第一話 私の友達(上)
目が覚めた私は、昨夜の出来事を順を追って思い出している。彼と別れた時に隣にいただけの陽さんは、自棄酒に付き合い、部屋まで送ってくれた。土曜なのに、あの二人が店に来たのは想定外だったから。つい喧嘩になって、陽さんには随分世話になってしまったな。早めに礼だけは言わないと。服が片付いていない部屋で、携帯を探す。充電器のコードを辿って、脱ぎ散らかしたままのスカートの下。手にしたそれには数件連絡が着ていた。ほとんどは母から。打ち損じのメッセージと誕生日おめでとう。それともう一つは、陽さんからだった。そこにはこう書かれている。『午後から動物園に行かない?』と。
「動物園って、子供じゃないんだから」
そう呟いて、ハッとする。これももしかしたら、何かのきっかけになるのかも知れないと言うことか。別れ際に彼氏に言われたことが、ぐるんぐるんと頭の中を駆け巡る。自分の中身を磨け。それは単純で、簡単そうに聞こえて、とても難しい問題だった。私の何がいけなかったのか、良く分からなかったからだ。
美容情報を仕入れては、少しでも良い手入れをする。それは、自分が輝くための一助だ。けれど、それだけでは中身は磨けてはいない。だから彼に、言われたのだ。あの時私は、ブルーのニットの女の良い所を全く理解出来なかった。いつもニコニコ笑ってる、普通の女の何処が良いのか、と。私の方がずっと魅力的だと思ったのは確かだ。それ自体が間違っていると言うのだろうか。
『分かりました。西郷さん辺りでどうですか?』
言い訳をせずにそう返し、私は彼女から貰った名刺を眺めた。ちょっと角の曲がったそれには、社章ような物が描かれている。小川陽。三十代半ばの、可愛らしい感じの女性だ。素朴、と言うか。ナチュラル、と言うか。私とは対極に居そうな人だった。成瀬くんみたいに優しくて、穏やかな人。
『いいよ。十三時くらいでどうかしら?』
直ぐに返って来た返事。そう言えば、上野付近に住んでいるとは言っていたけれど、近くなのかな。思い出す昨日の記憶は、自分のことばかり話した私。彼女のことを何も聞かなかったような気がする。唯一思い出せるのは、結婚はしていなくて彼氏もいない、と言うこと。掘り下げて聞こうとした気はするが、記憶はそこまでしかない。上手くはぐらかされたのか、私が聞かなかったのか。あぁきっと、こういう所がいけないのかも知れない。
彼女の名刺をもう一度見る。
『分かりました。じゃあ、また後で』
カフェオレを淹れて、一息吐く。今朝はちょっと寒くなったな。もこもこの部屋着の袖を伸ばし手首まで覆って、私は部屋を見渡した。彼の忘れて行った物。彼と一緒に買った物。目に付く物は、彼との思い出ばかり。それなりに付き合っていたのだから仕方がない。けれど……。その時『前を向くんでしょう?』と、フッと陽さんの言葉が過った。
「よし」
私はごみ袋を片手に、部屋中を探し始める。彼の欠片を一つ残さずに捨ててしまおう。これはきっと、新しい一歩を踏み出す前にやっておいた方が良い。一人でこの部屋に戻った時に、思い出したりしないように。私は前を向くんだ。
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