第四話 私はちょっと、面白くない(上)
「お疲れ様。遅くなってごめんね」
陽さんたちが来たのは、三十分くらいしてからのこと。仲御徒町で偶然会ったらしく、二人一緒にやって来た。陽さんを誘ったものの、店を分かるか心配だったから、丁度良かった。筆ペンとかを片付けながら、私は彼らに手招きをする。
笑顔で手を振りながら来た陽さんと、無表情の昌平。彼は「おう」と言っただけで、怒っているのか、普通なのかは分からない。陽さんに確認をしてから、ビールを二つ注文して、成瀬くんの隣に腰掛けた。
「緋菜、悪かったな。さっき」
「いや、私も悪かったから。ごめん」
少しだけ気不味そうに、昌平からそう言われる。私も自分で珍しいなと思いながらも、素直に謝った。理由は、ちょっとだけ機嫌が良いから。成瀬くんに字を褒められたのが嬉しかったのだ。何と言うか、褒められた、という行為そのものよりも、私にも取り柄があったと気付けたのが嬉しかった。でも、本当は私は自分の字が嫌い。癖があって、それがどうにも直らない。けれど、周りの人にはそれが気になっていないと言うことを知れたのは、私にとっては大きな気付きだった。
「あぁ、それを言うなら全部僕が悪いんだ。昌平くん、ごめん。この間ね、仕事で分厚い本を読まないといけなかったから。それで余裕がなかったんだよ」
「そっか、そうだったんだ。まぁ、成瀬くんが一大事じゃなくて良かったよ」
それを聞いて、昌平はホッとしたようだった。彼も成瀬くんを心配してくれたのに、私は自分の気になることばかりをぶつけてしまっていた。こういう時に、自分は未だ子供だな、と感じてしまう。悔しいけれど、昌平も年上なのだ。
「乾杯」
二人のビールが運ばれて来ると、私たちはそう言って各々のジョッキを持ち上げる。皆で笑ってそう出来るのって、やっぱり楽しい。
「そうだ、緋菜。さっきさ、どこか行きたいって行ってたじゃん。あれ成瀬くんに話した?今話しながら来たんだけど、年末の休みならどうかって」
飲み始めた昌平が、そう提案する。そうか、その手があったか。私たちの休みは、通常ではあまり合わない。年末年始となれば、確かに大体は長期連休である。ただし仏具屋の私は、長期連休とはいかないが。
「大晦日と元旦は、私も休み。二日も休みかな。そこなら大丈夫。成瀬くんはどう?皆でどこかに行かない?」
「年末年始は基本休みだから、いいんだけど。年またぎだと、どこそこ混んでない?宿とかも取れないだろうし」
「あぁそっか。俺の家でもいいけど、狭いんだよな」
まぁ十二月に入ってから、こんなことを言い始めたのだ。宿は一杯だろうし、新幹線も予約が難しいかも知れない。
「でもさぁ。陽さん、温泉に行きたくない?ゆっくり浸かって、美味しいご飯食べてさ。近場の日帰りとかでも良いんだけどなぁ」
「いや、温泉はダメ。うん、ダメだよ」
何だか陽さんは嫌そうに見えた。気のせいかな。温泉入ってのんびりするのは、悪くないと思うんだけど。珍しく陽さんが強く言うから、成瀬くんも不思議そうに見ていた。
「ほら、大晦日って。電車は終夜運転してると思うけど、混まない?」
「あぁ、確かに。俺は乗ったことないけど、時間によっては通勤くらいになるかもね。場所にもよるだろうけど」
「そっかぁ。お風呂に入って、初詣も良いかなって思ったんだけどなぁ」
だからと言って、私の家は?なんて言えない。浅草寺も一番近いのは私。初詣に良いことくらい、良く分かってはいる。
「うぅん……皆でのんびり出来ればいいんだよね?お酒飲んだり、美味しいのを食べたりしながら」
陽さんが何だか唸りながら、私たちに確認をする。私たちは互いに目で確認を取りながら、ウンウンと頭を振った。
「私の家、でどうかしら」
「本当?」
三人の声が、見事に合わさった。陽さんが部屋を提供してくれるなんてって驚いたのは、私だけじゃなかったってこと。昌平だって、成瀬くんだって、目を丸くして彼女を見ていた。
「雑魚寝程度なら大丈夫だと思う。ただ、ちゃんとしたお布団ってなると足らないんだけど。それで良ければ」
「いい、いい。陽さん、大丈夫。俺、寝袋持ってくよ」
「寝袋って。何それ、楽しそうじゃん。私のないの?」
「あぁ?お前のじゃねぇけど、二つある」
昌平はじっと見つめた私に呆れた顔をして、でも「貸してやるよ」と言ってくれた。誰のだろう?と気になったけど、今は好奇心の方が勝った。だって、寝袋なんていつぶりだ?中学生くらいに使った記憶はあるけれど、今のは進化してるのかな。考えただけでワクワクする。今年一番、楽しいかも知れない。
「何買って行こうかなぁ。甘い物もいるよね」
「ケーキ?俺、作って行こうか?」
「本当?」
昌平がそうやって言ってくれた。前に貰ったクッキーも美味しかったし、きっとケーキも上手なんだろう。
でもその時、陽さんに『私は聞かなかったことにするね』って言われたけれど、やっぱりあれはどういう意味だったんだろう。お菓子作りが趣味なことは恥ずかしいことではないし。昌平だってこうやって堂々と言って来る。陽さんは、何を心配してくれたんだろう。
「お酒は僕らがしようか。重たいし」
「あぁそうだね。あと重たい物。何かある?」
「ダメ。私はもうローストビーフが食べたい、しか思い浮かばない」
「ローストビーフが良いの?他は何かある?」
「陽さん、作ってくれるの?」
私の羨望の眼差しを真っ直ぐに受け止めた彼女は、優しく微笑んだ。昌平には、「食い意地しかねぇのか」って笑われるけど、関係ない。美味しい物に罪はないのだ。
「じゃあ、考えて連絡する。私は何買って行けばいい?」
「そうだなぁ。当日に買った方が良いのは、お刺身とかかな。頼める?」
「うん、分かった」
自分の担当を決められて、ちょっとホッとしている。何か作って来いなんて言われたら、どうしようかと思った。
「陽さん、年末のお休み分かってたら教えて。あの、ほら……」
「あぁ、そうだね。出来ていないものね。じゃあそれは後でね」
「うん」
詳しく言わずとも、分かってくれた。部屋の掃除と声に出さずに、彼女はやり過ごしてくれる。自分でもやってはいるんだよ、と小声で言ったら、同じように小声で「お仕事もあるのに頑張ってるね。偉い」と褒めてくれた。さっきの成瀬くんもそうだけれど、褒められるのって嬉しい。そうだ、私って褒められて伸びるタイプなんだった。
「あぁ楽しみ」
「緋菜、気が早い」
「いいじゃん。楽しみなんだから」
口を尖らせた私に陽さんは、ねぇ、と同調する。ほら、私だけじゃない。昌平にベェっと舌を出して、陽さんと小さく乾杯をした。
クリスマスが先にあるけれど、仏具屋に関係はないし。そこに予定がなくたって、全然気にならなくなりそうだ。皆で美味しい物を食べて、美味しいお酒を飲む。しかも、寝る時は寝袋。こんな楽しみな年末は、初めて。二〇一九年は、笑って終われそうだ。
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