第26話 きよしあの夜
胸が痛むのは、けして埃っぽい空気を吸ったせいではないだろう。
当惑が冷めやらぬなか、とりあえず言及せざるをえなかった。
たとえ震えた声になったとしても。
「お、お前、何やってんだよ、こんなところで。それに、そんな恰好までして」
黒服は返事をしない。
「どうしてお前が、銃なんか……」
黒服は返事をしない。
まるで石化の呪いでもかけられたように、微動だにしない。
「おい、なんとか言ってくれよ」
黒服は一向に返事をしない。
それが、もしかしたら人違いかもしれない、という一縷の望みを抱かせる。
だが、現実は残酷だった。
黒服は終始返事こそしなかった。けれど突然口元を緩めたと思ったら、どうしたことか愉快そうに、天井に向かって大声で高らかに笑いだしたのだ。もちろん、聞きなれたあの声で。
知らない一面。しかしこれは、知らないほうがよかったと言える部類に入るものだ。高ぶった心が瞬間冷凍されるほどに不気味で、肌に毛虫が這いつくばっているかのような悪寒に襲われる。
「……はぁ。あーすっきりした」
「み、
「
「ど、どうしてって」
「腕も足も、ちゃんと鎖でグルグル巻きにしておいたはずなんだけどな。縛りが緩かったのかな?」
「……あ?」
「
それがこの事態の異常さをより一層演出している。
「それで何の用なの? 今いいところなんだけど」
「い、いいところ?」
「うん、そうだよ。見ればわかるでしょ。殺すの。こいつを」
「だからさ、用がないなら……よいしょっと。さっさとどこかに行ってほしいんだよね」
そうして
まるで片手間で会話をしているかのように。
……これは、誰だ?
これが……これが本当の、
混乱する
そのまま、一瞥もくれないまま
「なんならさ、もう柊に帰ってもいいよ、別に」
「……なに?」
「だって、こうしてサンタをおびき出せた以上はもう
昼間の電話は、きっと
だからこそ、やるせなくなった。
この6年はなんだったのか。
ふたりの間に少なからず絆ができていたと思っていたのは、自分だけだったのか。
仮に信頼関係があったとしても、柊を退所してしまえばもうそんなものは消え去ってしまうのだろうか。しょせんその程度のものだったのだろうか、自分たちの繋がりは。
……そんなこと、信じない。
「帰れるわけ、ないだろ」
「ん? ああそっか。こんな時間じゃあもう電車も動いてないもんね」
「そういうことじゃない! わかってるだろ、ふざけるなよ!」
その声に威圧されてか、
「別にふざけてなんかいないよ。それともなに? まだ何か他に用があるわけ?」
「ないわけない」
「そう……でも、悪いけど、また今度にしてくれないかな。さっきも言ったように、今は取り込んでるんだ」
「何が取り込んでるだよ。単に人殺しをしようとしてるだけじゃないか」
「そうだね」
「だろ? じゃあ見過ごすわけにはいかない」
「なんで? 私は今朝、柊から出て行ったんだよ? じゃあもう
「関係なくなんかない! お前が柊から出て行ったとしても、どこに行こうとも、お前は俺の命の恩人で、大切な幼馴染だ! それは永遠に変わらない。いつまでも……いつまでもずっと、大切な人なんだよ! そんな人に、人殺しなんかしてほしくない! そう思うのは当然のことだろ?」
普段なら口にするだけでこそばゆくなりそうな台詞だったが、今はどうでもよかった。
それを聞いて、口を開いてからここまで饒舌だった
「でもごめんね。気持ちは嬉しいけど、ここは、ここだけは引けないな」
「どうして!」
「だって! ……大切な父親を殺した仇敵を、やっとの思いで捕まえたところなんだよ。それをみすみす見逃すなんてさ、そんなもったいないこと、できるわけない」
「…………は? 今、何て言った?」
「だから! 私の父さんは、こいつに殺されたんだってば!」
「な、何かの間違いじゃないのか?」
「ううん、そんなわけない。だってあの夜、私はこの目でちゃんと見たんだもん。こいつの素顔をね」
そこまで言うと
だがやはり着弾しない。強力な向かい風が銃弾ごと
風に煽られながら、
「お、おい! よせって」
「動かないで!」
前傾姿勢になった
たまらず、
「
「無駄だよ。私の言ったことが事実だってわかってるから、だからこいつも反論できないでいるんだよ」
「そうとも限らないじゃないか。わからないだろ」
「……なに? もしかして
「いや、そういうわけじゃない。ただ……」
だが
生意気だし、
昨日、
結局、何が正解なのか。
今ある材料だけでは判断できない。判断するには、せめてふたりの因縁を知る必要があった。
「教えてくれないか。何があったのかを」
「うん、それもそうだね。それじゃあ昔話でもしようか。私が柊に来る前に起こった、ある一家に訪れた悪夢の話を。もう柊の一員でもないわけだし、律儀に隠し続けておく必要もないし」
そうして
「昔々、あるところに、ひとりの少女がいました。少女には父親と兄がいましたが、母親はいませんでした。母親は少女を産み落とすと同時に亡くなってしまったからです。そんな事情からか、父親と兄は生まれてきた少女に精一杯の愛情を注いでくれました。ですが、少女にはそれが苦痛だったのです。母親の命を喰らってまでして生まれてきた少女は、父親と兄から母親を奪ってしまったことに罪悪感を抱きながら毎日を過ごしていきました。そんな少女に、幸せなど訪れるはずがありません。ある日、悪夢という罰が下されました。あれは──今からちょうど6年前のクリスマス・イブの日のことです。毎年クリスマスの日にはサンタクロースと呼ばれる盗賊団が大富豪の下へ現れ、世界に名だたる貴重な物品を強奪することで有名ですが、その年の生贄に、なんと少女の父親が選ばれてしまいました」
「……え? ろ、6年前?」
「幸か不幸か、少女の父親は、特殊な
「例によって例の如く、その年も
語るにつれて感情が高ぶったのか、気付けば
「バカな少女は! 6年前のあの日、悪名高いサンタクロースを一目見ようというちょっとした好奇心から、父親に内緒で、使われていない暖炉の奥にこっそりと隠れて様子を窺っていました! けれど、夜も遅かったために少女は待ちくたびれて暖炉で眠りについてしまいました! しばらくして、ぐっすりと眠りこけていた少女の耳に、大きな音が聞こえました! 眠りから覚めた少女は、そこで──そこで、あるものを目にしました。
話の流れからしてなんとなく予想はついたが、それでも
「父さんがね、物の見事に……ぐちゃぐちゃになってるところだった。そしてそのすぐそばに、少女と同じくらいの身丈をした、全身を白で装った少女がいました、とさ」
話すにつれて悲哀な感情が蘇ったのか、過激だった口調が逆にしおらしくなっていった。
今の話が本当かどうか、確認の意を込めて
そこに、「けれど」という
「少女の悪夢はまだ終わらなかった。いや、むしろそこから始まった。父親を亡くした少女とその兄は、そのあと莫大な遺産を半分ずつ相続することになりました。ですが、それを知った日本にいる親戚の連中は、今まで一切関わりを持っていなかったのにもかかわらず、相続した金欲しさにハイエナの如く兄妹に迫ってきました。結局、兄妹は別々に引取られることとなり、その日からそれぞれがそれぞれ地獄のような日々を送り始めました。少女の場合では……ゴミと罵られ、クズと蔑まれ、食料すらろくに与えられず、家のなかにいることすら許されず、背中に何度もタバコを押し付けられて完全には消えないほどの火傷を負い、そして……」
苦い過去を思い出したせいか、
「そしてある日、少女を引き取った親戚は、兄が、兄を引き取ったほうの親戚を惨殺して逃亡したという話を耳にしました。自分達も同じようになるのではと畏怖した親戚は、少女から全てを奪うと、とある養護施設に預けて姿を晦ましました。そうして少女は──
今の話で
「そして、つい最近になって、その復讐心が眼を覚ましてしまった。きっかけは、あの
「え、ガガブー?」
「だって!
今の言葉で合点がいった。
「それと時を同じくして、何の巡り会わせか、私は生き別れの兄さんに出逢った。すでに
「お前が今も身につけてる
そして
それでもやはり、風の結界は未だ突破できないでいる。しかし、その事実とは別に、
弾丸が尽きても構わずに続けた。
いくらかして弾倉が空になっていることに気づくと、荒ぶる呼吸を宥めながら、役に立たなくなった拳銃を
ただ、どうしてかそれだけは
「……何よ今の。まさか罪滅ぼしのつもり? 銃弾は防ぐくせに! ──ねえ
そうして、
拳銃を持たずに肉体での直接攻撃を繰り出したのは、たまたま近場に拳銃がなかったことが半分、怒りによる衝動的なものが半分といったところか。
だが、類に漏れず、踵が
もちろん
やがて、体育館が軋む音がそこら中から聞こえてきた。度重なる破壊ですでに耐久力が限りなく失われていたところへのこの暴風だ。そう遠くない未来に決壊は起こるだろう。
そこで風がやんだ。途端、天井から瓦礫がどんどん降ってくるようになった。今までは風力で壁際まで吹き飛ばされていたのだろうが、風がやんだことで、崩壊の進捗状況が顕著となったようだ。
それを
接近よりも先に
とはいえ、完全に拘束から解き放たれたわけではない。その体にまだ付着している糸がいくらか残っているし、その糸の先端に瓦礫が付着したままのものもある。それらを
結果、
だが、足を一歩踏み出した途端、眩暈を起こしたかのようにふらついた。
立っていられないほどの脱力感と倦怠感。頭も痛い。寒気もする。気づけば、傍の壁に手をついて寄り掛からなければ立っていられないほどになっていた。
もちろんそれもあるだろう。……けれど、おそらくは
そこに
この症状がでた時点ですでに危険信号を越えた状態だから気をつけろ──と、そう
たしかに今、形容しがたい不快感が全身を包んでいる。弱まってくれる気配もない。このぶんだと、さっきまで行えていた自分でも驚くほどの超常的な動きももう限界かもしれない。
これ以上は無理だ。後遺症が残ると兄も言っていた──けれど。
ここにきて、ここまできて、今更あとになど退けるわけもない。
今日この日のために、これまでのすべてを捨てたのだから。
残ったものといえば──。
朦朧とした意識のなかで飛び去って行くふたりの姿を見て、そして
すると不思議なこと、不快感の波が弱まっていった気がした。
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