第21話 絡みあった心火

 ■多重螺旋遺伝子進化理論マルチプル・ヘリックス・ジーン・レボリューション・セオリー



 この世界には、数多の生物が存在し、共存している。

 生命が誕生した最初こそ種という概念はなかったはずが、長い年月の経過によって幾重にも分岐し、それぞれ独自の進化を繰り広げ、姿形から生息する環境や食物、はては繁殖の仕方までもが多種多様に変化した。当然、人類もその範疇に入る。

 しかしながら、如何様な生物も、原則として未だに『死』を免れた進化をしたものはいない。

 では、どうすれば生物から『死』は消え去るのだろうか。 

 そこで誕生したのが『多重螺旋遺伝子進化理論』である。



(第1段階)

 人間も、それ以外の生命も、肉体は同じ原子でできている。

 違うのは、それぞれの体を構成するその設計図、つまり遺伝子情報である。

 重要なのは、各々の差別化を如実にしているその固有特性の遺伝子を突き止めることだ。

 よって、まずはありとあらゆる生命の遺伝子情報を採取・解析することを主眼とする。

 


(第2段階)

 第1段階の成果をもとに、進化前と進化後の種の遺伝子を比較する。

 それにより、進化を誘発する遺伝的要因の有無について一応の結論を見出さなければならない。

 存在するのであれば、追究すればいい。

 存在しないのであれば、創造すればいい。

 道のりは果てしなく、そして険しい。



(第3段階)

 第2段階を終えたのであれば、発想の次元をひとつあげなければならない。

 遺伝子の書き換えは、後天的にも可能であるのか。

 そしてその効果は発現するのか。

 ──これらの技術が確立したあかつきには、人類の進化の可能性がそう遠くない未来にまで迫ってきたことの証明となる。

 人類の歴史が一変する、その瞬間は近づいている。



(第4段階)

 次に必要なのは、全く別の系統の生命間の遺伝子へと書き換えが可能なのか、ということだ。

 遺伝子の書き換えだけで後天的に犬から鳥は作れるのか。逆に鳥から犬は作れるのか。

 生命の歴史を冒涜する、禁断の領域である。



(第5段階)

 第4段階を終えれば、あとはそれを人に対して行うだけである。

 特定の人間から、遺伝子操作のみで全くの別人を創れるのか。

 人でないものから人は作れるのか。逆に人から人でないものは作れるのか。

 人のまま、部分的に人でないものへと変貌することは可能なのか。

 いまさら倫理も何もない。



(第6段階)

 ここまで来ると、もはや新種の生命を誕生させることなど容易でしかない。

 ならば、特定の能力を持たせることを主眼に置いての遺伝子設計をすることは可能なのか。

 世界に架空の生物が溢れかえる日は遠くない。



(第7段階)

動物の固有特性遺伝子を人体で再現する技術。

 架空の生物を無から創造する技術。

 それらが両立し、二重螺旋のように絡み合ったとき、人はついに『真の異能』を手にする。

 現存する生物の異能すらも超越した、これまで架空とされた異能を手にすることになる。



(第8段階)

 第7段階の時点で、人類が進化する礎はすでに用意されたと言える。 

 さすれば人は、不死鳥の生成すらも成し遂げられるはずである。

 そして、人の世から『死』は死滅し、不死の到来が約束されるであろう。

 それこそが、人類の目指す進化の到達点である。



 ***



「あー、手が痛い。ったく、なんでこんなものが課題になってるんだか」



 赤羽あかばねは、教師陣から課せられた『多重螺旋遺伝子進化理論を冒頭から正確に書き写せ』という生物の課題に取り掛かっていて、それが今ちょうど終わったところだった。



 瑠璃るりは数時間前から外出している。

 なんでも、昨夜サンタがキングキャッスルに潜入したのだが、予想に反して指輪の奪還ができなかったようだ。

 といっても、あと一歩のところで奪還に失敗したとか、あまつさえ黒服の連中に捕まったとか、そういうことではない。指輪に内蔵されている発信器からの信号の受信に不備があったらしく、そのせいでいざ行動を起こすそのときに的確な位置が割りだせなかったらしい。つまり、所有者がその瞬間にどこにいるのかがわからなかったのだ。



 よって指輪奪還は急遽一時的中断となり、その翌日に瑠璃るりが受信機の不調を確認・修繕するためにサンタの上層部より呼び出された、というのがことの顛末である。

 瑠璃るりは予めそれらの内容を紙に書き記していて、赤羽あかばねに一読させると、すぐさまその紙を奪い取り、燃やして、それから外出したのだった。



 ということで今、柊には赤羽あかばねと子どもたちしかいない。

 普段ならいつでも賑やかな喧騒が聞こえてくるのだが、今日は朝からそれがない。理由は明らかだ。

 


課題をする上ではいいことだが、不思議と今、それが逆に集中力を削ぐことになっている。

 もっとも、朝は朝で常盤ときわの件が明らかになったときには騒がしかったが。

 


 ひとつ課題を終えたことで区切りがついたので、一息入れながら壁に掛けられた時計を見る。

 短針がもうすぐ12時を指し示そうとしていた。かれこれ2時間近く取り組んでいることになる。

 とはいっても、中身などまったく頭に入っていない。

 別のことが頭を埋め尽くしているのだ。入ってくる余地がなかった。



 常盤ときわが急にいなくったという話がいまだに受け入れられない。

 油断をすればすぐそのことを考えてしまう。今だって正直なところ、書き写している最中の半分は常盤ときわのことを考えていたくらいだ。

 たしかにいつか柊を退所するという話は聞いてはいたけれど、だからといって納得できるものでもない。



 何故急にいなくなってしまったのか。

 どうして何も言ってくれなかったのか。

 昨夜の、あの切ない時間が、今となっては愛おしくてたまらない。あのときにはそんな素振りは一切なかったのに。

 あんなことがあっただけに、より一層の寂しさが到来しているといってもいいくらいだった。



 当然ながら何度も電話をかけてみた。だが一向に出てくれない。

 これもまた当然のことかもしれないと思って、10回を超えたところでやがて諦めた。

 この様子だと、冬休み明けにはもうニコラス学園も退学している運びになっていてもおかしくない気がする。

 つまり、もう2度と会えないのかもしれない気がする。



 結局のところ、自分たちの繋がりとはその程度のものだったのか。

 強い絆とか、すべて自分だけの思いこみだったのか。ただのひとりよがりだったのか。

 気分が悪い。というか、心が痛い。ため息もこれで何度目かわかったものではない。



 集中力が完全に切れたことで、適当に終わらせた課題を横にして、そのまま机に多い被るように上半身を曲げた。右頬を机に付けた状態で、両腕も伸ばしている。

 脱力しきっていた。体も、心も。 



 視線の先には、常盤ときわから貰った携帯電話がある。それを見つめていて、思った。

 結局、何にもお返しできなかったな──と。

 電話のことだけじゃない。出会ってからこれまでいろいろと迷惑をかけてきたことについてだ。 

 小さくない喪失感と少なくない罪悪感が、それぞれの目から今にも零れ落ちそうになっていた。 


 

 そんなときだった。

 霞んだ視界の中心にあった携帯電話が突然、息を吹き返したように鳴りだしたのは。

 


 まさかと思い手に取って見る。画面に表示された『常盤ときわみやび』の名前を見て、思わず息を飲んだ。

 一瞬、自分の願望が見せる幻影か何かかとも思ったが、たしかに音は鳴り響いている。

 逡巡している場合ではない。上体を起こしてすぐに出ようとする──が、どうしてなのか、指が震えていた。

 そのまま、指が動いてくれない。あとはボタンを押すだけなのに。

 自分でも何が起きているのかよくわからないでいるうちに、着信音は途絶えてしまった。 



 ……どうして動かなかったんだ? 今はこうして動くくせに。

 ……いや、本当はさっきだって動かせたんだ。でもそうしようしなかった。なんとなく。

 なんとなく、電話に出るのが怖いと思ったんだ。

 どうしてそう思ったのか、それは今でもわからない。

 今まで数えきれないほど話してきたっていうのに。怖いはずがないのに。怖いわけがないのに。

 さっきまであんなにあいつと話したいって、あんなに思っていたのに。

 


 自分のとった行動に理解が追い付かず、暗礁し、やがて後悔の津波に身を任せ、飲まれていく。

 しかしそのとき、溺れかかった赤羽あかばねに光が射しこんできた。

 もう一度着信があったのだ。

 


「……み、みやびか」

『……うん』



 それは、紛れもなく常盤ときわの声だった。

 当然のようにあれこれと問いただしたい衝動に駆られる。だが不思議なことに、それが口をついて出ることはなかった。



 せっかく電話をかけてきてくれたのにこちらから質問を浴びせかければろくに話もできないまま切られてしまうかもしれない、という可能性を考量したわけでもない。かといって、変に強がっているわけでもない。

 ここで気づいた。やっぱり怖がっていたということに。



 常盤ときわが怖いのではない。

 常盤ときわが去ったことで、これ以上自分が傷つくのが怖かったのだ。

 いろいろと話を聞いてしまうことで、もう執拗に傷つきたくなかったのだ。



 だから、「もう体調は良くなったのか」と、気付けば自分でもよくわからないことを口走っていた。

 それが意外だったようで、常盤ときわも『え、あ……うん、もう大丈夫』と、次第に声が小さくなっていく。



「そっか。よかったな」

「………………」

「どうしたんだ。急に黙って」

『その……何でかな、と思って』

「何でって、何が」

『だから、何で何も聞いてこないの、ってこと。さすがにもう瑠璃るりさんから聞いて知ってるんでしょ。私が柊から出て行ったってこと』

「ああ。ビックリしたよ」

『じゃあ何で?』



 まさか常盤ときわのほうから『何で質問してこないのか』という質問が来ようとは思ってもみなかったので、答えに窮する。

 それを感じ取ったのか、常盤ときわが萎れた声で謝ってくる。



『ごめん。私のほうから勝手にいなくなったっていうのにね。こんなことを言える立場じゃないのに』

「いいって。お前にもいろいろと事情があるんだろうしさ。それで、何の用だったんだ?」

『うん。実はね、色々と考えたんだけど……私ね、ニコラス学園も退学することにしたの』



 案の定というか、嫌な予感が的中した。体の芯が熱くなる。



「やっぱり。そうだと思ったよ」

「驚かないんだ」

「そんな気はしていたんだ。お前が柊からいなくなったって聞いたときからな。で?」

『それで、急遽、寮の部屋の掃除をしなくちゃいけなくなったんだけど、さ。その……悪いんだけど、手伝ってもらえないかな。片づけるの』



 常盤ときわはえらく申し訳なさそうな声で懇願する。



「なんだ、そんなことか。別にいいけど。で、いつ手伝えに行けばいいんだ?」

『これから来れない?』

「これから?」

『やっぱりダメ?』

「ダメっていうか……でも、今からだと、どんなに急いでも寮に着くのは15時くらいになるぞ? そんな時間に行ってもあんまり意味がないっていうか。夜までに片付くのか、それ? 明日とかのほうがいい気もするけど」



 常盤ときわがいなくなったのは今朝のことだ。仮にその足で寮へと向かい、今までひとりで片づけをしていたとして、そこに赤羽あかばねが夕方近くに合流したところで、今日中にすべてが片付くとは到底思えない。



『それは大丈夫。片づけるのが目的じゃないから』

「というと?」

りょうくんにね、部屋にあるもののなかから、柊に何か持ち帰って行ってもらいたいなと思って』

「ああ、そういうことか。でもそれだったらみんなで──」



 柊のみんなで向かったほうがいろいろと都合がいいのでは? とも思ったが、常盤ときわがみんなと別れの挨拶をしていない以上、それは愚案でしかない。



『何?』

「いや、何でもない。わかった、それじゃあ今から向かうよ。お前は今、寮の部屋にいるのか?」

『うん』

「それじゃあ、直接お前の部屋に向かえばいい?」

『うん。ごめんね、りょうくん』

「だから昨日も言っただろ。こういうときはごめんじゃなくって、ありがとうって言うんだって」

『……そうだったね』

「それじゃあ、後でな」

『うん、待ってる』



 通話が途絶えてから、赤羽あかばねは少しのあいだ放心していた。

 柊を去って、そしてニコラス学園からも去ったとなると、必然的に自分との繋がりも希薄、もしくは絶無となるに違いない。

 もはや、赤の他人だ。



 いまさら『好きだ』と伝えることすら許されない相手。

 そんな相手にこれから逢いに行くことの虚しさ。

 今度こそ避けられない、完全な別離が待ち構えていることの辛さ。 

 自分の大事なものを奪いさった葛城かつらぎを憎んでいないと言えば嘘になる。

 そして、奪われたと被害者面している自分がとても醜く、そしてみじめに感じられた。

 


 こんなふうに負の感情が燃えたぎった状態では、春香はるかたちに当たり散らしてしまうかもしれない。そんなみっともない真似だけはどうしてもしたくなかった。

 そう考えた赤羽あかばねは、机に広がった勉強道具一式を片付けてさっさと外出することにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る