第三話 俺らしくいること(下)

「……もしもし」


 俺は訝しんで、千代さんからの電話に出る。気は重い。


「あ、お兄ちゃん?まだお仕事?」

「あぁ、何だ。かえでか。自分の携帯から掛けて来いよ」

「えぇ、だって。今動画見てるから無理だよ」


 それが終わってから、自分の携帯で電話して来い。そう思うが、コイツには響いていなそうだ。呑気な口調で話を続ける楓。俺の妹である。


「お兄ちゃん、プレゼント有難うね。今度いつ帰って来る?」

「んん、多分……年明けには帰るよ」

「絶対ね?そうしたらさ、クッキーの作り方教えてよ」

「あ?別にいいけど……楓、好きな人でも出来たんか」

「はっ?違うし」


 今年、高校生になった妹、楓。何かと色気づくような年代である。今年のクリスマスにも、ネックレスが欲しいんだ、と言って来た。中高生に人気だと言うブランドの物らしい。俺は良く分からないので、ネットでポチッと押しただけ。実際にどんなものだったか、思い出せと言われても難しい。


「教えてやるのは構わないけど、家庭科壊滅的だろう?まだ玉子焼きも作れないんじゃないのか」

「そんなことないよ。私が料理が出来ないのは遺伝。ママ見たら分るでしょうよ」

「ん、おぉ」

「ね、お願い」

「分かったよ。その代わり、途中で拗ねるなよ」


 はぁい、と返事をする楓。彼女が俺の妹になってから、もう十三年経った。深見家は、子連れ同士による再婚で出来た家庭である。

 当時、俺は十五、六。今の楓くらいの年だった。思春期、成長期、反抗期。オンパレードの多感な時期に、急に三歳の妹が出来た。戸惑いしかなかった。抵抗するも何も、母親というもの居ないのが当たり前だった俺は、ただ窮屈に感じていたのは言うまでもない。新しい家族とぎくしゃくしていた俺を繋いだのは、楓である。初めは怖がっていたものの、そのうちに弟が生まれると分かると、楓は子供なりに何かを察したのだろう。母は構ってくれなくなる。そうして見つけたのが、俺だった、というわけだ。俺が苛々していてもお構いなし。絵本を読んで、と部屋に勝手に入って来るし、お菓子が開かない、と泣きついてくることもあった。継母に反抗する暇などなく、俺は大人にならざるを得なかったのである。


「あ、お兄ちゃん。お母さんが話したいって。ちょっと待って」

「あぁ、うん」


 分かってはいても、まだ緊張する時がある。現に俺は、細く深呼吸をした。

 楓が『お母さん』と言うのは、俺の継母になる千代さんのことである。年はいくつだったか。陽さんの少し上くらいだろうか。確か四十くらいだったと思う。未婚のまま楓を育てていた千代さんは、逞しい女性だ。ただ何と言うかガサツで、洗濯物も俺が畳んだ方が綺麗だったりする。そんな彼女は彼女なりに、懸命に俺の母親になろうとしてくれた。血の繋がっている父よりも、学校のことは良く見てくれたし、感謝はしている。進路に悩んでいた頃に、昌平くんはピアノも弾けるし保育士なんか良いんじゃない?と言ってくれたのは、千代さんだった。感覚的には、母親というよりも戦友という方が近いと思っている。


「あ、昌平くん。久しぶりだね。元気にしてる?」

「あぁ、はい」

「ごめんなさいね。毎年、クリスマス送ってくれて。私知らなかったんだけれど、楓はお強請りしたんだって?本当にごめんなさい」

「あぁ、いや。いいですよ。楓も女の子になって来たってことです」


 見た目は何も変わらないんだけどねぇ、と彼女に軽く溜息を零す。近くに居るであろう楓からの反論は聞こえない。

 楓は、見事に母親に似ている。家事の才能がほぼない。それでも懸命にやろうとする千代さんとは違い、楓は直ぐに飽きるし、それを叱れば直ぐに拗ねた。だけれども、俺はあまり強くは言わない。楓が寂しい気持ちを持っていることも分かっているのだ。親が再婚をし、ほどなくして俺たちに弟、奏介そうすけが生まれた。楓は良く奏介の面倒を看たし、お姉ちゃんぶったりしたが、本心は寂しかったと思う。俺はもう高校生だったし、同じような気持ちはなかったが、彼女はグッと堪えて見事に『姉』になりきった。それを分かっているから、俺は楓に甘いのかも知れない。


「年明けに帰ろうかと思うんですけど」

「うんうん。お父さんにも言っておくね」

「あぁ、はい。それで、楓がクッキー作りたいんだって。材料メールしたら、買っておいてもらえますか?」

「え、本当に?昌平くんは器用だから大丈夫だろうけれど、この子出来るのかしら」


 千代さんは本気で心配している。キッチンがぐちゃぐちゃになることが目に見えているのだ。多分、彼女も同じ気持ちだろうと思う。


「それにしても、急にそんなこと言って」

「あぁ多分ですけど。楓、好きな人でも出来たんじゃないんですかね」

「えぇ、本当?」

「まぁそんな年頃ですよ。でも、あまり言わないであげてくださいね。きっと臍曲げて、クッキーなんて焼かないって言い出すから」


 確かにそうね、と千代さんは向こう側で頷く。折角芽生えているであろう恋を、家族は温かく見守るべきである。俺は直接言われた訳じゃないが、女の子だからきっと母親にはそのうちに話すだろう。


「じゃあ、申し訳ないけれど。買っておく物分かったら、教えてね。よろしくお願いします。それと……きっとあの人、また言うと思うの。だけど気にしないで良いからね。私は気にしてないから」

「……分かりました。では」

「えぇ。風邪に気を付けてね。お疲れ様」


 ふぅ、と大きく息を吐いた。

 実家に帰る、ということが俺にとって重荷なのは、継母ではない。父親である。未だに『おかあさん』と呼ばない俺に、父は言うのだ。「千代さんじゃない。おかあさんだ」と。千代さんが本当に気にしていないのかは分からないけれど、別にいがみ合っている訳ではない。今まで一度も苛立ちをぶつけ合ったことなどないのではないか。それでも父は、俺が『おかあさん』と呼ばないことで、家族が一つにならないと思っている。千代さんが肩身の狭い思いをしているとでも思っているのだろう。俺があの時、どれだけ気を遣ったかなんて気にもしなかったくせに。ずっと嫌で面倒で、目を背けている現実。それでも年に数回は、向き合わねばならない。


「昌平先生、電話終わった?」

「えっ。あぁすみません」


 ちょっとだけ苛ついていた俺の後ろに、瑠衣先生が立っていた。電話をしている間に、追い付いてしまったのだろう。


「彼女?」

「いや、妹です。クリスマスにプレゼント送ったから。そのお礼」

「へぇ。優しいのねぇ。だってもう社会人でしょう?」

「あぁ、いや高校生っす。弟は小学生。なんで、まだ可愛いもんですよ」

「あ……ら、そうだったの」


 隠すつもりはないので、聞かれれば話すけれど。瑠衣先生は深く聞いてはいけないと思ったのだろう。弟が小学生であることを告げると、彼女は目を丸くしたが、何も言わなかった。


「じゃあ、お店が閉まらないうちに行こう」

「そうっすね。本当にすみません。付き合わせちゃって」

「あぁ、それはね……いや、私のせいなのよ」

「どういう意味です?」


 瑠衣先生は申し訳なさそうに俺を見る。何のことか分からない俺は、ただ彼女の次の言葉を待った。


「いやね。この間の件、あったでしょう?乃愛ちゃんのお父さんの件」

「あぁ、有りましたね」


 そんなに前の話でもないのに、もうとんでもなく昔話であるような気がする。乃愛ちゃんは変わりなくお友達と仲良くしているし、お父さんもいつもと同じ。問題だったあの噂も、いつの間にか風に流れるように消えていた。


「それがあって。昌平先生が話聞いてくれたりしたじゃない」

「そうですね」

「それを園長が勘違いしちゃったみたいで。瑠衣先生、昌平先生のこと応援するからって。凄いキラキラした目で言われちゃって……」


 はぁ?と声を荒げたが、そう言う園長が直ぐに想像が付いてしまう。可愛らしく、両手を組み合わせてこちらを見る様は、以前誰かにそうしているのを見かけた気がする。だけれども、凄く純粋で誰かの役に立ちたいと思っている園長は、時にこうして空回りしていた。


「それでなんですね。園長ならやり兼ねない」

「うん。そうなんだよね。で、私もさ。彼氏がいます、っていう状態でもないし。マッチングアプリで探してます、とは言えないし。濁しちゃったから、それで頑張っちゃったんだよね。本当にごめんね。彼女に悪いことしちゃったかな」

「いや、彼女いないんで。俺もまだ何とも……」


 緋菜は、俺をどう思っているんだろうか。クリスマスは家にあげてくれたけれど、やっぱり兄貴程度なのか。どうしたら、抜け出せるんだろう。


「瑠衣先生。あの、一つ相談しても良いですか」

「なになに?」

「俺、どうも兄ちゃんみたいに思われてるんですよね。それを抜け出すにはどうしたら良いんだろうって」

「あら、恋愛相談なんて珍しい。よっぽど真剣なのね。そうねぇ」


 真剣ではあるが、単に焦っているからでもある。成瀬くんが次の手を打ってしまったら、俺はそこを抜け出す前に負けだろう。可愛らしい顔をして、あんなに優しくて、そして彼女がいない。そんな男から言い寄られたら、誰だって簡単に靡いてしまうものだ。


「お兄ちゃんみたいにってことは、頼りがいはあるって思われてるんじゃない?それならば、男らしさ一本じゃないかなぁ。あまり男らしいって言葉は好きじゃないけれど。安心して頼れる男で居て、関係性が構築されたら、告白じゃない?」

「なるほど……勉強になります」


 とことん頼られるような男で居ればいい、というのが瑠衣先生の考えらしい。確かにそれならば、成瀬くんとキャラクターも被らないな。後は、俺に出来るかが問題だ。


「でもね、大事なことは、無理をしない。昌平先生らしさを失くさないことよ」

「無理して、自分らしさを失くすな、と」

「そう。じゃないと、後々苦労するからね」


 瑠衣先生は苦笑いした。彼女は相変わらず、マッチングアプリで出会った人と、何回か会っているらしい。何か失敗もあったのだろう。それが今の表情に現れている気がする。

 俺らしさを失くさないように向き合う、か。次のイベントは、直ぐに来る。緋菜と俺は、成瀬くんと陽さんを二人にしよう、と計画し始めている。勿論そこには俺の願望もあるが、彼女は知る由もない。上手くいくだろうか。変に疑われないだろうか。心配になることは沢山ある。成瀬くんは、緋菜のこと、どうするつもりだろう。彼も、いつか告白しようと思っているのだろうか。

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