第四話 私はちょっと、面白くない(下)
「成瀬くんって何か作れるの?」
「料理ってこと?」
「そう。得意料理」
「僕は食べる専門。辛うじてフライパンとレンジは持っているけど、炊飯器もない。まぁ潔いくらいの男の一人暮らしだよ」
ハイボールを傾けながら、成瀬くんは私の質問に微妙な笑みを浮かべた。昌平と陽さんは、何だか料理の話を始めていて、全くついていけない。同じような顔をした仲間に聞きはしたけれど、相手は成瀬くん。絶対に器用に何かを作っていると思っていた。
「えぇ、意外」
「緋菜、そんなもんだって。俺だってほとんど面倒だから飯は作らねぇよ」
「そうだよね、って共感したいところだけど、僕はお菓子も作れないからなぁ。いざ作れって言われたら、昌平くんよりも勘は悪いよ」
脇から参戦して来た昌平がフォローしたけれど、何だか分が悪かったみたい。成瀬くんは苦笑いを浮かべて、トイレへ席を立った。チラッと陽さんと目を合わせたように見えたけど、気のせいか。
「そうだ、緋菜ちゃん。唐揚げも買って来てもらえる?」
「分かった。何となくマストだもんね」
「うん。揚げ物買ってもらえると楽なんだ。よろしくお願いします」」
「はぁい。じゃあお勧めのお肉屋さんのを買ってく。美味しいんだよ」
それは楽しみ、と陽さんが笑った。料理は良く分からないけれど、揚げ物が減るのは大きいことかも知れないな。油の片付けとか大変だろうし。その他にどれくらい準備してくれるのか分からないけど、大掛かりなことの手間は省いてあげたい。その位は、私にだって出来る。
「あれ?陽さん、携帯鳴ってない?」
「えっ、あっ……本当だ。ちょっと出て来るね」
そう私たちに言うと、陽さんは少し慌てて店の外へ出た。仕事の電話かな。一瞬で表情が変わった気がする。まぁ大人になれば、そんなこともある。大人になるとこういう時にも、瞬時に仮面を被らないといけなくなるから面倒だよな。
「仕事かな。今キリッとしたよね」
「うん。でも、どうだろ?金曜の夜だし」
昌平とジョッキを片手に、入口の方を見る。寒いだろうな。ストール持って行けば良かったのに。
「ねぇ、ところで。寝袋二つって、彼女とかのだった?」
「あ?違うよ。弟と妹が来た時用。たまに来る奴らの布団を閉まっておけるほど、余裕がないからな。最終手段みたいなもんだ」
「へぇ。意外。ちゃんと泊めてあげるんだね」
優しいな、と思った。だってうちの兄はどっちも、帰れと言うだけだ。下の兄は辛うじてご飯を作ってくれるけれど、泊ったことはない。何だか昌平の意外なところを見た気がする。分かった事は、うちの兄たちよりは優しい。
「そうだ。もういっそのこと、グループ作っちゃった方が早くない?多分、大晦日までに四人では会えないだろうし」
「ん、あぁ。そうだな」
「陽さんとお料理のバランスなんかは相談するけどさ、昌平たちも食べたい物とか出て来るでしょ」
「まぁそうだけど。緋菜、陽さんの足手纏いにはなるなよ。お前、邪魔しかしなそうだからな」
結局、言うことは兄たちと一緒だ。昌平を成瀬くんとかと同じ『優しさ』で括るのは間違っているのかも知れない。向こうは根っから優しくて、こっちは致し方ない口先の優しさ。うん、そんなところだろう。
「あれ?陽さんは?」
「あぁ、何か今電話が入って。外で話してるよ」
「あ、そうなんだ」
トイレから戻って来た成瀬くんは、そう聞いて入口に目をやる。昌平がメッセージアプリのグループを作ろうって話せばそっちを見るが、またチラチラと入口そっちを気にした。
「昌平って何でも作れるの?」
「スイーツってこと?まぁレシピがあれば大体は」
「そっか。じゃあ後で、リクエストしてもいい?」
「おぉ。最善は尽くしますよ」
何を作ってもらおう。チョコレートケーキもいいし、ロールケーキも捨て難い。頭の中にケーキを並べては、味を想像して、唾液が出て来る。なんて幸せな悩みなんだろう。
「凄いなぁ、昌平くん。そんな風に堂々と言えて。僕なんて、本当に何も作れないからなぁ」
「えぇ、意外。何かちゃんと何でも出来そうなのに」
「いや、僕はそんなにちゃんとした人間じゃないよ」
そんなわけない、と昌平とつい声が合った。だって、成瀬くんはマナーもちゃんとしているし、何でも卒なくこなしそうなイメージ。私や昌平とは、訳が違う。独身であるのが不思議なくらいに、彼はちゃんとした男だと思う。そう納得する私の正面で、成瀬くんはチラチラと入口を気にした。陽さんが気になるのかな。どうしてだろう、ちょっと面白くない。
ガラッと入口が開いて、まだ慌てている陽さんが戻って来た。
「ごめんなさい。明日の資料が用意されてないとかで、学校に戻らないと行けなくなっちゃって」
「えっ、大変じゃん。大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫。緋菜ちゃん。これ、足りなかったら請求してくれる?また連絡するね」
慌てた陽さんは机にお金を置くと、バッグを持って出て行った。携帯を手にしたまま。仕事のトラブルならあることかもしれないし、仕方ない。昌平は何故か頭を下げて、成瀬くんは困ったような顔をして手を振った。
「仕事忙しそうだね」
「セミナーとかもあるだろうし。学生の頃じゃ見えなかったようなこと、あるんだと思う。俺も困らせたもんな、就職課のじじぃ」
「そうなんだ。でも大学生って楽しそうだよね。いいなぁ」
「今思うからじゃないかな。多分、あの頃じゃ分からなかったよ」
「ふぅん、そんなもの?」
私には大学に行きたいという意欲はなかった。勉強は嫌いだったし、これといって興味のある物もなかった。不真面目な高校時代を過ごした私は就職先もなかなか見つからなくて、先生が何とか見つけて来てくれたのが今の職場。直ぐに社会人にならないといけなかったから、何とか持ちこたえたようなものだ。その選択に後悔はないものの、煌びやかに見える大学生の経験がないことは、時々つまらないなぁと思う。
「でもさ、陽さんの家に行っていいって言うと思わなかったなぁ。ホント有難い。私の家も広くないからさ」
「そうだね。僕もちょっと意外だった。だからと言って代わりになれるはずもないから、有難く受け入れたけどね」
何だか浮かない顔の成瀬くんが笑ったけど、ちょっと無理矢理に見えた。何だろうな。陽さんが心配なのかな。私にとっても彼女は大切な友人。こんな時間に仕事で呼び戻されるなんて、確かに私も心配だ。成瀬くんもきっとそうなんだろう。
彼氏と別れて一ヶ月。陽さんに出会ったことで、私の生活は色々変わった気がする。部屋の掃除も、何となくやり続けてるし。休みの日に何かをしようとする意欲が、出てくるようになった。線香を良く買いに来るおばあちゃんも、明るくなったね、って。ずっとこのまま一緒に長くいられるといいなぁ。私はそう思っている。
「何か楽しみだね」
「あとは、体力が持つか、だなぁ。二人は大丈夫だろうけど、僕は心配」
私たちよりも年上の成瀬くんは、そんなことを言う。私ももう少ししたら言うようになるのかな。二十七歳、三十歳はあっという間に来るのだろうか。
でも今は、不思議とそれが怖くない。私は私の武器になる物を見つけていく。そう思っていれば、三十歳になった時に今よりはパワーアップ出来るはず。楽しみの方が大きいかも知れない。
「お、そろそろ帰らねぇと。緋菜も明日仕事だろう?」
「うん。だるいけど仕方ない。陽さんには連絡入れとくね」
「おぉ」
皆ジョッキに残った酒を流し込んだ。私と昌平は明日は仕事。深酒はしない。成瀬くんはお休みだろうけれど、一緒に店を出た。
「成瀬くん、またねぇ」
「とりあえず後で連絡するよ」
「うん、分かった。昌平くん、緋菜ちゃん、よろしくね。おやすみ」
成瀬くんは、直ぐに携帯を耳に当てて帰って行った。何だろうな。仕事やプライベート、色々あるだろうに。陽さんだったらやっぱり面白くない。こんなこと思ったらいけないんだろうけれど、私の心の中にちょっとだけそんな感情が芽生えていた。
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