第20話 霜焼けした願望

  常盤ときわの部屋に辿り着くと、子どもたち3人がなかで待っていた。言いつけ通り布団が用意してあったので、分担して常盤ときわを布団に寝かせつけた。



「じゃあ俺たちは行くけど、夕飯になったら起こしに来るから、それまではちゃんと寝てろよ」

「うん。あの」

「ん、どうした?」

「その……さっき和室にいた子って、誰?」

「ああ、なんか柊の資金提供者──の娘なんだってさ。な?」



 赤羽あかばねの問いかけに、「うん、そうだけど」と春香はるかが答え、「もしかしてお兄ちゃんたち、飛鳥あすかちゃんのこと、知らないの?」と叶多かなたが答え、共に不思議そうにしている。



「ふうん、そんな子がいたんだ。でも、何の用だったの?」

「えっと、その──クリスマスプレゼントってことで、春香はるかたちにお菓子持って来たんだってさ。いくらか日にちがズレてるはいけど」



 嘘と本当を半分ずつ混ぜ合わせて急造した話だったが、ここに子どもたちがいたことが図らずとも功を為し、話に真実味を与えてくれていた。

 常盤ときわも納得したのか、もしくはもう疲労が限界だったのか、「そう」とだけ言って布団をかぶった。



 そろって常盤ときわの部屋を出てから子どもたちと別れて、トイレに置きっぱなしのタオルやらコップやらの後始末をし、和室へと向かったのはその後のことだった。



 あれからふたりの姿を見てはいない。ということは、まだあそこにいるということになる。

 そうして和室の一歩手前まで来たところで、襖が勝手に開いた。

 続けざま、少女が部屋から顔を出してくる。ただ、その表情がさっきまでとは違う。心なしか、薄っすら血の気が引いているようにも見える。



「ど、どうかしたのか」



 赤羽あかばねの声に気づくと、少女は「いえ、別に」と、視線を明後日の方向に逸らせた。

 そして、少女に続くようにして現れた、茶碗やらを載せたお盆を持った瑠璃るりに話しかけられる。

 


「どうだった? みやびの様子は」

「結構やばかったよ。ひとりじゃ立てないくらいだったし。一応部屋で寝かせておいたけど」

「そう」

「ところでさ、だけど、あれで終わり、ってことでいいの?」

「いいんじゃない。だいたいのことは話し終わってたし。それに、飛鳥あすかもまだこれからが残っているしね」



『仕事』というのが、常盤ときわが現れる直前まで話していた、キングキャッスルを再度、秘密裏に襲撃することを指しているのはさすがに想像が及んだ。



「んじゃ、あたしはあの子たちと先に夕飯の仕度を始めてるから、お前は飛鳥あすかの見送りに行ってきな」

「いいですよ、見送りだなんて」

「いいのいいの、お前は一応客なんだし。それじゃあ頼んだわよ」



 ふたりに有無を言わせる暇もなく、瑠璃るりは台所へと引っ込んでいった。

 


「……じゃあ、行くか」

「玄関までで結構ですから」



 接着剤の役割を果たしていた瑠璃るりがいなくなったことで、残されたふたりのあいだによそよそしさがぶり返していた。そのうえ、横に並んでもいない。足早な少女を赤羽あかばねが追いかけるようなかたちになっている。



「っていうか、車で来たんだよな、瑠璃るりさんと一緒に。それじゃあどうやって帰るつもりなんだ、こんな山奥から」



 それとなく話しかけてみたが、少女は見向きもしない。



「……やっぱり、だよな?」



 赤羽あかばねは明言を避け、天に向かって指をさした。これならば注意を引くし、禁句も言ってないから窒息させられることもないだろう。

 予想通り、少女はそれを横目でチラと見てきた。だが視線を戻してすぐに「わかっているならわざわざ聞かないでください」と、これまた悪態をついてくる。



 赤羽あかばねが少女と同族であるということが判明した。なのに、いつの間にか出来上がっていた溝は一向に埋まる気配がない。

 というかそもそも、どうして溝ができてしまっているのか。それがいろいろと知識を得た赤羽あかばねにしてみても、未だに判然としないでいた。余計にもどかしくも感じる。

  


「なあ、どうしてそう俺を邪険にするんだよ。俺、君に何かしたか?」 



 だからこそ、迂回した表現でなく、愚直に問いかけてみた。

 するとどうしたことか、少女が足を止めてみせた。真摯な気持ちが少しは伝わったのかもしれない。

 赤羽あかばねも足を止めて、少し距離を置いて様子をうかがってみる。すると少女は振り向きもせず、こんな言葉を返してきた。



「何もしていないですよ。



 それはとても簡素で、しかしそのまま嚥下はできない、あまりに不可解な表現だった。



 言葉の裏に隠された真意を掴もうと頭を回転させている傍ら、少女はさっさと先に進んでいく。その背中に「おい、今のってどういう意味だよ?」と直接尋ねるが、少女はもはやこれ以上何も言うつもりはないらしく、立ち止まることも振り返ることもしなかった。



 そのまま玄関まで辿り着いて、追いかけてきた困惑顔の赤羽あかばねがさらなる問いかけするが、すべて聞き流しながらせっせと靴を履いていく。

 そうして靴を履き終わり、直立したときだった。少女が、赤羽あかばねのその背後にある何かに視線向けたまま固まったのは。



 そうと気づいて振り向いてみて、驚愕する。なぜならそこには、あれほどまで活力を失っていた常盤ときわが、壁に寄りかかるようにしてゆっくりと、玄関口にまで歩み寄ってきていたからだ。



「な──どうしたんだよお前」

「うん、ちょっとその子に用があって。はい、これ。忘れ物よ」



 差しだされたのは、大量のお菓子を詰め込んでいたあの白い包だった。もっとも、今は中身を失って萎れた花のようになっているが。



「なんでお前がこれを?」

りょうくんが出ていったあとに、あの子たちがまた部屋に押し寄せて来たの。それでみんなでお菓子を分けていたんだけど、なんとなくこの包みを返したほうがいい気がして。それに、なんの挨拶もしてなかったでしょ? だから一応挨拶しておこうと思って。はい、これ」



 常盤ときわが差しだしてきた包みを、少女はしばらくじっと見つめてから「ありがとうございます」と機械的に謝辞を口にした。



「私の名前は、常盤ときわみやび。あなたは?」

「……飛鳥あすかです」

「そう。よろしく」

「こちらこそ。……すみませんが、これから用事があるので、私はこれで失礼します。では」



 少女は頭を下げると、赤羽あかばねを置いてすぐに、ひとりでいそいそと外に出て行ってしまった。

 瑠璃るりにああ言われてしまった手前、追いかけざるをえない。赤羽あかばねは「あ、おい、ちょっと! ──みやび、今度こそ大人しく部屋で寝てろよ」と注意して、靴を履きかけのまま、そしてドアを開けっぱなしのまま、慌てて外に出た。

 常盤ときわは「うん」と教科書通りの返事をしたはいたが、ふたりが去っていったあとを少しのあいだ眺めていた。 



 少女は柊の裏にある渓流方面へと、風に流されるように移動していた。

 その背中に「ちょっと待てって」と呼びかけるが、距離もだいぶ離れているせいで聞こえていないのか、立ち止まる気配は一向にない。



 やむなく履きかけの靴をきちんと履きなおす。その最中、チャポッという音が川のほうから聞こえた。あの少女が石か何かを投げたのだろうか?



 遅れて向かってみると、追いかけていた背中がある場所で動きを止めていた。そこは、ただ立っているだけでもわずかな水飛沫を浴びてしまうような川岸の、大岩が連なっているそのうちのひとつだった。



 ゆっくりと近づいて行くと、しだいに少女が渓流に向かってぶつぶつと何かつぶやいているのが聞こえてくる。

 もちろん他に人はいない。どういう意図でそんなことをしているのかわからなかったが、最後、「──だから、覚悟しておいてください」と言い放ったのがどうにか聞き取れた。



「何を覚悟するんだ?」

「……ついてきたんですか。見送りは玄関まででいいと言ったはずですけど」



 少女は顔をわずかだけ翻して一瞥すると、再び赤羽あかばねに後頭部を向けた。

 途端、無風状態であった周囲の空気がまるで命を宿したかのように暴れまわり、辺りを搔き乱していった。反射的に腕を顔の前に持ってきてしまうくらいの奔流だ。



 そうして冬の夕暮れの冷気が不規則に襲いかかってくるなかで、赤羽あかばねは見た。少女の周囲にあの、半透明な膜のようなものが形成されているのが。

 どうやらこのまま飛び立つらしい。別れの言葉も述べぬまま。



「あ、待って。ちょっと待ってくれって!」



 赤羽あかばねのその声で、その場が瞬時に凪の状態に戻った。普段からやかましい渓流の音が、今は余計にうるさく感じられる。



 少女はこれ見よがしな溜息をしてみせてから振り向き、嫌嫌な様子で「……まだ何か? それとも、さっきの続きですか?」と口にした。

 もちろんさっきの続きも聞きたかったが、少女の様子からしてそれを教えるつもりが皆無なのはわかりきっている。だからいっそのこと溝ができてしまった原因追及は諦めて、逆に今ある溝を少しでも埋めよられないかと考えた。



「その、さ。俺たちも自己紹介がまだだったよな」

「自己紹介?」

「そう。君は俺のことを知ってたのかもしれないけど、俺はそうじゃなかったし。一応名乗っておくけど、俺は赤羽あかばねりょうっていうんだ」

「……知ってますよ。それで?」

「あ、えっと、君は霜月しもつき飛鳥あすかっていうんだろ?」

「……だから何です?」

「へ? いや、だからその、なんていうか……俺も飛鳥あすかって呼んでもいいかな、って思って。ほら、俺も一応は柊の関係者だしさ。っていうか俺たち、一応はなわけじゃん?」


 

 赤羽あかばねは、これといって変なことを言ったつもりはない。禁句もなかったはずだ。

 けれども、今の発言を受けた途端、まるで地雷を踏んだように少女の表情がみるみる歪んでいった。目つきがさらに険しくなり、血が滲みそうなくらいにまで下唇を噛んでもいる。それに伴ってなのか、そばで乱気流が発生したかのように再び冷気が暴れ始めた。

 


「耳障りだからやめてくださいっ! 2度と私のことを飛鳥あすかって呼ばないでっ!」



 何がそうさせたのかはわからない。

 もちろん、容認されない可能性も考えてはいた。

 だが、その咆哮は、態度は、赤羽あかばねの想像をはるかに越えたものだった。

 明確すぎるほどの拒絶だった。




 赤羽あかばねが呆気にとられているなか、少女は先ほどの透明の膜のようなものを再生させて、頭ひとつぶん大岩から浮かび上がった。そのまま投げ捨てるように「……失礼しました。私のほうが、もう2度とあなたの前には顔を見せないように注意します。ではさよなら」と一方的に言い残すと、一瞬にして姿が確認できなくなるほどにまで上空へと去っていった。



 ひとり取り残された赤羽あかばねは、そのまま星が煌く夜空を見つめながら黙々と考える。



 なんでここまで毛嫌いされているのだろうか。

 さっきの『あなたは何もしていない』とは、結局どういう意味だったのか。



 理由を追求していくうちに、やがてひとつの可能性が思い浮かんだ。

 


 もしかしたら少女は、『赤羽あかばねがサンタの力を持っているのにサンタの一員ではない』ことに対して激しい怒りを覚えているのかもしれない。



 瑠璃るりの言葉を借りれば、サンタの力を宿した者は、物心ついたときから厳しい訓練に明け暮れる。拒むことも許されず、ただただ鍛錬を重ねる毎日。少女だって例外ではなかったという。

 しかし、それらを一切せずに今日まで生きてきたのが赤羽あかばねである。



 もしかしたらあの少女も、内心ではサンタになりたかったわけではないのかもしれない。

 もっと別の何かになりたかったのかもしれない。

 けれど、それは叶わぬ夢でしかなかった。サンタとして生まれた以上は。



 一方で、サンタとしての義務を放棄し、その叶わぬ夢を果たし、今ものうのうと一般人のそれと同じように安穏として生きているのが赤羽あかばねだ。いわば、霜月しもつきの夢を具現化した存在こそが赤羽あかばねなのだ。少女にしてみれば、そんな存在を許せるはずがない。



 そう考えると、今までさんざん受けてきた、目の敵にするようなあの態度もわからなくもない。もはや赤羽あかばねの存在自体が忌避の対象でしかないのだ。

 それに、春香はるか叶多かなたが少女を知っていて赤羽あかばねが知らないでいたことにもそれなりに納得がいく説明ができる。単に赤羽あかばねがいない時期を見計らって柊を訪れていたということだ。

 それくらい、少女は赤羽あかばねを憎んでいる。



 ただ、それには赤羽あかばねにも赤羽あかばねなりの異論がある。

 少女が好きでサンタになったわけではないのと同じように、赤羽あかばねだって、好きでサンタを放棄したわけではない。



 なにも赤羽あかばねが自ら決めたことじゃない。赤羽あかばねの母親が勝手にそう決めただけで、そういう意味では、いわば赤羽あかばねも被害者なのだ。そういったこちら側の事情もある程度は斟酌してほしいところである。

 つまりは──ないものねだりといったところか。お互いに。



「でも、いいじゃんか……名前くらいさ」



 あの少女がああである以上、他のメンバーも少女と似たような心情である可能性は否定できない。ともすれば、今からでもサンタに加入したいという赤羽あかばねの密かな願望はこの時点ですでに潰えるしかなかった。



 少し時間をかけて傷ついた気持ちを一新させてから柊へと戻ると、みんなと一緒に夕飯の準備に取り掛かった。 

 やがて夕飯の用意が整い、約束どおり常盤ときわを呼びに行ったのだが、常盤ときわは姿を見せようとはしなかった。



 ***



 翌日になって、赤羽あかばねが目を覚ますと、柊の中は混乱が訪れていた。

 常盤ときわがいなくなっていたのだ。



 昨夜のこともあった手前、誘拐の線を即座に考えた赤羽あかばねだったが、それを瑠璃るりがきっぱりと否定する。

 なんと常盤ときわは、まだ日も出ていない早朝に、正規の手続きを経て、柊を退所していたらしい。

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