第四話 俺の嫉妬
「は?緋菜が?俺に?」
緋菜がゆっくりと頷いて、俺を下から見上げる。ちょっと拗ねているように見えた。クリスマスプレゼント、と言われたが、ケーキのお礼と言うことか。
「開けても良い?」
「うん……」
何だか緋菜は、少し剥れているのだ。俺は紙袋を丁寧に開け、中を覗く。水色の生地が見えた。手にした物は、男の子が好きそうなキャラクターが描かれたエプロン。あぁ、だから機嫌が悪くなったのか。俺はそれに気が付くと、僅かに頬を緩めた。
「その……まさかタイムリーに買ったと思わなくて。昌平なら仕事とか、家とかで使えるかなって。シンプルな物も見たんだけど、保育士さんってこういうのしてるイメージだったから。いらなかったら、ごめんね」
俺は、ブンブンと首を振った。緋菜がこんなことをするなんて、思いもしなかった。予想外のことに、俺は少し優越感に浸る。
成瀬くんと何を話していたかは分からない。俺には聞かれたくないこと、なのだろう。でも俺は、完全に嫉妬していた。凄く面白くなかった。緋菜と何を話していたんだろう。そればかりが気になって、完全に俺の気持ちは落ち込んでいたのだ。
「有難う。嬉しい。うん、凄い嬉しい」
「本当?」
「おぉ。丁度さ、こういうキャラクターの探したんだけどなかったんだ。新年初日から使うよ。本当に有難うな」
「う、うん」
俺の気分は、一気に持ち上がっていた。簡単だな、と呆れるが、恋とはきっとこういうものだ。緋菜がはにかみながら、目線を逸らす。コイツは綺麗なんじゃなくて、可愛いんだ。馬鹿みたいなことを、真面目に思っていた。
「そうかぁ……」
「ん?なぁに?」
「いや、緋菜を誘ったら良かったんだと思って。わざわざ先輩に行って貰わなくたって、良かったなってさ」
瑠衣先生が一緒に行こう、と言ってくれたわけではない。得る物は確かにあったが、あれは園長が仕組んだこと。いつもはカタログで頼むから、まぁそんな頻度の高い話ではない。
「そ、そうだよ。そのくらい付き合うよ」
「お、本当?」
緋菜がようやく、普通に笑った。今度必要な時は誘ってみよう。緋菜なら、その後ここで飲めばいいし。何なら、ちょっとデートみたいに……
「どうした?」
「あぁいや、何でもない」
気不味さを適当にあしらった。二人で出掛けるなんて、緋菜にとってみれば大した話ではないのだろう。何ならちょっと面倒だと思う方かも知れないな。それが成瀬くんだったら、緋菜はドキドキするのだろうか。可愛らしい服を着て、出掛けたりするのだろうか。
「あ、そうだ。緋菜、明日ケーキ持って行ってくれない?」
「ん?」
「いや、作って、お前の家に持って行くから。先にさ。俺よく考えたら、寝袋も持って行くんだったわ」
「あぁ、そっか。うん、分った」
「悪いけど頼むわ」
うん、と緋菜は頷いた。何だか今日は、いがみ合ったりせずにいい感じで飲めているな。成瀬くんと何か話をしたから、緋菜は大人しいのだろうか。二人は何を話していたんだろう。俺には聞かれたくない何か。成瀬くんがそうするということは、緋菜を誘ったりしたということだろうか。
「そうしたらさ、寝袋一つは私持って行くよ。二つがどれくらいなのか分かんないけど、その方が楽じゃない?」
「あぁ、確かにそうか。じゃあ、頼むわ。重くはないから」
「うん」
緋菜は明日が楽しみなようで、ここのところは大晦日の話になるとやたらニコニコしている。そうして、こんな風に気も利く。いつもなら、こんなところに気が付かないだろう。そういう大雑把な奴なんだ。
「あ、そうだ。緋菜、陽さん何かあった?」
「え、いや。何も聞いてないけど。何で?」
「いや、明日の飯作るの大変なら、手伝おうと思って。今朝連絡入れたんだけどさ。ずっと既読にもならなくて。さっきだよ、ようやく連絡着たの。何かあったんかなと思ったんだけど」
「部屋のお掃除とかが大変だったんじゃない?明日私たち行くから。それに陽さんだって、予定くらいあるよ」
緋菜はそう言うけれど、陽さんが俺たちが行くくらいで、慌てて掃除をしているとも思えない。しかも前日に。用事くらいあって当然だし、気にすることでもないのだろうが、緋菜の相談をする時にはこんなに間が空いたことはなかった。だから、何かあったかな、って心配になったのだけれど。緋菜はあまりに気なっていないようだった。
本当のことを言えば、陽さんに相談……いや、泣き付いたのは昨夜のこと。瑠衣先生とは、頼れる男、と話はしたけれど、それが一体何なのか分からなくなってしまったのである。陽さんから返って来たのは、ちょっと意表を突かれたような感じだった。
『昌平くんは、昌平くん』
『いつものままの方が、良いと思うよ』
そう言うのだ。瑠衣先生も「昌平先生らしさを失くさないこと」と言ってはいたけれど。俺は、今のままではそこから抜け出せなそうだから藻掻いている。それなのに、陽さんはそう言った。でも、と食い下がっても、『そのままでいい』というのだ。理由を問うたのだが、そこでメッセージが途絶えてしまった。
そして、ようやく返って来たのが、今さっきのこと。パスタを作るかどうかなんて、一つも書いてはない。そこにはこう書かれていた。
『遅くなって、ごめんね』
『そうやって自信を失くしちゃう気持ちは分かるよ』
『でも、きっとね。今のままの昌平くんを好きになって貰うことが、一番いいと思うんだ』
『大丈夫。緋菜ちゃんは、ちゃんと昌平くんの良い所見てるよ』
俺は、その画面を食い入るように見つめた。そう、俺は自信がなかったんだ。それを可視化され、ズンと胸に響いていた。
「緋菜、明日さ。年明けたら初詣行こうぜ」
「あぁ、いいね。混むだろうから、明け方とかが良いのかなぁ。皆で行けばさ、屋台も楽しいよねぇ」
「お、おぉ」
そりゃそうだ。今の誘い方では、二人で行こう、とはならないよな。自分で言っておいて、がっかりする。タコ焼き食べたい、と今から考え始める緋菜。コイツが楽しいならそれで良いか、と小さく息を吐いた。
「あ、縁結び行きたい」
「縁結び?」
「あ、えっと。違う、いや違わないんだけど。ほら、成瀬くんたちが上手くいきますようにって」
「あぁ、そっちか。何だよ、緋菜が行きたいのかと思った」
私はねぇ、と空になりかけたジョッキに口を付ける。成瀬くんとの縁結び、ってことなのかな。本当は、陽さんと上手くいって欲しくないのだろうか。それならば、明日二人を置いて出掛けたりしたがらないか。もしかしたら、他に好きな人が出来たのかも知れないな。そう言うことも、考えておかないといけないんだ。
「昌平?どした?」
「いや、縁結びの神社ってどこだろうと思って。ほら、折角なら、ご利益のあるとこが良いじゃん。皆の恋が上手くいきますようにって」
「おぉ……なかなか乙女チックなことを言いますね」
「あぁ?自分が言い出したんだろうが」
結局、いつものように罵り合う。常連さんたちは、またやってるよ、とケラケラ笑っている。俺たちは、いつもこうだ。カウンターの中から親父が、仲良しだねぇ、と茶々を入れてきた。キッと睨みつけると、鼻歌を歌いながら逃げた。相当な爺だが、耳の衰えはない。余計なことをするな、とまた息子に怒られて喧嘩が始まる。こんなことは日常茶飯だ。そして店内には、笑い声が響き、妙な一体感が生まれる。この店の良い所は、こういう温かさにあると思う。
「昌平はさ、実家に帰るの?」
「おぉ。三日くらいに帰るかな。妹がクッキーの焼き方教えろって煩いからさ」
「あ、そうなんだ。頼られてるね、お兄ちゃん」
緋菜にそう言われると、ビクンと反応してしまう。話の流れで言っているだけなのに、緋菜までもそう思っているかのように感じてしまうのである。
「何て言うか、家事壊滅的な妹で。レシピを見ただけじゃ、作れないんだよな」
「あれ?いくつ?」
「高校一年。好きな奴でも出来たんかもなぁと思ってはいるんだけど」
「やだ、可愛いねぇ。アオハルだ」
「かねぇ」
楓も思春期だ。青春時代、というものが始まったのだろう。それでも兄貴を頼るんだから、まぁ可愛いもんか。千代さんは気にして手を出したがるだろうけれど、それは阻止しないといけない。それを許してしまったら、絶対に楓は臍を曲げるから。
「昌平ってさ」
「ん?」
「いや、意外ときちんとしてるよね。それに意外と優しい」
俺のおでんに手を伸ばしながら、緋菜がそう言った。意外とが余計だわ、と嫌味に返したが、単に照れ隠しである。俺の嫉妬は少し落ち着いていた。緋菜と二人でこうして笑っていれば、結局頭で考えたことなど無意味だ。
陽さんの言うように、今のままの俺で良いのかも知れない。成瀬くんに勝てるのかは、正直自信はない。けれど、このまま真っ直ぐに、緋菜を好きでいようと決めた。
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