第二話 その優しさに、私は溺れてしまいそう(中)

「美味しいね」

「本当、美味しいねぇ。あ、成瀬くん。ロース焼けてるよ。どうぞ」


 向き合って座した私たちは、ゆっくりと焼肉を堪能している。大衆店というよりは、ちょっと高級なお店。だけどお得なランチがあるので、少し贅沢をする、くらいの気分である。ランチセットに分厚いタンを追加。手元には勿論ビールグラス。美味しい物を食べて、アルコールを飲む。至福の時である。それに、一緒に笑ってくれる人が居る。それもまた、この味を増幅させている気がしていた。


「何だか久しぶりにさ、誰かと焼肉食べたかも」

「え?男の子って、お友達とかと行くんじゃないの?」

「あぁ、それはそうかもね。僕はさ、ほらショウタが一番仲良かったから」

「ごめん……また余計なことを」

「こらこら、謝らないでよ」

「いや、でも……そうだ。じゃあ、これからは私が付き合います」


 申し訳なさもあるけれど、単に自分が食べたいからだとも思う。焼肉って、一人でも美味しいんだけれど、やっぱり誰かと話しながら食べた方が美味しいと思ったのだ。一人だと食べられる量も少ない。それに比べて男の子と来られるなら、激選しなくても済むだろう。それが成瀬くんだったらいいな、なんて思うのは、やっぱりいけないのかな。征嗣さんと別れられないくせに。


「本当?そうしたら僕、誘うよ。本当に」

「え?あぁ、うん。いいよ。でも今度はさ、お好み焼きも行かない?あれも一人じゃ行けないから」

「そうだね。お好み焼き食べて、もんじゃも良いね」

「うん」


 彼がこうしていてくれなかったら、私は今も征嗣さんに雁字搦めになっていたのだと思う。そうして生きて来たし、だった。いけないことだと分かっていても、誰も止めてはくれない。自分の道徳心が止めるべきなのだけれど、もうその気力すら沸かなかった。征嗣さんが時折来てくれて、私を満たしてくれる。永遠に続いて行く関係ではないのは分かっているけれど、そのまま老けて行くのだろうな、とは思っていた。そういう諦めを思い出すと、隣で成瀬くんが笑っていることが奇跡の様にすら感じている。


「結構食べたねぇ」

「そうだね。焼肉はこの辺にしておこうか?あまり食べ過ぎたら、飲む気になれなくなっちゃうよ」

「あぁ確かにそうだね。じゃあ、清算してお散歩でもしようか」


 最後に小さなアイスクリームを食べて、微笑み合う時間は本当に幸せだった。普通のお付き合いをしている人は、こんな風にデートをするのかな、なんて思ったりして。一人勝手に、妄想を膨らませた。征嗣さんなら、アイスは食べないだろうな。私が食べているのを呆れた目で見ながら、最後にもう一杯ビールを飲むだろう。


「あぁ……」

「どうした?」

「いや、何でもない」


 幸せな妄想は、未だに征嗣さんから始まる。もう嫌だ、と消そうとする征嗣さんの残像に、つい頭を抱えた。成瀬くんは驚いた顔をしてみているが、まぁ、理由を言える訳もない。


「ここは僕が払うよ」

「いや、で……うん。分かった。有難う。ご馳走様でした」


 支払いはスマートにした方が良い。大衆店ではないのだから、やはり男の人を立てた方がいいか。夜は私が出すね、と小声で言うと、成瀬くんは小さく頷いてくれた。きっと彼も、私が奢られる気などないことは百も承知なのだろう。

 清算を終え、店を出ると、二人ちょっとだけ伸びをしながら目を合わせる。食べ過ぎちゃったね、なんて笑い合って、ふふッと声が出た。そこで左手に持っていた荷物に気付く。小さな紙袋である。


「あ、そうだ。忘れるところだった。えぇと、あの。これ」


 その中身は、透明な袋に入れられたハンカチと靴下。店員さんが可愛らしく結んでくれたリボンが、上から覗いて見えた。


「クリスマス。ほら、いただいただけだったから。私からも、と思って。遅くなっちゃったけど、メリークリスマス」


 成瀬くんは袋を上から覗いて、中身をじっと見ている。少し良い素材のグレーのリブソックスとハンカチだ。そんなにじっくり見られると恥ずかしいのだけれど、成瀬くんは物珍しい物でも見るように、まだ覗いている。


「好みじゃなかった?」

「あ、ううん。そう言うんじゃなくて。何かごめん。気を遣わせちゃって。僕なんて自社製品の寄せ集めだったのに」

「ううん。それは有難く使わせていただいてます。可愛い付箋とか、結構人気だよ。学生に」

「本当?それは良かったけど……大変だったでしょ。仕事帰りに探したりして」


 そんなことないよ、と答えたけれど、確かに大変ではあった。

 メンズギフトと調べてみても、少し高級な文房具が定番で出て来る。成瀬くんは文具メーカーに勤めているのに、彼に別のメーカーの物をあげるのも、だからと言って彼の会社の物をあげるのも流石におかしい。そうして文房具を外し、次に考えたのは入浴剤。形に残らない物の方が良いだろうと思ったのだけれど、シャワーで済ませる人ならば無意味だ。同じような意味で、コーヒーが消えた。お菓子などのギフトも見たのだが、クリスマスの売れ残り感が否めなくて、渋々却下。そうしてようやく見つけたのが、靴下。お休みの日に履くような靴下なら、シンプルで素材の良い物を選べば良い。楽しかったのは、そう決まってからだ。ハンカチは、まぁおまけのようなものである。


「好みとか、その何て言うか。私、成瀬くんのこと何も知らなくて。どんなお家かも分からないから、お家に置いておくような物も違うかなって。それで、お休みの日に履く靴下って思ったんだけど……」

「陽さん、下向かないで。僕は嬉しいよ。だって僕の好みとか色々考えて、選んでくれたんでしょう?有難う」

「う、うん」


 色々考えて、か。確かに必死に想像したけれど、本人にそう言われてしまうと恥ずかしい。でも成瀬くんは、特に気になっていないみたい。何だか上手く笑えなくて、一人顔を赤らめた。


「あ、そうだ。大事なこと忘れるところだった。靴下は洗濯機で洗えて、ハンカチはアイロンを掛けなくても良い物にしたので」

「え、それ?大事なことって」

「ん?大事じゃない?」

「いや、大事かもしれないけどさ……多分それってタグに書いてあるよ」

「へ?……あぁ確かに」


 成瀬くんは腹を抱えて立ち止まる。もう、と膨れてみたけれど、結局私も同じように笑った。楽しいな、と思っても、決して勘違いしたらいけない。彼の優しさは、友人だから。異性の友人など居なかった私には、その距離感が上手く掴めていないだけだ。何度も、何度も何度も。私は自分に言い聞かせた。そうでもしなければ、その優しさに、私は溺れてしまいそうだった。


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