第28話 真実への糸口
外は、いつの間にか白に染まりだしていた。
大地の色合いは今のところまばらだ。まだ降り始めたばかりなのだろう。だが、こうも大量の雪が舞い落ちているとなると漂白されてしまうのも時間の問題だろう。
「ど、どこに行くつもりなんだ?」
「いいから黙っててください」
説明もなければ、顔すら向けようとしない。
そんななか、その胸元にある装飾品──薄いレモン色をした、雪の結晶を模した、こぶし大ほどの大きさのオーナメントが目についた。
視線に感づいたのか、
「そうです、あの人の言う通りです。これもあの日、盗んだんですよ」
「じゃあ、本当にお前が、その……なんだ、
「ええ、そうです。私が殺したんです」
清清しいほど潔く、一切の躊躇いもなくそう断言されてしまうと、それ以上何も聞けなくなってしまう。
そこでふと、
「あれは……
「みたいですね。なーくんが外にいるとなると、これ以上飛ぶのはちょっと危ないかな」
「悪いんですけど、この糸を焼き切ってくれませんか。あなたの力で」
「あ、ああ」
言われるがまま、
雪が降るほどの寒さということもあって自然と手のひらから蒸気が湧きあがっている。そして雪が手のひらに迷いこんでくるたびに、命を奪うようにその存在を消化していく。
そっと、未だ
しかし今、糸は幾重にもその体に絡まっている。完全撤去をするにはさすがに時間がかかるだろう。
「聞いても、いいか」
「聞くなっていうほうが無理でしょうね。それで? 何です?」
「その……6年前にお前たちが
「ええ、おっしゃる通りです」
「ってことは、じゃあ……」
「そう。あの人の父親、つまり
「そう……なのか。ってことは、今回のこれっていうのは、6年前の復讐になるのか?」
「さあ。そこまではわかりませんけど……あの様子からして、私にはあの人──
たしかに今の話が徹頭徹尾真実であるとすれば、そういうことになるわけだが。
「でも、本当に
「それはありません。私たちも誤って無実の罪の人を襲わぬよう、多方面から入念に調べ上げて、そうしてその年の対象者を絞り込むことになっていますから。
淡々と説明する
赤の他人の
そうこうしているうちにすべての糸の断絶が終わった。とはいえ、糸くずと呼べるほどのものがまだいくらか付着したままだが、
それなりの時間、継続的に力を使い続けていたところに雪がいくらか紛れ込んでいたこともあって、左手に出来上がった氷は巨大な金平糖のように不気味に刺々しくなっている。しかも無駄に重たい。
力を使うたびにいちいちこれだ。まったく面倒だなと思いつつ合掌しようとしたところで「それじゃあ、私は行きますから。あの様子だと、ゆっくりしている場合でもないでしょうし。あなたもしばらくはここで待っていてください」と
見れば、今にも飛び去ろうとしているかのように屋上の縁に向かって歩いていた。
「行くってお前、まさか
「問題っていうか、そもそも何をしに戻るんだよ? やっぱりアレか? サンタとして、自分たちに歯向かった黒服の連中を一掃するとか、そういうことか? それで
「まあ、だいたいそんなところですけど、理由はほかにもあります」
「どんな理由だよ」
「たとえば、指輪の回収とか」
「指輪……って、俺が失くしたアレのことか? ってことはじゃあ
「ええ。あの人の胸元にあるのを見ましたし。それにしても、
どうしてそこで
毒づきの理由がまるでわからず、
「でもどうする気だ? 和解なんて無理だろ。もうどうしようもないくらいこじれているんだし」
「でしょうね。だからもう、いっそのこと、そのこじれってものを消すしかないんです。根本から」
「……それってつまり、
「まあ、間接的にはそういうことになりますね」
「どういうことだ?」
「つまり、殺すっていうのはあくまで
「人格?」
「…………ようは、もうサンタと関わらないようにするために、そして二度とあの日のことを思いださないように、あの人のこれまでの記憶を消して、何も知らなかった状態にする、ってことです」
「は? 記憶消す? ……ハハハ。じょ、冗談はよせよ。何だよそれ。第一、どうやってするんだよ、そんなこと」
無理に笑っておどけてみせるが、
そうして露になった素顔に埋め込まれていたふたつの奇妙な眼球に、
今まで何度か目にしてきたあの黒い大粒の真珠のような瞳が、どこにも見当たらない。その代わりに埋め込まれていたのは、今まで見たこともない双眸だった。
眼とは中央にある瞳孔とその回りの虹彩と呼ばれる二重の正円でできている。人の眼の場合、人種によって瞳の色は異なるものの、人類は誰しもが二重円構造で、瞳孔は黒と決まっている。ゆえに違うのは虹彩部分だけだ。
だが今の
「……ナハハッ。どう? 気持ち悪いでしょ? 」
そう言って、
賜れたのは、今までが嘘のように柔和な表情と口調。なのに、それがどことなく物悲しく映る。
「普段はカラーコンタクトをつけて隠してるんですけどね。これが私の
「ばろーる? そんなもの聞いたことないぞ」
「当たり前ですよ。これ、サンタの内部で秘密裏に作られたものですから。だから私しか持ってないし」
「秘密裏に、か。……でも、人の記憶を消す
「何だと思います?」
「だから、それを聞いてるんだろ」
「サンタです」
「サンタ? ……ん、サンタ? サンタって……ま、まさか」
「そういうこと。
「この瞳の力ですけど、特殊な光を放つことができて、それを見た相手の眼球を通じて、脳へと負荷をかけ、人の脳を好き勝手に弄繰り回すことができるんです。たとえば気絶させたり、あるいは精神を破壊したり。少しくらいなら洗脳することだって。そして──記憶を消すことさえも」
「……それって、サンタのことだけを忘れるとか、そんな都合のいいものじゃないんだろ?」
「ええ。そこまで焦点を絞っての記憶操作はさすがにできません。あなたや
「そう……なのか」
「一応言っておきますが、この眼によって消された記憶は二度と思い出すことはありませんし、今のところ例外もありません」
嘘だって信じたい。
なんならもう、今朝柊から
何もかも、すべてがいきなりすぎる。知らぬ間に柊を去って、今生の別れかと思ったら黒服を纏ってあっさりと目の前に現れて、そして今にも記憶を消されようとしているだなんて。
さっきの一件で少しねじれた関係になってしまったかもしれないけど、それでも記憶さえあれば、互いが存在してさえいれば、いつかは和解ができるかもしれない。記憶さえあればその可能性は残されている。あのときだって仲直りできたんだから。
でも、記憶がなければ、そうもいかなくなる。あのときのことも忘れてしまうんだ。
これきりもう、あいつに会えなくなる。
たとえ会えたとしても、それは同じ顔をしているだけの、別の誰かってことだ。
そんなことが受け入れられるか。耐えられるか。
……できないよ、そんなの。
「やめてくれよ、そんなこと。頼むからさ」
「それが無理な相談だということは、あなたもわかっていますよね」
「わかってる。わかってる、けど……嫌なんだって」
「じゃあ、他にどんな方法があるっていうんですか? 幼馴染のあなたが説得したって通じなかったんですよ?」
「それは……でも、急にそんなことを言われたって、はいそうですかって受け入れられるわけないだろ」
「でしょうね。お気持ちはわかります。でも理解してください。もうこうするしかないんです」
「わかる? 何がだよ。わかるわけないだろ。お前なんかに、今の俺の気持ちの何がわかるっていうんだ。知ったふうな口をきくなよ!」
口先ばかりの共感に、
別にそうしたところで
やりだまにあげられた
これまでの付き合いからしてみれば、今の一言よりもさらにきつい一撃を見舞われそうな気がしたが、黙ったままだった。どうにも肩透かしを食らう。かといって委縮した様子もない。
何を考えているのかわからない。ただ、悪魔のようなその瞳は、酷く切なそうだった。
「……あなたこそ、私の何を知ってるんですか?」
「え」
「何も知らないでしょ、私のことなんか」
重い口を開いてでてきたそれは、言うならば、ぼやきのように聞こえた。
「……いえ、失言でした。今のは忘れてください。とにかく、私とあなたとでは立場が違う。そうなると見解も違ってくるのは当然ですから、議論したところでおたがい平行線を辿るだけ。不毛なだけです。別に理解や納得をしてもらおうとも思ってないですし、恨みたいならどうぞ私を恨んでもらって結構ですから。──それじゃあ、ここでおとなしく待っていてください」
胸に穴が空いた
そうして去っていこうとしたその腕を、反射的に掴んだ。
「っ……まだ何かあるんですか?」
「行く前に、最後にひとつだけ教えてくれ」
そうは言うものの、正直なところ、この行動は考えなしのものだった。
……何だ、何を言えばいい? どうすれば止められる?
きっと何かあるはずだ。お互いの主張の食い違いとか違和感が。
何でもいい、思い出せ。何とかして思い出せ。
……ん? 思い出す?
「なあ。さっき
「ええ。それが何か?」
「不思議だよな。どうして
「……え?」
「だってそう思わないか。サンタが人前に出るときは、いつだって顔を隠してるはずじゃないか。だったら
「そ、そんなことを急に言われても、あのとき顔を隠していたかどうかなんて、はっきりとは覚えていませんよ。もうだいぶ前のことだし。第一、それが何だって言うんですか。今は関係ないでしょ」
関係ないと言われてしまえばそのとおりだが、反して過敏かつ過剰な
「そういえば、
「それは……その」
「ああ、でもそうだとしたらしっくりくるよな。お前がそのときよりも前にその
途中から独白に近くなっていたが、ふと見れば、
けして寒さのせいではないだろうし、体育館で激闘を繰り広げていたときですらもこんな表情にはなっていなかったはずだ。
それはまるで、自分が犯した重大な過ちに気づいて思考ごと氷漬けにあったかのような、そんな様子。いったい何が
「ひょっとして、何か思い出したのか?」
「ち、違います! そんなことよりも、いい加減、手を放してください!」
その眼を露にしたときと打って変わっての明確な拒絶。あからさまな豹変。
理由はわからない。でも、何か裏がある。それはわかる。
だからこそ
真実を闇のなかへと葬らせないためにも。
そして、
「変に勘繰るのは辞めてください! さっきから言っているでしょ、私が
「だからそうじゃないって! 信じてないんじゃない、信じてるんだって、お前のことを!」
売り言葉に買い言葉のように、
「たしかにお前のことはほとんど知らない。それでも、お前が人殺しをするような奴じゃないってことくらいちゃんとわかる」
「そう思いたければ、勝手に思っていればいい!」
そう言って、
柊でしてみせたように、
たちまち全身が衰弱していき、拘束しておくだけの力が失われる。そうして
酷くむせ、目に涙が浮かんですらいたが、それでも
ここで逃がしてはいけない。
まだ常態に戻らぬうちに、
颯爽と飛び出した
「お前は俺にすごくあたりが強いけど、本当はとっても優しい奴なんだってこと、俺は知ってるから」
「……やめ、て」
「だから絶対にお前は犯人じゃない。
「……やめてよ、もう」
よく見れば、全身が微かに震えているようだし、掠れた声には暗涙を匂わせるものがあった。
それでもかまわず続ける。畳みかける。
「でも、
「……もう、やめて、ってば」
「お前は贖罪か何かのつもりであいつの相手をしていたのかもしれない。けどな、そういうのは冒涜っていうんだよ。だからこそ、お前──」
「やめてって言ってるでしょっ!」
お前がそんなふうに犯人を演じる必要なんかないんだ──と、
「あ、
「もう何も言わないで、それ以上……お願い、だから」
依然として青白い顔をしたままでいる
何が
急に湧いてきた罪悪感に蝕まれているなか、
「……ダメだね、もう。どうしようもないや。あーあ、これで全部がパーになっちゃった。……きっと怒られるんだろうなぁ、すっごく」
「でも、もとはといえば、私が口を滑らせたせいだもんね。本当、あれだけ
「お、おにーちゃん? それって俺のことか?」
「え? ……あ。えっと、今のは気にしないで。つい勢いでそう言っちゃっただけだから」
流した涙を拭いながら、少し恥じらいながら、ごく小さな声で「言ってるそばからこれだもんなぁ、本当、反省反省」と謎に呟いている。
「どうしても知りたいんだよね?」
「あ、ああ。もちろん」
「最初に言っとくけど、絶対に後悔するよ。それでも知りたいの?」
「それでも構わない。教えてくれ」
その顔にはもう、涙はなかった。
これまでのように凛々しい目つきで、それでいて今しがたのように刺々しさはない。
「……わかった。いいよ。あの日、本当は何があったのか、説明するよりも先に見せてあげる」
「ん、見せる?」
「うん。この眼の力を使って、私の記憶をおに──じゃなくて、あなたの目から脳へと直接送り込むの」
瞬間、
対する
「……も、もしかして、これをするのが初めてとか言わないよな?」
「ナハハ、そう見えた? 大丈夫、そんなことないから。ただ……ちょっと、ね」
意味深な発言に不安が掻き立てられていると、
「そのね、トラウマなんだ」
「トラウマ?」
「うん。まあ、それについても、コレを見ればわかると思うよ。きっとね。……それじゃあ、いくよ?」
その言葉を皮切りに、瞳から妖艶な光が溢れだし、
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