肉か魚かという大きな選択肢を得る。暖かくなってから行ければと思っているから、時期は春になるだろう。肉は分からないけれど、野菜や魚には旬がある。春は、菜の花。それから、タンポポ。思い浮かぶのは結局、園の掲示物に描いたりする花ばかり。仕方なく、春の旬の物について検索を始めた。


「タケノコ、山菜……鯛……」


 あまりこういうことを計画したことのない俺は、何かを調べて行き当っては、また一から検索をしている。そもそも観光に興味がないからなのか、全く先に進まない。むむ、と携帯を睨んでは、また違う選択肢を見つけていた。


「お待たせしました」


 シルバーヘアを綺麗に整えた婦人が、静かにテーブルへコーヒーを置く。ニコニコッと微笑んで来るので、つい頭を下げて愛想笑いを浮かべた。ふぅ、と一息吐きながら、それに手を伸ばす。もうそろそろ十五分前。連絡を入れても良い頃だろう。


『席は取れたよ。慌てないで来いよ』


 もう少し柔らかい文にすることも考えたが、今日はこれで良い。誘った時は俺だってデートのつもりだったけれど、こうして旅行の検索を進めると、作戦会議に傾いている。四人で楽しく旅行が出来たら、何か変わるだろうか。成瀬くんとも話をしなければいけない。それまでは、自分の恋のことだけを考えるつもりだ。

 気付けば、店内はそこそこの混み具合だった。着物を着ている人もいて、あぁ正月だったな、なんて思う。ぼぉっとそれを眺めて、コーヒーを一啜り。すると、直ぐに携帯が震えた。


『分かった。でも直ぐ着くと思うよ』


 緋菜からの返信は、意外と早かった。いつもならウダウダ何かを言っている。まぁあの居酒屋で会う程度なのだから、比較しようもないが。


「よし」

 

 緋菜が着く前に、もう少し情報を整理しよう。携帯のメモを立ち上げて、あれこれメモをする。走り書きのメモばかりしているので、こういうのは少しやり難い。食べたい物、見たい物。それから、目的の温泉。色々見たものをつらつらと入力する。面倒だな、と思う気持ちも正直あるが、楽しむ緋菜を想像すると意外と苦ではなかった。これが、恋なのだろうか。


「お待たせ」


 それから程なくしてやって来た緋菜は、俺に向かって真っすぐに歩いて来た。何だかいつもと雰囲気が違う。ボーイッシュさがない、というか。ちょっと女の子らしい、というか。


「迷わなかった?」

「あぁ、うん。大丈夫」


 何だか話す表情もちょっと強張っていて、違和感ばかり覚える。可愛い、と言いはしないけれど、妙に緊張していた。これも、着物を着るようなものか。正月だから、と言うことだろうか。


「あ、カフェオレ一つ。お願いします」

「はい、かしこまりました。ちょっと待っててね」


 また微笑み掛けながら、婦人はカウンターにいる主人にオーダーを通す。幸せそうな光景だ。相変わらず店内には、のんびりとした空気が漂っている。


「今日、その……め、珍しい感じだな」

「そう、かな。変だった?」

「いや……」


 良いと思うよ、と恥ずかしくて言えなかった。今まで妹のように見て来た緋菜である。普通に片想いをしてきた子よりも、そんな気持ちが強くなるのは仕方がない。


「あ、私ね。色々調べて来たよ」

「お、ホント?有難う」


 そう言った緋菜は、バッグから何やら小さなノートを取り出した。動物の赤ちゃんが書いてあるノートに、ピンク色のボールペン。それをパラパラと捲り、こんな感じなんだどね、と俺に差し出すのだ。俺は、素直にそれを覗き込む。

 そこに書かれていたのは、俺があれこれ検索したものよりも立派な計画だった。簡易の旅のしおり、と言っても遜色ない。観光地毎に一ページ。名物料理や温泉、交通手段などが書かれている。俺はつい、スゲェな、と漏らした。


「私、こういうの考えるの好きなんだ」

「へぇ、知らなかった」

「そりゃそうよ。一緒に旅行なんて行くような関係じゃなかったでしょう」

「まぁなぁ」


 今でもその関係性は怪しい。でも、こういう一面を知れたのは、関係性が進んだ証拠だろう。緋菜は何処か明け透けで、感情は丸見えのような女だ。だから、俺たちが見えていない物と言うのは、少ないと思っていた。自分の書いたメモを、一つ一つ説明を始める緋菜。ガサツで男勝りな奴だけれど、新しい顔を見た気がしている。うんうん頷きながら聞く俺は、恋敵より一歩先に行けただろうか、とぼんやり思った。

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