第四話 僕のクリスマス
陽さんに切られた電話を、僕はかけ直すことが出来なかった。嫌な予感はしている。だからこそ、今の僕には何も出来なかったのだ。僕は彼女の、ただの友人の一人にすぎない。教授と会うな、なんて強く言える立場にない。彼女が助けの手を伸ばし始めたら、全力で掬い上げたいとは思っているけれど。今の僕は、まだ何も出来ない。
そんな浮かないままの僕を、いつもの店で昌平くんと緋菜ちゃんが迎えてくれた。二人共仕事が忙しいらしく、クリスマスを普通に過ごせる僕を羨む。僕にしてみれば、特に何の変哲もない平日に過ぎないのだけれど、きっと忙しい時期の彼らにはそう見えるのだろう。クリスマスに希望を見る二人は、何だか楽しそうだった。僕にしてみれば、相手が居なければ、その辺の一日と同じ。ただ、引っ掛かってはいる。陽さんを誘ったら、どう思うだろう?と。緋菜ちゃんは、何だかんだディナーなどに誘われるのは嬉しいらしい。陽さんも、そう思うだろうか。
「さっき、去年は後日に行ったって言ったけど。こういうのって、その後もやってるものなの?」
「まぁクリスマスに託けたコースってだけだろうけど。一応クリスマスディナーって銘打ってあったし、ケーキとかもそういう感じだったよ」
「へぇ。そういうものなんだ」
緋菜ちゃんは、また何かの検索を始める。そして直ぐに、ほら、と差し出した。さっき見せてくれたサイトで、クリスマス以後のディナープランを検索してくれたようだった。昌平くんも覗き込んで見ているけれど、クリスマス以後ならば、ただのディナーでも良いような気がしてしまう。そういう物ではないのかな。
「でもさ、緋菜ちゃん。クリスマス過ぎちゃったら、普通のディナーでも良くない?」
「あぁ確かにそうだけど。ほら、乾杯のシャンパンが付いてたり、食事のメニューもクリスマス仕様なんだよね。その違いかなぁ。女の人って、イベントとか限定とか好きだからさ。そういう細やかな違いが大事だったりもして」
「そっか。そうなんだ。メニューが変わったりね。なるほど……」
僕は、紗貴をそういう所に連れて行ったことはなかった。結婚記念日に食事はしていたけれど、クリスマスとかバレンタインとか、そういうイベント事は家で過ごしていたのである。学生時代から彼女といたものだから、大人になった恋など良く分かっていない。独身になって、恋愛から自分を遠ざけて、何も知ろうとしなかった。そうか。そういうものなんだな、と一人今納得しているところだ。
「なぁなぁ。俺、分かんねぇんだけどさ。そもそもなんで、クリスマスって、ディナーなの?」
「いや、そんなことないでしょ。ランチだって……ほら、特集あるもの。ただランチって、女同士とかのイメージの方が強いかなぁ。ほら男女で特別なクリスマスをってなるのは、何となく夜じゃない?」
「なるほどな。言われてみれば、そうだわ」
「お友達と、か……」
クリスマスランチ、か。陽さんはそう誘ったら、一緒に行ってくれるだろうか。いや、どうせ誘うならクリスマス当日の夜の方が良いか。うぅん、と一人腕を組んで考え込む。今僕がする普通のことは、やっぱり普通のランチに誘うこと。クリスマス、なんて託けたら、拒絶されてしまう気もした。
「成瀬くん、誰か誘うの?私、応援するよ。ねぇ?昌平」
「おぅ。何か困ったことがあれば、俺たちも……その力になるよ」
「えっ?いや、その。そう言うんじゃないんだ。ごめん、ごめん。有難う」
陽さんを、とは流石に言えない。ここで二人が協力してくれるのは心強いが、彼女はそれどころではないのだ。小山田教授との関係が続いている。今日の様子。僕だって何も察しない訳じゃない。
「陽さんは、クリスマスどうするんだろう。大学はクリスマスだからって、忙しくはないんだよねぇ?」
「どうだろ。俺は知らないな。成瀬くん知ってる?」
「うぅん、彼女の大学はミッション系じゃないから、礼拝みたいのもないと思う。就職課だし、クリスマスは関係ないんじゃない?後は、他の仕事が忙しいかどうかってくらいで」
「そうなんだ。じゃあ、誰かとクリスマスするのかなぁ。いいなぁ。陽さん、彼氏いないって言ってだけどさ、本当はいたりして」
緋菜ちゃんは、ちょっと意地悪な顔をして、僕らにそう言った。
そう言われて僕はというと、勿論彼女と関係のある人を思い浮べている。あの、人の好さそうな顔をした男だ。けれど、小山田教授は、流石にクリスマスには彼女のところへ来ないだろう。まだ幼子がいるのだ。サンタクロース役をやったり、家でケーキを食べたり、そう言った父親らしいことをするのだろう。僕はそんな現実を想像しながらも、そんなことを言えるはずもなく、そうなのかなぁ、と適当にやり過ごした。
「あ、でもさ。彼氏いるなら、俺たちと年越しなんてしないんじゃねぇ?しかも、部屋に行ってもいいってさ」
「あぁそうか。確かに、クリスマスはそんなに気にしてなくても、年越しは一緒だよねぇ。ということは、彼氏はいないのか」
「確かにそうだね。僕ね、陽さんには幸せになって欲しいなって、何だか思うんだ。ほら、彼女って良い人って言うか、お人好しって言うか」
僕の話に、二人が少し驚いた顔をする。そんなに変なことは言っていないと思うけれど。二人はそう思わないのかな。確かに僕は、彼女の秘密を知ってしまった。だからこそ、そう思うのだろうけれど。教授以外の人なら、きっと誰でも僕は祝福する。僕が幸せに、と思わないことはないけれども、高々とそう宣言できる程自信はなかった。
「そ、そうだよね。分かる。だってさ、隣で別れ話をしてた私の心配をしてくれるんだよ?赤の他人なのに。成瀬くんの言う通り、陽さんには幸せになって欲しいなぁ」
「そう言えば俺たちもさ、陽さんが居たからココ以外でも会ったりするようになったよな。何だか全力で感謝しなくちゃいけないような、気がして来た」
「何それ。しかも昌平、今腕捲りしたって仕方ないんじゃない?」
「あ、本当だ。昌平くん、気が早い」
白いシャツを捲って、彼は何かをしてあげようと息巻いた。ただし、ここに陽さんはいない。緋菜ちゃんの言う通り、今そうしても仕方ない気がする。
「あれ?昌平くん」
「ん?何?」
「ココ、どうしたの?」
何だか暗号のたくさん書いてある腕に、僕は小さな痣を見つけた。それほどに大きくはないから、痛みもないだろうけれど、何だか気になったのである。
「あぁ、なんすかね。俺の仕事って、得体の知れない痣が増えるんですよね。足とかにも、思い当たる節はないのに出来てたり。まぁ男だから少ないですけど、女の先生は結構多いみたい」
「女の先生……」
「どうしたの?緋菜ちゃん」
「あぁ、ううん。確かに筋肉量の問題かな。女の方が痣って出来るよねぇ」
そこを摩りながら話す昌平くんを、僕はじっと見ていた。何だかそれが、酷く気になった。痣……なんだろう。僕の体には、暫くそんなものを見ていないのに。何だか最近見たような、そんな気がしていた。
そんな僕の視界に入る緋菜ちゃんは、ちょっとだけ唇を尖らせてから、ハイボールを手にする。何かが気になっているような、そんな顔をして昌平くんをチラチラ見た。あぁ、これは陽さんの言うヤキモチなのかも。さっきはちょっと半信半疑だったけれど、実際に目の当たりにすると、強ち外れてはいない気がする。
「昌平くんと緋菜ちゃんは、どんなクリスマスに憧れる?ほら仕事で忙しい時期だとさ、かえってあれこれ考えない?」
「えぇと、私はね。別にプレゼントとかはいらないかな。ただ、何となく一緒に居て、美味しい物を食べて、それでいいかなぁ」
「なるほど……昌平くんは?」
「お、俺はそうだな。やりたそうなことは叶えてあげたいな。結局は、女の人の方があれこれ考えがあるじゃん。だからそういう日は、出来るだけ聞いてあげたいかな」
二人共、意外と堅実なことを言う。僕の二十代後半とは、大違いだ。相手に寄り添う、ということ。それは僕が、結局紗貴に出来なかったことだ。
僕と紗貴はの結婚生活は、友人関係の延長戦でしかなかった。互いに仕事をして、休みの日に映画を見たり、ゲームをしたり。甘い、新婚生活のようなものは、今思えば何一つなかったかも知れない。仲が良かったのに、いつの間にか彼女の話を聞く時間がなくなった。いや、余裕がなくなったんだ。付き合っているだけなら良かったことが、許されなくなった。籍を入れて、家族になって、僕らはどんどん窮屈になってしまった気がする。僕が今、願うことは一つだけ。そんな失敗は、もうしたくはない。
「陽さんはどうだろうね。意外と乙女チックなのかなぁ」
「どうだろ。落ち着いてる年齢だし、興味ないかもな。クリスマス自体に」
「何かこうやって話してるとさ、陽さんいないの寂しくない?呼んだら来るかなぁ。電話してみようっと」
「いや……待って」
緋菜ちゃんが携帯電話を手にした瞬間、僕はそれを止めた。テイクアウトでカレーを買って帰ってたし、もう寛いでいるはずだ。それに、一人でいるとは限らない。
「成瀬くん?」
「あぁ、ごめん……もう、今日は遅いし。また今度にしよう。ね?」
「そう?あぁでも確かに、もう遅い時間だね」
彼らは直ぐに納得してくれた。何だか今日は、凄く素直だ。何だか今日の二人を見ていると、陽さんも僕たちの仲間になったんだな、と感じる。小川陽、という人を、僕らは好きなんだと思う。それ以上の感情があるかは、また違う話だけれど。こうして友人が出来ることで、教授と離れていくことが出来ないだろうか。誰かと笑って、色んな話を聞いて。自分の明るい未来を見るようにならないだろうか。僕はそう、願っていた。
そして、僕は一つ決めたことがある。クリスマス当日に陽さんを誘ってみよう、ということだ。きっと一人で寂しいのは同じ。一緒に過ごして、ケーキくらい食べて。ちょっとの時間を共にするだけでいい。
先ずはランチの設定をしよう。それで、サラッと誘ってみたらどうだろう。楽しそうな昌平くんたちの話に適当な相槌を打ちながら、僕のクリスマスの計画を真剣に練り始めていた。
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