3

 その夜、私は奇妙な夢を見た。

 真っ暗なところに私はいた。どこだか分からない、ただただ、周囲に暗い闇が広がる場所に。いや、私がそこに「居た」のかすら分からない。暗闇に包まれて私自身の体も見えなかったからだ。ただ少なくとも、私の「視点」はそこにあって、周囲に広がる真っ暗な闇の空間をぐるりと見渡してた。

 すると、次第に目が闇になれてきたのか、徐々に周囲の様子が分かってくる。

 予想に反して、そこは狭い小屋のようだった。どこまでも広がる闇を想像していた私は、少し拍子抜けした気持ちになり、手探りで周囲にぶつからないようにしながら、慎重に立ち上がる。

 ゴツン―と頭をぶつけた。

 後頭部に打撃の痛みと、チクリとした、棘が刺さったような痛みを感じる。

 半分屈みながら上を見上げると、十センチ四方くらいの四角い棒状の柱が、斜め下方向に向かって伸びていた。そこに頭をぶつけてしまったらしい。

 なぜこんなところに柱が、と思って、柱に手をのばした瞬間、景色が一転した。

 急に周囲が明るくなる。

 と言っても、昼間のような明るさではない。夜明けの、あるいは黄昏時の、薄闇程度の明るさ。

 そうして、私は部屋の中の全貌を捉えることができた。

 同時に、なぜ今まで気付かなかったのか、というくらいの、木の匂いが鼻腔を刺激してきた。同時に、大量の木くずやら埃が鼻や喉に入り込んできて、喉がイガイガしてくる。

 そこは古い物置のような場所だった。いや、単に古いのではなく、何本か柱が折れ曲がったり傾いたり、天上のいたがべろんと剥がれて今にも落ちそうになっていたり、小屋の中の物があちこちに散乱してたり、壁にも所々に穴が空いて破損していたりと、廃屋のような状態だった。

 薄闇の僅かな光に、細かい木くずや埃が照らされ、それらが空中を舞っていた。

 ―一体、どこだろう?ここは……。

 そう思いながらも、なぜか私はその場所を知っているような気がした。全く見たことのない場所なのに、なぜか知っている。いや、違う。その逆だ。よく知っている場所なのに、初めて見た場所の様に思えてしまっている。

 これが夢だと気付いていない私は、その小屋から外に出ようと思うのだが、出入り口が見つからない。小屋の損傷が激しく、どこが出入り口かすら分からないのだ。

 出入り口を探していると、私は、壁板の一部が破損して穴が空いているのを見つける。そこに近づき、壊れた壁板を掴むと、力任せにそれを引っ張り、剥がした。

 バキバキッと言う音を立てながら、思いのほかあっさりと壁板は剥がれ、人一人が通るには充分な隙間ができた。

 私は、そこから外へと移動する。

 外は、広い林のような場所だった。周囲に、真っ直ぐな木立が何本も立ち並んでいるのが見える。小屋は、林の中の少しばかり開けた場所に建っているようだった。

 ギギギッ―という音が後方から聞こえて、後ろを振り返ると、今私が出てきたばかりの廃屋が、見るからに大きく傾いでいくのが分かった。

 そして―。

 バキバキバキッ―!ガラガラ―ッッ

 鈍い轟音を立てながら、小屋が完全に崩れ落ちるまで、ものの数秒と掛からなかった。元々脆くなっていたからか、あるいは私が壁板を剥がしてしまってバランスを失ったせいなのかは分からない。危うく小屋の下敷きになるところだった。

 ―と、崩れ落ちた木々の残骸の中に、私は奇妙な物を見つけた。

 薄闇の中でも、なぜか「それは」ハッキリと確認出来た。見るも無惨にへし折れた柱や、壁板が折り重なった中に、白い、細長い物が見えた。

 人間の腕、肘から掌までが、残骸の隙間から覗いていた。

 ギョッとしながらも、私はなぜかそこに人がいることを、全く不思議には思っていなかった。やはり、ここにいたのか、と……。なぜか確信めいたものがあった。そして―。

 私は、その人物を知っている。

 よく知っている。

 ……だから、私は確認しなければならない。そこにいる、『彼女』の存在を。

 ゆっくりと歩みを進めて、私は白い腕に近づいて行く。その腕は、指先までピクリとも動かない。いや、動くわけがないのだ。

 しかし、そこにいるはずなのだ。

 白い腕のすぐ傍まで近づくと、私はしゃがみ込んで、そっと白い掌に触れる。冷たい感触があった。もう、生命が失われた証である体温を感じながら、それでもまだ柔らかい掌を両手で包み込むと、軽く握った。

 その瞬間、信じられないことが起きた。

「……!」

 白い掌が握り返してきたのだ。そうして、私の体を強く引き寄せる。

 アッ―と声を上げる間もなく、私はがれきの中にダイブする格好になる。そこで、崩れ落ちた小屋の中にある、腕の持ち主の体を、顔を確認する。

 くしゃくしゃになった茶髪を顔面に貼り付かせながら、泣き笑いのような表情を浮かべた「彼女」は、私の方を見ながら、私の名前を呼んだ。


 ―ゴトンッ

 と言う音と共に、私は目を覚ました。

 開けた視界に、カーテンの隙間からこぼれる朝日が見えた。いつの間にか朝になっていたらしい。

 布団は大きく乱れ、背中に大分汗を掻いていた。魘されるというほどではなかったが、あまり心地の良い夢ではなかった。もしかしたら布団の中で少し暴れていたのかもしれない。

 ふと、床に目をやると、普段見慣れないものがそこに落ちていた。

 昨日手に入れた人形だった。俯せになって倒れた人形。物音はこの人形が本棚から落下した音だったのか。

 クルクルにカールした長い髪を乱し、ピクリとも動かないその姿は、文字通り、生命を持たないただの塊にしか見えなかった。

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