第27話 禁じられた接触
もう少しで1階に着くが、階段を下りている最中、北東側の校庭のほうがやけに騒がしく感じた。きっと
南西側の昇降口にまで来ると、外はいつからか雪が舞い降り始めていたようで、すでに地面が若干の雪化粧を施されていた。いくつかの乱雑な足跡も薄っすらと残っていることからして、やはり南西に向かったのは間違いないなさそうだ。
ゆらゆらと雪が舞うなか、重役出勤よろしくゆっくりと校庭に出向いた
「……お前がやったのか」
「他に誰がいるっていうんだ」
見たところ、負傷している様子はない。
「それで、俺が到着するのを待ってたと?」
「まあな」
さっきから
なんというか、いい歳した中年の女が、妙にいきがっているような一丁前の態度をとっているのが気に入らない、というか気味が悪い──と、そう感じていたが、それはまったくの思い違いである。
「積もる前に、さっさと始めるか」
サンタを自分の
「そんなゆっくり詰めてないで、さっさとかかってきたらどうだ」
相変わらずの減らず口に、
とりあえず余計なことは考えまいと自分に言い聞かせ、そして触れるものを容赦なく麻痺させ熱する青白い火花を発生させながら、次に口を開いた瞬間に突撃しよう、と決めた。
同時に考える。
おそらくこいつは、自ら口を開くことはしない。だから、こちらから誘発させなければならない。
相手の発言をある程度誘発し、誘導する。それが教師の本質だ。そうでなければ授業が成立しない。こんなところで教師の経験が生きてくるとは皮肉なものだと感じながら、適当に言葉を繕った。
「どの口が言ってんだよ。さっきは尻尾を巻いて逃げ出したってのに。強がるんじゃねぇよ」
「何を言ってる。サンタ──」
瞬間、
一瞬で決まった──そう思ったが、ここで予想外な出来事が起こる。
拳が、目的地であるサンタの腹に向かうその途中でどうしてか、弾かれたように腕ごと後退してしまったのだ。まるで透明な棒か何かでおもいきり払いのけられたかのように。
その威力がまた強烈で、腕のみならず体ごと、後ずさりしてしまう。
「──が人前から逃げるのは、当たり前だろ」
一方で、サンタは何事もなかったように──事実、何事もなかったのだが、淡々と会話を続ける。
何かをしたような怪しい素振りは、少なくとも
……何が起こった?
殴る勢いを相殺されたどころか、そのまま体ごと吹き飛ばすほどの力。にもかかわらず、サンタは一歩も、指先ひとつとして動かしていなかった。他ならぬ自分の眼でそれを確認している。
皆目見当がつかない。だが、悠長に考察している場合でもない。再度、全身全霊を込めて、右拳を勢いよく送り込む。
だが、結果は変わらなかった。やはりサンタに触れることなく、先ほどと同じくらいの距離で腕が弾かれてしまう。
手がダメなら脚はどうか。
だが、無常にも結果は変わらないままだった。まるで透明なゴムの塊でも相手をしているかのように、直前でどういうわけか弾かれる。直撃しない。
「くそっ、何だ、何が起きてやがる」
「さっきも言っただろ。『お前の接触を許さない』って。その耳は飾りか」
「っ、またわけのわからないことを……」
一体何なんだ、この
それだけが
これまでの人生で一度たりとも遭遇しえなかったこの現象に、
通常ならば、ここまで知覚が遅れることもなかったし、仮に遅れてもむしろこれを好都合として、狙われた右脇腹に電気を集わせておけばいいと即座に判断できたことだろう。だが混乱した頭がそうさせてくれず、本能として攻撃を避けるという選択肢をした。
しかしそれでも特段問題はなかったはずだ。ちゃんと避けられてさえいれば。
どうしてか
遠心力の乗ったサンタの右脚と、それに迫り寄った
「がはっ!」と血を吐きながら地面を転がるも、腹を抑えながらよろよろと立ち上がると、我ながらなんて無様だと思いつつも質問した。せずにはいられなかった。
「くっ……お、お前の
それを聞いて、サンタは最初、何も答えなかった──が、
「お前、意外とバカだろ」
一言。そうとだけ呟いた。
余計な飾りが一切ないがゆえに、
怒りに身を任せて、
しかし、不可視の壁は
一方で、サンタは騒がしい火花に動じることもなく、左腕をゆっくりと伸ばし、手のひらを
触れてはいない。
「ある有名なボクサーの名言にこんなのがある。『もし俺を倒すなんて夢を見ているのなら、さっさと目を覚まして俺に謝ったほうがいい』ってな」
「で、お前はいつ目を覚ますんだ」
耳障りな台詞に耐えながらも体を起し、右手で左脇腹を抱え、目の前の敵を睨みつけながら、この袋小路のような状況について考えを巡らせた。
サンタが具体的に何をしているのか、未だにわからずじまいだ。しかしながら、体はすでに満身創痍であることに変わりはない。頼みの
どうすればいい? と思ったそのとき、
というのも、空からゆらゆらと力なく震え舞う雪の粒が、サンタの前にある不可視の壁をすり抜け、その体に付着していくのだ。
一見何でもないその現象がある閃きをもたらす。それは、『もしかして、防げるものと防げないものがあるのではないか』という発想だった。
「そんな状態で照準が合うのか」
悔しいが、言うとおりだった。
拳銃を握りはしているが、ただそれだけだ。軋む体が痛んでろくに的を狙えずにいるし、片手だけでは高威力の発砲の反動も十分には緩和できないだろう。ともすれば、狙い撃ちなど無理に等しい。
……どうする? 物は試しで撃ってみるか?
銃弾は6発分あるし、ストックだってある。1発くらい消費しても問題はない。ここで出し惜しみしていたんじゃ、これが有効手段だったかどうかもわからずじまいで終わってしまう。
いや待て。そもそも前提が間違っているかもしれない。はたしてこいつは、6発ともすべて使い切らせてくれるほど、そんなゆとりを与えてくれるほどに優しいのか?
そんなわけがない。仮にこれが有効手段だとする。ならば、1発は撃たせたとしても、直後に銃を回収したりして俺の無力化を図るだろう。俺ならそうする。
つまる話、1発だ。この1発こそが唯一無二のチャンス。
けれど、それを見事に命中させる自信は皆無だ。こいつはさっき、中央棟で銃弾を全てよけきってみせたじゃないか。そんな奴に今のこの状態の俺が命中させられるなんて、俺自身が想像できない。
接近戦はダメ。遠距離攻撃も無理に近い。……くそっ、他に何か武器はないのか。
とにかく、自分が弱っているところは見せてはならない。意地でも強がらなければならない。
今更ながら鼻から流れ落ちてきた血を左腕の裾で拭った。元々が黒い裾に血が染みこんで余計に黒くなるのを見て、ふらつきながらも立ち上がろうとした。
そこで、足元に小瓶が転がり落ちたのに気づいた。なかには真紅色をした不気味な液体が入っている。
何だこれは? と自問自答したと同時に思いだす。
小瓶の中味は、この決戦の前に
こんな物を使わなくても
体の痛みが跡形もなく消えていき、
右腕の震えが嘘のように消えて、
銃口の照準誤差が綺麗に消え、
そして──迷いが、消えた。
次の瞬間、重厚で鈍い音が辺りを覆った。
ここで初めてサンタはその場から動いた。今までよりも右に2メートルほどずれた位置にいるが、その左頬には、一筋の赤い線が刻み込まれていた。ついさっきまでなかったはずのものである。
命中こそしなかった。しかし
この1発の銃弾で確信したのだ。このサンタは銃弾を防げない、と。
そして脳のリミッターを強制的に外し、さらに体内のありとあらゆる栄養素から一時的に仮性筋肉を構築し、一時だけ人間が本来有する限界を遥かに超越した動きを可能にさせるよう肉体を『狂化』するものだった。実験結果では、最大で常時の5倍にまで身体能力が膨れ上がるとされている。
そんな劇薬には、当然ながら代償が存在する。後に何らかの機能障害を負ってしまうことになるのだ。どのような機能障害になるかは多種多様だが、その運命から逃れた実験結果は今のところ存在していない。
盲目とも尊い覚悟とも呼べるその行いが、結果的に、追い詰められた現状を打開する。
そのまま蹴りがサンタに見舞われる。しかし、
それを確認すると潔く肉弾戦を諦め、その体制から一瞬にして後方に、周囲を漂う雪を巻き込むようにして車輪の如く一回転しながら飛び退き着地する。と同時に1発、不可視の鉄壁をすり抜けるはずの鉛の礫を弾き飛ばした。
さっきと違い、サンタは中央棟で見せたように目にも止まらぬ速さで十二分に移動して、完全にそれを避けてみせる。だが、それでも
今までの痛みが消え去った解放感。
通常の何倍もの身体能力を得ている高揚感。臨場感。
なにより、今まで自分をコケにしてきたこいつを逆にコケにできているという優越感。愉快で仕方がない。
今の
ならば、銃弾とこの脚力でうまい具合に誘導すればいつかは仕留められる。
銃弾はまだ残っている。どうせ殺すならたっぷりと遊んでやろう。
狂ったような歓喜の叫びが白い校庭に響く。
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