第25話 蜘蛛の巣

 赤羽あかばねは、周囲を十分に警戒しながら倉庫を目指していた。

 さっきまで囚われていた場所に戻るというのも皮肉なものだが、ここは金鵄きんしに言われた通りにするのが最善だろう。



 十字の校舎は、そのまま東西南北を指し示している。その概念で説明すれば目指す倉庫は北西にあり、東棟の非常階段から降りてきた赤羽あかばねが今いるのは、北東の辺りだ。主に体育館とプール、テニスコートなどの運動系の設備が密集している。

 


 赤羽あかばねには南側から進むのと北側から進むのとで2種類の選択肢が用意されていたわけだが、大正門がある南西は一面グラウンドが広がっており、したがって身を隠すような場所は一切ない。万が一のことも考えると、体育館などがあって小回りの利く北側のほうが、物陰も多いし、臨機応変に対応できる気がする。そんな考えから北側を選択し、今は校舎とテニスコートの間をコソコソと進もうとしていたところだった。



 そうしていざ北側にまで来て、物音に気付く。

 まさかと思い、立ち止まって息を潜め、じっとしてみる。が、人の気配は感じなかった。

 しかし、物音はそれでもまだ、不定期ではあるが鳴りやんでいない。



 音源を辿っていくと、やがてそれが、目前に広がるテニスコートの、その奥──赤羽あかばねから見ておよそ100メートルは先にある体育館の、そのなかからではないかと思い至った。なぜなら、左右に伸びた体育館の上半分の窓ガラスから人工的な光が外に漏れていたからだ。

 それ以外には、見た限りテニスコートにもプールにも異変と呼べるようなものがない。



「ってことは、……誰かいる、のか?」



 そう独白した一瞬後のことである。体育館から突如として、アクション映画でしか聞くことのないような重苦しい爆発音が発生したのは。



 眺めていた上方の窓ガラスが一斉に痛快な音を立ててはじけ飛ぶように割れ、大小さまざまのガラス破片が外に向かって波のように揃って舞い散っていた。遅れて、内部で超重量の何かが落下したような、体の芯にまで響く鈍い音と振動が離れた赤羽あかばねにまで訪れる。



 さすがにガラス片が直接体に降り注いでくるようなことはなく、実質的な被害はなかったわけだが、目のまで突然、予想だにしない出来事が起こったことに面食らってしまったのは事実だ。胸のざわつきがなかなか収まってくれない。



 見れば、体育館はついさっきまで煌々としていたはずの明かりのおよそ左半分が死に絶え、さらにガラスを失くした窓枠からは爆発の余韻なのか白濁した煙が立ち上ってもいる。 

 そして、かすかに聞こえていた物音が、空気を引き裂くような甲高い音と銃声の不協和音となって、直に赤羽あかばねの耳にまで届くようになった。



 戦闘だと赤羽あかばねは瞬時に理解した。

 そして、つまりあのなかにはサンタの誰かと黒服がいる、という理解も連鎖した。



 なかにいるのが金鵄きんしではないことはたしかだ。となると、別のサンタということになる。 

 赤羽あかばねの頭に、自然とあの少女──霜月しもつきが浮かび上がる。もっとも、それ以外のメンバーを知らないからということが大きく起因しているわけだが。

 


 ……俺だって、あの子の力がどれほどのものか、その全貌とまではいかないけど、これまでいろいろあったせいでそれなりには把握している。それに、ああ見えてサンタのリーダーらしいし、そう簡単にやられもしないだろう、多分。

 でも、今の衝撃はかなり大きかったよな。

 もしかして……もしかしてだけど、まさかやられたりとかしてないよな?



 あれほど悪態をつかれ、憎しみすら覚えていた霜月しもつきのことがどうしてか心配になる。

 結局6年前と同じだと感じた。あのとき赤羽あかばね常盤ときわを憎んだりもしたが、心の根底ではそんなことを思ってもいなかった。最終的にはそのことに気づいた。それと同じだ。



 そもそも、これは赤羽あかばね葛城かつらぎに捕まったことで、ドジを踏んだせいで生まれた戦闘である。それで霜月しもつき金鵄きんしに何かあろうものなら、それこそ合わせる顔がない。



 金鵄きんしには、倉庫に向かえと言われた。

 この場にいても何もできないと、はっきりそう言われた。

 事実、それには反論の余地がない。

 同じサンタの血脈であるのに、逃げることしかできない。それが赤羽あかばねだ。

 けれど、気付いたら体育館に向かって足が動いていた。

 


 距離を詰めていくうちに、もう一度爆発が起こった。

 しかし、衝撃はそれほどでもなく体育館の側面に数箇所存在する両開きの簡易扉のうちのひとつが、外に膨れるようにわずかに形を変えた程度だった。

 先ほどの衝撃を味わってしまった手前、この程度ではもはや驚きに値しない。歩みは止まらない。

 気付けば形を変えた扉の傍に近寄っていた。ひっそりと身を寄せて、こっそりと隙間から扉の向こうの世界を拝見してみる。

 そこで赤羽あかばねは絶句した。



 普段から見慣れているはずの体育館の内部は、一言で言えば全体的に白かった。



 暗がりのなか、埃や銃火器の硝煙のせいなのか、空気がやや濁って見える。ただそれとは別に、白くて細い繊維状の何かが、天井や四方の側面いっぱいに網目状に張り巡らされているのだ。赤羽あかばねが今顔を寄せている扉の裏側にもおそらく張り付いているのだろう。この扉がここに収まり続けているのは、もしかしたらこの白い物体にささえられているおかげなのかもしれない。



よくよく見れば、繊維の至る所に多種多様な銃火器がまるで蜘蛛の巣にかかった獲物のように不気味に固定されているのがわかった。

 端的に言って、それは巨大な蜘蛛の巣を思わせる光景だった。



 まさに戦場そのものだが、しかしそれでもやはり異常だった。

 この限られた空間で、一体どんな戦いが繰り広げられているのか。

 視界の左にあるあの朽ち果てた物体は、普段は天井と平行になるよう収納されているバスケットゴールの成れの果てだろう。もしかしたらさっきの衝撃はあれが落下したことによるものかもしれない。

 この戦場を間近で観戦していた結果があのざまだ。末恐ろしい。



 畏怖の念すら沸くなか、体育館の中央辺りから、全方位へと拡散するようにして強烈な風の波が発生した。濁った空気が壁にまで追いやられ、やがてガラスのない窓枠やそれぞれの扉の隙間などを通じて外に排出されていく。その荒々しい波を赤羽あかばねも肌で感じた。

 おかげで視界が明瞭になり、今の波の震源地にサンタの白い恰好と白いニット帽を被った人物──霜月しもつき飛鳥あすかがいることが確認できた。宙に浮かんでいることがその人本人であることを物語っている。


 

 やはりあの子だったか、と思っていると、今度は逆風が襲ってきた。まるで霜月しもつきに群がるように風が吹き荒れ、やがて吸い寄せられた空気は渦を描きながら細い線のように密集し、そこから床と天井へと伸びた気流の両の先端がすぼまっていき、徐々に球体を形どっていく。やがてそれは、よくよく見慣れた、半透明の膜のような風の結界へと変貌した。



 比較的高い位置にいるはずの霜月しもつきが、斜め上に顔を向ける。

 それを眼で追うと、その先には、先端に綿の付いていない黒のニット帽に、マジックミラーのように黒いレンズをはめ込んだゴーグル、そして漆黒色をした禍々しい装いの、サンタとはまさに対照的な身なりの人物がいた。もちろん黒服のひとりだろう。

 ただ真に着目すべき点は、その黒服の尋常ならざる身のこなしだった。



 まず黒服は、1丁だけで3キログラムはある奇怪な形状の短機関銃FN―P90をその両手に携えながら、目にも留まらぬ速さで体育館を縦横無尽に駆けずり回っているのだ。

 それだけでも目を見張るに値するのだが、黒服は体育館の側面の、網目状の繊維が張り付いていない部分を足掛かりにして、速度を殺さぬまま壁走りをやってのけている。



 非常識な動きを見せ続ける黒服は、やがて壁から勢いよく飛び立ち、乱舞しながら、霜月しもつきの展開させている球状の風の結界に対して、手当たり次第に防弾繊維を貫通するほどの威力の銃弾を集中豪雨の如くを浴びせ始めた。

 霜月しもつきは防戦一方と言わんばかりに、反撃に出ない。



 しかし、P90はあくまで短機関銃だ。機関銃と比べれば一度に装填できる銃弾の数はたかが知れている。よって銃弾を空にするのにそう時間はかからない。黒服が着地するよりも先に、両手から銃声が止んだ。



 すると黒服は何を思ったのか、落下しながらも弾切れした機関銃を順に足元へと手放した。そうしてまずひとつを右足の甲で激しく蹴り飛ばすとその反動で体を時計回りに回転。そのまま今度は右足の踵でもうひとつを回し蹴りの要領で蹴り飛ばしてみせる。



 射出され順に迫り来る2丁の短機関銃だが、風の結界が銃弾を寄せ付けない以上、霜月しもつきまで届く可能性は低い。案の定、風の結界を突破するには至らなかった。風の結界と接触したと思われるあたりで、少し上に跳ね飛ばされた。



 飛来してきた勢いを相殺されてそのまま落下するだろう──と見込んだ赤羽あかばねだったが、その予想に反し、2丁は急に息を吹き返したようにグルグルと宙を踊り始めた。霜月しもつきの周囲を惑星のように何周もし、しかも徐々にその速度が増していっている。

 そうしてもはや霜月しもつきの周りに黒い輪があるとしか思えなくなったあたりで、それらが黒服目掛けて連射された。



 十分な遠心力を孕んだ2丁は、黒服が蹴り飛ばしたときよりも断然速度が上がっていた。

 だが、それを今度は黒服が利用してみせる。



 すでに着地していた黒服は、どういうわけか返戻されてきたことになぜか一笑したように赤羽あかばねには見えた。



 何食わぬ顔で2丁の接近を右に避けて軽やかにかわしてみせると、そのまま体を右回りに反転させながら、左右の手からそれぞれ糸状の何かを4本ずつと飛ばし、去っていく2丁ともしっかりと捕獲する。

 そしてそのまま流れるようにしてさらに反転。霜月しもつきに正面を向けた黒服は、両腕の筋力と左右の糸の張力によって2丁を横殴りの槌として仕立て上げ、さらに霜月しもつきに振るい返したのだ。



 高速回転する風の結界と金属でできP90の接触点から、火花を散らし互いに互いを虐めあうような音が零れる。

 とはいえ、一度振るってしまえば威力を追加できない槌に対して常に威力の増減が見込める風の結界が突破できるはずもない。いくらかして霜月しもつきに軍配が上がり、P90は今度こそ弾き飛ばされ、体育館の壁にめり込んだ。



 P90と黒服は糸でつながっている。ということは、弾け飛んだP90につられて黒服も引っ張られる形になるのでは?

 そうと気づいたときには、黒服が今や全くの見当違いの場所──さっき足場にした壁と向かいの壁を駆け上がっていたことに。



 壁にめり込んだそれぞれの機関銃を見てみると、あの糸が未だに付着したまま垂れている。おそらくは直前で手元から切り離したのだろう。

 そうして黒服は2階とも呼べる通路部分にまで登りきると一度足を止め、近くの繊維に括りつけられた新しい銃火器を右手に構えた。



 次に黒服が手にしていたのは『FN F2000』というアサルト・ライフルだ。

 連射型ライフルでありながらグレネードランチャーも搭載しているという、臨機応変な戦闘を可能にする銃火器である。しかもグレネードランチャーはレーザー照準器と小型コンピューターが織り成す『ファイアコントロールシステム』により、みっつあるランプがオールグリーンにさえなればあとはもう引き金を引くだけ。コンピューターが計算した放物線に沿って飛んでいくという、純朴な破壊者になり得る。

 黒服はそれを構え、絶え間なく動きながら装填された5・56ミリ弾計30発を一気に打ち込む。その間およそ2秒。そしておまけと言わんばかりにグレネードランチャーも発射した。



 この距離感ではもちろん霜月しもつきも直撃は免れなかったが、そこまでの過剰攻撃をもってしても風の結界は突破できなかったようだ。

 先の反省か、黒服はアサルトライフル自体を霜月しもつきに投げつけることはしなかった。役目を終えた道具を適当に放ると繊維に括られた銃火器のからまた次を選ぶためか駆け出す。



「……な、なんなんだよ、これは」



 サンタが盗賊である以上、きっと同業者や裏の世界にいる何かしらの組織とのいざこざはあるだろうし、互いに邪魔し合ったり潰し合ったりすることもなかにはあるだろう──と、そこまでは赤羽あかばねでもなんとなく想像できた。

 でもそれは、あくまで想像でしかなかった。



 いくらサンタの異能があるといっても、自分にこんなことができるとは思えない。

 こんな命の綱渡りのような状況で、一瞬でも油断すれば死んでしまうような状況で、平静を保つことなんかできない。

 こんなことを霜月しもつき金鵄きんしは、幼い頃からしてきたのか。

 もしかしたら、今からでもサンタになれるかもしれない。自分の秘密を知ってからというもの、そんな淡い期待を密かに思い描いていた赤羽あかばねだったが、自分には無理だとここで十分に悟った。



 そうこうしているうちに、黒服の次の一手が始まろうとしていた。



 両手に何も携えないまま目にも留まらぬ速さで床から壁へと駆け上がると、そこからありえない跳躍力で一気に天井付近まで飛び跳ねる。その先を目で追ってみると、巨大な筒らしき物体があった。

 両手でそれに掴まると、そのまま筒を軸にして鉄棒でもしているかのように足を上に送り込み、倒立状態になる。とはいえ両足を伸ばす余裕はない。実際には腹部に折りたたむようにしてしまい込んでいるようだ。そこから両膝を一気に伸ばし、霜月しもつきへとまっすぐ射出するように落下して迫った。どうやら足の裏でしっかりと天井を捉えていたらしい。

 


 そうして黒服自身が風の結界に接触する、まさにその直前。

 黒服は引き連れていた巨大な筒──筒には天井の繊維が張り付いたままで、強引にそれごと引き連れたようだ。おかげで天井の網が引きはがれそうになっている──を構え、とてつもない威力の衝撃と壮大な黒煙とそれに伴う爆音を生み出す塊を、結界ごと霜月しもつきの至近距離からぶちまけた。



 黒服の発射したものの威力があまりにも壮絶で、体を沿わせている扉の隙間から溢れる熱を孕んだ物凄い暴風に、赤羽あかばねは扉ごと吹き飛び、ふんぞり返ってしまう。



 尻餅をついた状態で顔をあげると扉がなくなったことで、戦場が物の見事に丸見えになっていた。横を見れば、他の扉のいくらかが同様に外へと吹っ飛んでいた。



 再三にわたって白濁した視界も、体育館が穴だらけで通気性が高まっていることもあり、すぐに明瞭になった。



 目に見える範囲だけで、木材を張り付けていた壁がボロボロに崩れ落ちている。心なしか天井がさっきまでよりも低くなっている気がする。度重なる戦禍により、もう天井を支えるだけの力が失われているのかもしれない。自然倒壊も時間の問題だろう。

 そして、そんな崩れかけの中心に霜月しもつきの姿が見えた。



 おそらくは爆発で結界ごと床に叩きつけられたのだろう。宙に浮いてはおらず、肩で息をしながら、片膝立ちで、床に手をついている。

 よく見れば、床の木材が半球状に少し抉れていた。風の結界をあてつけられたことによる擦過傷だろう。ただ、それをなした風の結界自体は今、完全に消え去っていた。



 赤羽あかばねから霜月しもつきがよく見えるようになったということは、その逆も然りである。

 視界の片隅に映ったのか、顔がふと赤羽あかばねに向けられる。



「っ! お、おに──」



 そのわずか一瞬。

 対峙している黒服から赤羽あかばねへと注意を向けてしまった、束の間の一瞬。

 霜月しもつきの周辺に、いくつかの塊が宙から転がってきた。

 霜月しもつきがそれに眼をやったときには時すでに遅く、それぞれの塊から不気味な閃光が漏れだす。

 たちまち火炎と黒煙の凄艶な様子が再来した。



「あ……飛鳥あすかぁっ!」



 突風を叩きつけられながらも、赤羽あかばねは腕を顔の前に用意して、どうにかその場に踏みとどまりながら、気付いたときにはその名を叫んでいた。



 今までと違って、黒い煙がなかなか晴れてくれない。

 今までは霜月しもつきが風を操作していたのかもしれない。だから早々に換気がなされていたのかもしれない。それだけに、そうならないでいることで、余計に不安を掻き立てられていた。あんな瞬間を見てしまっては、まさかという気持ちがどうしても払拭できない。



 だが、少しして霜月しもつきが黒煙の一端を引き連れて飛びだしてきた。

 それを見て一安心するも、すぐに赤羽あかばねの表情が固まる。

 霜月しもつきが、大小さまざまな真紅の染みができている右腕を、左手で抱えていたのだ。

 


 そこに、黒服のさらなる魔の手が迫る。

 飛び退いた霜月しもつきを追うようにして、ほぼ同じ軌道で黒服が飛びだしてきた。



 そのままあっという間に霜月しもつきの目前にまで迫ると、霜月しもつきが風の結界を用意するよりも先に、滞空状態で回し蹴りを送り込んだ。



 それが見事に命中し、霜月しもつきは体育館の上半分にある、ついさっきまでガラス張りだった、今はもう格子しか残っていないその一角に打ち付けられた。もちろんそこにも元々糸は張り巡らされていて、そして頑丈なことに、これまでの戦禍に見舞われてもまだ残存していた。



 つまり霜月しもつきは今、蜘蛛の巣に張り付いた状態になったわけだが、未だ滞空状態にあった黒服がそこに追い打ちをかける。



 黒服はそのまま交差するように両腕を振るった。すると不思議なことに、親指を除く両手の計8本の指先から白くて細い繊維が紡がれ、そのすべてが乱雑に霜月しもつきに命中し、全身を糸まみれにした。



「あれ、って……まさか、超紡績シルク・ロード?」



 数日前、クラスメイトの金銀連花が自慢げに披露していた、つい最近世に出回り始めたばかりの、蜘蛛の遺伝子を元とした、人差し指から糸を紡ぎだすことを可能とした超心理アンプサイ──それが超紡績シルク・ロードである。



 だがおかしい。この黒服は人差し指どころか8指から糸を紡いでいる。これもまた葛城かつらぎのように法に抵触したものなのだろうか。

 ともかく、その糸の効能はすさまじいようで、あの霜月しもつきが歯を食いしばりながらひたすらもがくも、糸は柔軟に伸縮するだけで断ち切れたり壁や体からはがれたりする気配がまったく見られない。



 一方で黒服は、回転しながら首尾よく着地すると、右脚のホルスターに収まっていた『ファイブセブン』という自動式拳銃を右手に携え、捕らえた獲物に向けると、そのままゆっくりと歩み寄る。



「この状況でよそ見をするなんて、えらく余裕ね」



 ……え?

 赤羽あかばねは我が耳を疑った。聴覚がおかしい。



「それとも何? よそ見したぐらいで、私にやられるはずがないとでも思ってたの?」



 黒服は霜月しもつきの足元近くにまで来ると、銃口をサッと構えて一発、何の容赦もなく銃弾を送り込んだ。

 だが、霜月しもつきはその状態でもサンタの力を発揮できたようで、音が起こるほど強力な向かい風を発生させて被弾を免れてみせた。



「……ふうん。体の自由を奪ったからって、その変な力が使えないってわけじゃないのね……まあいいや。それなら当たるまで撃つ。ただそれだけのことだし。たとえそれが何千発だろうと、何万発だろうとね」



 赤羽あかばねの聴覚がなぜか、さっきからおかしい。

 なぜこの黒服の声が、よりにもよっての声に聞こえるのだろうか。

 絶対におかしい。



 黒服は再度霜月しもつきに照準を合わせる。そして今、まさに右人差し指を引き金にかけようとしたところで、それを遮るように、赤羽あかばねはありったけの力を込めて大声で叫んだ。



「やめろみやびっ!」



 聞き間違いだと思った。

 聞き間違いだと、そう思いたかった。

 でも、そんなことあるはずがない。

 何年もそばで聞いて、鼓膜に、脳に、心に焼きつけたその人の声を、間違えるはずがない。



 赤羽あかばねの声は、崩壊しかかっている体育館を嫌というほど木霊する。

 黒服は、引き金に指をかけたまま固まっていた。

 そして、その状態を保ったまま、ゆっくりと、顔だけを赤羽あかばねに向ける。

 そして赤羽あかばねを正面から捉えると、その手からファイブセブンが転がり落ちた。



「……なん、で?」



 黒服の──常盤ときわみやびのその言葉を最後に、ありとあらゆるものが分を弁えて静まり返る。

 あたかも、ふたりの辛い対当を哀れみ、同情するかのように。

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