第30話 雷音の方向
狩りはまだ続いていた。
地面を覆う白の絨毯が、無数の足跡で乱雑に凹凸を残している。
なおもサンタは存命しており、弾丸の直撃を辛うじて喰らわずにいるものの、それもこれもすべて
まずは装填されていた6発をフルに使って、サンタのおおよその動きを観察する。
そして新しい銃弾を補填したら、それからは生きた白いキャンバスに、じっくりと、弄びながら、じわじわと、赤を描いていく──それが今思い描いているシナリオだ。当初の思惑とは大分路線変更となったが、結果的に、今のほうが快感を覚える結末に向かっている。
慣れた手つきで再装填を終えると、興奮を抑え込むようにして、そろそろ足でも狙って動きを封じておくか、と一考する。
こいつの動きは常軌を逸したものがあるが、それは今の俺も同じことだ。つまりは、こいつもあらかじめ使っていたに違いない。
ネタが割れれば、なんてことはない。
もっとも、あの不可視の壁は未だに謎だが……そんなことはもうどうでもいい。
最終的に、生き残ったほうの勝ちだ。
どんなに未知なる力を持っていようが、死人は死人に変わりない。死ねばそれまでだ。
「そろそろ終わりにするが……目を覚まして謝ったほうがいいのは、お前だったんじゃないか。え? どうだ、命乞いでもするか?」
サンタは、何も口にしない。
「そうかよ……それじゃあもう、終わらせてやるよ!」
まんまと翻弄されているのか、サンタはその場から動けないでいる。その隙に
──だが、そうして出来上がるはずだった、右脚に穴の開いたサンタの姿が、そこになかった。代わりに、銃弾が突き刺さった後が足元の雪に残っているだけだ。
酔いにも似た気分が一気に覚める。
……そんなバカな。どういうことだ?
今のは完全に、奴の死角から放った一撃のはずだ。それがどうして?
表情を変えてあちこちを見回していると、不意に背後から肩を掴まれた感触が沸く。
すかさず反転し、顔を後ろに向ける──が、誰もいない。肩の感触もいつの間にかなくなっていた。
と思ったのも束の間、腹部で唯一筋肉に守られていない鳩尾にいきなり、振りかざされた鉄槌の如くとてつもなく重い一撃が炸裂した。
「がぁっ! あ、……が」
正体不明の衝撃のせいで、右手からは拳銃がこぼれ落ちた。反射的に、自分自身を両腕で包み込むようにして、膝立ちになる。
痛みはない。
そこへ、すっと声が現れた。
「寝言は寝てから言え」
顔を上げると、両手をズボンのポケットに仕舞い込んで立ちつくしているサンタの姿が目前にあった。
もちろんながら、銃弾を喰らった様子は見受けられない。
サンタは悶絶し動けないでいる
「まさか、
まるで説教のように語るサンタに憤りと屈辱を覚えたが、すぐに『バカめ、油断してるのはどっちだ』と、内心ほくそ笑む。
今、どうしてかサンタは俺に触れている。あの不可視の壁もないようだ。ほんの僅かにでも接触できている今この瞬間こそ、ようやくサンタに
その考えのもと、
──が、いつまでたってもサンタが感電して倒れた気配がやってこない。未だに、首に指が添えられたままだ。
なんだ? どうした?
まさか不発か? いや、ちゃんと発動したはずだ。なら、どうして倒れない?
まさか……耐えたっていうのか? 俺の全力を叩き込んだはずだぞ? 仮にそうだとしても、平気で立っていられるほどに無事なはずがない。
サンタの状況を確認したくて、背後に顔を向けようとする。
そこで
脳が電気信号を送って体に命令しているはずなのに、体がそれを無視し続けているかのように。
偉そうに講釈たれるこのサンタを心底殴り飛ばしてやりたいのに。
目の前に落とした拳銃を拾って今度こそ撃ち殺してやりたいのに。
でも、どうしても体が反応しないのだ。
そんななか、このタイミングで何故か、「お前に聞きたいことがある」とサンタが言ってきた。
「
その質問に
何故こいつがそんなことを聞いてくる?
そもそも、こいつは
いずれにせよ、答える義理はない。『誰が答えるものか』と嘲笑してやりたいところではあったが、生憎と口すらまともに動く気配がなかった。どもるように「あ……う、あ……」と、声が言葉にならずに漏れるだけだった。
「お前は、
最初の質問に対しての返答を待たずして、サンタは次の質問を繰り出してきた。
「お前は、
サンタは自問自答したのち、糾弾を始めた。
「お前たち兄妹には同情する。サンタを憎むその気持ちもわかる。だが、お前の気持ちは理解できない。過去を忘れて平凡に暮らしていた
サンタは、自らが口にした先ほど質問の回答を得ているかのように、続けて問いかける。
ろくに返答もしていないはずなのに、サンタの言葉には事実との矛盾がない。さっきまでの
……同情だと?
妹を──
何をふざけたことを言ってやがる。
今、こうして俺がサンタと争っているのも、
それがなんだ? 偉そうに。
どの口が言う。俺が今日この日まで、どれだけ辛酸を嘗めてきたことか……。
自分を引き取った親戚のクズ共は7歳のときに父親から施された
復讐を果たすための一環として、父親と共に裏社会で暗躍をしていた
そうして
積年の努力の末に得た、『サンタと聖ニコラス学園に繋がりがあるようだ』というゴミのような情報にも、藁をも掴む思いで飛びつき、時間をかけて周到に準備し、ついに講師として潜入することにも成功した。
しかしまさかそこで生き別れの妹との再会が訪れるとは夢にも思っていなかったが、逆にチャンスだとも思った。父が母に宿し、そしてそれが妹に遺伝したあの
ガキ共の相手をするのに我慢する毎日。
夜な夜な学園に忍び込み、秘密を探る毎晩。
全ては、憎きサンタに報復するために。父の無念を晴らすために。
全ては、この父の形見の銃で、サンタという悪夢から目覚めるために。
全ては、自分の人生を変えたあの日と決別し、第二の人生を手にするために。
父のように偉大な発明をし、成功し、莫大な金を得て、再び
そして今。全てをなげうってまで前進してきた
「だ、ま……れ。ふ、ざ、け……る、な」
未だに発音がままならないままだが、収まりきらない怒りが、言葉になって漏れる。
それに対し、「ふざけてるのはどっちだ」とサンタは呟いた。
乱暴に胸倉を掴まれ、有無を言わさず目と鼻の距離にまで顔を引き寄せられる。
「兄妹とか体のいいこと言って、ただいいように利用してるだけだろうが! このクソ兄貴がっ!」
これまでが嘘のように、サンタは激しく咆哮した。
女性の声だし、ゴーグルのせいでその表情は定かではなかったが、呼応するように雪雲がゴロゴロと音を立てているのも相まって、一喝はあまりにも迫力に満ちたものとなり、
「……もういい。聞きたいことは聞いたし、言いたいことも言ったからな。そろそろ終わりにする」
その一言を皮切りに、サンタの様子が、突如として豹変した。
線香花火が放つ幾重にも枝分かれした光に近い火花が、サンタの全身から、噴水の如く迸りだしたのだ。
長髪が四方八方に逆立ち細く鋭く尖っている。夜空を点々とする無数の雪が、サンタの体を龍のように巻きつき飛び交う紫電に攻撃されて、一瞬にして蒸気に姿を変えている。
それと同時に、千羽の鳥の合唱よりも耳障りな音が、周囲の空気を激しく苛めだす。曇天からも、落雷を予感させるほどに荒れ狂った唸り声と閃光が今か今かと暴れている。
サンタ名『ドンナー』。
それは、北欧神話に登場する最強の神の名であると共に、雷の神の名でもある。
「あ、あ……あ」
サンタの変貌振りを見て、視認できるほどに膨大な電気を見て、今までの、不可思議な力による不可思議な現象への疑問がすべて解決する。
それらは全て、電気の性質をかんがみれば説明がつく。
たとえば
電気には正の電荷と負の電荷がある。それらは『静電エネルギー』という形で、結果的に引力と斥力の関係を生みだす。つまり
先の高速移動は、
──それにしても。
「ば、かな。有り、得ない、そんな、はず、が……」
徐々に麻痺が取れてきていた唇で、無意識に心情を吐露してしまう。
電気の耐性が人一倍強いはずの
今ならわかる。サンタが言っていた『俺はお前の接触を許さない』という言葉の意味も。
もしも
もしも
まさに文字通り、どうあってもサンタの許可なくして接触はできない。それが現実。
結局のところ、戦いが起こる前からすでに勝敗は決していたのだ。
自分の導きだした答えに恐怖する
次の瞬間、
逆に、逆立った髪は反発する力を徐々に失っていき、やがて元の髪型に戻っている。
その片腕は今、超巨大な線香花火と表現して間違いのない超常現象となっていた。
「安心しろ、殺しはしない。だが、死ぬほどの痛みを味わうことにはなるだろう。でもそれも、
腕の角度が急になっていくにつれて、やがて
腕が垂直になったときには、
けして腕力ではない。おそらくこれもまた、静電エネルギーによるものだろう。
しかしながら、これから何をされるのか全く予想がつかない。
すでに敗北した心持ちでいた
「待、て、やめ、ろ、やめて、くれ」
しかし、サンタは聞き入れない。
「……何か言ったか。悪いが、補聴器を外してるからまったく聞こえない。諦めろ」
刹那、サンタの片腕から電気の塊が一気に途絶えた。
その結果、
静電エネルギーは、万有引力と類似した性質の力である。
だが、実のところ万有引力は惑星規模でようやく視認することができ存在がわかるほどの微々たる力なのに対し、静電エネルギーはなんと万有引力の約10の20乗以上──すなわち100億の100億倍以上の計り知れない力を秘めている。
もしも仮にこの力すらも操作可能ならば、人ひとりを天へと弾き飛ばすことなど造作もない。
いずれ訪れるであろう落下の恐怖を感じる間もなく、上昇を続けていた
空気は最強の絶縁体のひとつである。
だが、雷の電気はその空気という防壁を強引に破壊してあまりあるほどに絶大で強力なのだ。そしてその威力の電気が流れる際に空気は激しく振動し熱せられ、電気の通った道には真空ができてしまう。その真空を掻き消そうとする空気圧縮がとてつもない衝撃波を生み出し雷音となる。
たとえば──地上付近の校舎の窓ガラスが、爆裂音の余波でひとつ残らず砕け散るほどの超大音量となって。
さきほどの雷音には匹敵しないまでも、断末魔のような強烈な叫びが空に響いた。
やがて黒焦げになった
サンタは再度左腕に幾らかの電気を流して静電エネルギーを操作し、
すべてが終わり病院に連れていくまでの、火傷のための簡易措置である。
サンタはポケットにしまっていた特注の補聴器をとりだし、そっと両の耳に取り付ける。
その直後、校舎の屋上あたりから銃声を感じ取った。
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