第12話 悪寒のする旋律
左手の氷を融かしてから破壊したドアを開けてみると、その向こうにすぐ、さらにもうひとつのドアが現れた。
二段構えのセキュリティとはさすがに予想外だった。またしてもドアノブを融かそうと右手を構えたところで、目前のドアは破壊したそれとは違って、
普通に鍵を外し、ドアを開くと、今度こそ別の空間が広がっていた。
待ち受けていたのは、左右に長く伸びた、ほの暗い道だった。
奥の壁までは2メートルくらいしかなく、その中央にある手すりのようなものによって道は手前と奥とに大きく二分化されている。
見た限り、水位は高くない。右から左へと穏やかに流れる水の音が、断続的に通路内に反響していた。
どこかの下水道にでも出くわしたのか? とも思ったが、汚水にありがちな異臭はしなかった。しかもよく見ると、半円状の天井にはさっきまでいたあの部屋と同じ仕様の照明が、残念ながら点灯はされていないが、天井の中央辺りに、通路の伸びる方向に沿って等間隔で埋め込まれているのが見てうっすらと取れた。単純な下水道にしては妙に凝った内装だ。
手すりや照明の存在に気づけたのは、通路の左側の先に、一寸の光があったからだ。それが射し込んで、
逆に、右側は深淵だった。
そして、やはりと言うべきか、あの少女の姿はどこにもなかった。
問題なのは、さっきの騒ぎに気付いて、少女がここに接近してきているかどうかだ。
監視カメラがどこかしらにあるのであれば、当然ながらドアを融かしたその瞬間もきちんととらえられていしまっているだろう。だとすれば、それを目にした本人または別の者が少女に報告なりして、すぐにこちらに引き返している可能性もあり得る。
こうして佇んでいても何も始まらない。とにかく足を動かさなければ。
左右を見比べて、まずは通路の終わりが目に見えてわかっている左側へ進んでみることにした。
徐々に光が拡大していき、そこまであと数十メートルといったところで、ゴールの先には何本もの鉄柵が縦にはめ込まれているのが視認できた。
期待薄ながらも一応目と鼻の距離にまで歩み寄ってみたが、案の定、人の出入りは難しそうだった。頭は通っても肩幅でつっかえてしまいそうだ。
一緒になってここまで辿り着いた水たちは
仮に鉄柵を壊したところで、ここから先はもう歩ける地面がなく、川が広がっているだけだからだ。
泳げばすむことだが、着衣のまま冬の川に浸かるのは得策とはいえない。後々のことを考えると、軽率な行動は避けるべきでだろう。それに、まだ反対方向の探索も済んでいない。もしかしたらそちらから脱出できるかもしれないわけだし、ここから出るのは最後の手段として残しておくべきだろう。
一応の収穫もあった。
柵の向こう側には太陽の光を浴びた自然豊かな世界が広がっていたのだ。つまり、今が日中であることがこれでわかった。
もっとも、ここが日本であるかどうかはまた別の話だが。
結論が出たところで振り返り、日光に晒された景色を背にして、今度はその身をゆっくりと闇に染めていった。
水路の流れに逆らいながら進み、さっきまでいた部屋のドアをも素通りしてからそのまま手すりを頼りに5分ほど進んだところで、
水路はその先にもまだ伸び続いているようだが、手すりと同じようなものが正面にも現れたのだ。何も知らずに進んでいた
おぼろげに正面に現れたものを触っていくうちに、それと手すりが同一のものであることがわかった。つまり、手すりが直角に右に曲がっていたことになる。
そうとわかると、そのまま左手は手すりに、右手は胸の前に突き出してゆっくりと進んでみた。すると、当然のように壁の連なりであろうと思っていたそこに壁がないのがわかった。
手すりは、壁のなくなっている空間の奥へと続いていた。今やそれだけが頼りだ。これがなければ完全に方向感覚が狂ってしまう。
そして、これがあったから転ばずに済んだ。急に足元に段差のような障害が現れたのだ。
全貌がまったくもって確認できないが、どうやら階段が待ち受けてたらしい。
当然のことながら、どのような階段なのか、そしてどのくらい続いているのか、一切わからない。
ここで一度、
部屋を出て左の先にあったさっきの鉄柵には、これといって破壊の痕跡はなかった。ということはおそらく、今まで歩んできた道のどこかに隠し通路でもない限りは、ニコラスもここを通ったことになるだろうが、そのとき、はたしてこんな暗闇のままでここを通るだろうか。
何かしらの明かりを頼りにしたに決まっている。
もちろん、少女が個人的に照明を所持していて、それを使った可能性も十分にある。でも、これまで歩いてきた通路にも照明が設置されていた事実を併せて考えると、この階段にも照明があってもおかしくはない。
その考えのもと、
そんなことをして20秒ほど経ったころに、妙な突起に触れた感触があった。物は試しと押してみると、階段に、高速道路でトンネル内に入ったときに目にするようなオレンジ色の明かりが灯った。
階段は、延々と続く手すりを巻き取ろうとしているかのような、狭苦しい螺旋階段となっていた。
洞窟のなかにでもいるのかと思ってしまうくらい反響する足音とともに、一段がそこまで高くない階段をグルグルと何度も向きを変えながら登っていく。しかし、向きを変える頻度が多すぎるのと、同じような景色が延々と続くことで、自分が今どれくらい進んできたのかが感覚的にわからなくなっていた。
いつの間にか、本当にこのまま進み続けていいものなのかという疑問を抱いたもうひとりの自分との二人三脚になっていた。進めば進むほど、足取りが噛み合わなくなって遅くなっていく。
どこに出るのかわからないのであれば、いっそのことさっきの鉄柵があるところにまで戻って、水に浸かってもいいんじゃないか。日中なら服だってまだ乾くかもしれないし。
だいたい、こんなふうに階段の電気を点けたりしてよかったのだろうか。不用心にもほどがあるだろうに──そんなふうに、もうひとりの自分との呼吸にどんどんズレが生じていく。
そうして、引き返そうかな、と
痛む部分を押さえながら何事かと思って頭上に目をやると、どういうわけなのか、そこには天井があった。
不思議なことに、階段が天井にまで続いているのだ。つまり
一体どうなっているんだこれは? まさか道を間違えたのか?
振り返ってみても、これまでに隠し通路の類が存在しないのであるとするならば、ここまでの道のりは一本道のはず。間違えようもない。階段は途切れてもいなかったし、そもそも、何もないのであればこの階段の存在意義がなくなる。天井にまで続いていることにも説明がつかない。とすれば──、
「何か仕掛けでもあるのかな?」
この螺旋階段の照明がそうだったように、どこかしらにスイッチみたいなものがあって、それで開閉するのではないだろうか。
どこかにそれらしい物がないかと目を凝らしてみる。すると普通に、左手側の壁にいかにもなボタンがあった。
とりあえずボタンを押してみる。すると小さな作動音とともに天井に縦線が入り、左右に分かれるようにスライドしだした。
その一連の動作が始まった瞬間から
考えなしにボタンを押した自分を呪った。
スライドが完了し、静寂が蘇る。
仮に近くに誰かしら、サンタの関係者がいたりすれば、すぐに傍に近づいてくるはずだ。しばらくそこを動くことなく、見上げながら視聴覚に全神経を向かわせた。
そのまま、念には念を入れて1分ほどじっと待ってみた。だが、誰も来ないし、何も起こらなかった。
……大丈夫、なのか?
猜疑心を抱えながら、忍び足で階段を昇っていく。
勢いあまって顔をだすとろくなことがない。あの廃墟での二の轍を踏まぬように、天井となっている水平的基準から、亀のようにそっと首を伸ばしていった。そうして視線が天井を越えたあたりで一度動きを止め、頭の先に広がる空間の様子をうかがってみた。
そこは古臭い木造の小屋のような造りをした一室だった。さっきまでいたあの部屋の、ゆうに倍くらいの広さはありそうだった。
農業用のスコップやら草刈用の鎌やら剪定バサミ、さらには肥料や土を運ぶ台車までも室内に所狭しと備わっている。電気はついていないが、壁面に適度に備わった窓ガラスから外の明かりが中にまで入り込んできている。おかげで暗さは感じない。
人気はなさそうだった。そうとわかると一思いに足の先まで抜け出て、改めて室内を見回してみる。
第一印象のとおり、独立した建物らしい。ドアと呼べるものは1か所にしか用意されていない。内装からして、どこかの山奥の小屋とかだろうか。
妙な所にでくわしたな、と息を白濁させながらじっくりと見渡していき、肥料らしきものの詰まった大きな四角い包みが2列に分かれて5段に積み重なっている前にまできて、その包みを何気なく目にして、気付いた。
「……日本語だ。ってことは、ここは日本なのか?」
もちろんそうとは限らない。外国に輸出されたものの可能性だってゼロではないのだから。
念のため業者名が載っている一覧を確認しておこうかな、と思った矢先だった。すぐ近くから話し声が聞こえてきた。
一気に心臓が早鐘を打ち始める。
隠れようと思ったが、そんな場所は見当たらない。というか、そんなことをしても無意味だ。なぜなら、ついさきほど
今から閉めたのでは遅すぎる。そもそも、こちら側から閉められるのかとか、なぜ先に閉めておかなかったのかとか、その辺りの確認をおろそかにしてしまったことに今さらながら気づき、一層緊張が高まる。
今できることといえば、息を殺して、声の主がこの小屋に入ってこないことを祈るだけだ。
だんだんと声が近づいてくる。
どうやらひとりではないようだ。男女の声が交互に聞こえてくる。それは喧騒というよりかは雑談といった雰囲気で、特段の悪意を感じはしない。
やがて、声が遠ざかっていった。どうやらこの小屋を目指していたわけではないらしい。残念なことに、何を話しているのかまではさすがに聞き取れなかった。聞き取れていれば、少なくともここが日本かどうかということくらいはわかったはずだが。
このままここにいても埒があかない。どうにかして外に出るしかない。
窓ガラスからじっくり外を窺おうとしたが、残念なことに、窓ガラスとして使われているガラスのすべてが色のないステンドグラスのように微妙に濁っていて、隔てた向こう側がうまく見て取れないようになっていた。こればかりは悪態をついても仕方ないので潔く諦める。
次に、人の接近がないことを確認しようと耳を壁に沿わせてみた。いざそうしてみると、人の声のようなものが断続的に聞こえてきた。この小屋から少し離れたところで、わりと大勢の人がいるということを意味する。そして、それよりも大きな物音はしない。つまり周囲近辺には誰もいなさそうだった。
意を決し、そっとドアごと世界を広げてみる。すると目の前には、今置かれている状況などを忘れて見入ってしまうくらいの、まさに見事の一言に尽きるほどの庭園が待ち構えていた。
一面いっぱいにまで咲き乱れる色とりどりの花々は、そのどれもが日光の恩恵を受けて今、より一層色めきだっている。冬のはずだが、ここまで綺麗に花が咲き誇っているということは、やはり季節が違う──日本ではないのかもしれない。
漠然と眺めていると、少し離れた位置に鹿の全体像の造形が合計で9体分用意した、円形状の噴水があるのが目についた。9体の鹿はそれぞれ独自のポーズをとっていて、円周を等間隔に配置されている。全体的に、いかにも洋風の細工である。
「え? これって……まさか」
一見独創的な造りをしたこの噴水に、
そんなことはありえないはずだ。けれど、もしも予想が的中しているのであれば──と、疑いの心を持ち始めたそのときだった。
庭園の奥に潜んだ大きな建物から、そして敷地の至る所から、どの学校でも耳にする、定時を告げるチャイム音が、盛大に聞こえてきたのだ。
つまりここは、どこかの学校である。そして、それは──。
そうと意識して改めて見渡してみると、噴水に限らず、一面に広がるその庭園にも見覚えがあった。というか、よくよく見知ったものばかりだ。
ついに点と点が結ばれてひとつの線になったわけだが、それが逆に
なぜ今、自分がここにいるのか。
なぜあの部屋が、サンタクロースの隠れ家なんかが、自分の通う『聖ニコラス学園』の地下なんかにあるのか。どう考えても納得がいかない。いくはずがない。
「待てよ? ニコラスって言ってたけど、あれって……そうか、そういうことだったのか」
あの少女が『ニコラス』と自称したのは、きっとその場の思いつきに違いない。混乱のなかで唯一、それだけは合点がいった。
「って、そうだ、こんなふうにぼーっとしている場合じゃないんだった!」
けたたましく鳴り続ける予鈴によって現実に引き戻された
盤上では、短針と長針が『12』の真下で仲良く並んでいた。
こうして予鈴が鳴っていることやらして、今日はまだ冬休みに突入してはいない。ということは、今日は25日に違いない。そこから逆算すると、
これが長いのか短いのかはもはやどうでもいい。25日が、2学期の終業日が、たった今終わりを告げたということのほうが一大事なのだ。
そして今一番気になるのは、留年が確定してしまったかどうか、それだけである。
幸いにして
いっそのことシラを切ってしまうのもひとつの手だが、ニコラス学園と深い繋がりのある柊にこれから帰省する以上は、そんなことできるはずもない。そんなことをすれば、まず
私服のままだったし、言ってしまえばコーヒーまみれでもあったが、それでもかまわず疾駆し、職員室を目指すことにした。
校庭には、無数の生徒が校舎から大正門へと蟻の子のようにちりぢりに向かっていた。誰もが寮から実家へと帰るため、平日とは違って帰路につくのが早いようだ。その流れに途中から加わり、しかし逆らうようにして突き進む。
そこで、たまたま下校途中だった
「何って、登校してるんだよ、登校」
「登校って、あのねぇ、見てわからない? みんな下校中でしょうが。学校なんかもうとっくに終わっちゃってるわよ。だってほら、12時よ、12時」
「そんなことはわかってるって」と何食わぬ顔をして言い返したが、それを知ったのはほんの少し前のことである。
「っていうか、そもそも何なのよその恰好は。制服でもないし、カバンだって持ってないじゃない。ん……よく見るとなんか、着てる服、ボロボロじゃない? しかもそれって、たしか昨日も着てたヤツよね?」
「えっと、まあ、これは、その……」
「そういえば昨日はどこ行ってたのよ? 集まるところまでは一緒だったのに、気付いたらいなくなってたよね? はぐれたなーとは思ってたけど、その様子だと諦めて先に帰ったってわけでもなさそうだし」
段々と、論点が答えにくい部分へと移り変わっていく。
前日にあんなイベントがあって、その次の日には2学期の最終日にもかかわらず姿を見せないともなると、
ただそれにしても、答えにくい──いや、答えられないことにかわりはない。
「……あ。わかった。さては、どこぞの不良に絡まれたりしたんでしょ? どっかに連れて行かれて、それでボッコボコにされて、ついさっきまで気を失ってたとか。違う?」
あまりにも極端であり、かつ勝手な妄想でありながらも、事実と照らし合わせると、あながち遠くもないのが不思議だった。というよりかは、おおむねその通りである。
ただひとつだけ厳密に違うのは、相手は不良よりももっと質の悪い奴らだった、ということだ。
「ま、冗談はこのくらいにしておいて。見たところ怪我とかもないみたいだし……どこで何してたのか聞かないけど、とにかく、あとでちゃんと
「
「どうしてって、あのねぇ。昨日から連絡がとれないって、すっごく心配してたよ。朝からずっと顔を真っ青にしてさ。さっきだって、ホームルームが終わった後にクラスのみんなに訪ねて回ってたし。もちろん朝とか休み時間にもそんなことはしてたけど、ダメ押しと言わんばかりに、ね」
その様子を思い出したのか、
だから
「なんかケータイにも出ないとかって話だったけど、おおかた電池切れだったとか、そんなところでしょ?」
「あ、うん、まあ」
「やっぱりね。まったく……本当、心配し過ぎなのよね、
またしても冗談めいた様子でものを言う
何が言いたいのかわかってるよね? ──まるでそんなふうに問いかけてきているような。
「──って、いけないいけない。急いでるって話だったのに、これじゃああたしが通せんぼしてるみたいだよね、ごめんごめん。それじゃあ
そうして
その背中に「来年もよろしくな」と言うと、
そこから気を取り直して、再び駆けだした。目指すは職員室だ。
息を切らせて職員室の扉を開けると、職員室の隅にある打ち合わせ用の机に今、
そのなかのひとりが
どうにか欠席裁判は回避できたが、かといって事態が芳しくないことは言うまでもない。
鬼と化した教師が、ついに目と鼻の距離にまで来た。その額には血管が浮きあがっている。
やばい。これはもう、ダメかもしれない──そう素直に思った。
「また寝坊か?」という質問に対し、どうせ詳細を言っても信じてもらえないし手間だと考え、「はい」と潔く嘘をつく。
「ってことは、こんな時間まで寝ていたっていうのか?」
「そういうことになります」
「そうか……たしか、お前もクラスの連中とサンタを見に行ったんだろ? それで次の日は昼に登校か。本当いいご身分だな。俺たちの気も知らずに、好きなことだけして、寝たいときはぐうすかと寝ていられるんだから。いっそのこと、俺はお前みたいになりたいよ」
「いやぁ……それはやめておいたほうがいいかと」
「へえ。どうして?」
「こう見えて俺、わりと悪夢を見るほうなんですよ。そのなかでも昨日のなんて、ここ最近じゃ特に酷い──」
「いい加減にしろっ!」
どうやらふざけていると受け取られたらしい。
そんなつもりはなかったが、これ以上刺激したら叱責は余計に長引いてしまうだろう。
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