第二話 俺の恋(下)

 結局、トラを見て、ゴリラを見て。ヒナの導くままに三人が付いて行った感じだった。印象的だったのは、それを何も言わずにニコニコ陽さんが見つめていたこと。彼女が年上だから、とかそう言うことではきっと無くて、愛情のような温かい物。それは、俺が園児たちに向ける視線と何だか似ているような気がした。


「今日は有難うございました」

「何だよ、偉く素直だな」

「うっさいな。昌平に言ったわけじゃないかんね。陽さんと成瀬くんに言ったの」


 相変わらずヒナは、俺には憎まれ口を叩く。本当に兄貴のように扱われていることが、嬉しいような、寂しいような。


「うっさいな。昌平に言ったわけじゃないかんね。陽さんと成瀬くんに言ったの。ねぇねぇ、皆で飲みに行こうよ。きっと明日は仕事だろうから、深くならないようにしたら平気でしょ?」

「ヒナが飲み過ぎなきゃな」


 憎まれ口を言う奴には、憎まれ口で返すまで。アイツの中で俺は、そう言う存在なのだろうから。


「そう言ってますけど、どうっすかね。俺は明日、遅番なんで大丈夫なんすけど」

「そうだなぁ。僕は深くならなければ良いかな。陽さんはどうです?」

「私は……えぇと」


 それまでにこやかだった表情が、スッと消える。戸惑いというよりは、まるで気不味そうな、苦しそうな顔に見えた。俺も成瀬くんも、声を掛けるのを躊躇い、妙な間が空いた。


「陽さんも行きます。大丈夫です」

「いや、ヒナちゃん。勝手に……」

「だって、私のお友達ですから。今日は楽しいお酒が飲みたいです」

「お友達……そう、そうね。お友達。よし、あまり深くならないように気を付けて、行きましょうか」


 そう来なくっちゃ、と笑ったヒナを、俺は複雑な目で見ていた。あの空気の読めないところが功奏しただろうが、彼女の気持ちは無視されたようなものだろう。心配をしたが、陽さんは穏やかな笑みを取り戻した。お友達。ヒナが無意識に言ったであろうソレが、彼女の心をちょっとだけ緩めたのかも知れない。


「よし、じゃあね。今日は、いつもと違うお店探そう。どう?」


 成瀬くんの提案に、皆頷いた。アメ横辺りの赤提灯でどうか。そんなことを言いながらワイワイ歩くのも、結構楽しいものだ。ただ俺は、その中で成瀬くんとヒナが目を合わせて笑うのを、複雑な気持ちで見ている。応援してやりたい気持ちと、鬩ぎ合うように別の感情。それを隠しながら、バッグを大事に抱え、ただ見守っている。


 そうして俺たちは、アメ横をちょっと逸れたところの赤提灯に入る。イカフライがないと分かるとヒナはぷりぷりし始めたが、ハムカツを頼んだら大人しくなった。シャンディガフ、ハイボール、ホッピー、トマトハイ。飲んでる物はそれぞれだけれど、四人で仲良くつまみながら、今日の話をする。何てことない動物園の話だ。

 トラと騒いでいたヒナは、今日はゴリラの方が良かったと言う。よく見たら一頭ずつ顔立ちが違って、と楽しそうに話す。それから一人ずつ順に、推し動物を披露し始めた。俺はリクガメ、成瀬くんはオカピ、陽さんはカワセミ。それぞれが楽しそうに話すのを、邪魔することなく聞いていた。


「陽さんの言う通りに、気の赴くまま歩いてみてね。違った目線で見られるって言うか。面白かったよ」

「そっか。うん、良かった。二人も急にごめんなさいね。有難うね」

「いえいえ。僕らも誘ってもらえて楽しかったです。ね?」

「そうっすね。子供たちを連れて行くのとはまた違う感じで、面白かったです」


 俺たちは、今日という日に満足をしていた。子供だましのような動物園。それでも確かに、楽しく過ごし、気が付けば昨日のことはなかったように笑っていた。そうしているうちに俺は、陽さんの意図が分かった気がしている。

 何故わざわざ動物園にしたのか。酒を手にヒナに会っていたら、確かに言わなくても良いことを言ってしまった気がしている。だから、動物園だった。つまり他の事に目線の行くことをしていれば、自然に別の話題が増えるという考えだろう。


「じゃあ今日は、これで終わりね。皆さま有難うございました」


 二杯飲み終えたところで、ヒナが素直に頭を下げた。いつもの屁理屈とは大違いだ。成瀬くんがそれに同調すると、陽さんも頷いた。それを見たヒナは、昨日と違ってとてもスッキリとした顔をしていた。彼女にしてみたら、一杯でも、二杯でも同じで、ただ今日を楽しく終えたかったのではないだろうか。

 俺たちは、そのまま店を出た。支払いは、年齢云々もなしに割り勘。陽さんは気にしたけれど、友人なんだから関係ない、と皆で押し切った。ヒナや成瀬くんがそう言うのに、俺も自然と参加する。彼女はもう、俺たちの友人だ。その言葉に違和感はなかった。


「えっと、皆どっち?」

「僕と陽さんはあっち。昌平くんは、ヒナちゃんと一緒の方向だよ」

「えぇ、昌平と一緒か」

「何だよ、仕方ねぇだろ」


 ブスッとしたヒナに苛立ったが、強く握りそうになったバッグはそっと肩に掛けた。ここを起点にヒナと俺は東、彼らは西に帰る。別にそれ自体は仕方のないことだけれど、気掛かりなのは成瀬くんだった。


 今日一日、何とか成瀬くんの背を押そうと俺なりに頑張ってみた。けれど、上手く出来なかった。それは、仲立ちが下手糞だったからではなくて、単に面白くなかったからだと思っている。だって、自分が彼の背を押したことで、二人が上手くいったら?そんなのは後悔するに決まっている。それこそ、俺の方があの店に行かなくなるだろう。だから、ただ見守るしか出来なかったんだ。


「じゃあ、僕らはここで」

「そうね。ヒナちゃん、お休み決まったら連絡頂戴ね」

「はぁい。仕方ないから、昌平と帰ります」


 剥れながら言うコイツにイラっとしながらも、俺は何も言わなかった。今気不味くなってしまったら、バッグの中のコレが渡せないから。別に渡さなくたっていいが、ちゃんとコイツへ謝罪がしたい。それに……

 俺の心配をよそに、成瀬くんと陽さんは楽しそうに話をしながら、御徒町の方へ消えていく。ヒナのことが気掛かりな様子も、彼は見せる様子もなく。


「あぁあ。もう。昌平、帰るよ」


 ヒナは、さっさと歩き始める。慌てて隣に並んだが、互いに何も言わない。ここから彼女の家まで、歩いて二十分というところか。何か言わなければ、と思う程に、話題が見つからない。


「ゴリラ……可愛いのいたな」


 ようやく口を吐いたのは、結局今日のゴリラの話。ただどんな話題よりも、自然だったとは思う。


「やっぱり子ゴリラは、ちゃんと子供の顔してるよね。可愛かったなぁ。そうだ。昌平はさ、何か動物飼ってたりするの?」

「いや、こっちでは飼ってねぇよ。実家に猫はいるけど」

「そうなんだ。猫も可愛いよね。私は実家にもいないからなぁ。やっぱり寄って来るの?」

「おぉ、来る。来る。ツンデレだけど」


 そうなんだ、と笑ったヒナは、いつもよりもちょっとだけ可愛く見えた。やっぱり恋なんだな、と実感すれば、余計に胸が鳴る気がしてしまう。平常心、平常心。


「そうだ、猫カフェ行こうよ。行ったことないんだけど、お茶とか飲みながら猫と戯れるんでしょう?」

「ん、おぉ。皆で?」


 あぁ、馬鹿野郎。自分から皆で行く方向に持って行ってどうする。そこに触れなければ、二人で行けるじゃないか。心の中で自分自身を殴りつけた。


「皆で行った方が楽しいだろうけど、休み合わせるの大変じゃない?私、陽さんと休みが合ったら、別のことしたいし。私、土日は基本的に仕事だからさ。平日休みが合ったら、行こうよ」

「おぉ、そうだな」


 と言うことは、二人で?何、澄ましてんだ。俺は。表情を変えないままに、あっさり答えたけれど、もう心臓がバクバク言い始めて煩い。ヒナの方から誘ってくれた。成瀬くんには申し訳ないけれど、この機会は逃すまい。



「休みが合ったら行くのは良いけどさ、俺、お前の連絡先も知らねぇぞ」

「おぉ、そうだった。じゃあ教えてあげよう」

「何だ、その言い方」


 不敵な笑みを浮かべてから、ヒナは腹を抱えた。やっぱり今日は楽しそうだ。携帯を出し、連絡先を表示して突き出して来る。


「ヒナは、緋色の緋に菜の花の菜、だよ」

「おぉ。そういや、初めて知ったな」

「そっか。言われて見れば、私も昌平の漢字知らないや。成瀬くんは名字しか知らない。下の名前何だろう」

「成瀬くん……俺も知らない。と言うか、どこの会社で働いてるとか知らないな。今度聞いてみるか」

「そうだね」


 チラリと現れた成瀬くんの話題を往なして、メッセージアプリのIDの交換を済ます。こんな字書いて昌平なんだ、と彼女は言いながら、画面を見入った。俺も『緋菜』と書かれた画面を、ちょっと不思議に眺める。今まで比較的仲は良かったはずなのに、連絡先を交換する発想に至らなかった。いや、それで良かったのかも知れない。きっと成瀬くんは知らないままだから。


「昌平の家ってどこ?」

「おぉ、そこ曲がったとこ」

「じゃあ、ここで」

「いや、いいよ。送ってくから」


 不満気に俺を見るその目は、やっぱり苛つく。成瀬くんだったら、有難う、って直ぐに受け入れるんだろう?そう感じれば感じる程に、腹が立って仕方ない。


「……有難う」

「へ?あぁ、うん」


 何だか素直に受け入れた。ムスッとしてはいるが。猫カフェの話をしたり、今日の話をしたり、初めはぎくしゃくしながらも、俺たちは笑顔で並んで歩いた。けれど、終わり、なんて直ぐにやって来る。楽しい時間は、そうは続かないんだ。


「あ、じゃあ。ここだから」

「おぉ、そうだよな」

「おやすみ、ありがとね」

「おぉ……緋菜、あのさ」


 また礼を言って家に向かい始めた緋菜を呼び止める。バッグをガサガサ漁って、小さな袋に詰めたアレを、グッと彼女の前に差し出した。


「えっ?なに?」

「いや、誕生日、おめでとう」

「え?うん。有難う……え?これ何処で買った?」

「いや、買ってねぇ。作った」

「は?」


 不思議そうに俺の顔を見た緋菜。袋と交互に見ては、え?え?と繰り返す。


「そんなに不思議かよ」

「へぇ。いや、こんな可愛い趣味があったとは思わなかった。今日は昌平の色んな一面を見た気がするわ。ふふふ」


 笑った。ヒナは、嬉しそうに、笑った。

 俺の恋は、まだ始まったばかりだ。だから、早まった真似はしない。そして告白する前には、成瀬くんに正直に伝えよう。彼ならきっと、怪訝な顔はしない。だから、少しずつ、少しずつ。俺の恋を始めようと誓った。


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