第三話 僕らの願い

「ねぇ、昌平くんたちはお願い事決めた?」


 僕らの前を歩く陽さんが、徐に振り返るその表情が穏やかでいて、楽しそうで、僕はとても晴れ晴れしかった。それはきっと彼女の中で、何かしらの望みを見出したからだろう。恐らくそれは、誰かに苦しみを知らせたこと、だろうと思っている。僕のしたことは意味があった事なのだ、と胸を張っていた。


「そうだなぁ。僕は仕事のことかな。次の商品の企画が上手くいくようにって」

「成瀬くん、仕事のこと?」

「えっ、ダメ?」


 昌平くんが僕に驚いた顔を見せた。嘘だろう?と完全に疑う顔である。

 いや、確かに表向きの願いではあるけれど、そもそも堂々と恋愛成就なんて言うわけがない。それなのに昌平くんは、仕事のことか、と何だか難しい顔をして悩み始める。前を歩く二人はそのやり取りを見て、ケラケラと声を上げて笑った。


「仕事のことを願い始めたらさ。俺、キリないんだよなぁ」

「あぁ……何となく想像出来るかも」

「でしょう?」


 昌平くんの場合は、僕のように企画の締め切りなどはなく、日々子供の成長に追われている。歩けるように、喋れるように。それから、おむつが早く取れるように。願っておきたい事柄は沢山ある様に思えた。幾つぐらいの子を担当しているかは知らないけれど、僕の想像だけでも枚挙に暇がない話だ。


「じゃあ、そうすると私生活の願いだね」

「お、おぅ」


 昌平くんは返事をしたものの、何だか強張った顔をしている。それは他人ぼくから指摘されたからなのか、自分の中でピリッとする物があったのかは判断出来ない。だけれども一つだけ言えることは、彼の緋菜ちゃんへの想いはバレバレだということだ。


「あ、そうだ」

「ん、どうした?」


 僕は昌平くんに、緋菜ちゃんが好きだ、と言いっ放しになっていたことに気付く。早めに訂正しなければならなかった。陽さんの言ったように、訂正し忘れたことは確かだったが、状況は変わってしまったのだ。忘れてくれていれば有難いけれど、振り回されてしまっている可能性だってある。

 不思議そうに僕を見る昌平くんに、僕は少しだけ微笑み返した。


「今度、二人で話せないかな」

「あ…お、おぅ」


 強張った顔になった彼は、俺も話したい、と静かに答える。それは凛々しくて、きちんと自分の気持ちの固まったような、表情だった。僕は、昌平くんの中の彼女への気持ちの大きさを見た気がした。

 気軽なノリではなく、茶化してる訳でもない。昌平くんは、緋菜ちゃんのことが好きなのだ。好き、と言うよりは、大事に想っている。僕にはそんな風に見えた。


「何かあの二人楽しそうだね」


 僕の見つめる先には、キャッキャと楽しそうに身を寄せ合う二人の背中。何かに目を丸めたり、肩を叩いてみたり。女性同士、楽しそうなのだ。僕らが簡単に割って入れないような雰囲気だった。


「俺さ、緋菜があぁやって他人に、しかも同性に懐くのって意外だったんだよね。常に戦って生きてるような気がしてて。それが虚勢だったとしても」


 昌平くんの見解通りだ、と僕も思った。

 緋菜ちゃんは美人だから、外見の評価は得られるのだろうが、それと同等の内面の評価を受けていないのかも知れない。何だかいつも不服そうに何か苛立ちを溜め込み、爆発しては、昌平くんとやり合っていた。陽さんが穏やかに彼女の色んな面を認めることで、そうやって我慢して来た自尊心が救われたのだろう。


「虚勢か。そうだなぁ。僕らには弱さみたいなものを、あの子は見せなかったもんね。昌平くんと対等に張り合おうとしてることが、多かったかなぁ」

「そうなんだよな。成瀬くんは歳が上だから、って意識があるからさ。いつも張り合うのは俺なんだよなぁ」

「そうそう」


 緋菜ちゃんが昌平くんに突っかかると、兄妹喧嘩にしか見えなかった。店のおじさん達が「またやってるよ」とケラケラ笑う程に、当たり前の光景である。


「陽さんが傍に居てくれることは、緋菜ちゃんにはとっても良いことなのかも知れないね」

「だなぁ。陽さんには感謝だよ」

「だねぇ。僕らにとっても、優しいお姉さんが出来たって感じだもんね」

「うんうん」


 陽さんは、僕らにとって陽だまりのような人なのかも知れない。少なくとも僕にとって、今はそんな存在なのだ。


「やっぱり混んでるねぇ」

「他のところよりは、多分良い方よ」

「そっか。じゃあ後は良い子にお願い事しないと」


 鳥居を前にして、間が詰まる。彼女達の弾むような会話が聞こえた。頰を寒さで赤らめた彼女達は、それをもろともせずに、次々と話のキャッチボールしている。本当に姉妹のようだった。


「ほら、二人も早く」


 緋菜ちゃんの呼び掛けに、昌平くんが頬を緩めた。境内は沢山の人。僕らはその一番後ろに並ぶ。待ち時間さえも退屈しないで、僕らは四人で戯れ合った。ふざけてみたり、温泉に入りたい、なんて話してみたり。こうして友人と過ごす年越しも悪くないものだな。学生時代以来で、最早新しい感覚として、僕の中に植え付けられていた。


「次だね。皆、お願い事の準備出来てる?」

「何だよ、願い事の準備って」


 緋菜ちゃんの言葉に、直ぐ昌平くんが茶々を入れると、自然に二人は小突き合い始めた。僕は陽さんと目を合わせて、やれやれ、と言った感じで笑う。僕たちは、やはり保護者だ。

 四人で一列に並んで、賽銭を入れ、二礼二拍手。それから、皆真剣に祈った。深々とお辞儀をして上げる顔は、何故だか皆ちょっとニヤニヤしている。


「陽さんは何お願いしたの?」

「んん、皆が幸せでありますように、かな」

「えぇっ、何それ。自分の願い事しなかったの?」

「引っくるめたら、私のこともお祈りしてるじゃない」


 緋菜ちゃんの問いをサラリとかわした陽さん。彼女の願いは一つだろう。教授と別れられますように、だ。そうじゃなかったら、僕は困る。


 そして、僕の願いも一つ。彼女が、陽さんが、傷付くことなく別れられますように。

 僕の恋などどうでも良い。あの痛々しい跡が無くなって、皆と温泉に行けるようになって、ただ笑っていてくれたら。きっと僕も、同じように笑っていられる。それだけで良い気がしたのだ。


「何でも良いのよ。皆のお願い事、叶うと良いわね」


 陽さんが僕らに微笑みかける。それぞれの思いはあれど、その意見には賛成なのだろう。皆、大きく頷いていた。

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