8

 ビクン―。と体が跳ね上がる感覚で、私は目を覚ました。

 飛び起きる、と言うほどではなかったが、その勢いのまま私は体勢を起こす。部屋の中は真っ暗だった。

 ある意味、鮮明で強烈な夢だったせいか、眠気はすっぱりと消えてしまっていた。

 ……地震の夢は、今でも頻繁に見る。ここ数日は特に多い。断片的な夢で、実際に起きた出来事とは少しばかり異なる所もあるが、大体は似たり寄ったりの内容である事が多い。その中でも、先程見た夢は、あまりにも実際に起こった出来事と酷似していた。

 特に、あの指輪……。

 忘れもしない。あの地震の後、最終的に余震で倒壊した自宅の瓦礫の中から、ついに見つける事ができなかった指輪。

 あの指輪は、結局どうなったのだろう……。

 そう考えて、再び目を閉じる。眠気は消えていたが、カーテンの外は真っ暗だ。ろくに時計も確認しなかったが、まだ朝まで時間はあるのだろう。眠ってしまった方が良い、と思って、目を閉じた。

 しかし、今の指輪のことを思い出し、ふと、また気がかりな事柄が頭の中に浮かんできたのだ。私は暫く目を閉じて、その気がかりを、ただの気のせいだと思い込もうとした。だが、一度気になり出すと落ち着いて眠ることができない。

 私は目を開け、布団から抜け出すと部屋の常夜灯の明かりのみを点けた。

 そして、相変わらず本棚の上でじっと動かないでいる人形に近づくと、両手で掴み上げた。

「…………」

 馬鹿げてる。

 そう思っても、確認せずには居られなかったのだ。

 この人形を最初に見た瞬間から、この人形が左手に指輪をはめていることは気付いていた。だが、所詮は人形がはめている指輪だ。指輪に似せただけの金属製のリングに過ぎないのだろう。大体、人間の指とはサイズがまるで違う。

 しかし、問題はそこでは無い気がした。

 私は、机のスタンドライトを点け、人形を照らした。闇に慣れていた目に、スタンドライトの白色灯が眩しいくらいに突き刺さってきた。

 私は人形の手の甲にじっと目を凝らす。

 左手の薬指、そのリングにじっと目を凝らす。小さくて良く確認出来ないが、リングの表面はつるつるではなく、何か細かい模様が描かれているようだった。だが、どうしても肉眼では確認出来ない。焦れったい気持ちを味わいながら、色々と角度を変えたりしてみたが、やはり何かの模様が描かれてはいるのだが、それが何であるかは確認出来なかった。

 暫く思案し、今度は人形の指から指輪を抜き取れないか試してみた。リングを掴み、引っ張ってみたのだが、リングは動かせる様子がない。どうやら、手の指と接着されているようだ。

 そうなると、あとは……。


 その日、私はいつもよりも大分早い時間帯に職場に足を踏み入れた。真っ白い作業服に身を包み、少し俯き加減でクリーンルーム内を歩き回る。まだ作業を始めている人はほとんどいなかった。作業用の工具を整理したり、測定機等の設備を立ち上げて準備をしている人が二三人ほど。

 彼らの目があまり届かない場所を移動しながら、私は、室内の壁面に備え付けられている、ガラス戸式の棚に近づいた。そこには、共用の作業工具が保管されている。

 ガラス戸を開けて、中に保管されているいくつかの工具箱の中から目当ての物を探す。

 ガチャガチャと思ったよりも大きな音を立てながら、工具箱の中を、私は何となくドキドキした心持ちでかき回した。

 別にやましい事をしているわけでは無い。共用の作業工具は、このエリアの作業員なら誰でも使用が許可されている物だ。

 あまり整頓されているとは言えない工具箱の中から、私は目当ての物を見つけた。

 五センチ四方くらいの、黒い革製のケース。それを手に取る。ケースのボタンを外して中身を確認する。銀色の金属製の丸いフレームに、埋め込まれた透明なレンズ。精密ルーペだ。

 それを手にすると、工具箱を元に戻しておき、ルーペを掌で隠しながら自分の作業机に向かった。特に整理整頓もされていない工具箱だし、共用の備品だから時々物がなくなることもある。ルーペが一つ無くなったところで、誰も不審がる人はいないだろう。

 後ろめたい感じはあったが、私は作業デスクの引出しの中にそのルーペをしまい込むと、いつも通り、仕事の準備を始めた。


 ここ数日間の中で最も緊張した一日だった気がする。

 何とかして作業に集中しなければならないと、気ばかりが焦って効率的に作業を進めることが出来なかった結果、数時間の残業をして帰路につく。

 だが、気分はどこか昂揚していた。

 いや、昂揚感とは少し違う。緊張感と言った方が正しいか……。それでも不快な緊張感ではない。まるで、買ったばかりのおもちゃ箱を初めて開ける子供のような感覚とでも言うのか。

 帰宅途中、『人形の家』の人形達をガラス越しに横目で見ながら、私は自分のアパートに向かう。何となく、これでハッキリするような気がしていた。あの人形が、一体何なのか……?

 しかしその一方で、事実を知るのが恐ろしくも感じていた。

 アパートに戻ると、普段より大分遅い時間帯だったが空腹感など感じなかった。むしろ、一刻も早く確かめなければ、という思いが自分の体を突き動かしていた。

 寝室に入ると、部屋の明かりを点けて、真っ直ぐに人形の方へと足を進める。ずかずかと、相手を追い詰めるような足取りで。そして、相変わらずベッドの方を向いたまま動かない人形を、片手でむんずと掴むと、そいつの顔を見据えた。

「…………」

 薄らと口元に浮かべた笑み。

 笑顔とは言えない。冷笑?それとも嘲笑か?

 ……どちらでもいい。今、化けの皮を剥がしてやる。

 私は、もう片方の手の中に握りしめていた物を取り出す。今日、会社から持ち出してきた精密ルーペだ。

 それを、黒革のケースから取り出し、レンズを覗き込む。離れた位置にあるものが、上下反転に移る。部屋の明かりに反射してキラリとレンズが、そしてレンズを固定している金属のフレームが光る。

 それを、人形の手元に移動させた。

 片目をつぶり、開いた方の目でルーペに映る人形の指を観察する。つるつるした肌色の素材が見え、ルーペを上下させてピントを合せると、その素材の僅かな凹凸が見て取れた。

 そのままルーペを移動させ、左手の薬指にはめられた指輪を観察する。

「…………」

 見間違いではないことを何度も確認する。が、再確認など必要ないほど、鮮明にレンズに映された指輪の表面には、鳥の絵柄が刻印されていた。

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