第一話 俺たちの新年

「おかえり。寒かったでしょう。美味しそうなポテトチップ見つかった?」


 俺たちを迎え入れてくれた陽さんは、出掛けた時と何も変わらなかった。自然な笑顔だったし、凄く上機嫌でも、酷い不機嫌でもない。俺たちは、気不味そうにする様子を想像しながら来たのだけれど、全くの見当違いで面食らっていた。緋菜も、陰で首を傾げている。


「おかえり」

「あ、うん。ただいま」


 成瀬くんも成瀬くんで、特に変わった様子もない。出掛ける前と変わったことと言えば、手元には文庫本、グラスに入ったワインが二つ。それくらいか。嬉しそうな様子も、がっかりした様子も見られない。本当にただ、俺たちが買い物に出掛けただけ、だった。


「何飲む?温かいの淹れようか?」

「あぁ、うん。私カフェオレみたいなのがいいな。昌平は?」

「俺も、じゃあ同じので」


 はぁい、と返事をした陽さんは、いつもの穏やかな顔でキッチンに立つ。成瀬くんはキリの良い所まで読み終えたのか、文庫本を脇に置くとグラスを少し傾けた。俺と緋菜は、判断に苦しんでいる。いつも通りならば、初詣に出るくらい問題ないとは思うが、実は上手に断られた可能性だってあるのだ。


「緋菜ちゃん。ねぇねぇ」

「ん、なぁに?」

「これなんだけどね」


 何やら女同士、キッチンでコソコソと話し始める。え?とか、本当?とか。緋菜の声が聞こえてくるので、悪い話ではなさそうだ。


「昌平くん。雪とか降ってなかった?」

「あ、うん。風もそんなになかったし」

「そっか。良かった」


 成瀬くんはワイン片手に、安否を問うような言葉を投げ掛けるだけ。俺には何も話していないのだから仕方ないけれど、表情から読み取れる物もなかった。


「はい、どうぞ」


 陽さんが持って来たマグカップからは、温かそうな湯気が立ち上っている。緋菜は、それに嬉しそうに鼻を近づけていた。俺もそれを見てホッとしたが、これは俺たちだけの事情についてである。彼らがどうなったのかは、未だ気掛かりだった。

 だけれども、下手に聞くことも出来ず。俺はカフェオレを飲み、ポテトチップを頬張った。テレビに映った観光地を見て、行きたいね、なんて呑気に話す成瀬くん。さっきはバツの悪そうにしたくせに、もう何だかすっかりそのことは忘れたような顔つきだった。


「陽さん、年越ししたら初詣行きたい」


 緋菜がそう言った。さっきの内緒話で、言っても大丈夫そうだと判断したのだろう。俺の方を見て、ね?と問い掛ける。


「ん?どこでも良いの?」

「う……うん」

「あぁ。分かった、えぇとね」


 陽さんは、緋菜の気持ちを何か察したようだった。もしかすると、緋菜も彼女に何かを相談しているのかも知れない。俺はようやく、そう気が付いた。自分だけではない。同じように、皆誰かに相談をしているのだ。


「緋菜ちゃん、ここはどう?そこまで混まないと思うし」

「どれどれ?」


 携帯を緋菜に差し出して、何かを知らせる陽さん。それはきっと、神社の御利益について。緋菜は縁結びをしたい、と言っていたし、それを陽さんも察したのだろう。つまりは、緋菜が彼女に相談をしていることは、恋の話ということだ。気になって仕方ないけれど、だからと言って簡単にも聞けない。陽さんを問い詰めるのはルール違反である。明日、やんわりと聞くことは出来ないだろうか。新年早々に直球で問うて、失敗はしたくない。


「良い。ここに行こう」

「うんうん。あ、でも彼らの意見も聞かないとね」

「僕は何処でも大丈夫だよ」

「あ、俺も」


 俺たちの答えに、やった、と緋菜の顔色がパァッと明るくなる。きっと希望のご利益のある神社なのだろう。こういう所を上手く隠せないのが、緋菜だ。まぁそれが可愛い所でもあるが、ダメな所でもあった。面倒なことや嫌なことも、同じように顔に出てしまうのである。


「うん。じゃあ、年越してからお蕎麦食べて。それから行こうか。多分年明け直ぐは混むからね」

「うん。そうだ、天ぷらも買って来たよ。初詣行ったら、屋台も出てるよね。タコ焼きも食べたいなぁ」

「緋菜ちゃん。食べ過ぎよ、それじゃあ流石に」


 陽さんに窘められて、あからさまにムスッとした緋菜。それでも、食べる意欲はなくならないらしい。じゃあ、タコ焼きは諦める、と食い下がった。それが可愛らしくて、可笑しくて、流石に皆で顔を見合わせて笑ってしまった。本人は不服そうだが、多分他は同じ気持ちだと思う。単に微笑ましかったのだ。


 俺はというと、こうして緋菜が誰かに甘えられているのが嬉しかった。陽さんに偶然にも出会って、彼女は少しずつ『ダメな自分』をさらけ出せるようになった気がしている。今までは、いつでも勝ち気で出来る女を装っていたのだ。俺たちの前でもそうだった。傍から見て、無理してるな、と思っても、緋菜には響かない。俺が言えば、直ぐに口喧嘩になったし。それをあっさりと超えて行ったのが、陽さんである。

 緋菜は、何でも優しく受け止めてくれるような、あぁいうお姉さんが欲しかったのだろう。兄二人を煙たそうにしているが、恐らく彼らもまた、彼女を大事にしたのだと俺は思っている。見て分かる程に、緋菜は皆に愛されて育った雰囲気を纏っているのだ。それは努力しても得られないような、物事の捉え方だったり、考え方だったり、諦め方だったりする。でもそれは、既に得ている人間には伝わるわけがない。これはきっと、それが俺には羨ましく見えるから思うことなのだろう。


「陽さん、それでね。スーパーでさぁ」


 さっきの閉店前のセールの様子を言い聞かせる緋菜。あれじゃまるで、今日の出来事を母親に話す娘である。それを陽さんも、成瀬くんまでも、微笑みながら聞くのだ。まるで、家族の食卓のように。


「意外と楽しかったよ」

「へぇ。それは良かった。なかなか年末のスーパーって行かないものね」

「うん。ね、昌平」

「お、おぉ」


 俺は別にそれが楽しかったわけではないが、何となく同調せざるを得ない雰囲気だった。成瀬くんはちょっと俺に同情したように、眉尻を落として笑う。彼の気持ちはきちんと聞いてはいないが、四人でいる雰囲気を見ると悪くはないなと思った。

 

 カフェオレが無くなる頃になると、すかさず陽さんは俺たちに問う。何飲む?と。時計を見れば、そろそろ年越しである。皆でビールにしよう、と纏まると、陽さんはキッチンに向かう。成瀬くんは部屋をキョロキョロ見渡し、置き時計を取りに立ち上がった。俺たちは黙って、その様子を見ている。それぞれを観察する様に。


「ランチは行くみたい」

 

 緋菜がサッと身を寄せると、小声で俺に囁く。おぉ、とつい声を出して、俺は慌てて口を噤んだ。

 あの二人が上手くいってくれれば。そんな思いに、気が逸れていく。嫌な奴だな、と思いはするものの、自分の。背に腹は変えられない。緋菜とアイコンタクトをして、何となく頷き合った。俺は陽さんに、緋菜は成瀬くんに。それぞれの背を押そうと言うことだ。


「あぁ、あとちょっとだね」


 時計を見ながら、陽さんはビールを配る。二〇一九年もあと数分。俺たちは、多分それぞれが一年間を振り返っている。いや、ここふた月のことだろうか。

 俺は、緋菜を好きだと気付いた。それがどんなに大きくて、自分に変化を与えたか分からない。皆はどうだっただろう。

 見渡す三人の顔は、何だか幸せそうに笑っている。きっと良い出会いだったのだ。俺は、そう思っていた。


「三、ニ、一。ハッピーニューイヤー」


 四人でビールをぶつけ合う。本当に幸せな年越しだと思った。もしかしたら、もう何年も、こんなきもちで過ごせていなかったかも知れない。今年も宜しくね、なんて言い合って。残ったつまみを啄みながら、まだ酒を飲んで。いつものくだらない年越しのようで、何だか満たされている。そんな気持ちだった。

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