第三話 昌平先生の恋

「ねぇ、昌平先生は彼女いるのぉ」

「はぁ?寝惚けてねぇで、ほら、お迎え来たぞ」

「はぁい」


 小憎たらしい口調で聞いて来た女の子は、直ぐに元気な声で「ママ」と駆け寄る。可愛いものだ。いつの時代も女の子はそう言うことに敏感なんだよな。誰々くんが好き、と主張をするのも、女の子の方が多い気がする。男の子と言えば、教室のおもちゃを取り合って揉めるくらい。いや、俺のクラスだけがそうなのかも知れないけれど。


「昌平先生、今日機嫌良いね。何かあったの」


 帰って行く子供たちに手を振っていると、横から花岡はなおか瑠衣るいが寄って来た。彼女は俺の一つ上の先輩。三十歳が来る、と焦って婚活をしているらしい。彼女は真正面を向いたまま、子供たちに手を振っている。怖いくらいの笑顔で。


「いや、何もないっすよ」

「本当?何か怪しいんだよなぁ」

「何もないっす。教室片付けて来ますね」


 何とか逃げる。彼女のあの粘りつくような視線が、どうも苦手だ。

 俺の入職時から居た彼女は、俺を弟のようにこき使い……いや、とても丁寧に指導してくれた。猥褻教師なんかの事件があると、必ず白い目で見られる俺を、一番に庇ってくれたりする。まぁ優しい部分があるのは事実だ。瑠衣先生は未だこっちを見ていたが、俺は教室に逃げ込み溜息を吐いた。


「今日はどうするかなぁ」


 昼休みに携帯を見た時には、緋菜からの連絡はなかった。昨日みたいに終業くらいには来るだろうか。何も考えずにあの店に行けばいいのだが、一度好きだと思うと、あれこれ考えてしまう。毎日会っていたら、見飽きられてしまうんじゃないか。結局は友人止まりになってしまうんじゃないか。俺の悩みは尽きない。アイツに気持ちを伝えることは嫌じゃないけれど、タイミングを間違えてはいけないのだ。

 昨日は、今度行く猫カフェを決めるのに盛り上がった。抱っこが出来るか。おやつはどうか。何だか色々ルールがあるらしい。緋菜は調べたらしく、いくつかホームページを見せてきたが、一番行きたいところは直ぐに分かった。分かりやすいんだ、アイツ。ただ決められなかったのは、多分近辺じゃなかったからだ。別に、上野や浅草でなければいけない理由などないのに。


「俺と一緒に電車に乗るのが嫌だったのか?」


 片付けをしながら、ふと思いつく。それは何かムカつくな。別に減るもんでもねぇだろうが。よし、仕事を終えたら連絡を入れよう。アイツが本当は一番行きたい店に行こう、と。池袋の猫カフェ。電車で行ったって二十分弱。そんなに嫌なら、池袋で待ち合わせればいい。そうだ。そうしよう。勝手に決めてしまえば、片付けも楽しくて仕方ない。つい鼻歌を歌ってしまうくらいに。あぁ俺って単純だな。


「あ……」


 昨日のアイツを思い出していたら、成瀬くんの顔がポンッと湧き出る。何だか昨日は、随分彼のことが気になっているようだった。今まで浮かれてたくせに、そう思うと直ぐに胸がざわざわし始める。俺は成瀬くんに会っていないけれど、本当にそんな感じだったのかな。何かあったんだろうか。

 俺には、彼からの連絡は特別ない。別に今までも、相談事なんてしたことはないし、あの店で会う時くらいの連絡しかしていない。この間の動物園に行った時にやり取りをしたのが、それ以外では初めてだったと思う。未だその程度の関係なのだ。

 そう言えば緋菜は、彼に猫カフェの話をしたと言っていた。もしかしたら、それが気に入らなかったのだろうか。成瀬くんは緋菜のことが好き。あぁ、そう言うことか。


「やっぱり何か良いことあった?」

「瑠衣先生、何もないっす。何度言わせるんですか」

「そう?だって、さっきからニヤニヤしてたけど」

「そんなわけないじゃないっすかぁ」


 ドアのところに立った瑠衣先生が、急にそう話し掛ける。俺は一気に冷汗が出た。ニヤニヤしていた、ということを簡単に否定出来ないからだ。鏡で確認をしない限り分からないけれど、緋菜のことを考えていたんだ。しかも、二人で行く猫カフェのこと。ニヤニヤ……多分していたんだと思う。


「ニヤニヤしてたらから、どうしたのかと思って見てたんだけど。気付かなかったの?」

「え、俺なんか言ってました?」

「いや、そこまでは聞こえなかったけど。ニヤニヤして、気難しい顔して。何だか忙しかったわよ」

「おぉ、それはそれは……」


 片付けを終え、職員室へ戻る。瑠衣先生はそのまま、俺の後ろを付いて来た。何だか楽しそうに。面倒だから離れて欲しいけれど、まぁ同じ場所に戻るのだから無理だろう。


「瑠衣先生は何かあったんすか、良いこと」

「無いわよ。無いから、他人の嬉しそうなの見て楽しんでるんでしょうよ」

「楽しむって。言い方、良くないですよ」

「うぅん、そうかしら」


 完全に、人の私生活を覗き見て、酒を飲んでいるようなものだ。趣味が悪い。たかが同僚に、プライベートな部分など見せるものか。机に座って、携帯を弄る。緋菜からの連絡も、成瀬くんからの連絡も、特になかった。今日は、誰も行かないのかな。


「直ぐに携帯チェックして。やっぱり彼女出来たの?」

「はぁ?別にいいじゃないですか。友達から飲みに行くか連絡着てるか見ただけっすよ」

「男?」


 キラキラした目で俺を見ている。あぁ彼女は、その友人を紹介しろと言いたいのだ。面倒くせぇ。


「紹介しませんよ。彼は今仕事が忙しいみたいだから、そんな余裕なんてないはずです」

「何よ。別に紹介しろなんて言ってないじゃない。もう」


 そう膨れられても、何もない。完全にそう言う顔をしていたのは自分の方なのに。彼女はその剥れたまま、自分の仕事に戻った。俺も今日の日誌を付け始めたが、頭の中では猫カフェのことで一杯だった。

 明日の準備を終え、お疲れ様でした、と駆け出た。園を出たら、直ぐに猫カフェのホームページを探す。アイツが一番行きたそうにしていたところだ。『ここに行こうぜ』と付けて、緋菜に送って、携帯を仕舞い込んだ。今日もやっぱり、あの店に行こう。きっと直ぐに返事が来るから、誘ってみよう。それと、あの時のクッキーが美味しかったかも聞こう。話したいことは、沢山あるんだ。

 今日の反省点は、ニヤ付いてたところを見られたこと。気を付けなければいけないな。特に瑠衣先生は目ざとい。更には、何か知られたら一気に広まってしまうくらい、面倒な人だ。


「注意、注意」


 俺の恋は、思いの外真っ直ぐに進んでいる。成瀬くんのことは引っ掛かるけれど、もう少し彼にも伝えずに進めればいい。ズルいかも知れない。いや、完全に卑怯だ。成瀬くんの気持ちを知りながら、俺は緋菜との距離を縮めようとしている。そう思うと嫌になるが、そうでもしないと勝てないのだ。真正面から彼と闘ってしまったら、勝てる気がしない。だってあんなに優しい顔は、俺には出来ないから。

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