第4章 辛い対当
第23話 かじかんだこころ
日付が変わる、その少し前。
盗賊団・サンタクロースのひとりであり、そしてそのリーダーでもあるニコラスこと
白いジャージに白いニット帽、それに首のチョーカー、そして両の目を覆い隠すほどに大きめのゴーグル。どれもこれもサンタが盗賊として活動するときの正装──『
その左隣には、
「おい。いつもよりだいぶ速くないか」
『ドンナー』の名を冠するその人物も、もちろん
「もう少し速度を落とせって。こんなところで無駄に力を使うな」
「そんな悠長なこと、言ってられないもん」
「
「それとも、お前が心配しているのは──あいつが、
「落ち着けって。杞憂だ、そんなのは」
「わかってるよ」
「そうは見えないけどな。今のお前は、どう考えても
「わかってるってば!」
そこで
ゴーグルで顔の半分が覆われているせいで、たしかな表情はうかがえない。けれど、今にも泣きだしそうに感じられるリーダーのそんな声を聞いてしまえば、『ドンナー』が一抹の不安を覚えるのも仕方のないことだろう。
しばしの静寂が訪れ、それから少しして、空を翔けるその速度が自然と控えめになっていった。
「……ごめん。嘘ついてた。私、やっぱり頭に血が上ってたみたい」
「気にするな。俺だって本当はお前と同じだ」
「うん。もう大丈夫だから」
そうしてまた静寂が続いたが、ふたりのあいだに先ほどのような気まずさはもうなかった。
柊やニコラス学園がサンタクロースと繋がっている、と気付かれたことにではない。
『ベツレヘムの星』というものまで用意し、常備し、徹底して情報漏えいを防いできたのに、その努力が泡になって消えたことにでもない。
それは、単純に、
とはいえ、
わかっていたのに、事前に防ぐこともできず、結果的に捕らわれてしまった。それが
何がいけなかったのか。
もしも昨日、無事に指輪の奪還を達成できていれば。
もしもニコラス学園の地下にあるあの部屋に、あの人をずっと閉じ込めてさえおければ。
もしもあの夜、あの人が指輪さえ落とさなければ。
どれもこれももう終わった話だ。今更そんなことを言っても詮無いことに変わりはない。けれど、それでもやはり考えてしまう。
もしもあの人が、あの廃墟に現れさえしなかったら。
もしも
もしもあの夜、あの路地裏であの人と出会いさえしなかったら。
そのまま
この状況下、回想せずにはいられなかった。
もしも──もしも今、あの夜に戻ることができたら。やり直せたら。
そうしたら今、きっとこんな気持ちにはなっていなかっただろうに。
あの人に、あんな態度を取らなくて済んだのに。あんな酷いことを言わなくて済んだのに。
あの夜に生まれた激しい後悔ととめどない妄想が、これまでずっと
大きく息を吸って、吐き出した。頭のなかのモヤモヤしたものも一緒に追い出すように。
今はもう、何も考えてはいけない。何も考えずに、自分たちを待ち構えている障害に全力で挑むしかない。もう二度と後悔しないためにも……。
そう自分に言い聞かせると
「そろそろ着くよ。準備はいい?」
『ドンナー』に確認を取りながら、
「問題ない」
すると、『ドンナー』の声が、低く野太い女性の声色に変化していた。
「じゃあ最後に確認ね。私が正面から突っ込んで、奴らの注意を引いておく」
返答する
それぞれの喉元に位置するベルが今、声帯に対して特殊な振動を与え、声色を変えているのだ。ようは身元がバレないようにするための小型の変声機である。『ジングル・ベル』と呼ばれているそれは、サンタ専用の通信機器である『ベツレヘムの星』と肩を並べる、サンタクロースの七つ道具のうちのひとつだった。
「その隙に、俺はあいつを救出して安全なところまで避難させる。それが完遂したら
「うん。何か質問は?」
「ないな」
「オッケー。それじゃあ──降りるよ」
今宵の段取りをかいつまんで再確認し終えると、
流星のごとく地上へ迫っていくと、いくらもしないうちにニコラス学園の輪郭である『田』の字が見えてきた。
「どのあたりがいい? 希望とかある?」
「特にない。俺たちを呼び出すくらいだ、どこも一緒だろ、きっと」
その会話から10秒と経たないうちに、ふたりは十字の屋上の一端に舞い降りた。
サンタクロースは空を飛ぶ。これはもはや世界の常識のひとつとされているわけだが、そのせいもあってか、屋上には合計で8名の見張り役がいた。黒の装いと、狙撃用のライフル銃を構えているところが共通していて、サンタクロースを発見しやすくするためか、散り散りになっている。
しかし、その事実にふたりは微塵も心を動かされたりはしない。
対して、まさか頭上からやってくるとは思っていなかったのか、ふたりに気付いた黒服はたったひとりだけだった。突然の出現に狼狽したらしく、仲間を呼ぶよりも先に2発、闇雲に引き金を引いてきた。
無力化された銃弾はむなしく足元に転げ落ちた。黒服も強風の余波に煽られて尻餅をつき、そのままの姿で口をあんぐりと開けている。
近場で銃声が沸いたうえに豪快な風の余波だ、さすがに他の7人も7人がみな
「それじゃあ、がんばってね」
「お前もな」
「……頼んだよ」
「任せろ」
それを機に、
残された『ドンナー』の背中に、黒服のひとりが「動くなっ!」と声をぶつける。
7人の黒服は、十字の屋上の中央で、退路を断ち切るように横一列になっている。最初のひとりもすでに体勢を立て直してその列に加わっていた。
向けられた8つの銃口。それらの延長線上に今、標的がいる。
だがそれは、あくまで一瞬のあいだだけのことでしかなかった。
次の瞬間、『ドンナー』は、まさに湯煙の如く黒服らの視界から完全に消失してしまったのだ。
別に目を離したわけでもない。それなのに急にいなくなってしまった。
あまりのことに黒服らから動揺が沸き立つ。
その片隅で、屋上に出入りするための唯一のドアが、若干開かれている状態で、風に煽られて音を立てていた。
こうして何の喧騒も起こらないままの屋上とは対照的に、校庭からは、夥しいほどの銃声が一斉に合唱を始めていた。
こうして開戦の火蓋は唐突に切って落とされた。
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