10

 翌日の帰り道、私はいつも通り『人形の家』の前を通りがかった。そこで、ふと奇妙な光景に出会った。

「……?」

 普段は、慌ただしいコンビニの出入り口と対照的に、誰一人として立ち寄らない『人形の家』の入り口付近に、二人の人物が立っていた。

 少し遠目ではあるが、一人は、ハッキリと分かる容姿、頭からつま先まで真っ黒なローブで身を包んだ「あの女」だった。こちらに背中を向けている為か、私には気付いていない様だ。もう一人は、学生服を着た、女子高生らしき少女だった。互いに、向かい合って何かを話しているようだ。

 ややあって、黒ずくめの女が、少女に茶色い紙袋を渡した。丁度あの日、私があの人形を受け取ったときと同じように。

 少女は、長い髪をゆらしながら、女に向かって軽くお辞儀をして、そのままコンビニの方へと去って行った。店には入らずに、そのまま夜の通りへと消えていく。

 その後ろ姿を見ながら、私は歩みを進める。黒ずくめの女が、少女の後ろ姿を暫く見送っていて、その女の真後ろに私はゆっくり近づいて行った。

 足音に気付いたのか、単に少女を見送るのを止めたのか、女が振り返った。

「あら……?」

 私の方を向いた女が、軽く首を傾げる。

「あなたは、確か……」

「……どうも」

 私は軽く会釈をする。黒いフードの下の顔が微笑を浮かべた。

「先日、あの子を引き取って下さった方ですね。今、お帰りですか?」

「ええ、まあ……」

 正直、あの人形のことはあまり思い出したくなかったが、同時に、私自身の頭の中を嫌というほど支配しているのも事実で、こうして「元凶」を作ったこの女に文句の一言でも言ってやろうかとも思った。が、生憎とそんな言葉は一言も思い浮かばなかった。

 私は……。

「あの子の調子は、いかがですか?」

「…………」

 調子……?

 相も変わらず、奇妙の言い方をする。初めて会ったときからそうだった。人形のことを「あの子」と呼んだり、私に対して「主」という言い方をしたり。挙げ句の果てには、人形の「調子」か……。

「この場所であの子達のもらい手を探して、最初の方ですから。あなたは」

「……?」

「先程の方が、二人目の方です」

 そう言って、女は先程暗闇に消えていった少女が歩いて行った方を見た。

「昨年、この近くの学校で、女子生徒が一人、自殺をされたのはご存知ですか?」

「…………」

「先程の方は、その方のご友人だった方との事。ですから、あの子をお渡ししたところです」

「…………」

「あの方は、あの子の主となって下さった」

「あの……」

 半ば女の話を遮るようにして、私は気になっていた疑問を投げかけた。

「あの……、あの子、というのは、人形のことですよね」

 女は、こちらを振り向き目を細めて微笑を浮かべる。なぜか、その微笑みだけは妙に優しげな笑みに見えた。そして、

「はい」

 と、女は静かに、しかし軽く頷きながらしっかりと答えた。

「あの人形は、私が造った物です。あなたにお渡ししたのも、先程のお方にお渡ししたのも。そして、ここに並んでいるのも、全て……」

 そう言って、女はショーウィンドウに並べられた人形達を微笑ましい表情を浮かべて見渡す。

「ここにある人形は、どれも、持ち主の物を盗んだり、持ち主の邪魔をしたり、奇妙なことをするのが得意なんですか……?」

 私は皮肉を込めた聞き方をした。単に女の反応が見て見たかったというのも半分、この女に少しでも文句を言ってやりたいという思いが半分、入り交じっていた。

「……皆が、同じ事をするわけではないでしょう。もしあなたの人形が想のようなことをしたのなら、たまたま、あの子がそういう行動を取ったと言うだけのこと。そう……それだけのことと思います」

「…………」

 女の反応は、予想外にも静かだった。

 私の質問は、普通に解釈すれば、意味不明な内容だったに違いない。にも関わらず、ごく自然に答えてくる女に、私は逆にキツネにつままれたような気分になった。

「まだ、混乱していらっしゃる様子で……」

 女は、私に近づくと私の目を覗き込むように、顔を寄せてくる。

 私は思わず一歩後退った。

「ふふ……。よろしければ、他の子達の事も、ご覧になってみませんか?そうすれば、もう少しお分かりなるやもしれません」

 私の返事も待たずに、女は、ススッと滑るような動きで茶色いドアの前に移動すると、そのドアを開けて、

「さ、こちらへどうぞ」

 と、私の方に向かって片手を指しだし、もう片方の手でドアを開けた。

 私は躊躇いながらも、女が開けたドアの向こうに視線をやりながら、ゆっくりと女の方に歩みを進めた。興味本位ではない。むしろ、不安、恐れ、と言ったネガティブな感情に支配されているハズなのに、なぜかそちらの方に体が動いてしまう。恐い物見たさ、とでも言うのか。

 私は女が開け放ったドアまで移動すると、そこから中を覗き込んだ。


 建物の中は、思った以上に狭い空間だった。いや、人形が沢山設置されているせいで、妙に圧迫感があるだけかもしれなかった。

 入り口から入って、すぐ左手側が壁際になっていて、そこには、腰の高さくらいのガラスで覆われたショーケースが設置されており、その中には、私が手に入れた人形よりもずっと小さな人形が沢山、丁寧に並べられていた。

 一方、入って右手方向は、それなりに開けた空間にはなっているが、あまり広々とした印象は受けない。というのも、入ってすぐ右手に正方形大の、一メートルくらいの幅を持ったテーブルが設置されており、その上には、更に小さな台座に丁寧に置かれた人形が、やはりというべきか―こちらを見ていた。

 そんなテーブルが、一つ、二つ、三つあるせいで、どことなく空間を圧迫している感じがする。

 通りに面したショーウィンドウに並べられた人形達は、建物の中から見ると皆一様に背中を向けており、更に、右奥の壁際には、左手側と同様にガラスのショーケースが設置されている。ケースの中にあるのは―。

「……?」

 思わず眉を顰める。まず視界に入ってきたのは、茶色いバッグだった。女性が肩から掛けるようなハンドバッグ、他にも、腕時計やネクタイ、財布、靴、衣服、リボン、ネックレスといった、装飾品や日用雑貨品が無造作に置かれていた。

 黒ずくめの女は、中央に設置された正方形台のテーブルの上から、一体の人形を手に取る。長い黒髪に、白いヘッドドレスを付け、真っ白なワンピースを着た、三十センチくらいの少女の人形だった。顔立ちは整っているが、妙に白々としていて、何となく蝋人形を彷彿させられる。

 女は、まるで赤子を抱きかかえる様に人形を片腕で抱えて私の方に近づいてくる。

「ほら、ご挨拶なさい。ミキ」

 と言って、女は人形の方に目をやり、反対側の手で人形のヘッドドレスを撫でる。

「…………」

「初めてのお客様よ」

『……あ、り、が、と、う……ございます。はじめ、まして……ミキ…です』

 と、人形の口が開いた―はずはなく、あまりにも分かりやすすぎる、女の、ある意味滑稽な腹話術でしかなかった。女は、私の方を一瞥して微笑むと、

「そう言えば、まだお名前を伺っていませんでしたね」

「…………」

 女の探るような視線から、私は思わず目を逸らした。

「……そんなに警戒しないで下さい。この子は、何もしませんから。あなたには」

 微妙な言い回しをするものだ。それじゃあ、まるで……。

「この子は、半年前の地震で亡くなったんです」

「え……?」

 私は思わず顔を上げて、女が抱えている人形に目をやった。

「この子の、服をよく見て下さい。膝の辺りです」

 そう言って、女は人形が着ている真っ白なワンピースの裾を軽く摘まんで広げて見せた。そこには、対照的な色をした、小さいがハッキリと見て取れる、赤黒いシミの様な物が見えた。

「半年前の地震で、家屋の下敷きになった女の子がいました。この場所から……そう、丁度、先程の女子高校生が去って行った方向へ歩いて、数分の距離。今はもう倒壊した家屋は取り壊されていますが、半年前まで、その家には夫婦と子供の三人が暮らしていました。その子供は女の子で、名前を―ミキ、と言ったそうです」

「…………」

「地震の起きた時刻、夫婦はたまたま二人揃って家の外に出ていたので助かったのですが、子供は、居間でテレビを見ていたそうです。その時、地震が起きて家は倒壊。子供は、家の下敷きになったのです」

 喋りながら、女はずっと人形の方を見ていた。人形の目は、私の家にある「それ」と同じように、丸いガラス玉の様に見えた。

「その子供―ミキが、その時に着ていたワンピースが、これです。当時の、彼女の遺品を使って私が仕立てた物なんです。この赤いシミも、その時のミキが流した血―。私が、敢えて残したのです」

「……なぜ、そんな事を……」

「夫婦は、この事を知りません」

 女はくるりと私に背を向けると、正方形のテーブルに戻り、『ミキ』と呼んだ人形を元の位置に戻すと、彼女の髪の毛を優しく撫でながら、

「本来であれば、彼女の遺品は彼らで処理するべきものですが……それを、彼女の両親は拒んだのです。……単に、受け入れたくなかったと聞いています。倒壊した家屋の下敷きになって、見るも無惨に変わり果てた娘の姿を、娘の死を」

「…………」

 女の言葉に、私の脳裏に浮かぶ光景があった。

 古びた、小さな小屋……

 今にも崩れ落ちそうな小屋の中……

 ……実際に崩れた小屋の、瓦礫の中から覗く、白い手……左手……真っ白な、指……。

「ですが、私は違うと思っています。そんな理由で、自分の子供の遺体を放っておくとは、考えられないのです。だから……多分、この子は、捨てられたのです。両親に」

「…………」

 私は、初めてこの場所を訪れた際に、女が言った言葉を思い出していた。

 ―みな、居場所を失ったかわいそうな子達。誰か、拾って下さる方を、探しているのでございます。

「ここにある人形は、どれも、亡くなった方の遺品を使って私が作ったのです。死して尚……捨てられた方達が、少しでも救われるように……願って」

 死して、尚、捨てられた……。それはつまり、死んだ後も放置された、と言う意味なのだろうか……。そんな遺品を、なぜこの女が持っているのか……。

 私は、半ば混乱した頭で、しかし懸命に、「ある事実」を考えようとしていた。

 それは、私自身にも、あまりにも心当たりのありすぎる出来事だったから……。

「それじゃあ……。私に渡した、あの人形も……?誰かの……?」

 私がそう尋ねると、女は少しばかり目を細めて私の方を見る。そして、ゆっくりと首を縦に動かした。その少しばかり鋭い視線。その視線が意味するのは、多分「言うまでも無いだろう」という私への布石。

 ―誰の?

 とは聞けなかった。いや、聞く必要など無いのだろう……。あの指輪が、それを証明しているのだから……。それに、そう……確かに、彼女は…彼女は……。

 私が殺したのだから。

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