第三話 俺の勇気(上)
「寒っ」
「コートのボタン閉めとけよ」
声にならないような声で返事をしながら、緋菜はウンウン頷いた。確かに寒かったが、風はあまりなさそうだ。酒も入っているし、慣れればそこまで辛くはないだろう。緋菜は陽さんに借りた手袋をはめながら、手首のところの隙間を懸命に埋めている。
「それにしても、すんなり出られたね。陽さんが止めるかと思った。寒いから良いよ、って」
「あぁ確かにな。まぁ、でも良かったじゃん」
まさか、陽さんは俺の背を押しただけだ、と言える訳がない。俺にしてみれば、成瀬くんが笑顔で送り出した方が引っ掛かっている。あれが大人の余裕なのだろうか。そう考えると、俺ははやっぱり勝てそうにない。
「そうだね。上手く……いくと、いいけど」
マンションをチラチラと見ながら、緋菜が言う。いつもなら、もっと他人事と言うか、ノリと勢いだけの言い方をする気がしている。緋菜のやることはいつだって、悪巧みの延長なのに。何かを心配してするように、眉尻を落としている。
「どういう意味?」
「あぁ、いや……良い感じになってくれると良いなぁって。私、陽さんも成瀬くんも好きだからさぁ。二人が一緒になってくれたら良いなぁって思ってさ」
何だか何かを誤魔化すように懸命なようだ。もしかして、女同士の約束だろうか。陽さんが、成瀬くんのことが好きだとか。それを俺には言えない、とか。口止め……口止めをしていたのは成瀬くんだ。いや、でも。彼は緋菜のことが好きなはず。今のは思い過ごしなのだろうか。
俺たちは何となく歩き始める。本来の目的は、ない。
「あっちにスーパーあるみたい。まだやってるかなぁ」
「とりあえず行ってみるか。大晦日だと早いかも知れないけどさ」
「そうだね。ダメだったら、コンビニ寄ろう。あ、でも葱って売ってない?」
「いや、多分あると思う。刻み葱で良いだろうし」
「そ、うか。うん。じゃあ、とりあえずあっちね」
そのスーパーがあるという方向を指差し、緋菜は嬉しそうに跳ねた。まるで子供のお使いである。そう言えば、楓が小さい頃、同じように跳ねていたっけ。あれは千代さんに味噌か何かを頼まれた時だった。スーパーに着いて、自分で探すんだ、と息巻いた楓。見つけられた時は本当に嬉しそうだったな。
「何を思い耽ってるの?」
「いや、緋菜見てたら、妹思い出してさ。初めてのお使いの時、そうやって嬉しそうに跳ねてたなぁって」
「妹……妹か。あ、あれ?クッキー作りたいって言う」
「おぉ。そう。アイツも誰かに恋をするようになったなんて考えると、感慨深いもんがあるよ」
「高校生だもん。お洒落をして、お化粧してって、きっと直ぐに覚えていくよ。でもまだ、お兄ちゃんを頼るんだから可愛いよ」
楓が化粧を覚えていくのか。まぁそれはそうだろうな。クリスマスにネックレスを強請って来たくらいだ。緋菜の言うように、そう言う変わっていく年齢なんだろう。
「私はそうやって頼らなかったなぁ。まぁ兄貴たちもさ、私と似たり寄ったりだからだけどさぁ」
「兄貴たち?あれ、一人じゃないんだ」
「言ったことなかったっけ。兄貴が二人、それと私の三兄妹」
「そうなんだ。知らなかった」
緋菜は明らかに末っ子気質だ。人に甘えるのも上手いし、自分の感情を整理するのは苦手。隠してるつもりでも全部顔に出る。俺には全くない所だ。甘えてるつもりでも、遠慮もあるし。別に甘えなくても生きていけるとさえ思っている。コイツとは真逆のようなものだ。あぁだから緋菜に惹かれるのだろうか。
「成瀬くんってさ」
「え?」
「ん、いや。やっぱりお兄ちゃんなのかなって思って。陽さんもお姉ちゃんっぽいけど」
急に成瀬くんの話を持ち出すから、瞬時に身構えた。話の延長線だったようだが。緋菜は、うぅん、と小さく唸りながら、想像を膨らませているようだ。
「成瀬くんは、姉ちゃんが居るって言われても納得出来るけど」
「あぁ、確かに。でも陽さんは長女だよね。面倒見も良いし」
「どうだろうなぁ。姉妹の妹の方って言われても納得出来そうだけど。姉ちゃんが強いタイプの姉妹のさ」
「それも、あるか……」
緋菜のような明らかな末っ子感は、あの二人から感じたことはない。陽さんは特に読めなかった。全て上手く隠しているような、そんな謎めいたオーラがある気がしている。
「帰ったら聞いてみよっと。良い感じになってればいいなぁ。そうしたら、縁結びの神社に行って、初詣ね」
「おい、上手くいかなかった時のことも考えた方がいいんじゃねぇの?」
「あ、そっか。でもさ、それでも初詣に行くのは良いんじゃない?」
「んん……まぁなぁ」
直ぐに、「それなら二人で行こう」と誘えなかった。言おうとはしてみたけれど、未だ今の関係が消えてしまうのは嫌だった。成瀬くんがどう出るのか。将又、他に男が現れるのか分からない。それでも少なからず、俺は彼らの少し前を歩けているはずだ。少しだけ、そう自信を持とうとする。ただ勇気がなかっただけのくせに。
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