第三話 私のクリスマス(下)

「あ、じゃあメリークリスマスってことで」

「おぉ。乾杯」

「わぁ美味しそう。いただきます」


 マグカップをカチンと合わせて、健全な乾杯をする。酒を飲まずに二人で会うのなんて、そう言えば初めてかも知れない。コーヒーすら二人で飲んだことがない。昌平だから、ちょっとの緊張だけで部屋にあげることが出来ているけれど。これが成瀬くんだったらどうだろう。もっと緊張した気がするな。その違いは良く分からないけれど、昌平だからあまり肩肘張らなくていいのは確かだ。


「んっ、美味しい……」


 甘過ぎないクリーム。フルーツの甘酸っぱさ。それが口の中に広がって、見開いた目をパチクリさせながら「昌平、天才じゃん」と彼をバシバシ叩いた。


「おぉ、そっか。良かった」

「これ、いつ作ったの?どのくらいかかるのか、私全然分かんないんだけど」

「夕べここまで作って、帰ってからデコレーションした。中のロールケーキの部分は、一晩寝かせた方がしっとりするんだよ」


 ケーキの中身を指した指先を見つめながら、へぇぇ、と感心してはみる。けれど、今一つ想像出来てはいない。一晩寝かせなかった場合との違いは、どれほどなのか。考えたって分かるわけないけれど、考えているフリをした。そのくらいの見栄は張りたい。


「本当に作るの大変そう。昌平、本当に凄いね」

「あ、有難う」


 素直に褒めた。だって絶対に工程が沢山あって、それを普通に仕事をしている合間に作ったんだもの。捻くれたことを言うのは、絶対に違うと思ったから。でも褒められたことに照れたのか、昌平は視線をあちこちに滑らせた。


「意外と部屋、綺麗にしてるじゃん。何だか女の子の部屋って感じだな」

「あっ、ちょっと。そうやってマジマジ見ないでよ」


 そう私が止めるのに、昌平はまだキョロキョロと部屋を見渡す。一応清潔は保てているけれど、細かいところまで見られると自信はない。もう見るな、と昌平の袖を引っ張って不貞腐れた。


「あっ……」

「ひゃっ」


 強く引っ張り過ぎたのか、昌平がバランス崩す。そうして、私の方へ倒れかけ、グッと彼の顔が近付いた。もう本当に近く――唇が触れてしまいそうなくらいに。


「ご、ごめん」

「あ、いえ……」


 慌てて背けたけれど、胸がドキドキしている。気不味くて、昌平の方を見られない。


「ごめんね。私が急に引っ張っちゃったから」

「あぁ、いや。大丈夫、です」


 昌平も気不味いのだろう。口元を袖で隠しながら、何度も「ごめん」と呟いた。心臓の音が聞こえてしまいそうに、部屋の中は静寂が広がっている。二人して目線を外したまま、ただただ気不味い時間が通り過ぎた。まだ自分の中に響く、気持ち悪い程の鼓動。いくら相手が昌平であっても、不意に距離が近付けばこうなるんだ。昌平も何だか恥ずかしそうだった。


「何か曲かけるね」

「あ、うん」


 その場を取り繕うように、サッと立ち上がった。昌平は珈琲に口を付けてから、小さく深呼吸をしている。私も同じように大きく息を吐いて、パソコンで『クリスマスのBGM』と言うのを適当に探した。余りムーディにならないような、ポップな物を選ぶ。きっとその方が、互いに良いだろうと思ったから。


「そっ、そう言えばさ。成瀬くんから連絡着た?」


 平静を装って聞こうと思ったのに、初めのところで声が裏返った。恥ずかしかったけど、それも気にしない振りをして、私はまた彼の横に座る。


「あぁ……えっと。俺のとこには何も」

「そっかぁ。陽さんには連絡入れてたんだけどさ、まだ仕事だって言ってたんだよね。成瀬くんが誘うのかなぁって思ったんだけどなぁ」


 他の人のことに話を逸らして、私たちは互いに冷静さを取り戻そうとする。昌平はどうか分からないが、私の心臓はまだ煩い。それを知られまいと、うぅん、と天井を見上げて誤魔化している。成瀬くんのことが気になっていたのは本当のことだ。あんなにクリスマスのことを気にしていたから。誰かは誘ったと思うけれど、上手く行っただろうか。


「ねぇ、成瀬くんが他の誰かを誘うってことあるかな。陽さんじゃなくて」

「あぁ、どうだろう。無いとは言い切れないよな。俺らが全部知ってるわけじゃないし。成瀬くんの周りにだって、女の人は沢山いるわけだし」

「そうだよねぇ。誰かは誘ってると思うんだけどなぁ」


 成瀬くんがあんなにあれこれ聞いて来たのは、珍しいなと思っていた。誰かを誘いたいんだな、と思った私は、それとなく女子の気持ちを伝える努力をしたけれど。よく考えれば、陽さんを誘うなら、私たちにそう相談をしたっていい。それをしなかったと言うことは、違うってことなのかな。でも……それはそれで、ちょっと寂しい気もする。まぁ私が首を突っ込める話じゃないんだけれど。


「ちょっと成瀬くんに聞いてみない?何してるって」

「いや、それはデートの邪魔になるんじゃねぇ?陽さんを誘ってるなら、まだ何となくいいかも知れないけどさ。他の人だったら、なぁ。ほら、邪魔じゃん」

「そうかぁ。でもさ、それなら無視されるだけじゃない?本当にデートなら、既読にすらならないって」

「あぁ、そうか。じゃあ……送ってみる?」


 よし、と大きく二人頷き、メッセージを作る。それとなく聞き出せるように、『お疲れ様。仕事終わった?』とそれぞれ打ち込んだ。私は陽さんに。昌平は成瀬くんに。誰かと一緒?って聞こうかと思ったけれど、多分この方があの二人は抵抗ないと判断したのだ。


 そんなことをしながら私たちは、また距離が近付いたり、離れたりする。さっきみたいな高揚感はないけれど、ちょっとだけドキッとしていた。だって、彼が近付くたびに、昌平の匂いがふわっとするから。シャンプーだとか洗剤だとか、そう言う香料的な匂いと言うよりは、お日様に良く当たった洗濯物のような匂い。子供たちとお日様の下で遊んだりするのかな。昌平は本当に好かれていそうだ。楽しく遊ぶ姿が想像出来て、一人少しだけ口端を上げていた。

 熱心に携帯の文面を確認する昌平は、さっきのトキメキのような瞬間など疾うに忘れたようだった。まだ名残があるのは、私だけなのかな。


「じゃあこれでいい?送るよ」

「よし」


 並べた二人の携帯の送信ボタンを、せぇの、と同時にタップする。あとはどんな言葉が返って来るか。将又、既読にもならないか。直ぐに返って来るわけでもないのに、私たちは固唾を飲んで画面を注視していた。


「ねぇ昌平……ケーキと発泡酒は合いませんか」


 勝手に緊張して、コーヒーの気分じゃなくなっていた私。昌平は意地悪い顔をしてから、いいね、と笑った。私はそれだ何だか楽しくて、鼻歌を歌いながら冷蔵庫を開ける。一人で過ごすクリスマスが嫌だったけれど、こんな風に友人と楽しむのもいいものだ。冷蔵庫から出した発泡酒を昌平に渡し、有難う、と受け取るのをマジマジと見ながら、また隣に座った。あれ?昌平って、あんな風に目尻に皺が寄るんだっけ。いつも右側にだけ出来るえくぼは見ていたけれど、何だか新鮮。あんなに一緒に飲んだり食べたりしてるのに、私は全然彼を見ていなかったのかも知れない。


「じゃあ、改めて乾杯」

「メリークリスマス。ふふ、ケーキと合うかなぁ」


 楽しいって思ってるのは、私だけかな。昌平はどうなんだろう。ケーキを作って来てはくれたけれど、どうせ緋菜が寂しいだろうから、という兄貴感情だと思う。本当はルイと過ごしたかったのかな。同じ保育園で働いてると、そう上手くはいかないのだろうか。


「あ、返って来たよ」


 先に鳴ったのは、私の方。陽さんからのメッセージだ。二人で息を飲んで見た画面には、『今仕事終わったところだよ。緋菜ちゃんは?』と何だか淡白なメッセージが表示された。


「今終わった……成瀬くんと一緒ではないんだ」

「ってことなのかな」

「緋菜ちゃんは?って来てるから返した方が良いよね。昌平と飲んでるって言えばいいかな」

「いや、それじゃその、俺たちが疑われるだろうよ」

「あぁ、そっか。疑われるのはねぇ」


 イィって口を横に開いてから、舌を出してお道化た。昌平は私と疑われるのは嫌なんだな。そうか、やっぱりルイが好きなんだ。そっか。


「やっぱり、昌平と居るって言おうっと。変に嘘吐いても仕方ないでしょ。ケーキ作って来てくれたのって、正直に言えばいいじゃん。別に隠すことでもない」

「まぁ、そうだけど」

「じゃあそうするね」


 私はさっき撮った写真を一枚選んで、少し加工を施す。『昌平がね、持って来てくれたの。凄くない?』と打ち込んで、昌平に見せる。ちょっと嫌そうに見えるのが気に入らないけれど、そのまま送信してやった。何だか少しだけムキになる私。クリスマスに私と居た、という事実を誰かに知らせたかったのかも知れない。ルイじゃなくて、私と居たんだって。


「何でそんなに嫌そうな訳?ケーキ作って来たの、知られたくなかった?」

「いや、そう言うんじゃないけどさ……」

「じゃあ、私に持って来た、ってことが嫌だったのね」

「違うよ。別に嫌じゃねぇ、よ。その、緋菜がさ。嫌かなって思って」

「何それ。私は逆に自慢したいよ。だって凄い上手だし、美味しいし。それに昌平が忙しいのに作って持って来てくれたんだから」


 ね?と笑い掛けたら、昌平が真顔で固まった。そんなに嫌だったのか。それなら作って来なければいいのに。下を見ながらプウッと膨れたけれど、多分昌平には見えていない。


「あ、緋菜。成瀬くんから返って来た」

「お、何て?」

「んんと……『今日は残業だったから、今帰りだよ』だって」

「えぇ、どっちも仕事?」

「らしいな。でもさ、何だかやんわりと濁された気がするんだけど」


 私たちは携帯画面を見ながら、腕を組んだ。平日だし、残業になることは想像出来る。それも有り得る話だ。けれど、私は少し疑っている。本当は、あの二人は一緒に居るんじゃないだろうか。

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