第04話 異常な熱気

 ニコラス学園に直面する片側3車線の大通りを、東のほうへひたすらまっすぐに数キロ歩くと、そこはもう今宵の舞台が待ち構えている。



 普段から人気の多い通りだが、おそらく今日、予告にあったその時間はサンタクロースを一目見ようとする野次馬が溢れかえることだろう。目と鼻の距離だからといって余裕ぶっていようものなら最悪、かなり後方での見物になってしまう可能性だってあり得る。

 そうなってしまっては現地にうかがう意味はなくなるし、毎年のように誰かの自室に集まってみんなでテレビ中継を見ているほうがはるかにマシだ。

 ともすれば、早めに、しかも時間厳守で集合し、早々に場所取りを行う必要がある──というのが、ニコラス学園の生徒たちのおおまかな共通認識だった。



 かくいう赤羽あかばねのクラスも、大正門に集合することになっていた──が。

 こんなときにも恒例の大遅刻をしてしまうのが赤羽あかばねである。



「悪い悪い。ちょっと遅れ──」

「てめえっ、毎度毎度、いい加減にしとけよ!」

「あんたが言いだした時間でしょうが! それにも遅れるって本当どういうわけよ?」

「このバカバネっ!」

「どうせまた常盤ときわさんとイチャついてたんだろうが。え、この野郎、コノヤロウっ!」



 今朝の葛城かつらぎとのやり取りを温かく笑っていたクラスメイト達ですらも、赤羽あかばねの遅刻癖について耐性ができているとはいえ、このときだけはさすがに、荒れに荒れた。



「い、イチャついてなんかないって。ただ、明日で学校が終わりだから、お土産を買いに行ってただけだって」

「でもそこに常盤ときわさんがいたんだろ?」

「……それは、まあ」

「ちくしょう、なんて羨ましいっ! なんで常盤ときわさんの幼馴染が俺じゃなくてお前なんだよ、この、このっ!」



 常盤ときわにお熱な男子生徒のひとりが、赤羽あかばねを軽く蹴りつける。



「結局イチャついてて遅刻したんじゃねーかよ、このっ!」



 そこに、一番初めに非難した男子生徒が加わった。一緒になって赤羽あかばねを蹴り始める。



「クリスマスの日に仲良しアピールとか、ホントそういうのいらないから! このっ!」



 続けて、彼氏が欲しくてたまらないらしい女子生徒が便乗して軽く蹴りだした。

 それらが口火となって、残りの何人かも赤羽あかばねを取り囲んで非難し、どさくさに紛れて蹴りを入れだした。もはや袋叩きにあっているような状態だ。



「ああもう、こうしてるあいだにもどんどん時間が過ぎちゃう。ちょっとみんな、もう赤羽あかばねくんのことなんかどうでもいいから、早く行くわよ」



 そこに、サラサラなショートカットが似合う女子生徒──学級委員をしている榎本えのもと彩智さちが、腕時計を見ながらみんなをはやしたてた。

猛り狂うクラスメイトらはいっせいに我に返る。おかげで糾弾の嵐は自然と止んだ。



 予想のとおり、大通りは人口密度が格段に上がっていた。そんな往来の間隙を縫うようにしてクラスメイトらは小走りに、どんどん前へと突き進む。体力のない赤羽あかばねからしてみれば、遠ざかっていくクラスメイト達の後を追うので精いっぱいだった。



 たちまち胸が苦しみだし、呼吸も途切れ途切れになってくる。

 それでも、いつもなら歯を食いしばって走り続けるところだが、今回は違った。

 というのも、みんなで見物しに行こうという話が持ち上がってから、具体的にどこに何時に集まるのかといった詳細を打ち合せした結果、参加者の半数が場所取りのために放課後に直接現地へそのまま向かい、残りの半数は予告時間の間際にそこへ向かう、という方針に決まっていたからだ。



 つまり、赤羽あかばねたちは後発組であり、先発組が陣取った場所に向かっている最中なのである。

 先発組からの場所案内のメールは赤羽あかばねにも届いている。ということは、遅刻しておいてどの口が言うんだというところではあるが、正直な話、時間までにそこに辿りつければいいのであって、今から団体行動をしている必要性は正直薄い。



 自分を正当化する理由付けを行っていくうちに、必死に追跡する意欲も薄れていく。徐々に走る勢いを削いでいき、ついには立ち止まってしまった。そこからはもう、自分のペースで歩くことにした。



 呼吸が落ち着いてきたあたりで、自動販売機が目につく。

 お気に入り──自室に備蓄されている、今朝飲んでいたものと同じコーヒーを選んだ。

 取りだし口から缶コーヒーを手に取ってみると、それは十分に温められていた。そのままプルタブを勢いよく引くと、缶コーヒーの口から蒸気がゆらゆらと舞い上がる。



 一口すすって、溜息をつく。

同じもののはずなのに、どうしてか朝と風味が違うように感じられた。もっとも、飲む場所も時間も、そして温度すらも違えば、もはや別物といっても過言ではないだろうが。

 なぜか、朝よりもたまらなく、苦い。



「おーい、バカバネクーンッ!」



 そこに、どうにも聞き捨てならない声がして、酷くむせた。

 こんなことを平然と、明るい調子で言ってくるのはあいつしかいない。



「あのなぁ、リー。俺は赤羽あかばねだって、あ、か、ば、ね。何度言えばわかるんだよ」

「エー、 だってみんなからたまにそう呼ばれてるじゃなイ? さっきだって誰かが言ってたシ」

「たまにだろ。それに、あれは俺をバカにしてる言葉なの!」

「そっカ、ゴメンゴメン! イヤー、日本語は難しーナ。今度からはもう間違えないから、ネ? 赤羽あかばねクン」

「頼むよ。それにしても、こんなところでどうしたんだ? たしかお前も参加しないんじゃなかったっけ?」

「まーネ。でも、ちょっとヤボヨーがあったから参加しないって言っただけなんだヨ。本当は参加したかったんダ」

「ってことは、そのボヨーとやらが済んだってことか」

「そーゆーこト。それでキングキャッスルに向かってたところに、バカ──じゃなかった、赤羽あかばねクンを見つけたんダ。それにしても、今日は常盤ときわさん、一緒じゃないノ?」



 その言葉に、一瞬だけ胸に棘が刺さったような痛みを覚えた。



「ああ、なんでもあいつは、今日はデートらしいよ」

「でーと?」

「そう、デート。彼氏とどっかにでかけるんだってさ」

「ええッ? ちぇっ。なんだよそれ、つまらないノ」

「いや、俺にそう言われてもなぁ……。でも、そもそもリーとみやびってそんなに仲良かったっけ?」

「ううん、そーでもないけド」

「じゃあ何で?」

「うーんとね、常盤ときわサンはボクの憧れの人なんダ。だからネ、僕は当然サンタも見たいけど、それと同じくらい私服姿の常盤ときわサンも見たかったんだヨ」

「憧れの人ねぇ。んー、期待を裏切るようで悪いけど、別にあいつはそんなにオシャレってわけじゃないよ。お金がないってのもあるけど、部屋じゃいつもスエットだし、出かけるときだって基本的にはデニムジーンズで、それに適当な上着を組み合わせてるだけだし」

「あーハイハイ、いつも一緒にいる自慢はもういーかラ」

「べ、別に自慢してるってわけじゃないって。それに、みんなが言うほどいつも一緒ってわけでもないし」

「ハア? あのネー、傍から見てれば、ふたりがいつもいつもいーっつも一緒にいるって、誰だってそう思ってるヨ? そーゆーのを日本語で『』って言うんじゃなかったっケ?」

「それを言うなら『灯台下暗し』だろ」

「あー、そーだったそーだっタ。まあそれはおいといてサ。その常盤ときわサンの彼氏っていう羨ましいヤローは、一体どこのどいつなノ?」

「いや、それが、俺も知らないんだよ。聞きそびれたっていうか、教えてくれなかったっていうか」

「ってことは、赤羽あかばねクンには言えない人なのかナ?」

「ん……俺に、言えない人?」

「たとえば赤羽あかばねクンとすごく仲が良い人とかサ」

「仲が良い人ねぇ」



 リーの指摘を受けて赤羽あかばねは、自分と仲の良い人は果たして誰なのか、改めて想像を巡らせてみることにした。



 赤羽あかばねは顔にある十字の傷のせいで初対面の人に嫌厭されてしまうことがほとんどだ。だが、その反動といっていいのかわからないが、一度かかわりを持った相手には、そのややヌケている性格(と、いくらかの演技)をもってして第一印象を払拭してしまうほどの親近感を自然と与える。そのため、あくまで学園の、それも同学年に限ってのことではあるが、赤羽あかばねから距離を置こうとするものは今となってはほとんどいない。



 だがしかし、こいつこそ俺の唯一無二の親友だと声を張って高らかに呼び上げることのできる名前もまたなかった。候補として挙げるなら、それこそ常盤ときわくらいなものか。



 そこで今度は、『知られるとまずいような人物が相手だとしたら、それは誰なのか』といった観点から考えてみる。とりあえず適当に、クラスの男子生徒の顔を出席番号順に思い返してみる。



 常盤ときわと一切交流がない男子はさすがにひとりもいない。けれど逆に、常盤ときわに限らず、クラスメイトの誰とも繋がりを持とうとしていない男子がひとりいることを、そこで思いだす。

 おまけにその男子生徒は、「用事がある」と言ってこの集まりに参加していないではないか。



「……いや、まさかな」

「なになニ? 誰か思い当たるような人がいたノ?」

「いや、何でもない」



 たしかに赤羽あかばねを含めた3人は一年生のときからずっと同じクラスメイトであるし、その当時から付き合いもそれなりにあるが、いくらなんでも、あのふたりが相思相愛だとは思えない。

 というかそもそも、あの金鵄きんしがはたして異性に興味があるのだろうか? そこがおおいに疑問である。少なくとも赤羽あかばねにはそうは見えない。全くといっていい程に。



「逆にさ、リーは誰だと思う?」

「ンー? ボクにもわっかんないヨ。そもそもボクは、常盤ときわサンの彼氏は赤羽あかばねクンだとずーっと思ってたシ。っていうか、みんなからそー教わったシ」

「いやいやいや。そりゃまあ、そういう噂が結構前からあったっていうのは一応俺も知ってはいるけどさ」

「ウン。ボクも最初こそそんなことない、赤羽あかばねクンみたいなちょーダメ人間を常盤ときわサンが好きになるわけない、って思ってたんだけどサ。でもすぐに、みんなの言う通りだなって思ったんダ」

「ダメ人間って、おい」

「ンー、何て言えばいいのかわかんないけど、ふたりを見ていると、『自分たちだけの世界』って感じなんだよネ。固い絆で結ばれてる、っていうのかナ? とにかく、ふたりを見てると、間に誰も割って入れないような、そんな気になってくるんだよネ」

「ふーん、そんなもんかな。よくわかんないけど」

「ひょっとして、ふたりだけの秘密があったりするんじゃないノ?」

「秘密、ねぇ」

「あ、その反応はひょっとして、ひょっとするのかナ?」



 赤羽あかばねは静かに考える。

 を言おうか、それとも言うまいか、と。

 そのまま5秒ほど歩き、そして口を開いた。



「悪いな、リー。残念ながらここでお喋りは終わりだ。ほら、もう集合場所の近くまで来たみたいだし」



 赤羽あかばねの指が示す先には、夜の時間帯ということもあってか全身を艶やかな翠色のライトアップで装飾し、それ自体が巨大なエメラルドかと見紛う程に人々の瞳を虜にする、優雅で蠱惑的な細長い三角錐状の厳かな建造物──サンタに標的として抜擢され、今宵の舞台となる、キングキャッスルがあった。



 日本警察は急遽予告された一大事に備えるため、キングキャッスルから周囲6区画分までに交通規制を敷くことを発表した。できうる最高レベルの警備を実現すること、および見物人の安全確保というふたつの観点によるものだ。

 結果として現在、キングキャッスルの周囲に敷かれれた立ち入り規制を除いて、信号機を気にすることもなく人が縦横無尽に闊歩できる状態に今なっている。



 それにより、辺りの人口密度が異常な増加をみせている。人と人との間に風が吹くこともないというのは、やはり尋常ではないといえるだろう。

 かくして、外気は氷点下に近く冷ややかなはずなのに、あたり一帯は未知なるサンタへの熱気に包まれ、同時に視覚的にも暑苦しいことこの上なかった。



「うへーっ。ひょっとして、このなかを進むノ?」

「ああ。ほら、あそこに25メートルのプールくらいはありそうな大型のスクリーンがあるだろ? たしか、あのビルの入り口付近にみんながいるはずだ」



 赤羽あかばねは群がるビルの、そのうちのひとつを指さした。

 それはキングキャッスルとはまさに目と鼻の距離にあり、キングキャッスルを包囲する警官隊が設けた立ち入り禁止区域の最前列の一端にも位置している。

 場合によっては姿を見せたサンタを肉眼で見ることも可能かもしれないし、いざとなったらビルに備え付けの大型スクリーンをうかがうこともできる。まさに好条件の重なった場所だった。



 しかしながら、そんな穴場なら人が群がってくるのは道理である。何重にも束になった人の厚みで、そのビル近辺は、すでに猫の子1匹たりとも通り抜けができないほどの密集具合となっていた。



「なんか……ちょっと無理じゃなイ? ここから先に進める気、全然しないんだけド」

「た、たしかに……」



 首を振って周囲を確認してみたが、見知った顔はない。おそらくは先に小走りで向かったクラスメイトたちはどうにかして陣取った場所に辿りつけたのだろう。



 ここで赤羽あかばねはようやく焦りを覚える。

 こうして今いる位置からも、けしてキングキャッスルが見えないわけではない。しかしながら、より好条件が予め用意されていたのだ。それを妥協しなければならないことの歯がゆさ。自分のせいだから仕方ないとはいえ、はいそうですかと素直に受け入れられるはずもない。

 かといって、後続者の存在があるからここで躊躇している暇もない。うかうかしていたらこのまま人の波に飲まれ、この場での見物が決定づけられてしまう。移動すら叶わなくなるだろう。



 どうすればいいのか。

思案している傍ら、ふと後方を向いていたリーが赤羽あかばねの上着の裾をひっぱりながら、意外なことを口にした。



「ねえねえ、あれってブーちゃんじゃなイ?」



 その声に振り向いて確認してみるとそこには、この場には不釣り合いな、いかにも高級そうな黒い毛皮のコートや宝石の類で着飾っている煌びやかな金銀連花ががぶたの姿があた。

 うっすらと化粧もしているようで、普段学園で感じることのない艶めかしさがある。豪奢な服装や、周囲に身辺警護のような人物を用意しているところも相まって、今この瞬間に限ってはとても同じクラスで勉学に励む同志とは思えないほどであった。もはやどこかのマダムである。



 そしてその背後には、夜の暗がりに溶けるように漆黒の上下のスーツを身にまとい、夜にも関わらす漆黒のサングラスを身に着けた、見るからに金銀蓮花ががぶたの護衛か何かと思われる者──赤羽あかばねのクラスでは誰もがその存在を知っている、金銀蓮花ががぶたの身辺警護兼雑務を担当している五野上ごのがみが、張り付く影のように追従している。



 今日はハロウィンだったか? と勘違いしてしまいそうなほどに異彩を放っているこのふたり組に、その場の大衆のほとんどが目を奪われ、しかしおのずと道を開けていた。



 どうしてこんなところにあいつがいるのか。

 赤羽あかばねのイメージとしては、金銀蓮花ががぶたくらいの大金持ちともなれば、どこかしらの特等席で何かしらの好待遇でも受けながらあくび交じりに見物していそうな気もするが、それが一般人である自分たちと同じ土俵というか、地表にいるのが信じられなかった。

 ──ということはつまり、今はその場所に向かっている最中なのだろうか?



 そうと理解するよりも先に、リーが金銀蓮花ががぶたに向かって駆け出していた。

 おそらくは赤羽あかばねと同じ結論にたどり着いたのであろうが、リーのことだ、金銀蓮花ががぶたに直談判でもして特等席に便乗してしまおうとでも思っているに違いない。



 たしかに、このままここで悶々としていたところで、らちが明かない。ならばいっそリーを見習って、金銀蓮花ががぶたに頼み込むほうが得策だろう。もちろん金銀蓮花ががぶたがふたつ返事で了承してくれるとも限らないが、もうこうなってしまっては賭けにのるしかない。そうして赤羽あかばねは、一歩遅れてリーに続いた。



 ふたりが接近していくと、金銀蓮花ががぶたがそれに気づくよりも先に、五野上ごのがみが回り込んで間に立ちふさがった。

 その挙動で本人も気づき、遅れてその顔に嫌らしい笑みが滲みあがっていく。



「あらまあ。こんばんは、赤羽あかばねくん、そしてリーくん。奇遇ですわね。どうしたんですの、こんなところで」

「いやまあ、例によってクラスのみんなとサンタを見に来たんだけどさ、どうやらはぐれちゃったみたいでさ」

「ここにいるってことは、ブーちゃん(リーだけは金銀蓮花ががぶたを『ガガブー』ではなくそう呼んでいる)も見物にきたんでショ? でも残念だったネ。多分ブーちゃんでもこれより前には進めないんじゃなイ。もっと早く来ていれば、もーちょっとマシな場所で見れたんだろうけどサ」



「あら、そうなんですの? でも特に問題ないですわ。だってわたくしは、寒いのは苦手ですし、それに屋内で見物しますから」

「屋内? ってことは、この辺にあるビルのどれかってこと?」

「ええ。えっと、どれだったかしら? 五野上ごのがみ?」

「あちらでございます、真理子まりこお嬢様」

「そうそう、アレでしたわ」



 五野上ごのがみが右腕を使って示すその標的に、赤羽あかばねもリーも、そしてそれら一連の様子を傍観している周囲の何人かも、つられるようにしていっせいに視線を向けた。

 それは、赤羽あかばねがクラスメイトと落ち合うために当初目指していたビルの、道路を隔てて真向かいにある、このあたりではキングキャッスルの次に高くそびえ立つビルだった。



「あのビルの、えっと──ねえ五野上ごのがみ、何階だったかしら?」

「3階でございます、真理子まりこお嬢様」

「ああ、そうそう。3階にある──たしか食堂だったかしら? そこで見物することになってますの。というのも、あのビル、わたくしのママのものですのよ」



 金銀蓮花ががぶたはさぞ得意げになって、左手で髪をいじっている。



「エー? でも、あのビルってキングキャッスルの真隣りじゃなイ。それじゃーあのビルも封鎖されちゃってるんじゃないノ?」



 サンタが自ら予告した時間通りにキングキャッスルに現れるその方法のひとつとして、『時間まで近場で潜んでいる』というものが考えられる。つまり、こうしている今も実はサンタはキングキャッスル近辺に潜んでいるかもしれないのだ。その可能性を予め払拭するため、近辺の商業施設や建造物にも捜査の手が加わっているのと同時に、現在進行形で監視対象のひとつにもなっている──と日本警察は公表している。

 だが、正直なところ、そんなものはただの建前でしかなかった。



 そもそも日本警察は、『サンタクロース』を捕まえることについて、最初から諦めている。

 何もこれは日本警察に限ったことではない。

何百年も前から存在し続けているらしい、そして世界中をまたにかけるほどの大盗賊を、未だに誰も捕まえることができないでいる存在。それがサンタクロースだ。

それを、その当日の朝にいきなり予告されて、丸1日の猶予すらなく、それで一体どうやって首尾よくことを為せというのか。

 できるはずがない。言わばこれは一方的な負け戦を強いられているにすぎないのだ。



 けれど警察も、国の行政機関、治安維持を司る組織として、そんな内情を表明するわけにはいかない。沽券にかかる。だからこそ、たとえ表面上ではあっても、全力で警備にあたっているように装わなければならない。

 敵わないからといってサンタにいいようにやられることもまた癪にさわる。



 そうした諸々の事情を勘案した結果、あまり大きな声では言えないが、──主に現場付近の防犯カメラ等の記録媒体を多様に駆使して、サンタの映像や情報をできるだけ多く手に入れることに熱を注ぐ──というのが、ここ近年、その年のサンタの標的となった国の警察が執る常套手段であった。



 ようするに、封鎖と言えど、ビルに内接された監視カメラなどで協力を惜しまなければある程度の融通は利く、ということだ。

 


「問題ないですわ。ママに頼んで、すでに警察からも特別に許可をいただいておりますから。抜かりはありませんことよ。そうよね、五野上ごのがみ

「その通りでございます、真理子まりこお嬢様」


 

 言質でも取ったかのようにその言葉を聞くと、リーがいきなり公衆の面前で地べたに土下座をしてみせた。



「ブーちゃん、お願いお願いッ! ボクらもなんとか一緒に入れてもらえなイ?」



 これには金銀蓮花ががぶたも一瞬驚いた表情になるが、すぐさま笑み再現──いや、むしろ悪化させて、そのまま数秒間はリーがひれ伏しているそのさまをじっと黙視していた。



「あら。もしかしておふたりとも、あのビルに入りたいんですの?」

「もちろン。ねえ赤羽あかばねクン、そうだよネ」

「え、ああ、まあ」

「なにぼけーっと突っ立ってんのサ。キミも早くお願いしなっテ」



 お願いすること自体はやぶさかではないが、リーが土下座をしてしまった手前、赤羽あかばねもそうせざるを得なくなってしまっているところが厄介だった。土下座は別に構わないが、さすがにこんな公衆の面前で行うのには抵抗がある。

だが、背に腹は代えられないのもまた事実だ。



 意を決し、土下座をする体制に移りだそうとしたとこで、五野上ごのがみが機械のように淡々と口を開く。



真理子まりこお嬢様、お時間が迫ってきておりますので、お急ぎになられたほうがよろしいかと」



 金銀蓮花ががぶたはまるでおもちゃで遊んでいるところを中断された子供のように不機嫌な表情を浮かべたが、それも一瞬だけで、一息入れてすぐさま笑顔を再現する。



「聞いた通りですわ。時間もないようですし、それじゃあおふたりとも、急いで向かいますわよ」

「え? じゃー、ついてっていいってこト?」

「あら、もちろんですわ。なんといってもおふたりは、わたくしの大切なクラスメイトですもの」



 大切なクラスメイト──金銀蓮花ががぶたはこの言葉をよく使うが、それを耳にするたびに、まったくそんなことは思っていないだろうな、と腹でつぶやく赤羽あかばねだった。



 そうして人混みのなかをふたりに案内されていき、ある地点まで来ると大通りから道をひとつ逸れた。

 現れた裏通りは道路の幅員が2メートルもない一方通行で、自転車同士がすれ違うのも難しいほどにせま苦しかった。普段は森閑としているに違いない。今も警戒態勢にあたっている警官隊がポツポツと目に入ってくるくらいで、一般人の姿はまるでない。



 逆に警官隊は、こんなところに怪しげな一行が現れたものだから、すぐに目を付けて近づいてきた。

 だが、一歩前に出た五野上ごのがみが説明し、懐から何やら書面を抜き出して手渡すや否や、警官隊はものの見事に秒速で退いてみせた。ここでも金銀蓮花ががぶたが優越感に浸った表情を浮かべていたのを赤羽あかばねは見逃さなかった。



 そうしてまもなく、例のビルに到着する。

 4人が訪れたのはビルの裏口に当たるところだった。

左右に開閉する質素な自動ドアが備え付けてあるだけで、どうやら警備員や清掃員が出入りするためだけのものらしい。



「それでは、ここからは私がご案内をさせていただきます。こちらへどうぞ」



 そう言うと五野上ごのがみは、懐からマスターキーの役割をすると思われるカードを取りだし、専用の端末に一度スライドさせてから、その横にあるパネルを軽やかに片手で操作していく。

 やがて裏口の電子ロックが解除されると、大きなその背中が反転した。



「ここから先には数々の企業秘がありますゆえ、むやみやたらに単独行動などとられぬよう、謹んで申し上げます。──真理子まりこお嬢様、なにもそれはお嬢様とて例外ではございません」

「わかってますわ。しつこいわね」



 金銀蓮花ががぶたは左手で髪をいじりながら、うんざりしたように呟く。それを意に介することなく、「赤羽あかばね様。それにリー様」と続ける。



「おふたりは今回、このビル立ち入る予定はございませんでした。ですので、おふたりに便宜を図ってくださった真理子まりこお嬢様の顔に泥を塗ることのないよう、くれぐれも軽率な行動などは取らぬよう、お願いいたします」



 ここまで言われるとなんだか逆に疑われているような気がしてならないが、五野上ごのがみの立場を考えればそれも共感できるというものだ。赤羽あかばねが「わかりました」と、リーが「僕もリョーカイ」と返答した。



「快諾いただき、ありがとうございます。ではこちらにどうぞ」



 そうして促されるまま建物のなかへと入り、五野上ごのがみが一階フロアの照明のスイッチを入れたところで、赤羽あかばねとリーがともに感嘆を漏らす。



 1階部分は受付として使われているとのことだが、ゆうに千平米はあるであろうそこには一部の隙もなく全面にマットが敷き詰められていた。そこに数多くのソファやガラス製の机に始まり観葉植物、それらが適所に散りばめられている。

 高い天井には埋め込み式のLEDライトが点々と幾何学的に備わっており、優しいオレンジ色の明かりを灯している。このビルは、共に研究者である金銀蓮花ががぶた夫妻が営む製薬会社の研究施設のひとつとのことだが、赤羽あかばねにはまるで一流ホテルさながらに感じられた。



「ほら、おふたりとも。こんなところで油を売っている暇なんてありませんわよ。時間まであともう少しのようですから」



 見ると、すでに金銀蓮花ががぶたたちがエレベーターに納まっていたふたりを待っていた。金銀蓮花ががぶたは腕時計をチラチラと気にしている。五野上ごのがみもエレベーターの『開』ボタンを押したままふたりを待っている様子だ。五野上ごのがみに注意を受けたそばから粗相をしでかしたふたりは、謝りつついそいそとエレベーターに入った。



 10秒とかからずに3階に到着し、赤羽あかばねとリー、金銀蓮花ががぶた五野上ごのがみの順で外に出ると、再び五野上ごのがみが先導を始める。



 3階はそのすべてが食堂となっているようで、特に大きな仕切りや内壁もなく、そこらに机と椅子が敷き詰められ、適度に観葉植物や自販機が設置されており、全体として開けていた。



「そういえば、常盤ときわさんは一緒ではないんですの?」

「ん? ああ、一緒じゃないけど」

「なんかネ、デートなんだってサ」

「デート? デ、デートって、あの、デートですの?」

「あのデートって、どのデートのこト?」

「それは、その……お互いに好意を寄せあう、男性と女性が、その……」

「まあ、世間一般からしてみれば、ガガブーが言おうとしているので間違いないんじゃないかな。で、それがどうしたんだよ」

「あ、いえ、別に……なんでもありませんわ。でも、ここに赤羽あかばねくんがいるとなると、そのお相手というのは一体どこのどなたなのかしら?」

「それがわからないんだよネー」

「わたくしたちのクラスメイト?」

「ウーン、さすがにそれはないと思うナ―。僕も同じクラスになってみてわかったけど、ふたりの仲の良さは尋常じゃないじゃないじゃなイ。普通なら無理だ、太刀打ちできない、って諦めるっテ。それに、誰かが告白したとかって噂もな聞かないシ」

「じゃあ、上級生や下級生って可能性も出てきますわね」

「ンー、そうなってくると僕にはもうわかんなくなっちゃうナ―」



 金銀蓮花ががぶたとリーが推論を重ねるそばで、赤羽あかばねは口を閉ざしていた。

 ふたりの会話を傾聴しているわけではない。むしろ、ふたりの話など右から左だった。



 恋人ができた以上、今はまだそうでもないが、しかし常盤ときわとの距離感は、やがては確実に開いていく。それを想って、赤羽あかばねはひとりで懐古していたのだ。

 常盤ときわと出逢った当時のことを。

 あれだけ隔絶していたふたりの距離感が縮まった、あのときのことを。

 つまり──この顔に大きな傷跡が刻み込まれた、あの出来事を。

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