第三話 僕らの計画は(上)

「大丈夫かな、あの二人」

「どうだろうね。ヒナちゃんが拒絶しなければ、大丈夫じゃない?」

「昌平くんは、大丈夫か。うん、そうですね」


 僕と陽さんは、彼らと別れると広小路の方向へ歩き始める。気になるけれど振り向かないでおこう、と二人で話した。あまり好奇の目で見ない方が、昌平くんが意識しないだろう、と判断したのだ。効果があったかどうかは、分からないが。


「ヒナちゃんが楽しそうで良かったです。陽さん、本当に有難うございました。大事な友人をなくすところでしたから」

「いえいえ。仲良しが一番よね。大人になると、昔の友人とはなかなか会わないし。だからと言って新しい友人が、同じように出来るわけでもない。大事よねぇ」

「そうですね。同僚とも違う、楽しく酒が飲める仲間は、本当に大切にしないと」


 そうね、と微笑む陽さんは、やっぱり自分を仲間に入れていないと思った。他人とは、一定の距離を取っていたい人もいる。だから無理強いをするつもりはなかったが、何だか寂しい気もした。僕は今日が、とても楽しかったから。


「陽さん……も、ですよ?」

「ん?」

「陽さんも、僕の大切な友人です。だから、また飲みに行ったりしましょうね」

「あぁ……うん」


 ほら、濁した。「そうだね」とも、「行こう、行こう」とも言わない。あの間には、困った感情が見え隠れしているのだ。きっと、この場をやり過ごす為の返答でしかないのだろう。

 少し寒くなってきた空気。手をふぅっと温め、ポケットに突っ込んだ。来週の休みは冬物のセーターを出そう。それから、コートも。平日早く帰れれば、その日を使ったって良い。何しろ僕には、時間だけは沢山ある。


「そう言えば、陽さん。何も考えてなかったけれど、湯島から乗ります?」

「うぅん、ちょっと悩んでる。一駅だから、すぐ着く距離だし、歩いて帰ろうかなって」


 確かに、湯島から根津は一駅。時間にして、多分一分程。態々乗るかどうか、微妙な距離である。歩くと、二十分弱だろうか。その天秤は、確かに悩ましい。


「あぁ、じゃあ。お散歩しません?僕、送って行くので」

「いや、いいわよ。今日は、不忍通りの方を歩いて行くから」


 僕の提案をスッと拒否した。

 確かに、深夜だった昨日よりは早い時間だ。それに、不忍通りなら車通りもあるし、交番もあったか。ならば確かに、不安は少ないだろう。でも何故か、僕は断られたことにムッとしてしまった。僕の提案を無視するのか、なんて、自意識過剰なことを思った訳ではない。単に意地の張り合いみたいなものだ。そこまで拒まなくたっていいのに、と。だから僕は、「じゃあ、そっち通って行きましょう」と彼女の意見を無視して歩き始めた。

 

 どうして彼女は、皆の優しさから逃げようとするんだろう。触れてはいけないことだろうが、酷く気になった。あんなに聞き上手で、誰かを温かくさせることが出来る人なのに。


「ほら、陽さん。行きますよ」

「え、あぁ」

「腹ごなしの散歩です。このまま家に帰ったら、寝ちゃいそうだから。三十過ぎて、気にしてるんですよ。ちゃんと貯蓄されてきてるなぁって」


 ポンっと自分の腹を叩いた僕を見て、ようやく陽さんが笑った。ただし、まだちょっと苦笑いだ。有難う、と言う彼女は、僕の方を見ない。


「あんまり気にしたことなかったけれど、この辺って散歩するには良いですね」

「あぁ、うん。春は桜が綺麗だし、夏は蓮。鳥も沢山いたりしてね。のんびりするには良いよ。あぁでも」

「でも?」

「いや、冬は寒いから。のんびりするなら、春かなぁと」

「ですよね」


 そりゃそうだ。冬は寒い。けれどそれ故の楽しさを見つける物ではないのか。渡り鳥が来たり、凍てつく地面だったり。そういう物の中に季節を見るだろうが、彼女の中で『冬は寒い』が最たる情景なのだろう。


「あ、でも。でも。寒くなったら、カフェも良いですよ。あっちとか、えぇと向こうとかに、池を見ながらゆっくり出来るところがあるんです。おすすめです」


 陽さんはキョロキョロと方角を確認しながら、指差して見せた。池を見ながらお茶をするなんて、何だか優雅な休日だ。最近は、洗濯や掃除をして、家でダラダラしている気がする。そうでなければ、昌平くんと飲みに行くくらいなものだ。彼女の言うようなゆったりとした休日など、ここ数年過ごしていない。


「じゃあ、今度。そのカフェ行きませんか?」

「へ……?」

「あぁ、いや。深い意味ではないんですけど、ただ、ゆったり読書するのもいいなぁと思って。ホント深い意味はないんですけど」

「いや、そんなに繰り返さなくても……かえって傷付きます」


 あぁしまった。何も考えずに誘ってしまってから、並べた言い訳。本当に深い意味はなくて、ただ無意識に言ってしまっただけ。でも、それを強調してしまっては、彼女は抵抗なく切りつけらるようなもの。失礼なことをしてしまった。


「すみません」

「やだ、謝られるのも傷付くって」

「えっ、あっ。ごめんなさい。あっ、あ……」

「ふふ……成瀬くんも面白い子ねぇ」


 僕がアワアワしたのが面白かったのだろう。陽さんが声を上げて笑った。二人で歩き始めて、ようやく見えた明るい表情である。

 僕は三十二歳。彼女は多分少し上。もういい大人の男女である。別に色恋関係なく、女性を誘ったって、簡単に一線を越えたりはしない。余程のことがない限りは。それなのに自分から飛び出た言葉に慌てて、僕は完全に墓穴を掘った。


「忘れて……いや、本当に行きません?」

「ん?カフェに?」

「そうです。そこに行ってみたいなって言うのもあるんですけど、昌平くんたちの作戦会議もしたいなって」

「あぁ、うん。……そうねぇ」


 やっぱり、ちょっと困った顔をする。あぁそうか。彼女は結婚しているのだろうか。指輪のようなものはしていないけれど。彼氏はいるのかも知れない。こういうことはきっと、早いうちに確認をした方が良い。


「ごめんなさい。旦那さん?彼氏さん?嫌がりますよね」

「旦那さん?誰の?」

「陽さんの」


 わざとらしく尋ねた僕に、彼女は目を丸くした。最近はこういうことがめっきり減ってしまったから、ちょっと聞き方が下手糞過ぎたな。普通に聞けば良かったのに。陽さんってご結婚されてますか?って。


「……いないわよ、そんな人」


 伏し目がちにゆっくりと、瞬きをする。それから誤魔化すように、ニコッと笑った。


「じゃあ、お誘いしても大丈夫ですよね?作戦会議って言う名目で」


 うぅん、と一度悩んでから、彼女は僕を真っ直ぐに見た。奥二重の目尻に、睫毛がクルリと小さく主張している。


「うぅ……作戦会議、ね」

「はい」

「分かりました」


 何だか渋々にオッケーを貰った。僕が嫌なのか、何が引っ掛かるのか分からない。けれど僕は、こうしていくうちに彼女も、僕らを友人だと思ってくれることを願っていた。


「僕は、今日が楽しかったんです。何だか久しぶりに、遊んだって言う気がして。昌平くんたちも楽しそうにしてました。だからね、陽さんも同じように思ってくれるといいなぁって、そう思ったんです」

「え、あぁ。そうね」

「さっき陽さんも言ったでしょう?昔みたいに友人を作るのは難しいって。だから、こういう出会いは大切にしたいんですよ」

「うん、そう……確かにそうよねぇ」


 消えそうな笑顔を見せる彼女に、僕は無理をさせているのだろう。でも、出来るのならまた、こんな時間が過ごせるといい。それは勿論、四人で。

 偶然に隣り合った客と会話をすることはあっても、なかなかそこを一緒に出ることはない。今日みたいに態々待ち合わせて楽しめることなど、本当に稀だろう。それはきっと、彼女も分かっているとは思う。ただ、僕らを友人だ、とまだ思っていないだけ。


「昌平くんたち、仲良く帰ったかなぁ」

「うぅん、大丈夫だとは思うけど。ヒナちゃんも、今日は楽しそうだったし」

「昌平くん、待ち合わせの時に落ち込んでて。何だか結構前から待ってたみたい。チケット見つめて、ぼぉっとしてましたよ」

「そっかぁ。あの子も良い子よね」


 陽さんは僕らを子供扱いして、天を仰いだ。またムッとした僕には、気付いていない。こうやって話題が彼らに戻ると、僕らの会話はぎくしゃくしなくなる。きっと陽さんは、自分に目を向けられるのが苦手なのだろう。


「それにしても、昌平くんが保育士って言うのは驚いたなぁ。言われてみたら、あぁ合ってるねって思えたんだけれどね。成瀬くんも知らなかったんでしょう?」

「そうですね。だからちょっと、昌平くんにも拗ねられました」

「あら」


 確かに僕は、彼がジャケットを着ているところすら見たことがない。洋服屋とか楽器屋とか、そういうお店の店員かな、と思っていた。だから、あんなに驚いてしまったのだ。


「あれ?陽さん、携帯鳴りませんでした?音が聞こえましたけど」

「え?あっ、ちょっ、ちょっと待って」


 酷く慌てた彼女は、小さな鞄に手を伸ばす。探し終えるまで時間は掛からない程の小ぶりの鞄だ。僕はそれを街灯に凭れながら待った。音は、通知音程度だったと思う。彼女はひどく真剣に、食い入るように画面を見つめる。

 そのまま彼女の表情が、強張る。両手でしっかりと携帯を握って、陽さんは唇を真一文字にギュッと結んだ。


「何かありました?大丈夫ですか」

「えっ、あっ」


 気不味そうに見えた。唇を噛んだままに僕を見て、しまった、というように見えたのだ。視線がどうも落ち着かない。そしてまた、短い通知音が鳴る。

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