第一話 私は恋を知らない(下)

「あ、早い。そっか。今日はお休みだっけ」


 陽さんからは、直ぐに連絡が来た。『モヤモヤ?具合悪い?気持ち悪かったりはしない?』と書かれた画面に、そう言うことじゃないんだよぉ、と一人突っ込む。自分で送り付けた文からすれば、そう言われて当然なのに。


『ううん。そう言うんじゃないと思う』

『何て言うか。仕事してても、さ。フッと思い浮かんじゃうんだよ』

『それは気持ち悪いんだけど』


 纏まらない感情を打ち込んでは、また項垂れる。今日の帰りにはスーパーへ行こう。味噌汁の具でも買おう。そんな関係ないことを必死に考えて、味噌汁の検索をし始めた。具なんて何でもいい、と言われたのに。どこかにこの気持ちの正解が落ちているのではないか、と必死だった。


『気持ち悪い?』

『うぅんと、何が思い浮かんじゃうんだろう?』


 陽さんからの返信は、早かった。短い休憩中にスムーズにやりとりが出来ることは、有難いことだ。そのくせ、私は『昌平』と直ぐに打ち込んだのに、送信を躊躇っている。いくら陽さんは何を言っても馬鹿にするようなことはない、とは言え、昌平のことを考えちゃうだなんて可笑しな子でしかない。それでも、他に話せる人もいない。迷いは消えないけれど、多分これを伝えなくては話が前に進まない。私は大きく息を吐き、同時に送信をタップした。私のこのモヤモヤする気持ち、分かってくれるといいんだけれど。


『うぅんと、状況とか良く分からないんだけれどね』

『それってさ』

『恋、って言うんじゃないの?』


そう書かれた文を何度も読み直した。恋?私が?


「いやいやいや。それはないよ、陽さん」


 ダダだッと返事を打った。そんな訳などないからだ。だって、誰に恋をしてるって言うの?昌平だよ?それに恋って、もう少しときめくような瞬間があるんじゃないの?いや……確かにあの夜一瞬だけ、ときめいてしまったけれど。だって、あれは事故。もっと胸がドキドキして、耳まで赤くなったりするんじゃないの?


『陽さん、何言ってんの。誰に恋してるって言うのよ』


 そう送りながらも、心が大きな鼓動を立て始めたのが分かった。恋?昌平に?何度も反芻したけれど、やっぱりそんな訳がないとしか思えなかった。


『えっと、昌平くん?』


 陽さんからの答えはそれだけ。それからニコッと笑うパンダのスタンプ。「え、何?当然でしょう?」とでも言わんばかりの返事だった。

 私が昌平を好きな訳ないじゃない。陽さん、暫く恋してなくって、忘れちゃったんじゃないの?私と昌平はそんな関係じゃない。兄妹みたいなものなの。恋だとかそんな関係性は、望んで、いない?パニックになりかけた私は、バクバクとおにぎりを食べ進む。「ヤダ、私の友達がね、変なこと言ってる」と思おうとするのに、パニックになる頭。煩い鼓動。え?これって、恋なの?

 自分の想像する『恋』というものと、今の気持ちが同じかと言われれば、違うと思う。私だって、恋くらいして来た。確かにずっと考えたりしてたけど……そこに『好き』って感情はない。そもそも、それってどんな感情だろう。今まで付き合って来た人たちのことを考える。彼から告白されて、ちょっとずつ相手を知って。それから、じゃあ、と言って付き合い始める。そんな流ればかりだった気がする。フラれたことはあるけれど、私の方から好きになったことなんてあっただろうか。


『え、恋?』

『昌平に?』


 どうにも落ち着かない自分を無視して、何とかそう返す。過去をどれだけ振り返っても、私は誰かを好きになった記憶がなかった。自分の気持ちを他人に聞くなんておかしいけれど、これがその感情なのか自信が持てない。私は困惑して、祈るような気持ちで、陽さんからの返事を待った。


『私はね、緋菜ちゃんじゃないから分からないけれど』

『でもね。今の話は、恋だなぁって思ったよ』


 想像通り、彼女は茶化したりはしない。ただ優しく寄り添うよう文が送られて来た。そしてまた、私の胸は大きな鼓動を響かせる。

 これまでの彼氏も好きだったけれど、あれこれ考えたりしたのは付き合っていたからだ。今度のデートでここに一緒に行きたい。結婚したらこんなことがしたい。付き合っていたから、そうやって想像もしたし、一緒にいたいと思った。そう考えると、昌平とはただの友人である。それなのに将来のイメージに現れるとか、有り得ないことが続いているのだ。と言うことは……私は陽さんの言うことを恐る恐る受け入れ始めた。


『え、これは恋なの?』

『相手は昌平なのに?』


 自分で送っておいて、何を言ってるんだろうと思っている。恋をしたらいけない相手なんていない。それが既婚者だとしても、恋してはいけないというルールはないはずだ。未婚の昌平ならば、後ろめたい理由もない。


『ドキドキしたり』

『関係なく昌平くんを思い出しちゃったり』

『そんなことってない?』


 ある。思い当たることばかりだ。まだ頭の中は混乱している。私が昌平のことを、自ら好きになることなんてある?今まで一緒に飲んで、バカ騒ぎした友人だ。成瀬くんに恋をしたというのなら、まだ理解出来たし、直ぐに受け入れられただろう。彼は大人だから、憧れる要素を持っている。それに対して昌平は?憧れる要素などない。ただお菓子作りは上手いし、それに意外と私をよく見てくれる。それから一緒に良くケラケラ笑うし、猫を見る目も優しかった。あれ?……あれ?


『私、昌平のこと好きなの?』


 そう打ち込む指が震えている。薄々見えていた答えを、私は認めたくなかったんだと思う。だけど直ぐに思い浮かぶ昌平の笑顔。会いたいなぁ、と思う気持ち。あぁそうか。これが恋なんだ。陽さんからの返事を待たずに、私は直ぐにもう一度メッセージを送る。


『私、昌平のことが好きみたい』


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