第四話 彼が私にしたこと(上)

『昌平くんって、本当に器用だね。凄いなぁ。一緒に食べてるのかな。仲良くね。素敵なクリスマスを』


 私は、緋菜ちゃんにそうメッセージを返した。昌平くんが彼女の家に居ることは知っている。少し前に彼の方から、連絡が来たのだ。思わぬ展開になって焦っていたようだけれど、『今日のところは落ち着いて。仲良くね』とだけ返しておいた。彼らは、私にだけではなく成瀬くんにも送って来ていた。きっと何かを怪しんで、探っているに違いない。


「ちょっと意地悪だったかな?仲良くねって」

「良いんじゃない?」


 私たちはちょっとだけ片笑みを浮かべ、ワインの入ったグラスを持ち上げた。

 クリスマスの夜。私は、成瀬くんと食事をしている。こんなクリスマスが過ごせるなんて、思いもしなかった。と言うか、もう諦めてしまっていたのだ。だからだろうか。私は今、とても幸せだし、とても楽しい。成瀬くんが何故誘ってくれたのかは分からないが、有難いなぁ、とおばさん丸出しの感謝の念を抱いていた。


 征嗣さんと一緒に居るようになってから、私は自然と色んな物を捨て、諦めた。結婚、出産、友人、こうしたイベント事。全ての代わりに、彼と居ることを選んだのである。決して幸せではないけれど、だからと言って不幸なわけでもない。そんな罪深い背徳の人生を、態々自ら選び歩いて来た。自分のしていることは、決して胸は張れることではない。彼の家族に対する申し訳なさは、常日頃思っていること。私が先に付き合ってたはずなのに、なんて口に出すことも許されない。選ばれなかった私は、日陰でこそこそと歩いて行く他にはないのだ。

 余り事実を考え過ぎると、溜息しか出ない。折角のクリスマスの夜なのに。


「陽さん、もう一杯飲む?どうする?」

「あぁそうだなぁ……」


 私は携帯を手に取って、時間を確認するフリをする。年に数回ある、征嗣さんが絶対に来ることのない日だ。それでも、急遽連絡が来たらいけない。腕時計をしているくせに、そうやって誤魔化しながら確認するのである。

 でも、今夜は連絡はない。ふぅ、と吐いたのは溜息だろうか。私はどちらを期待しているのだろう。こんな夜でも、征嗣さんから会いたいと連絡が来ることなのか。それとも、連絡が来ないことに安堵することなのか。


「連絡、待ってるの?」

「え、あぁ……えぇと。そう言うんじゃないんだけどね。今何時かなって」


 成瀬くんは私の腕時計に目をやる。あぁバレているんだな、と思った。


「そっか。ねぇ、あと一杯だけ飲まない?そうしたら帰ろう」


 それでも先日の電話の件もあってか、彼はそれ以上は言わない。自然と話題を変えて、微笑むのだ。でも私は見逃してはいない。笑う前に一瞬だけ見せた、凍ったような目の色。彼は私を軽蔑している。


「あぁ、そうねぇ。いや、お酒はこれまでにして、そろそろケーキにしない?クレームブリュレにする?それともケーキ買う?」

「そうだなぁ。今日はね、ケーキが良いの。よし、じゃあコンビニとかに行って買おうよ」

「そうだね。じゃあ残りを大事に飲まないとね」


 フフッと笑い合うのは、いつもの成瀬くんだった。さっきの冷たい表情はもうない。不倫という行為を憎んでいる彼。そして、それをしている私。それなのに成瀬くんは、こうして友人として変わらずに居てくれる。とても優しい人。

 だからつい、その優しさに、勘違いをしてしまいそうになる。成瀬くんはきっと、『不倫』という行為を止めさせたいだけ。人として、私がそうすることを望んでいるだけ。そんなことは十分に分かっているのに。寂しいだけの私の心はどこかで、彼に包まれることを期待している。色を失くした場所に、フッと花が一輪咲くような、そんな淡い淡い期待を。


「あ、ねぇねぇ。私良く分からないんだけれど、クリスマスって、今日なの?」


 自分の中の『あわよくば救い出して欲しい』気持ちをバッサリと捨てるように、ちょっと疑問に思っていたことを聞いてみる。カレンダーには二十四日はクリスマスイヴと書かれていた。世の中の人は、今日パーティをするのか、明日なのか。それがちょっと分からなかったのだ。


「クリスマスって言うのはね、二十四日の日没から二十五日の日没までなんだって」

「そうなんだ。知らなかった」

「陽さんでも知らないことあるんだね」

「あるよ、それは。クリスマスなんて縁がなかったから、尚更」


 言ってしまってから、失言だったと気付く。気不味さに目を伏せた私に、彼は「今年は出来て良かったかな?」と問う。チラリ見る彼もまた、私の方は見ておらず、グラスを持ったまま明後日の方向を眺めていた。


「うん。有難う。とっても楽しかったよ。クリスマスの正確な日も知れたし」

「あぁうん。それはね、去年昌平くんが言ってたの。イブは前日じゃなくって、イブニングなんだよぉって」


 彼は昌平くんの真似をしながら、正直にそう白状する。自分の知識を自慢したいわけではないらしい。


「昌平くんも物知りね」

「何か仕事の関係で、あれこれ調べたみたい。今は結構、保育園も多国籍だからって。仏教徒もいれば、カトリックの子もいる。だからクリスマス会じゃなくって、お楽しみ会なんじゃなかったかな」

「そうなんだ。全く知らない世界だなぁ」


 いつの間にか日本も、大分多国籍になったのだ。私の働く大学という場所も確かに多いけれど、そういった小さな子が来るような施設の方が、分かりやすいのかも知れない。


「昌平くんの仕事も大変そうね。勿論、土地柄とかってあるとは思うけれど」

「そうだね。あ、昌平くん。しまった。メッセージ無視したままだ」


 彼は慌てて携帯を確認する。仕事が終わった、と言ったところで止まっているんだったか。やっぱり着てるみたい、と何だか忙しく指を動かした。そして私も自然と、同じように携帯を見る。征嗣さんからは着ているはずがない。未読になっているのは、緋菜ちゃんからの二件だけ。


『何よ、もう。仲良く食べてるよ。凄く美味しいよ』

『陽さんも誰かと、ケーキくらい食べてる?』


 誰かと?何だか少し引っ掛かる。緋菜ちゃんは、成瀬くんと居ると疑っているのだろう。確かに間違ってはないけれど、彼女に知られない方が良いと思っている。多分あの子は、他人の色恋に勝手に口出すことが好きだ。私たちはそう言う関係ではない。おもちゃのように振り回されるのは、御免だ。


「ちょっと待って。成瀬くん、返しちゃった?」

「えっ?残業だったから今帰りだよって、送ったけど。どうした?」

「緋菜ちゃんのコレ、見て」

「なになに?あぁ、なるほど。じゃあ、続きは後で返すよ。同僚と飲んでたとかって。何か探られてるのかな、僕たち」

「うん、そうかも知れない。私たちはそう言う関係じゃないのに。何かごめんね」


 丁寧に頭を下げて、成瀬くんに謝る。だって、彼は未来のある人。私とは違う。

 そうやって、つい卑屈になるのは、今日がクリスマスだからかも知れない。もう何年も、一人で過ごすことに慣れていたのに。ここ二、三年は物寂しさが生まれるようになっていた。年齢がそうさせるのだろうと思っていたけれど、最近気が付いたのだ。それは少しずつ征嗣さんへの熱が冷めて、周りを羨んで見始めたのだ、と。


『確かにコンビニに寄って、小さいケーキ買ったけど……一人です』

『何かごめんなさい』


 私は緋菜ちゃんに、嘘のメッセージを送った。それと、クマが項垂れているような、適当なスタンプ。納得してくれるかは分からないけれど、これで収束したいところである。それにしても、何で急に探ろうと思ったんだろうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る