第一話 俺の苛立ち

「成瀬くん忙しいのかなぁ」

「あ?特に連絡もないけど、忙しいんじゃねぇの」

「そっかぁ」


 気付けばもう十二月。緋菜と俺は、ようやく猫カフェに来ている。なかなかシフトが合わなくて、初めの約束からひと月。結局は、緋菜が一番行きたそうにしていた店を選んだ。上野で待ち合わせて、池袋まで二十分弱。二人で電車に乗って、並んで歩いて。緊張しながら俺はここに辿り着いたと言うのに。猫が可愛い、と言ったと思えば、二言目にはこれである。成瀬くん大丈夫かなぁ。俺はこの言葉を、今日何度聞いただろうか。


「成瀬くんもだけどさ、陽さんは?緋菜、連絡取ってる?」

「いや、それがね。陽さんともなかなか会えてなくて。ほら普通の仕事が忙しいとか、良く分かんないからさ」


 普通の、と彼女は表現するが、別に俺たちの仕事だって普通である。このひと月色々やり取りをして、俺はようやく緋菜の仕事を知った。まさか仏具屋の販売員だなんて思いもしなかったから、一人部屋で大きな声を出したのは言うまでもない。


「そうなんだ。ってか、陽さんって何してるの?」

「昌平、知らなかったっけ。えぇとね、明邦大の……うぅん。就職課だったかな」

「へぇ。大学職員かぁ。確かに忙しさとか、分かんねぇな」


 でしょう?と緋菜は剥れた表情を作った。

 基本的に、誰かに構っていて欲しいタイプの緋菜。それだからか、自分が遊びたいタイミングに皆が忙しいのは、不服なのだろう。休みが合わないことは仕方ない、と思えてはいるようだが。こういう所は、二十代後半になったと言うのに子供のようだった。それが可愛らしいと言うか、何と言うか。年相応ではない、ちょっと残念な所である。


「あ、昌平。あの子可愛い。写真撮ろう」

「おぉ。フラッシュ切れよ」

「うんうん」


 猫に視線が行き始めると、すっかり忘れたように携帯を向け始める。ある種単純だな、と感心するが、俺の胸のつっかえは消えないままだ。緋菜と並んで写真を撮って、どっちが良いか、なんて言い合って。近くに来た猫と緋菜の写真を撮って。そう、これだけでいいのにな。今日はこれだけでいいのに。


「さて、そろそろ帰ろっか」

「おぉ、そうだな。今日、飯どうする?この辺で何か食べるか」

「うぅん、成瀬くん来るかもしれないし。いつもの店に行こうよ」

「あぁ、うん。そうだな」


 そんなに成瀬くんに会いたいのか。ギュッと唇を噛んだが、どうせ緋菜は見ていない。店を出て並んで歩いても、ほとんど俺の方は見ていないんだ。


「そう言えばさ。何で、初めからあそこに行きたいって言わなかったの」

「え?あぁ、何でだろう。あれじゃない?折角のお休みに連れ出したら悪いかなって。近所だったらさ。何かのついで、みたいに出来るけど。待ち合わせて、電車に乗って、ってしたら一日潰れちゃうでしょう。流石に悪いかなぁって」

「何だそれ」


 俺と電車に乗りたくなかったわけじゃなかったんだ。そういう思い遣りみたいなものを、俺に持ってくれていたのか。直ぐニヤニヤする癖は気を付けようと思っているのに、何だかそうもいかない。結局単純なんだ、俺も。


「今度は陽さんも誘おうね。成瀬くんも」

「おぉ、そうだな」

「今日は来るかなぁ、成瀬くん。そうだ。さっきの写真、陽さんに送ろうっと。可愛く撮れたら見せてねって言ってたし」


 今日のことを陽さんにも話したんだな。結局は、秘密のデートになるわけもなく、全て彼女の方から筒抜け。それだけ、俺は友人程度にしか思われていない証拠。急に立ち止まった緋菜を道の端に引き寄せた。追い越して行くスーツの男が、ギッと睨んで行ったのに、コイツは気付いていない。


「昌平も成瀬くんに送りなよ。さっきの可愛く撮れたじゃん」

「あぁ?仕事中だろ、いいよ。後でで」

「ダメ。今。そうしたら、今夜店に行こうかなってなるかも知れないじゃん」

「おぉ……」


 成瀬くんにこれを送って、彼はどう思う?彼は緋菜のことが好きなんだぞ。頭の中では、俺の友人への気持ちが葛藤している。それなのに、下から見上げるように見て来る緋菜。その目が余りにキラキラしていて、送らざるを得ない状況みたいだ。

 仕方なく、白い猫を撮った写真を送ることにした。『猫カフェ行ったよ。可愛いでしょ』と。男同士でこんな報告をし合うわけがない。成瀬くんだって、迷惑じゃないか。俺のそんな気持ちを無視するように、何度も「送った?」と確認する緋菜。無神経なのか、無邪気なのか。今はちょっと分からない。


「陽さんは猫とか好きかなぁ。今度聞いてみようっと」

「陽さんなぁ……小動物とか好きそうだけど」

「確かに。動物園の時も楽しそうだったもんね。今度、皆でどこか行こうよ」

「どこか、なぁ。まぁちょっと考えてみるか」


 気乗りしてないくせに、そうやって良い人ぶる。四人で会ったりしたら、緋菜は成瀬くんに傾いてしまうんじゃないか。そんなことを考えてしまっては、小さく頭を振った。


「就職課って忙しいんかな」

「どうだろう。土曜に出勤になることもあるから、平日休みになることもあるみたいだし。でもメッセージ送れば、夜には返って来るよ。今日も仕事終わったら返事くれると思う。陽さんは優しいから」


 そう言う緋菜は楽しそうだ。陽さんと出会って、彼女は少し穏やかになった気がする。話を聞いてくれるお姉さんを得て、少し素直になったのかも知れないな。

 今日は俺も楽しかった。何より、二人で会えて嬉しかった。けれど、一抹の不安が拭いきれない。このまま緋菜が成瀬くんを好きになってしまったら?それならば先手を打ってみるのも一つだけれど、無理矢理こっちに向かせようとしたって、それはフェアじゃない。じゃあ、このまま彼らが上手くいったとして、俺は『おめでとう』と祝ってあげられるのか。


「成瀬くん、既読になった?」

「あ?まだだろ。そろそろ終業時間だろうけど、一番忙しい時じゃね?」

「あぁそっか」


 横断歩道を渡れば、もうそこは駅だ。緋菜がどこか浮かれて見えるのは何故だろう。成瀬くんに俺が連絡を入れたから、今日は会えると期待しているのか。あぁ、むしゃくしゃする。今、成瀬くんに会ったら、八つ当たりしてしまいそうだ。彼は何も悪くないのに。

 そして俺は一つ、嫌な予感がし始めていた。それは、陽さんだ。きっと緋菜の気持ちを知れば、彼女もその恋を応援する。成瀬くんと上手くいくように、両者の背をそっと押すのは容易に想像出来た。あの人は優しい人だ。もうそうなってしまったら?多分、俺に勝ち目はない。今の関係性を壊さずに上手くいこうとするなんて、無理なのではないか。鼻歌でも歌いそうな緋菜を見ていると、負の予感ばかり考えてしまう。

 そして、信号が変わった。


「真っ直ぐ店に行くでしょう?開いてるよね。もう十七時半近いし」

「着く頃には間違いなく開いてるよ」

「だよね。そうしたらさ、もう一回写真見せてよ」

「ん、おぉ。そうだな」


 沢山の人が行き交う。真正面を向いてくる人もあれば、携帯を見たまま歩く人もいる。そんな中で、俺たちはどう見えるんだろう。恋人同士、には見えないかな。手を繋ぐわけでもない。ただ嬉しそうに話をする緋菜を横目に見ながら、友人同士が精一杯か、と悲しい自己判断をしていた。


「なぁ緋菜」

「ん?」

「悪い。俺ちょっと行くところ思い出した。店は明日行くことにするよ」

「え?急に?」

「悪いな。休みのうちにやっておかないといけないこと、思い出しちゃったんだよ」


 そんな予定などない。ただ、緋菜の話す『成瀬くん』から、俺は逃げようとしている。今ここで判断を間違えたら、コイツだけじゃなく、成瀬くんとも会いにくくなってしまう。一度冷静になった方が良い。そう思ったんだ。


「そっか。じゃあ仕方ないか。成瀬くんから連絡着たら、教えてね」

「分かった。気を付けて帰れよ。じゃあな」


 ぶっきらぼうに背を向けると、俺は直ぐに丸の内線の改札を抜けた。そうしたことに、何の理由もない。JRに乗る緋菜と直ぐに別れる為の手段である。振り向かず、立ち止まらずに、俺はホームへ降りた。

 さて、どうするか。俺は徐に携帯電話を取り出した。


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