第四話 明日の私(上)
「成瀬くん、上手く誘えて良かったね」
「まぁねぇ。でも叱られたけどね」
「そうなの?」
「そうだよ。さっきだって呆れてたでしょう?そんなこと電話でも何でもいいじゃないって。寒い中外に行かせちゃって、ごめんね」
神社を後にした私たちは、また来た道を戻り始めた。陽さんと昌平は、前を歩いて何やら話をしている。チラリと聞こえたのは、幼児心理学は専門外なんだけれど、という陽さんの言葉。割って入っても全く参加出来る気がしなかったので、私はチラチラと気にしながら、成瀬くんを話し始めた訳だ。昌平が時々振り返るけれど、まだ少し恥ずかしくて、彼のことは見返せないでいる。
「いつ行くかは決めたの?」
「あぁ、それはまだ。仕事の進捗もあるし、陽さんも入試が始まるから駆り出しがどうのって言ってたし。忙しいんだと思うんだ」
「そうなんだ。ねぇ、ランチに誘ったってことはさ。その後、どこかに出掛けたりするんでしょう?」
「あ、それは考えてなかったな」
嘘でしょ、と、少し大きな声が出て、慌てて噤んだ。好きな人とお昼ご飯食べて、そのままバイバイする人がいる?私の経験では、考えられないことだった。自然な流れで出掛けたりするのが普通かも知れないが、ただ真面目な二人のことだ。何もなく店の前で別れることが、安易に想像出来てしまうのである。
「ちゃんと誘わないと。陽さんから誘われるの待つのは、変じゃない?」
「まぁ、まぁそうだね。そっかぁ。どこに行ったらいいんだろうなぁ。最近はそう言うことにアンテナ張って来なかったから」
「うぅん。映画とか?別にお買い物でも何でもいいとは思うんだけれど。お店の前で、じゃあね、はないと思うよ」
「そっか。そうしたら買い物が良いかな。海とか見に行ったりする?いや、寒いか」
成瀬くんが真面目に悩み始めた。こういう姿を見ると、本当に彼女のことが好きなのだな、と実感する。薄っすらとした何かを感じて、成瀬くんに「陽さんのこと、好き?」と聞いたのは私。好きなんだと思う、と言った後に、好きなんだ、と言い換えた時の成瀬くんは、嘘偽りなく真っ直ぐだった。それが嬉しいような、寂しいような、私は正直複雑な気持ちだった。だからと言って、成瀬くんのことを好きな訳じゃない。どうしてそんなこと思ったのだろう。
「今、海は寒いかもね。アクティブじゃ無いものが良いでしょ?」
「そうだね。美術館とか好きかなぁ」
「美術館。好きだよ、絶対好き」
それは自信がある。何かを教えて欲しいとお願いした時、真っ先に出て来たんだもの。詳しく説明はしないけれど、私は強くそれを推した。
「そっか。よし。じゃあ日程決めたら、美術館の展覧日程も確認しておこう」
「美術館は決めていかないの?」
「ん、あぁ。その時にやってる展覧会の中から、行く場所を選んだ方が面白いでしょう?彼女の好みもあるしね」
「なるほどねぇ」
と、相槌を打ったけれど、そういうものなのか、と内心では思っている。美術館なんて、能動的に行ったことはないし、行こうと思ったこともない。上野公園にあるのは知っているけれど、選べるほどに沢山あることは、今一つ想像出来なかった。
「ねぇ、緋菜ちゃん」
「ん、なぁに」
「緋菜ちゃんは、恋のお願い事でもしたの?」
「え?」
ニコニコと笑みを浮かべた成瀬くんは、直ぐに私から目を外した。それはそうだけれど、急に指摘されると見透かされていたことに、恥ずかしい以外の感情は生まれない。モジモジした私だけに聞こえるように、僕はしたよ、と彼は囁いた。
「そ、そうだよね。叶うといいね」
「うん。今年の願いは、真面目に祈ったからなぁ。叶って貰わないと」
「その勢いなら、多分大丈夫だよ」
「そうかなぁ。だといいんだけれど。これだけは……本当に」
悪戯っぽく言ったと思えば、表情が直ぐに変わる。何だか恋のお願い事と言うよりも、ちょっと重たい様子に見えた。恋、と言うよりは、結婚、とかが視野に入るのかな。それに、叱られたことで落ち込んでいるのだろう。絶対に大丈夫だよ、と私は彼の背をポンと叩いた。
「そんなに不安そうにしないでよ。笑う門には福来る、って言うんでしょ?」
「そうだね。うん。有難うね。緋菜ちゃんのお願い事も、叶うといいね」
「本当。ちゃんとお祈りしたんだから」
一度祈ったくらいで叶えてくれる神様など、きっといない。それくらいは分かっているけれど、また見たこともない敵の顔がチラつている。だから、前を歩く昌平の背中を見つめて、叶うといいな、と小さく小さく零した。
「え、いや。行くって」
「本当に大丈夫だから」
私たちがほのぼのと話している先で、何やら昌平が急に声を大きくする。彼の主張を、陽さんが頑なに拒んでいるようだ。何だろう。何度も陽さんは、大丈夫よ、とノーのジェスチャーを示した。
「昌平くん。どうしたの?」
「成瀬くん。陽さんがさ、片付けしなくていいよって言うんだよ。あんなに食い散らかしたままなのに」
「陽さん。それなら私だけでも行くよ。ゴミぐらい集められる」
「緋菜は黙ってろ。多分お前が一番役に立たないから」
昌平にそう言われて、はぁ?と言い返し始めたが、それを成瀬くんが直ぐに制止した。それから、彼は私を見て静かに首を振るのだ。僕らは役に立たないから、と気不味そうに呟いて。確かにな、と納得してしまった私は、彼の隣で大人しく事の成り行きを見ることにした。
「本当に良いから。寝袋はまた今度でも大丈夫?」
「あ、うん。それは大丈夫。妹たちも来ないだろうし。でも」
「気にしないでよ。今日は沢山飲んだし、ゆっくり寝ましょう」
ね、と陽さんは私を見て念を押した。私だって、陽さんの家に一度帰るつもりだったのに。役には立たないかも知れないけれど、料理を手伝うよりは良いはずだ。でも陽さんは、私たちの言うことを全て丁寧に断り続けた。
「陽さん。分かったよ」
「ちょ、ちょっと。成瀬くん、だって部屋まで提供してもらったのに、片付けしないままなんて申し訳ないよ」
私の意見に、彼はまた首を振った。
「多分ね。僕らがまた行くと、終わりが見えないと思ってるんじゃない?また飲み直すんじゃないかって。でしょ?陽さん」
「あ、バレた?寒かったねって言いながら、ちょっと飲んだりし始めるとさ。きっとズルズルしちゃうでしょう。洗い物もそんなにないし、大丈夫」
「なんだ。そう言うこと。そっかぁ。まぁ……否定は出来ないや」
私がそう言うと皆が笑ったけれど、同じことを思ったと思う。否定は出来ない。そのままズルズル居続けて、寝袋で寝て、朝ごはんを作ってもらって。帰るタイミングを見失うのは、明らかだった。
「じゃあ、今日は帰ろう。もしも大変だったら、僕ら直ぐに来るから。呼んでね」
「うん。有難う。じゃあね」
曲がり角。陽さんが左に折れて帰って行く。ニコニコと手を振って。私は彼女に向って、大きく手を振って叫んだ。
「陽さん、今年もよろしくね」
「うん。今年もよろしくね。皆、気を付けて帰ってね。じゃあまた」
小走りに消えていく後ろ姿が、ちょっと弾んでいるように見えて可愛い。陽さんの願い事はきっと叶うよ。何だか、そんな気がした。
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