第三話 俺の勇気(下)

「まだ開いてて良かったね。しかも、ちょっと安くなってた」

「だからってさ、何で天ぷら買うんだよ。食えんのか?」

「えぇ分かんない。でも食べたいでしょ?人数分買ってないけど、喧嘩にならないかなぁ」


 ギリギリ開いていたスーパーに着いたら、閉店間際だったこともあり、割引のオンパレードだった。しかも、明日は休み。故に、至る所に値引きシールが貼られていた訳だ。まぁある程度想像はしていたが、緋菜はその光景にテンションをあげてしまったのである。あんなに食べて、腹も一杯だったはずなのに。蕎麦に天ぷらを載せたいと言ってきかなかった。まるで小学生の頃の楓のようだった。そして多分、食べる時になったら気が変わるのだろう。だから海老天は、二本しか買わなかったのだ。


「今何時だ?」

「あ、えっと。二十二時過ぎ。半前には陽さんの家に着くかな」

「うんうん。上出来だね。よし」

「何が上出来なんだよ」

「あぁ、何でもないよ。何でもない」


 何かを隠しながら、緋菜は鼻歌を歌って誤魔化した。それでも、気不味そうなわけではなく、本当に上機嫌に見えるのである。


「緋菜、お前さ。何か隠してるだろ」

「へ?いやぁ、何も」

「嘘吐け。顔に書いてあるわ。何なんだよ、気持ち悪いだろうが」

「本当に何でもないんだって」


 とにかく言うつもりはないらしい。消化不良の気持ち悪さが残るが、ここでしつこく聞くのは良くない。煩いなぁ、と言われて臍を曲げる。そこまでは分かっているのだ。緋菜は楓と似たようなところがある。俺の経験からして、大体そうなるだろう。


「そう言えばさぁ。私、気になったことがあって」

「お?何だよ」

「いやね。ポテトサラダなんだけど」

「お前が混ぜ過ぎたぁって拗ねたやつな」


 煩い、と返って来るかと思いきや、そうではなかった。緋菜は何かを思い出そうと、首を何度も傾げている。何だろうなぁ、と言いながら。


「あれさ。明らかに茹で玉子が、潰れてたじゃん」

「おぉ。でもあれはあれで、クリーミーな感じで良かったけど」


 さっきはフォローに失敗したから、今回は慎重に言ったつもりなのだが、何だか緋菜には届いていない。そうだよねぇ、と言って、また首を傾げて見せた。


「それがさ、成瀬くんのは潰れてなかったんだ。どう見ても、あれは綺麗な半熟卵が混じってたんだよね」

「成瀬くんのにだけ?」

「そう。私のも、昌平のも、陽さんのも同じだった。私が混ぜた物に違いなかった。あれって玉子の欠片もなかったでしょう?それが成瀬くんのにはさ、ちゃんと美味しそうな半熟卵が入ってたの」

「ん、ってことは、何?緋菜が作ったやつじゃないってこと?」


 そうなんだよ、と大きく頷いた。緋菜の話では、陽さんが少量別に取り分けて、何かを作っていたという。それは何か別の料理に変わるのか、と思っていたようだが、そんなものはどこにもなかった。それってつまり、成瀬くんの為に陽さんが作ったということ。この様子からして、緋菜には何も言わずに。


「何か嫌いな物でも入ってたんじゃねぇの?」

「あぁうん、色々考えたけど、思い付くのはキュウリなの。初め陽さんは入れない物を作ろうとしてたんだ。私が、入れないの?って聞いたからさ。多分レシピを買えたんだと思うの」

「なら、そうなんじゃん?キュウリが嫌いだって聞いてたから、成瀬くんのは入れないのを作ったってだけじゃん?」

「そうなんだけどさ」


 緋菜は何だか納得していない。腑に落ちない顔のまま、何だろうなぁ、と呟いている。


「昌平はさ、陽さんに聞かれた?嫌いな物ある?って」

「いや。聞かれてないと思うけど」

「だよね。私も、さっき料理してる時に答えたくらいなの。陽さん言ってたんだ。皆に好き嫌いのリサーチするの忘れちゃったって」

「ん、そうか。そうなると、いつキュウリが嫌いだって話になったんだろうってことか。俺は聞いた覚えがないから、四人で居る時じゃないよなぁ」

「そうなんだよね」


 俺は、成瀬くんがキュウリが嫌いだということは知らない。今ですら、予想でそう話しているだけで、それが事実なのかも分からない。けれど、緋菜の言うことが本当ならば、やっぱりあの二人は、俺たちの知らないところで連絡し合ったり、会ったりしているのだ。

 それを思うと、俺は少しイラっとしていた。緋菜のことが好きだって言ったのに。成瀬くんはどうしてそんなことをするのだろう。もしかして、それは陽さんが仕掛けてるのか。陽さんが彼のことが好きで、連絡をしたりしている、とか?そうでないのなら、本当に腹立つ話だ。俺には、高々と宣言したくせに。


「陽さんが成瀬くんのこと、好きなんかな」

「え、どうして?逆かも知れないじゃん」

「いや、何となく?ほら、好きな人には美味しい物食べさせたいじゃん?」


 緋菜に全てを打ち明けるわけにはいかない。俺は成瀬くんをライバルだと思って来たし、今でもそう思っている。あれから、あの宣言を取り消されたことはないんだ。そうなると、陽さんが彼を好きだ、という方向しか思い浮かばないのは仕方のない話である。


「あぁ確かに。そうか……でもさぁ、何も聞いてないんだよね。私にくらい、こっそり教えてくれたって良くない?」

「いや、陽さんだぞ?慎重に行くだろ」

「そうかぁ。まぁ、それでもいいかぁ」

「何だよ、嬉しそうだな」

「え?だって、昌平は嬉しくないの?お友達が幸せになるって。まぁ初めて思ったけどさ、私も」


 緋菜はケラケラと笑って、走り出した。マンションまではあと少し。待てよ、と追いかける俺も、いつの間にか笑っていた。

 もしも陽さんの恋が実ることがあれば、それは俺にとっても好都合だった。彼と真正面からぶつからなくて済むのだ。しかも、緋菜もとても歓迎している。それならば、俺が陽さんの背を押しても良いんじゃないか。これからの様子を見てやってみよう、と思った時、何かが引っ掛かった。視界に入った陽さんのマンション。あれ?俺は何か大事な物を忘れていないか?


「待て、緋菜。おい、待て待て。ちょっと」

「何だよぉ。もう疲れたの?そんなに走ってないじゃん」

「いや、俺も重大なことを見てた気がする」

「ん?」


 夕方、成瀬くんとここに来た時のことだ。俺はもう少し先だと思った。携帯の画面を何となく見ながら歩いていたから、明確に場所を目指せていなかったのだが。成瀬くんが、急に立ち止まったんだ。ここだよ、と。

 あの時成瀬くんは、携帯を手に持ってはいたけれど、見ていなかったのではなかったか。確か、腕はぶらんと下がっていた気がする。いや、見ていたんだったか。


「緋菜、ちょっと携帯見ながらさ。そこに立ってみて」

「は?こ、こう?」


 あの時の成瀬くんと同じように緋菜を立たせ、うろ覚えな記憶を何とか引き出している。緋菜は不思議そうに携帯を手にし、時間を確認する。動くなよ、と指示をしながら、俺は引っ掛かっている何かを思い出そうとしていた。

 急に立ち止まった成瀬くんに、もう少し先じゃない?って言って。その時、成瀬くんが「ここだよ」と答えたのが先だったか。携帯を見たのが先だったか。それが思い出せない。この二択は、凄く重要な気がするのに。

 その時、フッと緋菜の携帯の画面が消えた。


「あ、あっ。ちょっと待って。そのまま」


 そうだ。あの時、成瀬くんは携帯を見たけれど、画面は付いていなかった。ここまで暗くはなかったけれど、顔にライトが当たっていた記憶はない。


「まだ?どうしたのよ」

「緋菜、間違いかも知れないけどさ。良く聞けよ」

「は?うん」

「成瀬くん。ここに来たの、初めてじゃないかも」

「えっ?どういうこと?」


 俺は今引きずり出した記憶を話した。だけれども確証はないことも付け加えて。緋菜の表情が、一気に盛り上がって行くのが分かる。


「それってさ……え、いや。違うな。ん?どういうこと?」

「どうした?」

「あぁいや……あまり言いたくないんだけどさ。口の軽い女だって思われるのも嫌だし、折角私を頼ってくれたから……本当は黙っておきたいんだけど」


 緋菜はそう言いながらも、言うべきか否か悩んでいるようだった。うぅん、と暫く下を向いてから、大きく息を吐く。


「今から言う話は、オフレコにしてくれる?」

「おぉ。言わねぇよ」

「うん。いやね。昨日、昌平があの店に来る前の話なんだけど。私、成瀬くんに相談があるって呼ばれたのね。それで、今日出来れば陽さんと二人にして欲しいって頼まれて」


 昨日の内緒話は、そういうことだったのか。俺には知られたくなかった。それは、緋菜のことが好きだ、と宣言しているからだ。どっちにもいい顔をして、確かにムカつく話だ。黙っておかれて良かったのかも知れない。


「それで、昨日人差し指立てて、内緒ってしてたわけな」

「あぁ、うん。気になったよね。ごめんね。何か、除け者みたいにしちゃって」

「いや、別にいいけど」


 俺が怒っているのは、除け者にされたからじゃない。緋菜のことを好きだと言ったのに、一体何なんだ、と思っているからだ。


「成瀬くん、陽さんのこと好きだって」

「へぇ。そっか……は?え、今なんて?」

「いや、だから。好きなんだって」


 陽さんが好き?緋菜にそう言ったということは、きっと嘘ではない気がする。好きだったはずの緋菜に、そう言ったのだ。ならば、それは事実ではないか。俺はあれこれ考えを巡らす。陽さんとは仲良くなったのは、あの宣言の後のこと。それから、きっと二人に何かがあって、そういう感情を持ったということだろうか。


「だからね、ランチにでも誘ってみようと思って、って。どうしてそうなったかは分からないけどさ。部屋に行ったことがあって。嫌いな物を知ってて。それから、最低でも片方は好きならばさ。もう背中押すしかないよね」

「だな。成瀬くんは緋菜に相談したんだから、お前が押した方が良いよな。俺はじゃあ、陽さんの方か。良し。上手くやろう」

「うん」


 何だか急に結束力が生まれる。隠し事をするのが性に合わない緋菜は、大分安堵したように見えた。

 過程は今はどうでもいい。成瀬くんが陽さんを好きならば、それで今誘ったりしているのならば、俺もちょっとだけ勇気を出したい。二〇一九年、本当に最後の勇気だ。


「緋菜、あのさ。二日って、まだ休み?」

「え?あぁうん。三日から仕事だけど」

「じゃあさ、別に初詣とか行かないか。二人で」


 緋菜は驚いた顔をして、俺を見ている。二人で?と繰り返すから、俺はただ頷いた。「え、あっ、え?」と何だか対応に困った後で、緋菜は恥ずかしそうに目を逸らした。


「……うん。いいよ」

「お、よし。じゃあ決まりな。あの二人には内緒にしとこう。まぁ多分、今はそれどころじゃないだろうけど」


 勇気は出してみるものだ。この一時間と少し、何だか色んなことが見えた気がする。あぁ、あの二人はどうしていただろうか。

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