第三話 俺の悩みは(下)
――そうして、ようやく既読になった自分のメッセージ。どうしてあそこまで緋菜が無視をしんだろう。あの時、緋菜からのメッセ―にも着信にも気付かなかったのは悪かったけれど、仕事だったら仕方のない話である気がする。俺たちは社会人だ。そういう状況など、ごまんとあるもの。それでも結局、俺は連絡が着て嬉しくて、自分からこうして頭を下げた訳である。
「今時、教育現場って大変そうだね。ホントお疲れ」
「あぁ、まぁな。あ、それで。何があった?」
「ふふふ。ちょっと聞いてよ。今日ね、陽さんと会ってたんだけどね」
緋菜は本当に嬉しそうな顔をして、俺に話し始める。家のことを一緒にやる、ということは陽さんから聞いてはいたが、どうも出汁の取り方なんかを教わったらしい。部屋も使いやすくなってね、と話しているが、一向に『緊急事態』が見えてこなかった。
「問題は、これから。あれこれ話してたらね。陽さんが、筆ペンの話をしたの。字が綺麗だって知らなかったよって」
筆ペン?字が綺麗?一体何の話だ。俺にはどうも見えてこないが、緋菜は何か凄い話でもしているような顔つきである。
「でしょう?昌平も、それ聞いてピンとこないでしょ?」
「おぉ。何の話だよ」
「この間、ほら猫カフェ行った日。ここでさ、成瀬くんと二人でいた時に話題になったの。たまたま私が筆ペンを持ってて。仕事で使うんだ、なんて話をしたわけ。で、何となくサラッと書いてみたら、字が上手だね、なんて褒めて貰って」
「ん?おぉ……」
やっぱり、本質が見えてこない。自分が褒められたことが嬉しくて、緋菜はまるで子供のように報告している。今のところは、それだけしか分かっていない。
「その話、知らないでしょう?」
「おぉ。俺と陽さんが来る前だろ?成瀬くんと二人で居たってことは」
「そう。でもね、陽さんはそれを知ってたんだよ」
「あぁそうか……え、待って。緋菜が言ったわけじゃないなら、何?あの二人って、意外と仲が良いってこと?」
繋ぎ合わせた場面を綺麗に並べ直し、俺は改めて驚いていた。成瀬くんから陽さんの話は聞いたことはない。逆も同じだ。驚いた俺に満足したのか、緋菜は嬉々とした顔をして、凄くない?と問うてくる。
「話してて、あれ?って思って。これは昌平に話さなきゃって。無視してる場合じゃないって思って、慌てて連絡したんだから」
「無視って何だよ」
「うぅん、だってさ。折角良いこと思い付いたのに、昌平は他の女と何かしてて、連絡付かなくなるし。おもし……何か除け者にされたみたいで嫌だったんだもん」
今、「おもし」って言い掛けて止めたよな?面白くなかったってこと?いや、緋菜がそんな風に思う訳がない。俺のことを
「まぁいいんだけど。昌平はさ、あの二人どう思う?」
「今の話を聞いたらさ、少なからず連絡は取ってるってことじゃん。もしかしたら会ったりしてたりするんかなぁ」
「えぇ、そこまでしてる?どっちも誘わなそうじゃん」
緋菜と二人斜め上を見上げながら、うぅん、と唸った。多分、考えていることはきっと同じ。成瀬くんも、陽さんも、積極的に相手を誘うとは思えない。きっとこの間の連絡先を交換したことで、そんな話でもしたのだろう。あれ……もしかして。成瀬くんも、陽さんに恋愛相談をしてたり、して?もしもそうなったら、陽さんは成瀬くんの味方をするだろうか。どっちの背も押すなんてこと、あったりする?
「とりあえず、年越しはさ。俺たちが買い出しに出るか。途中で」
「そうだね。でもさ、その前にクリスマスがあることが勿体ないよね。どうするんだろうな、二人。他に予定があったりするのかな」
「一回、成瀬くんにでも予定聞いてみるか」
「そうだね。でもさ……二人でディナーとかの予定だったら、どのみち教えてはくれなそうだけど」
「だよなぁ」
そう言いながらも、俺は思い悩んでいる。あの二人が、どんな話をしていたのか気になっているのだ。陽さんは優しいから、成瀬くんに相談されたら、きっと無碍にはしない。一人で思い悩んでいたら申し訳ないな、と思う気持ちと、それでも俺の方が先に相談したし、なんていう子供っぽい気持ちがせめぎ合っている。
「あれ?成瀬くんじゃん」
入口の方を向いている緋菜が、指をさして俺に知らせる。緋菜の目線を追うと、何だか悩んだ顔をした成瀬くんが入って来たところだった。成瀬くんお疲れ、と大声で話し掛けた緋菜に気付いて、顔を上げた彼は少しはにかんで手を上げた。
「緋菜。とりあえずは、やんわりと予定を聞こう。話はそれからだ」
「了解」
俺たちは小声でそう示し合わせて、彼を迎え入れた。緋菜は真剣そうに頷くが、少し浮かれているのが気になる。余計なことは言うなよ、と寸前で囁くと、少しだけ表情が引き締まった。
「お疲れ、どうした?何か疲れてるねぇ」
「あぁ、いや。仕事のことで、ちょっと。おじさん、ビールお願いします」
何だか少し元気のない成瀬くんは、アルコールだけを頼んだ。年末の休みに入るし、仕事も詰まっているのだろう。ちょっと疲れているのかも知れないな。腰掛ける前に小さな溜息を吐いた。
「成瀬くん、仕事結構忙しいの?」
「あぁ、いや。忙しい訳じゃないよ。うん」
頭をポリポリと掻きながら、何かをはぐらかすように目線を逸らして、おでんもいいなぁ、と呟いた。もしかしたら、緋菜と二人で居た俺に、ヤキモチを妬いているのか。そう言えば俺は、彼に自分の気持ちを伝えていない。ちゃんと言わなければいけない時は来るけれど、それはきっと今じゃない。ビールが運ばれて来ると、彼はおでんを追加して、俺たちとジョッキをぶつけた。
そうしていつものように、最近のスポーツや映画、そんなくだらない話を始める。真っ先に切り込むようなことをしては、疑われるだけだ。やんわり時間をかけて、せめて彼のジョッキが半分からになるまでは、雑談に徹する。緋菜は聞きたそうな顔をしているけれど、何とか目で往なした。
「そう言えばさ。お仏壇屋さんって、忙しいの?」
「私のところは、クリスマスとかは関係ないけどね。今は年末年始の準備が始まって、あと大変なのは盆と彼岸かな。昌平は?保育園となると、クリスマスとかイベント事大変そうだよね」
成瀬くんから始まった会話を、緋菜が上手く俺に流した。もういいでしょう?ということだろう。俺たちは目を合わせると、さり気なく頷き合った。
「まぁな。毎月のお誕生日会。イベントなんて、結構色々あるし。終わる前から、その次を考えないといけないし。しかも、クリスマスなんて一大イベントみたいなもんだもんな。自分がはしゃいでる余裕なんてないわ」
適当にそう言ってみる。イベント事は多々あるけれど、私生活が丸潰れしていくほど、うちの園はブラックではない。自宅に持ち帰って作業をすることはあれど、本来はデートくらいは出来る。気力があるかは、別問題として。
「そっかぁ。成瀬くんは?」
「僕?僕は普通の会社員だからなぁ。昌平くんみたいな忙しさはないなぁ」
「あ、そうなんだ。じゃあデートしたり出来るね」
「デート?」
急にそう話題を振ろうとした、緋菜の足を蹴り飛ばす。一瞬、ギッと睨んだけれど、直ぐに小さく舌を出した。流石に、悪かった、とでも思っただろう。
「俺たちはそんな余裕がないからさ。そういう時間があるんだなって話だろ?何か羨ましくなっちゃうんだよな」
「そ、そう。私なんて気付いたらもう年末のお休みで、年明けはそれはそれで忙しい。いつもそんな感じ。だから、デートとか出来るって羨ましくて。成瀬くんは、今年どうするの?クリスマス」
「うぅん、何も考えてないけど。普通に仕事して終わりじゃない?別に盛大にパーティすることでもないし。平日だしね」
成瀬くんの答えを待って、緋菜がチラリと目線を寄越した。今の様子では、本当に予定はなさそうである。すると徐に緋菜が、携帯電話を弄り始めた。何やら画面をタップし、スクロール。俺と成瀬くんは、それをただ不思議に見ていた。
「見て見て。こういうさぁ、お洒落ディナーとか良くない?行ってみたいなっていつも思うんだけど、なかなか時間が作れなくて。去年は彼氏と行ったけど、結局後日だったしなぁ」
そう言いながら差し出した画面には、クリスマスディナーと書かれた特集が表示されている。ホテルだったり、温泉旅館だったり。様々なプランが示されていた。俺は全くこういう物に縁がないが、成瀬くんはちょっと興味を示したように見える。画面をじっと見る彼を、俺たちはチラチラ目を合わせながら眺めた。
「緋菜ちゃん。こういうのって、女の人は誘われたら嬉しい?」
「うぅん、そうだなぁ。ほら、どんな関係かって言うのもあるだろうけど、少しでもいい感じだったら、嬉しいんじゃないかな。こうデートに誘う口実にもいいし。こういうの行かない?とかってさ」
「そっかぁ。緋菜ちゃんは、嬉しいってこと?」
「ん?うんうん。私は、嬉しいかなぁ。多分、大体の人は誘われたら、嬉しいと思うなぁ」
緋菜にしてはさり気なく、自分以外だって誘われると嬉しいことを伝えている。彼は小さな声で、そうかぁ、とまた呟いた。それを見ている俺は、今の成瀬くんの言葉が引っ掛かっている。『緋菜ちゃんは、嬉しい?』というのは、緋菜を後々誘おうということか。
あぁ、どうしよう。緋菜と連絡が取れないという悩みは、ようやく解消したはずだったのに。これで、また新たな問題が発生してしまった。早めに、自分の気持ちを成瀬くんに伝えるべきか。陽さんにそれを相談したら、不味いか。あぁ俺の悩みは、まだまだ尽きそうにない。
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