第四話 明日の私(下)

「緋菜。稲荷の中に米を詰め過ぎなんだよ」


 三人で歩き始めると、あれが美味しかった、なんて話していたのだが。昌平が、急にこう言い始める。勿論私はカチンときて、彼を睨みつけた訳だけれど。


「はぁ?私が作ったって言う証拠もないでしょうよ」

「見りゃ分かるわ」


 あぁ、何でこんな嫌味を言う奴のことを、好きだなんて思ってしまったのだろう。でもドキドキした記憶は消えないし、そう言われたから嫌いだと思う程でもない。そう言う奴だということは、既に分かっていたこと。後悔をするなら、そんな奴だと分かっているのに、そう思ってしまったことである。


「でもさぁ。昌平くんは、その稲荷をわざわざ食べてたよねぇ」


 は?と言う言葉が、昌平と被った。成瀬くんは意地悪に言っているようではない。真剣に今の会話に入ったというよりは、ちょっと考え事をしながら、聞こえて来た会話に何も考えずに参加した。そんなように見える。現に彼は、立ち止まった私たちの方を向かないまま、トコトコ歩き続けている。

 気不味くて、昌平の顔が見られない。多分、互いに顔を合わせないようにしていると思う。だけど、ほっこりとするものがあった。昌平がわざわざ、私の作った歪な稲荷を食べていた。それがやっぱり嬉しかったのだ。次のお料理、陽さんが言うようにおにぎりが正解かも知れない。稲荷に手を伸ばした昌平を思い出して、そう思っていた。


「成瀬くんは……あ、いいや。ごめん」

「何だよ、成瀬くんだって気になるだろうが」

「いや、いいんだって」


 話題を変えようと口を開いたけれど、成瀬くんの気持ちを昌平が知っていてはいけないんだった。面白がっているように映ってしまっては、成瀬くんに申し訳が立たない。


「もう少しで駅の方?私、この辺良く知らなくて」

「あぁ、もう五分も歩けば、京成の方に出るよ」

「あ、そうなんだ」


 キョロキョロした私。それに首を傾げた昌平。成瀬くんだけは前を見て歩きながら、サラッとそう答える。やっぱり、陽さんの家からの道を知っているの?


「僕の家、もうちょっと行ったところなんだ。不忍池の辺りは、時々散歩するんだよね。考え事したい時なんかに」

「へぇ。俺はこの道は通らないからなぁ。池の周りは散歩するけど」


 そうなんだ、と目を丸めたけれど、よく考えたら昌平の言う散歩は、一人で歩く物ではないのだろう。子供たちの引率で、ということだ。確かにこの歩道を歩くよりは、池の周りの遊歩道の方が広そうだ。昌平があのエプロンを付けて子供たちを歩く様を想像してみる。ちょっと口元が緩むけれど、その脇に見えたのがはてなマークの顔をしたルイ。まだ見ぬ敵は、いつだって直ぐに現れるのだ。


「じゃあ、僕はここで。今年もよろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 昌平が深々と頭を下げたから、私も慌てて同じようにした。「気を付けて帰ってね。おやすみ」と、成瀬くんはいつもの穏やかな顔で微笑み、私たちに小さく手を振った。そうしてようやく、私は気付く。ここから暫く、昌平と二人で帰ることになるのだ、と。


「で、どう?ランチには行くんだろ」

「え、あっ。成瀬くん」

「そそ。上手くいくかね?」


 振り返らずに帰って行く成瀬くんを見送って、昌平が直ぐに口を開く。どうだろうなぁ、と考えながら、私たちも家の方を向いて歩き始める。即座に話題が見つかって、安堵しているのは何となく気付かれたくない。


「陽さんは、謝ってた。寒かったのにごめんねって。そんなこと普通に言ってくれれば良かったのに、わざわざ外に出て貰っちゃってって」

「普通に、かぁ。ってことは、陽さんからの矢印は、恋とかではないのかぁ」

「だよねぇ。成瀬くんも、叱られちゃったって落ち込んでた」

「そうか……じゃあ、あれだ。ランチはいつ行くのか知らないけど、四人でまた何か出来ないか考えてみようぜ。何だか、次が上手く誘えると思えないんだよな」


 確かに、と納得する。成瀬くんのあの気不味いような表情を思い出すと、自然に誘い出せる気がしなかった。尻を叩かなければ、もしかしたら誘っただけでランチの日程も決まらないまま、と言うことだって有り得るのだ。


「何だろうなぁ。年は上なんだけど、上手じゃないって言うか」

「いや、違うよ。緋菜。彼らは年上だから、多分慎重なんじゃないかな。簡単に付き合おうって話には、ならないと思う。ほら、色々あるじゃん」

「色々……あるね。覚悟が違うって言うかね」


 陽さんから、恋愛の話も結婚の話も聞いたことがない。結婚の意欲があるのか、そういう願望はないのか。それすら知らない。だとしても、年齢的にちらつきはするだろう。そうなれば、一つ一つにより慎重になるのは、致し方ない話か。


「そう。それに、年齢的なことで言ったら、成瀬くんの方が年下だろ?陽さんには軽くあしらわれちゃうって言うか。一枚も二枚も上手なんだよ。きっと」

「そう言えば成瀬くん、言ってた。いつだって僕は子供扱いだよ、って」

「子供扱い、かぁ。それは打破していくの大変だな」


 二人で、むむむ、と腕組みをした。

 子供扱いを打破する。それは確かに難しいことだと思う。私もそう言うことは経験したけれど、結局上手くはいかなかった。その人の中にあった私の土台がもう、子供、だったからだ。初めにもたれた印象を、覆すことは出来なかった。何をしたって、緋菜は子供だなぁ、と言われ続けたのだ。成瀬くんなら覆せる気がするけれど、相手は陽さん。真面目の塊のような人である。


「成瀬くんもさぁ、誘っただけっぽいんだよね。お好み焼きに行くことは決めたみたいなんだけど、日程も決まってなくて。しかも、その後どうするか、とか何も考えてなかったみたい」

「マジで?俺なら色々考えるけどなぁ」


 昌平が自分のことを想像し始めると、少し胸が苦しい。私のことを考えてくれたりしないかな。やっぱり、ルイが出て来るのかな。


「うん。普通ならそうなのかなって思ってたんだけどね。成瀬くんたち見てたらさ、ご飯だけ食べて別れそうで」

「あぁ……想像出来る」

「でしょう?だから、それはお尻叩いたよ。自分から誘わないとって」


 昌平も想像出来たのだ。強ち間違いではない。


「そう話したら、美術館とか誘おうかなぁって言ってた。何だか先が不安だよ。私は」

「ん?そう?」

「日程も決まってないでしょう?で、仕事が始まったら、有耶無耶になっちゃいそうで。折角誘ったのに、それは何だか可哀相なんだもん」


 好きな人を誘う。それがどんなに勇気のいることで、パワーが必要なのか。それなのに、仕事の繁忙で流れてしまうなんて、何か悲しい。でもなぁ。あの二人のことだ。仕事が忙しくなってしまったら、仕方ないね、で済ませてしまいそうな気がした。


「緋菜。それならやっぱり、次の予定考えようぜ。今日は年越しだったけど。次、またみんなでさ。旅行に行ったり、何か出掛けたりさ」

「そうだね。昌平は何が良い?私は温泉に入りたい」

「温泉かぁ。良いんじゃない?日程的に泊るのが難しかったら、日帰りだって良いもんな」

「後ね、美味しい物を食べよう」


 緋菜らしいな、と笑われた。成瀬くんのことばかり、心配してはいられないようだ。私だって彼と同じ。昌平には子供扱いされている気がする。


「もう少し暖かくなったら、旅行に行こう。それが違和感もなくて、普通かな」

「うんうん。で、その予定を立てるのに何回か会って。その都度、成瀬くんの背中を押す、と」

「分かった。一先ずはそれで」


 二人頷き合った後で、昌平が「で、明日なんだけど」と切り出した。友人の恋の応援をやる気になった後で、急に振られる自分のターン。一気に心臓の音が跳ね上がる。


「初詣って誘ったけどさ。他に行きたいところある?」

「ほ、他……何だろう。ね、猫カフェ?とか……あ。その旅行の雑誌見たりも良いよね」

「あぁそうだな。じゃあ、昼前に待ち合わせるか。で、飯食いながら、そう言うの探してさ。初詣は、今行ったから。まぁ気分?でさ」

「あ、う、うん」


 完全に挙動が不審だ。明日の私は大丈夫だろうか。でも何だか、昌平も恥ずかしそうにしている。もしかしたらって思っても、良いのかな。どうにも喧しい自分の中からの音に目を瞑って、私は何とか微笑み返した。

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