第13話 想い人の想い人
教師たちからの慈悲も容赦も手加減もない指導との死闘は、1時間近くにもおよんだ。
長い議論のすえに、
嘲る口調で「やってこなかったら留年決定だから」と軽く言い放った学年主任のウインク交じりの笑顔が逆に狂気を感じさせた。これを疎かにしようものなら、今度こそ本当に、本当の本当に留年になってしまうだろう。
説教中、頭の片隅で、これはむしろ学校に来ないほうが良かったのでは? と半分以上本気で考えていたりもしたが、もはや後の祭りである。
そうして断罪を終えたのち、うなだれつつ、置きっぱなしの教科書を回収しに教室へと向かった。
今日は終業日で、今は最後の予鈴から1時間も経っている。そのため、もうすでに校舎内は閑散としていた。
だから当然、自分の教室にまだ誰かが残っているなど露ほども考えがおよばなかった。前扉を普通に、ため息交じりにスライドさせた。
そこで
教室内には
ふたりの視線に介在する緊迫感と警戒心。鈍感な
つまりは──この
静寂のなか、
「あ、
「……いや、あの、えっと」
「ちょっと待て。そういえばお前、そもそも今日、登校していなかったんじゃなかったか。それになんだ、そんな恰好で来たりして。もしかして今まで寝ていたんじゃないだろうな」
「その、これにはちょっと、深い──っていうか、込み入った不快な事情がありまして」
頭をかきながら口だけで適当に謝罪しつつも、内心では目の当たりにしたこの光景に意識の全てが奪われていた。
「まあいい。で? 職員室にはちゃんと行ったんだろうな」
「それはもう。ほら、見てくださいよ、これ。みんなとは別に、俺だけ冬休みの課題が追加でこんなにあるんですよ」
「何言ってんだ、それで今までの報いがチャラになるなら安いもんだろうが。さて、それじゃあ俺は職員室に戻るとするか」
取ってつけたように言って、
その結果、
視線がぶつかり合う。が、
ただ、大量の課題を持ったままでいることに純粋に腕が疲れたこともあって、頭が再起動するのに時間はかからなかった。とりあえず自分の席に着いて、机をあさりだした。
至近距離からの視線に射られながらも、無視を決め込む。顔を向けない。
やがて、「ねえ、
「今日はなんで遅刻したの? 何かあった?」
「なんで、って言われても。別にしたくてしたわけじゃないんだけどさ」
「……寝坊したわけでもないんでしょ? 私、何度も電話してみたもん。なのに出てくれなかったし。途中で繋がらなくなったりもしたから、何かあったんじゃないかってすごく心配したんだから。もしかして、どこかに行ったりしてたとか?」
単純に自分のことを心配してくれているだけなのに、それを素直に受け止められず、ついつい天邪鬼な態度をとってしまう自分。大人げない。
一度リセットする意味で、
「ごめん、その話はあとでちゃんとするからさ、とにかく今は、柊に帰る準備をしようぜ」
「……うん、それもそうだね」
そうしてふたりは、互いの詮索を後回しにして教室をでた。
「今からなら、早ければ夕方くらいには着くかな」
「そうだね。楽しみだなー、みんなに会えるの。夏以来だもんね。それにしても──あれから新しい子が増えていなければいいね」
「だな」
柊は養護施設だ。そこに子供が増えることはつまり、それ相応の不幸がたしかに存在したことを意味する。
柊に属するふたりはそうと理解する。
「まあなんにせよ、普段面倒見てやれないぶん、たくさん遊んでやろうな。なにせ2週間しかいられないんだし」
「うん。でも
「わかってるって。それにしても、いざ帰ろうって日にこんなに荷物が増えるとはな。まったく、持って帰るだけで一苦労だよ。いや、教科書も持って帰んなきゃいけないから二苦労か」
「ねえ。念のための確認なんだけど、身支度は済んでるってことでいいんだよね?」
「え? あ、あーっと、まあ、その」
「……さては何もしてないんでしょ」
上目づかいで覗き込んできた
「わかった、それじゃあ私も手伝うよ」
「そうしてくれると──いや、それはダメだ」
「え、なんで?」
「それは、えっと」
目覚ましが壊れたことがバレかねないから、だなんて言えるはずもない。
「自分でやるからさ、
「私はとっくに終わってるもん。やっぱり手伝うって」
「大丈夫だよ、どうせ2週間後には戻ってくるわけだし、必要最低限まとめればいいだけなんだから。そんなに時間はかからないって」
「じゃあ、どれくらいかかりそう?」
「まあ、1時間くらいみてくれればなんとか」
「そっか。じゃあそれまで出かけてても大丈夫? 柊に買って帰るお土産、もう少し見ておきたかったんだよね」
「え? お土産って、昨日一緒に見て回って用意したじゃん。まだ何か買うつもりなのか?」
「うん、ちょっと理由があってね。とにかく、その辺のお店に行ってるから、準備ができたら電話して」
「ああ、わか──あ、ちょっと待ってくれ。ごめん、電話は無理だ」
「え、なんで?」
「俺のケータイ、その……いろいろあって、壊れちゃったんだよね。ホラ」
「……え。ええっ? 何これ? 何? どうしてこんなふうになっちゃったの?」
「まあ、なんていうか、その」
結論としては『自分の尻で潰した』ことになるのだが、それまでにあった紆余曲折がどうにも説明しづらい。
「昨日みんなでキングキャッスルに見物に行ってたんでしょ? もしかしてそのときに落としたとか?」
「うーん、まあ、広く解釈すれば一応そういうことになるのかな?」
「何それ。よくわかんないんだけど……あ」
「ん、どうした?」
「ううん、何でもない。そういうことなら、それじゃあ14時に大正門の前に、ってことでどうかな」
「わかった。それまでにはなんとか間に合わせるよ」
「本当に?」
「何だよその目は。さては信じてないんだろ」
「まさか。でも、もしも遅れたりしたら置いてっちゃうからね」
「ははん。そういうお前こそ遅れるなよ」
「うわ。
ここで
***
約束の14時になった。
珍しく時間を守ることができた
ニコラス学園は本日をもって2学期を終了し、明日からは冬季休業期間となるのだが、そのあいだ、生徒も教師も例外なく実家に帰ることになる。
というわけで、
大正門の脇に備えつけられている時計を確認してみる。やはりどう見ても14時だ。
「遅いな。一体何をやってるんだ、
それなりの時間を冬の外気にあてられながら過ごしたせいか、くしゃみと一緒に鼻から鼻水が顔をだす。
昨夜、あの少女と空を飛んだせいで風邪でも引いたのかな、とポケットティッシュで鼻をかんでいると、「
「遅れちゃってごめんね。寒かったでしょ」
「気にするなって。いつもは立場が逆なんだしさ。でも珍しいよな、お前が遅れるなんて。何かあったのか?」
「うんとね、これを探し回ってたの。ほら」
「これって、もしかして」
「うん。いろいろ回ってみたんだけど、どこも売り切れだったから、見つけるのに苦労してね。予想以上に時間がかかっちゃった」
それは、つい先月に発売されたばかりの、最新モデルの携帯電話だった。
そして
「……まさか、俺のために?」
「だって、あそこまで壊れたらもう、修理どころじゃすまないもん。新しいのを買っちゃったほうがいいでしょ」
「そうは言うけどさ、いくらだよ、これ?」
「いいじゃん別に、そんなの。クリスマスプレゼントってことで」
ささいなことのように言ってのける
「クリスマスプレゼント? いや、いつもはそんなものを貰ったりしてないじゃん」
「そうだけど、なんていうか、今年はちょっと特別っていうか」
今年は特別。
「よくわからないけど、せっかくこうして用意してもらったんだし、受け取らないほうが悪いか」
「そうだよもう。最初から素直に受け取ればいいのにさ」
「いや、なんていうか、正直……さっきクリスマスプレゼントって言ってたじゃん。となると、俺からもお前に、これに釣り合うくらいのプレゼントを用意しないといけなくなるなー、とか、そのための軍資金とかどうしようかなー、とか思ってさ」
「ああ、そういうこと。でも気にしなくていいよ」
「というと?」
「私には何も用意しなくていい、ってこと」
「いや、そういうのはクリスマスプレゼントって言わないんじゃ? それに、このままだと、俺が
「たしかにね。でも、それでいいの」
「いいって……何か理由があるのか?」
「一応ね。でも話すと長くなるだろうし、続きは電車でしよう。ほら、とりあえず開けてみてよ」
とりあえず促されるままに袋から箱を取りだし、その中身を手に取ってみた。
それは、今まで
もちろん、大切な人からプレゼントされた、ということが最高のスパイスとなっているのだが。
けれど、
嬉しいのに、もう手放しでは喜べない。いっそ、悲しみすら覚えてしまう。
携帯電話を握る手に、少し力が入る。
「本当にありがとうな、
「あ、うん。それじゃあ部屋に戻って荷物を持ってくるから、またもうちょっとだけ待ってて。
「ああ」
「課題のプリント、ちゃんと持った?」
「持った」
「教科書も?」
「もちろん」
「ロッカーに置いてあるぶんも?」
「え、ロッカー? ……あ、そっか」
常日頃から
何故あのときに気づかなかったのかと振り返ってみたが、あのときの
「やっぱり取ってきたほうがいいと思う?」
「うーん、課題の難易度にもよるんじゃない? ちょっと見せて」
課題プリントの中身をペラペラとめくっていく
「結構難しめだよこれ。やっぱりロッカーのも取ってきたほうがいいと思うけど」
「えー、またあそこまで取りに行くのかよ」
「それは仕方ないじゃん。自分のせい。自業自得でしょ」
「でも、これ以上荷物が多くなるのはちょっとなぁ」
「それじゃあ私が持つのを手伝うから」
「っていうか、いつもみたいに
「本当はそうしたいところだけど、ごめんね、今回ばかりは手伝えそうにないんだ。バイトが結構入っちゃってて」
「バイトって……え、休み中もバイトに行くのか?」
「年末年始が繁忙期だから」
「いや、でも……まさか、柊からバイト先まで毎回往復するとか言わないよな?」
「まさか。さすがにそんな面倒なことはしないって。それはともかく──課題プリントの話に戻るけど、さては
「え? えっと……はい」
「やっぱり。まったく、
「……ああ、そういえばあったあった、そんなこと」
「うわ。本当に忘れてたんだ」
「ってことは──しょうがない、やっぱり持って帰るしかないってことか。じゃあ今から急いで取ってくるから、そのあいだに
「うん、わかった」
すでに鍵がかけられていた大正門だったが、その横の入口を馴染みの守衛に事情を話して開けてもらう。そうして全速力で駆け抜け、教室についたころには、例によって息絶え絶えとなっていた。
ロッカーは廊下に設置されている。鍵は元々用意されておらず、必要とあらば生徒が個々人で用意することとなっているが、基本的に教科書とかをしまい込んでいるだけなので、大半の生徒は鍵を付けていない。もちろん
教科書を根こそぎ持ちだして、肘で戸を閉める。そしてそのまま立ち去ろうとして──開けっ放しの前扉の前を通ったときに、ふと視界に、人影が写り込んだ。立ち止まって来た道を戻る。
教室にいたのは、廃墟に入っていったところから一切の行方がわからなくなっていた
自席に座っていて、もう学校はとっくに終わっているはずなのに、2時間前にここに来たときにはいなかったはずなのに、
そんな亀のように静かな
「まさか、今頃登校してきたってわけじゃないよな」
「そうじゃないって。教科書を置きっ放しにしていたもんだから、取りに来たんだよ。そういうお前は何をしているんだ? もうとっくに学校終わってるのに」
「お前と同じだ。本を置き忘れたことを思い出してな。それで取りに来たわけだが、気づいたら席に座って読んでた。他意はない」
「気づいたら読んでたって……本当、本の虫だよなぁ、
「まさか。そんなはずはない」
そうとだけ言うと、音のない時間が流れた。
ただし、
「そっか、じゃあ俺の勘違いだったのかもな。悪い。それじゃあ俺、もう行くから。じゃあな──っと、そうだそうだ。
「ああ」
するとしばらくして、教室から僅かに話し声がしてきた。
聞くつもりはなかったが今はそれ以外の音が一切なく、つい耳に入ってきてしまう。
「──はい、──じゃあ俺は──はい──」
その声からして
独り言ではなさそうだから、これはおそらく携帯電話かなにかで離れた相手と会話しているのだろう。
これ以上聞き耳を立てるような失礼なことはしないほうがいいと思い、構わず歩を進める。そして階段を下ろうとしたとき、ちょっと待てよ? と、
「あれ?
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