第一話 私の疑問(下)


「さて、そろそろ稲荷寿司作ろうかな」

「わぁ。作ったことない」

「本当?揚げは煮てあるから、酢飯詰めるだけだけどね。一緒にやってみようか」

「うん。あ、パスタは止めたんだね」

「パスタ?……あぁうん。稲荷寿司なら、直ぐに食べなくても大丈夫だから」

「そっか」


 さっきのチーズ煎餅が、いつの間にか倍量仕上がっていた。きっと作り慣れているから、手際が良いのだろう。こうやってサッと美味しい物を作れたら、もう少し私生活の中身に自信が持てるのかな。焦らないこと、と陽さんは言うけれど、こういう時に思い知らされる。私って本当に何も出来ないんだなぁ、と。

 直ぐに自信を失くす私とは対照的に、陽さんはいきいきと動いていた。炊飯器から大きなボウルにご飯を移して、すし酢をを振っている。こういうちょっとしたところに迷いがない。それが私には憧れるところだった。


「まずは、オーソドックスな物からね。皆の嫌いな物をリサーチし忘れちゃったの。酢飯嫌いかもしれないし、半分は普通に色々混ぜたりしようと思ってます」

「うんうん。良いねぇ。ちなみに、私は好き嫌いないよ」

「なら良かった。よし。緋菜ちゃん、ちょっとこれ仰いでて貰える?」


 私が団扇を受け取ると、陽さんは棚や冷蔵庫を開け、何かを集め始めた。残りのご飯に混ぜる物だろう。次々に私の前には、ふりかけや漬物などが並んで行く。こうして材料を集める間に、私が仰いでいる物を時々しゃもじで返したりする。きっと陽さんの頭の中では、色々な計算がされているのだろう。


「よし、先ずはこれからやろう」


 陽さんは私が冷ました酢飯を指差した。うん、と自分から発せらる声に、既に自信がないのは不安だ。

 彼女がゆっくりとやって見せる手元を、私は食い入るように見ている。一回に入れる量はこのくらい。無理矢理に揚げを引っ張らないこと。注意点に何度も頷き、生まれて初めて稲荷寿司を作った。けれど出来上がった物は、どう見ても不細工。穴は開いているし、形もゴツゴツしている。陽さんのは綺麗に寿司型になっているのに。


「上手くいかないなぁ」

「そう?初めてなのに、上手よ。大丈夫、大丈夫。もう一回やってみよう」


 彼女の優しい言葉に助けられながらも、私は何とか数個作ることが出来た。第一号よりは、まぁまぁかなと思う。それでも残念だったことは、見事にどっちが作ったのかハッキリと分かる程だったということだ。


「あぁ、やっぱり最初のは一番不細工だなぁ。いびつだよ。大きい穴も空いてるし」

「そう?でもね、いいのよ。一番失敗したのは、こうするの。はい」


 ニコニコッと笑った後に、陽さんはそれを私の口へ運ぶ。驚きながらもそれを頬張ると、彼女も同じように自分の作った方を口に放った。


「味見、という名の隠ぺい工作ね」

「何それ。面白い」

「でもあんまりやると、お腹いっぱいになっちゃうからね。このくらいにして、次はアレンジ稲荷を作ります。基本的に詰め方は同じよ」

「はぁい」


 やっぱり今日の陽さんは、何だか楽しそうだ。自分の部屋テリトリーだからかな。それとも彼女も、純粋に楽しんでいるってことだろうか。

 陽さんがササッと作ったアレンジ稲荷。残った酢飯に、枝豆と胡麻を混ぜた物。普通のご飯に、紫蘇のふりかけや高菜のお漬物を混ぜた物。何だか子供のお祝いみたい。穴が開かないように、慎重に、慎重に手を付ける。だからちょっとっだけ、さっきの物よりも上手に詰められた。慌てないでやれば、オーソドックスな物よりは、私と陽さんの物に差が出来ないような気がした。


「そう言えばさぁ。陽さんって、どういう男が好みなの?」

「何、急に」

「いや、そう言うのって聞いたことなかったな、と思って」


 もう次の何かに手を伸ばしている陽さんに、それと無く問うてみる。横に並ぶ彼女は、そうねぇ、と小首を傾げながら蓋のしてあるフライパンを覗き込む。中身が気になったけれど、今は話題を逸らすことはしない。シンクに入れられている食器を進んで洗いながら、彼女の返事を待った。これは私の興味本位ではない。成瀬くんの為のリサーチだ。


「理想ってことでしょう?」

「そうそう。誰がとかって言うんじゃなくて、こう妄想的なものよね」

「うぅん、あまり考えたことないなぁ。強いて言えば、優しくて、穏やかな人……かな」

「へぇそうなんだ。じゃあ年齢とかは?」


 優しくて、穏やか。漠然としたハードルだけれど、今のところ成瀬くんはクリアしている。今日はランチに誘うだけ、と言っていたけれど、この返答次第で彼をけしかけてもいい気がした。陽さんは玉ねぎを摺り下ろしながら、またちょっと悩み始める。


「年下って言うよりは、年上かな」

「年上、かぁ。うんうん、そうなんだ」


 二択で負けた。成瀬くんは、陽さんの年下だ。でもきっと彼の落ち着きがあれば大丈夫、だろうと思う。ただ自信は、ないけれど。


「でもそんなに、こだわりみたいなものはないかなぁ」

「年上でも下でも?」

「うん。だって、年上でも子供っぽい人もいるだろうし。年下でもしっかりしてる人はいる。だから結局は妄想では、ってとこかな。現実は別問題よ」


 これは成瀬くんには朗報だ。直ぐに知らせてあげたいけれど、あぁもどかしいなぁ。


「ところで。陽さん、何作ってるの?」


 良い情報に満足した私は、聞くのを我慢していたことを問う。陽さんはフライパンから肉を取り出して、そこに玉ねぎと幾つかの調味料を入れ火に掛けた。ローストビーフよ、と言いながら。


「本当?やった」

「うんうん、食べたいって言ってたもんね」


 フライパンの中で沸々し出すと、部屋の中に美味しそうな匂いが広がる。見た感じは、さっぱり目のソースのようだ。


「ニンニクはちょっとだけにしたからね」

「あっ、うん」

「好きな人が居るのに、嫌だもんね」


 優しいお姉さんは、ペロッと舌を出した。改めて『好きな人』と言われてしまうと、ついモジモジしちゃうんだよな。まだこういう時に、どうしたら良いのか分からないし、気持ちの余裕もないのだ。

 彼女は手際よく、ローストビーフを薄く切り、綺麗に皿に盛り付ける。ソースをクルリと円を描くようにかけたそれは、お店で出て来てもおかしくない出来栄えだった。それをテーブルの真ん中に置く。四人分のカトラリーを並べた時には、そろそろ彼らも着くような時間になっていた。


「緋菜ちゃん、グラスの残り飲んじゃって。洗っておかないと、バレちゃう」

「あ、ホントだ」

「それから最後の味見ね」


 今度はローストビーフの端っこを、二人で分けて食べた。もう少しビールが欲しい気がするけど、我慢しないと。早く彼らが来ないかな、と思うのは、食べたいからなのか、会いたいからなのか。頭の中で拮抗している。


「緋菜ちゃんは昌平くんの隣が良いよね」

「えっ」


 陽さんはテーブルの向かい合わせに作った席を指差した。さもそれが、当たり前よね?とでも言いたそうな顔で。あぁうん、と答えたが、それは成瀬くんにとっても好都合だと気付く。


「じゃあ、陽さんは成瀬くんの隣ね」

「ん?あぁそうね。直ぐに立ちやすいように、私はキッチン寄りがいいな」

「あぁそっか。うぅんと、じゃあ男子は奥に座ってもらおう」


 私は言われた場所に腰を下ろして、緊張し始めていた。店で会うよりもきっと距離が近い。今日は寒くないようにスキニーとセーターを着ている。もう少し可愛い格好をして来れば良かったかな。


 「そうね。じゃあスムーズに誘導出来るように、お茶を飲んでたことにして、カップでも置いておこうか」


 悩む私に微笑んだ陽さんは、今空いたばかリのグラスを片付け、薬缶を火に掛けた。それから、「紅茶にしよう」とシンプルなマグカップを二つ並べて、準備を始める。未だ湯が沸かないのだろう。皿を出し、ポテトサラダのボウルを手に取った。一人分ずつ盛るようだ。小振りな皿に、流れる様に入れていく。それから、あの小さなボウルからも何かを盛った。


「稲荷寿司は後から出そうか。唐揚げもあるしね」

「そうだね」


 ポテトサラダを配置して、陽さんは紅茶を淹れ始める。私の目の前には、玉子の潰れたポテトサラダ。そこにパセリの刻んだ物が散らされていて、何だか見栄えが良い。昌平のところに置かれた物に目をやって、少しドキドキする。上手く出来たって言ってくれるといいな。陽さんと成瀬くんのところにも、同じように置かれているそれに目をやったが何かが気になる。あれ?と小さな声が出て、慌てて口を噤んだ。

 成瀬くんのところに置かれた物。あれは私が混ぜたものじゃない。だって玉子が綺麗だもの。一つも潰れていない。陽さんが小さいボウルで混ぜていたのは、成瀬くんの物?一体、何が違うの?どういうことだろう。

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