第03話 熱膨張した想い
休み時間になると、さきほど
他のクラスよりも一早く情報をつかんでいたであろう
今は三々五々、サンタクロースのあの謎の力は一体何なのか、今年こそサンタは捕まるのか、といったような毎年恒例の話題で持ちきりになっているところだ。
「なあ、
だが当の本人は視線を合わせようともせず、そのまま返事をした。
「俺は行かない。用事があるから」
「用事?」
「ああ。逆に教えてくれ。サンタを見に行くって、そんなに興味をそそられるようなことなのか?」
「え? いや、だって、あのサンタだぞ? 1年に1回しか現れないし、そのサンタが今年は日本で、しかもここからすぐのところに現れるんだぞ? そりゃあもう見に行くだろう、普通。それこそオリンピックとかみたいに、何十年に1回あるかないかのチャンスなんだから。なんならもう、生きている間に二度とないかもしれないじゃんか」
「そうか。でも悪いな。そういうことに意味も価値も感じないんだ、俺は。わかったらもうその話は辞めてくれ。読書に集中したい」
「ふうん……そっか、わかった」
一度そうだと決めたら
それ以上無駄に絡むこともせず、さっきから読み続けてるけど『魔女リカ★魔女ルカ』っていうのはそんなに面白いのか? なら今度貸してもらおう、という感想だけを抱いていったんそのままいったん自席に着こうとした。
そこでふと、
「どうしたんだ、そんな顔をして」
「え? 何が?」
「なんか凄い顔してたぞ。緊張しているっていうか」
「緊張? 私が?」
「ああ。まるで夏の大会のときの、決勝の直前みたいな、さ」
「……そうかな。気のせいじゃない?」
「そうか? ならいいんだけど……それよりも、今日の夜はお前もみんなと一緒に行くんだろ?」
「サンタを見に行こうっていうアレのこと? ごめん、私は行けないや」
「え、行かないの?」
「うん。ちょっとその……用事があって」
「お前も用事かよ。もしかしてまたバイトとか言わないよな? そんなんだったら休んじゃえばいいのに。一日くらい休んだってどうってことないだろ?」
「ううん、違うの。そうじゃなくて、えっと……ほら、今日はクリスマス・イブでしょ?」
「まあ、たしかに今日はクリスマス・イブだけど、で?」
「もう。わかってるくせに」
もちろんわかっていた。
だが、何故かそれを認めたくなかった。
ざわつく心を胸の奥底に押しやっておきながら、わかっていないような表情をどうしてなのか浮かべてしまう。
耳を寄せると、
「だから、今夜は人と会うの」
それを聞いて、呼吸が一瞬止まった。
一拍置いてから、無言のまま首を横に向けて
その仕草がどうしてか、壮大な喪失感を覚える。
やけに早くなっている心拍を落ち着かせてから、今度は
「それって、その、相手は男ってことだよな?」
「それってつまり、デート、ってこと?」
その問いに、視線は下を向いたままの無言の首肯が返ってくる。
「お……お前いつの間に彼氏作ったんだよ? そいつ、俺の知ってる奴? それともバイト先の人とか?」
「えっと……な、内緒」
「内緒って。まあ無理に言えとは言わないけどさ、それにしても──付き合っている奴がいるんだったら、俺の部屋なんかにしょっちゅう来てちゃ、いろいろとマズくないか?」
そう言葉にして、戸惑う。
……あれ? 俺、なんでこんなこと言ってるんだろう?
「あ、それは問題にならないかな。あたしたちが幼馴染だっていうことは一応知っているし」
「ってことは、俺のことも知ってる奴なのか」
「うん、まあ」
「ふーん。で? 最初の質問に戻るけど、一体いつから付き合ってるんだよ、そいつと?」
「えっと……2学期が始まったくらい、だったかな」
「それじゃあ3か月以上も前ってこと?」
「そうなるかな。うん」
「うげぇ、全然気づかなかった──あ、悪い。なんか問い詰めてる感じになっちゃったな」
「ううん、それは構わないけど」
「それじゃあまあその、とにかくお前は、今日は来ないってことでいいんだな?」
「……うん」
「了解。相手がどこの誰かは知らないけど、一応、うまくいくように俺も祈ってるから」
「一応って。フフ……うん、ありがとう」
謝辞を口にして微笑むその顔を、極力視界に収めないよう努めた。
それからの数分間、
中途半端に
口に甘みと苦みが広がる。いつもの味なのに、今日は妙に後味が悪く感じられる。不快感が口のなかに纏わりついているようだ。
気づいたら、飲み干して空になった缶を強めに握って少しへこませていた。
少し戸惑う。普段はそんなことしないのに、一体どうしたのだろうか。おかしい。
さっきから
するとそこで、教室の前扉が勢いよく開くのに併せて、「ほらみんな、チャイムが鳴ったぞ」という声が響いた。空き缶を机の下に置いて、姿勢を正す。
「いや、一時間目は悪かったな。ちょっと家の都合で──ん? あれ、今日はもう
一時間目に姿を現さなかった男性教師は、恥ずかしそうに笑いながら指でこめかみを掻く。
いつもは
遅刻をしてきた物理教師の
「でもまあ、考えようによってはちょうどいいか。それじゃあ
「え」
「なんだ? 何か問題でもあるのか?」
「そ、そんなことはないですけど……」
「じゃあまずはおさらいだな。『熱膨張』っていうのはどんな現象を言うんだっけ?」
「それは、つまり、アレですよ。えーっと……熱で、その、膨張するっていう現象のことですね。はい」
「……まあ、な。一部の例外を除いてだが、『熱膨張』とは読んで字の如く、物体が熱をおびるとその物体を構成している分子が運動エネルギーを持って暴れ回り、結果的に体積が増加する、ってことをいうんだったな。身近な例でいうと、へこんだピンポン玉を熱湯につけておくと復活するアレだ。アレはピンポン玉の内部の空気が熱湯の影響でエネルギーを持ち膨張する。そのお陰でピンポン玉は死の淵から蘇る、と。
「……はあ。どうも」
「みんなも、この辺をまだ理解してなかったらもう一度勉強しておくように。で、
「え、また俺ですか?」
「またお前だ。え、ダメ?」
「ダメです」
「その『ダメです』がダメだ。続けるぞ。物を温めれば体積は増加するってことは、裏を返すとそれは、物を冷やせば体積は減少──いや、縮小するっていうのが道理だよな?」
「うーん、そうなのかもしれませんね」
「じゃあ、仮にここにガラス製のコップがあるとしよう。そのコップの体積がある程度増加するまで熱して、そのあとすぐに冷やしたとする。するとどうなると思う?」
「え? えっと……ど、どうにかなるんじゃないですか?」
「おお、まさにその通り。どうにかなるんだ。詳しくいえば、割れちゃうんだよ。こう、パリンっとな。なんでだかわかるよな、
「えーっと、それは多分、コップが脆かったとか?」
途端、
「……いいか? 熱膨張した物体を急激に冷やすと、構成している分子の運動エネルギーが一気に失われてすぐに収縮が始まる。そこで生まれる分子間の歪みが亀裂となって、結果的にその物体は損壊してしまうんだ。どうだ
「はい」
「悪びれもせず平気で嘘をつくなコラっ!」
「う、嘘じゃないですよ。ひどいなぁ、何を根拠に、そんな」
「根拠だ? いまさらそんなもの必要あるか! 授業は毎回いないし、たまにいても寝てるわで、仕方なく補習用のプリントを出してもやってこない。いざこうして質問してみたら小学生みたいな受け答えしかできないっ! そんな奴が理解できているわけがないだろうが! なにが「はい」だ。ナメてるよな、ナメてるだろ!」
「ま、まさかそんな、ナメてるだなんて。ハハハ、人聞きの悪いこと言わないでくださいよ、もう」
「その態度がナメてるって言ってんだよ。ちなみに今の内容、全部このあいだの期末テストに出てたんだぞ」
「え? うそ、そんなの習った覚えなんか俺、ないんですけど?」
「……ああ、たしかにな。俺もお前に教えた覚えはない」
「でしょ? それじゃあ俺が知らないのも、無理もないじゃないですか」
その言葉に
「俺がお前に教えていないって言ったのはなあ、ことごとくお前が授業にいなかったからだって、そういう意味だよ」
「…………ああ」
「ああ、じゃないだろ。せめてそれくらいはわかってくれって」
ふたりのやり取りに教室が笑いこけているが、その雰囲気は、けして
それを肌で感じて
さすがの
たしかに遅刻や居眠りをしてばかりでどうしようもない奴だ思われても仕方ないし、何なら自分でも思っているくらいだが、周りからのイメージ像がそうであるなら、それを逆手にとればいい。毒を食らわば皿までとはよく言うが、あえてバカのフリをすればいい。道化師のようにみんなを笑わせればいいのだ。そうすることで愛着を持ってもらうことができ、むしろ本当の意味でバカにされたり蔑まれたりはしない。
言わばこれは、
そしてそんな
なぜなら、この2時限目の終了後に
まさに因果応報、自業自得である。
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