第一話 私の中で繋がる線

 ここのところ、私はずっと苛々していた。良いことを思い付いて、昌平に相談をしたまでは良かった。陽さんと成瀬くん。とっても良い組み合わせで、我ながら名案だなと感心したのに。

 何だか引っ掛かっているのだ。昌平が電話を切った時に聞こえた「ルイ」という名前が。面白くなかったのかな。最近はこんなことばかりだ。


「はぁぁ」

「緋菜ちゃん、また溜息。どうしたの?何かあった?」

「あぁ、ううん。何でもないよ」

「そう?何か愚痴くらいなら、聞けるよ」

「うん。有難う」


 今日は偶然陽さんと休みが合って、前から話していた片付けを手伝ってもらっているところだ。あれこれ相談をしながら、片付けを手伝ってくれる陽さん。鍵や鞄、それから携帯電話。それぞれの置き場所を作ってくれた。帰って来たら、いつも持ち歩く物は定位置に置いた方が良いって。いつも適当に投げている私は、出掛けに良く鍵を見失う。なるほどなぁ、と納得した所である。


「じゃあ、緋菜ちゃん。お料理しようか」

「お掃除もういいの?」

「うん、だってちゃんとお掃除は出来てたからね。週に一度くらい、細かいところをやれるようになるといいかな」

「分かった」


 掃除よりも料理の方が心が弾むのは、単に美味しい物を食べたい欲、である。陽さんはバッグから、何やら紙袋を取り出す。何だろう。茶こし?


「あるか分からなかったから、買ってきちゃった。百円ショップで。昆布と鰹の合わせ出汁を考えてたんだけどね、今日はとにかく簡単にやろうと思って。で、これ」

「これで出来るの?」

「うん。煮物とかなら鍋の方が早いけどね。一人分のお味噌汁くらいなら、これで簡単にやっちゃうの」

「へぇ。何だか急に出来そうな気がして来たよ」

「そう?良かった」


 陽さんは、いつものように微笑んだ。うぅん、やっぱり成瀬くんとはお似合いな気がする。どうなんだろうなぁ。昌平ともアレきり話してないけど、反応は悪くなかった。つまり第三者として彼らが結ばれることに、違和感はないということだ。

 陽さんに言われた通り、私は湯を沸かし始める。一カップ程度と言われたけれど、良く分からないから何となくの量を入れた。それから大きめのカップにさっきの茶こしをセット。鰹節を入れて、沸かした湯を注いだ。


「ちょっと飲んでみて」

「う、うん」


 たったあれだけのものなのに、ふんわりと匂いが部屋中に広がっていく。お茶を淹れるのと変わらない。これなら私だってやれる。


「美味しい」

「良かった。じゃあね、お椀にさっき買って来たフリーズドライのお野菜とお味噌を入れて」

「うん。味噌はどれくらい入れたらいい?」

「大匙一杯。計量スプーンがなかったら、大きいスプーンを使えばいいよ」


 言われるままにパラパラと野菜を入れる。生野菜を買うつもりではいたけれど、その後使い切れる自信がなくて。そうしたら陽さんが、これが簡単だよって教えてくれた。先ずは無理をしないこと。そう付け加えてくれたおかげで、私は背伸びをせずに済んだ気がする。味噌を言われた量入れると、陽さんがさっきの出汁を指差した。


「入れるの?」

「そう、そこに注いでごらん」


 味噌と具と出汁。確かに味噌汁の完成だけれど、包丁も鍋も使っていない。それだからか、私は少し疑っている。けれど味噌を箸で溶いた椀を、彼女は私に差し出すのだ。疑いの眼差しを向けながら、私はそれに口を付けた。


「あ、ちゃんと味噌汁だ」

「でしょう?煮込まなきゃいけないってわけじゃないの。味噌とお出汁があれば、後は何を入れてもいいのがお味噌汁。昨日の残り物だって、何だっていいんだよ」


 陽さんはそうやって、料理へのハードルを下げようとしてくれる。どうして独身なんだろうなぁ。きっと優しいお母さんになるのに。赤点取って帰ったって、怒らなそうだもの。


「何か今のだったら、出来そうな気がするよ」

「本当?良かったぁ。試しにね、今日買った鰹節一袋使って、同じようにお味噌汁作ってみて。お鍋使うのが面倒だったら、レンジでチンしたお野菜を、今みたいに合わせても良いの」

「うん」


 野菜を切って、チンして、お湯を注ぐ。それくらいなら私にだって、きっと出来る。大真面目な顔をして頷いて見せた私に、陽さんは「でもね、出来なかったらそれでいいからね」と言うのだ。


「無理しないこと。本当にやらなくちゃいけない時が来たら、きっと嫌でもやるだろうから。でも、もっとやりたいって思ったら、次はちゃんとお鍋を使おう。今度は昆布を入れて合わせ出汁にしてもいいね」


 無理をせずに新しい挑戦をする。お味噌汁くらいは作れないとね、とは言わないところが陽さんだ。また一口飲んで、ふぅ、と一息吐くいた。


「緋菜ちゃん。本当は何かあった?やっぱり浮かない顔してる」

「そう?何でもないよ」

「ならいいけれど。昌平くんと何か喧嘩でもしちゃったかと思った」


 陽さんが真正面を向いたまま、そう私に言った。驚いて彼女を見たけれど、何だか気不味くなって直ぐに逸す。見透かされているようで、急に恥ずかしくなったのである。確かに、溜息の要因は昌平とのこと。誰かに聞いて欲しいのなら、陽さんしかいない。


「喧嘩は……してないよ。ただずっと、無視しちゃって。いつも通りに戻すきっかけを失くしちゃった」

「そっか。でも、何かはあったんだね。そうやって緋菜ちゃんが落ち込む要素、と言うか」

「落ち込む?私、落ち込んではないよ」


今度は陽さんが驚いた顔をしている。私、そんなに落ち込んだ様子だった?


「落ち込んでもない、つもりなんだけどさ。実はね」


 私は彼女に、先日の話をした。何の用件で電話をしたか、は流石に言えなかったけれど。陽さんは不思議そうに私を眺めている。


「何か変ですか?」

「いや、何て言うか。ヤキモチを妬いたってことかなって……」

「ヤキモチ?いやいや、それはない」


 ヤキモチなんて妬くような間柄ではない。別に昌平に新しい彼女が出来ようと、私には関係はないのだ。友人として、良かったね、と祝福するところである。


「でも面白くなかったんでしょう?」

「うぅん、確かに面白くはなかった」

「それって、昌平くんが緋菜ちゃんの連絡を全部無視したから?それともルイさんっていう方と何かがあって、緋菜ちゃんを蔑ろにしたから?」


 多分同僚にルイという女がいて、そこで何か話し合うことがあったのだと思っている。それは別に仕事のことだ。誰にだってそんなことは有り得る。それなのに、私は何が面白くなかったのだろう。


「ルイっていう人のことを昌平はとっても心配してる声だった。仕事のことだろうって分かってるんだけどな。何かが面白くなかった」

「そっかぁ。その『何か』は、まだ分からないんだね。でもさ、年越しの予定もあるし、仲直りはしてもらわないとな。昌平くんに正直に言ったらいいんじゃない?何か除け者にされたみたいで嫌だった、とかって」


 陽さんは、私の気持ちに寄り添うように、ゆっくりと頷いた。

 そう言われて、私はふと考える。今ヤキモチを妬くことはないけれども、意外と昌平はなのかも知れないな、と。経済面は分からないけれど、優しいは優しい。あれ?何がダメなんだっけ。考えれば考える程、昌平がダメな理由が浮かばない。まぁ兄貴みたいなものだ、と思ってしまっているのが、全てであろうが。

 考え込んだ私の肩にそっと手を置いた陽さんが、そう言えば緋菜ちゃん、と問いかける。ちょっとだけ重くなった空気を換えるように、少しだけ明るい声で。


「お家には筆ペンは少ないの?文房具の置き場所作らなくて良かった?」

「文房具?」

「ほら筆ペンとか、結構買うんでしょう?文房具って、気が付くと増えちゃうからねぇ」


 ニコニコ笑いながら話し掛ける陽さんを、私は不思議に思いながら見つめた。だって、どういうことだ?私は仕事で使うなんて、陽さんに話したことはないよな?話題を変えようとしたのだろうけれど、彼女が知っているはずのない筆ペンの話に違和感しかない。


「字が上手って、凄く良いことじゃない。いくら手書きが少なくなってきたとはいえ、祝儀袋とか宛名とか、やっぱり綺麗な字の方が良いもんね」

「あぁ、うん。そうだよね。あまりに普通のことだったから、気にもしてなかったけど。私にも特技があったんだって、ちょっとホッとしたよ」

「自慢しても良いくらいじゃない?」


 私は陽さんに筆ペンの話もしたことはないし、字を書いて見せたこともない。微笑む陽さんが、私の頭で成瀬くんとの線が薄っすら繋がっていく。これは……


「そうかなぁ。何かちょっと機嫌が良くなった」

「ふふふ。可愛いねぇ」

「昌平に連絡入れようかな。ごめんねって。日曜日も沢山連絡くれてたから」

「そうだね。今のうちに送っておいた方が良いね」


 陽さんは、私がそう言ったことに安堵した様子だった。でもごめんね、陽さん。今から送るメッセージは、昌平への謝罪じゃない。


『緊急事態。今夜空いてる?』


あんなに苛々して、連絡をしたくなかったのに。私はササッとそうメッセージを打ち込んだ。


「ごめんねって送った」

「うんうん。偉かったね」


 何だかもっと楽しみになった年越し。私は一人バレないように、口元を緩めた。

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