第四話 僕の予感(上)

 仕事をしていると、一週間なんて早いものだ。今日は金曜日。先輩と一緒に、大学生の意見を聞く為に、御茶ノ水駅を降りて歩いている。


「成瀬、教授の本読んだか?」

「えぇ、読みました。流石に全ての研究までは把握しきれませんでしたが、概要は入れました。あとは、クセの強い人じゃなければいいんですけどね」


 今日の意見交換会は、人間工学の専門家に相談して設定して貰ったものだ。だから懸命にその著書を読み、自分なりに勉強をして来た。あまりこういう場に出る担当ではないので、今ちょっとだけ緊張をしている。


「それは大丈夫じゃないかな。結構、穏やかな人でね。優しいおじさんって感じだよ。若い奥さんがいるらしくてね。若い人はこう思うのか?なんて聞かれてさ。俺に聞いたって分かるわけないじゃん」

「若いって、そんなに若いんですか」

「あぁ、成瀬と同じくらいじゃないかな。三十になるとか、ならないとか言ってたから。まぁでも、優しい人だから心配するな」


 良かったです、とホッと胸を撫で下ろした。教授、と言われると、つい気難しいイメージしかなくていけない。先輩にバレないように小さく深呼吸をして、僕らは門を潜った。明邦大学。私立の名門校である。門から出て来る学生を見て、懐かしさを感じる反面で、大分年齢を重ねたことを実感していた。


「あぁ、いた。あの方だよ」


 先輩は僕に小声でそう言うと、白衣を着た男性の方へ小走りになる。お待たせしてすみません、と頭を下げるそれに倣ってから、僕は名刺を取り出した。


「初めまして。成瀬文人と申します。今日はよろしくお願いします」

「こちらこそ。ご足労いただいて悪かったね。小山田征嗣と申します」

「……セイジ」

「ん?どうかしたかな?」

「いえ、すみません。先生の著書を拝見していたのですが、お恥ずかしながらマサシさんだと思っていたもので」


 自分の不勉強さを自ら露呈してしまった。ただ、正直に話した僕を面白いと思ったのか、彼はハッハッハッと大らかに笑ってくれた。危なかった。先輩に懸命に謝罪の表情を作り、その場をやり過ごしたが、未だ内心はドキドキしている。

 ただ本当のことを言えば、『せいじさん』と書かれた画面がフッと過っていた。日曜の夜、陽さんの携帯画面に表示された名前。彼女は心配はないと笑っていたが、僕は今一つ信用出来ていないままだ。だからと言って、こちらからメッセージを送りはしないけれど。あの時言ったように、僕は未だ彼女にとって『信頼できる人間ではない』からだ。もう少し時間をかけて友人になって、いつか重荷のように抱え込んだ悩みを打ち明けてくれたらいいなぁとは思っている。まぁ、彼女の『せいじさん』と小山田教授は別物だろうが。

 教授は教室に僕らを入れると、そこに待機していた学生に紹介する。教師という職業は想像したことがなかったが、常にこう見られているって、精神力が必要そうだ。昌平くんは相手が子供だけれど、そう言えば陽さんはどれくらいの子供を教えているのだろう。


「さぁ皆さん。今日はいろんな意見を出して欲しい。留意点は一つだ。失礼のないように」


 小山田教授がそう言うと、学生たちは素直に返事をした。今どきの学生なのか、それとも彼との関係性なのかは分からないが、何だか感心してしまう。あの頃の僕は、ここまで素直だったろうか。初めに僕らが資料を提示し、聞きたい内容の説明をする。付箋を配り、そこに意見を書いて貰うように依頼した。今回は蛍光ペンがターゲットだ。


「機能性を取るか、可愛いを取るか。可愛いはマストで必要だよね」

「でも両方じゃない?あとは何が重要だろう」

「色、じゃない?色」


 学生たちは僕らの手もいらないくらいに、自分たちで提案し、書き出し始める。お茶でもあれば何時間でも話していられそうな雰囲気だ。女子学生が多いのも、一つの理由かもしれないが。彼らの意見に質問をしたり、それから提案をしたり。途中で学生が入れ替わることもあったが、あっという間に意見が広がる。先輩と顔を見合わせては、成果を感じていた。


「いいかい?相手に伝わりやすい言葉を考えるんだ。話し方って言うのはね、自分の主張だけじゃダメなんだよ」

「なるほど。意識してみます」


 教授は一人の女子学生に、何かアドバイスをしているようだ。彼らも就職活動が始まっているのだろう。そういう練習にも使われているのだな。彼女は真剣に教授の話を聞いている。

 僕もあぁやって就活をしてきたはずなのに、何だかもうすっかり忘れてしまったな。遠い昔の様だ。皆で対策を練ったり、愚痴ったり。そうして過ごした友は、会う頻度は減っても大事な思い出だ。その中にアイツもいて、本当にもう誰にも会えなくなってしまったけれど。


 皆は、元気にしているだろうか。僕のこと、覚えていてくれてるかな。いや、忘れていてくれないかな。

 あの頃を思い出すと、ついそんな相反する感情が飛び出て来る。仕方がない。自分の蒔いた種だ。もう忘れよう。忘れてしまおう。

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