第03話 熱膨張した想い

 休み時間になると、さきほど赤羽あかばねのクラスで起きたような歓声にも似た騒ぎが廊下からちらほらと聞こえ始めた。



 他のクラスよりも一早く情報をつかんでいたであろう赤羽あかばねのクラスでは、このニコラス学園から目と鼻の距離にあるキングキャッスルにサンタが現れるということで、誰からともなくみんなでサンタを見に行こうという話題になり、すでに集合場所とその時間や段取りまでもがまとまりつつあった。

今は三々五々、サンタクロースのあの謎の力は一体何なのか、今年こそサンタは捕まるのか、といったような毎年恒例の話題で持ちきりになっているところだ。



「なあ、鳴海なるみはどうする? みんなと一緒にサンタを見に行くか?」



 赤羽あかばねは休み時間も着席したまま読書を続ける金鵄きんしの机の前に立って、上から言葉を浴びせるように問いかけた。

 だが当の本人は視線を合わせようともせず、そのまま返事をした。



「俺は行かない。用事があるから」

「用事?」 

「ああ。逆に教えてくれ。サンタを見に行くって、そんなに興味をそそられるようなことなのか?」

「え? いや、だって、あのサンタだぞ? 1年に1回しか現れないし、そのサンタが今年は日本で、しかもここからすぐのところに現れるんだぞ? そりゃあもう見に行くだろう、普通。それこそオリンピックとかみたいに、何十年に1回あるかないかのチャンスなんだから。なんならもう、生きている間に二度とないかもしれないじゃんか」

「そうか。でも悪いな。そういうことに意味も価値も感じないんだ、俺は。わかったらもうその話は辞めてくれ。読書に集中したい」

「ふうん……そっか、わかった」



 一度そうだと決めたら金鵄きんしはテコでも動かない。それはこれまでの付き合いで重々承知している。

 それ以上無駄に絡むこともせず、さっきから読み続けてるけど『魔女リカ★魔女ルカ』っていうのはそんなに面白いのか? なら今度貸してもらおう、という感想だけを抱いていったんそのままいったん自席に着こうとした。

そこでふと、常盤ときわの表情が強張っているが目に付いた。



「どうしたんだ、そんな顔をして」

「え? 何が?」

「なんか凄い顔してたぞ。緊張しているっていうか」

「緊張? 私が?」

「ああ。まるで夏の大会のときの、決勝の直前みたいな、さ」

「……そうかな。気のせいじゃない?」

「そうか? ならいいんだけど……それよりも、今日の夜はお前もみんなと一緒に行くんだろ?」

「サンタを見に行こうっていうアレのこと? ごめん、私は行けないや」

「え、行かないの?」

「うん。ちょっとその……用事があって」

「お前も用事かよ。もしかしてまたバイトとか言わないよな? そんなんだったら休んじゃえばいいのに。一日くらい休んだってどうってことないだろ?」

「ううん、違うの。そうじゃなくて、えっと……ほら、今日はクリスマス・イブでしょ?」

「まあ、たしかに今日はクリスマス・イブだけど、で?」

「もう。わかってるくせに」



 もちろんわかっていた。常盤ときわが何を言いたいのかなんてことは。

 だが、何故かそれを認めたくなかった。

 ざわつく心を胸の奥底に押しやっておきながら、わかっていないような表情をどうしてなのか浮かべてしまう。



 常盤ときわは近くに誰もいないのを確認すると、着座したまま、耳打ちをするような仕草をとった。

 耳を寄せると、常盤ときわは恥じらうように小さく、こうささやいた。



「だから、今夜は人と会うの」



 それを聞いて、呼吸が一瞬止まった。

 一拍置いてから、無言のまま首を横に向けて常盤ときわの表情をうかがう。とうの常盤ときわは、視線を下にそらせつつ、麗しい桜色の頬がほんのりと紅潮していた。

 その仕草がどうしてか、壮大な喪失感を覚える。

 やけに早くなっている心拍を落ち着かせてから、今度は赤羽あかばねから耳打ちをした。



「それって、その、相手は男ってことだよな?」



 常盤ときわはうんともすんとも答えなかったが、視線を少し泳がせたのち、慎ましく頷いた。



「それってつまり、デート、ってこと?」


 

 その問いに、視線は下を向いたままの無言の首肯が返ってくる。

 赤羽あかばねは、耳打ちこそ続けなかったが、できる限り声を絞って疑問をぶつけた。 



「お……お前いつの間に彼氏作ったんだよ? そいつ、俺の知ってる奴? それともバイト先の人とか?」

「えっと……な、内緒」

「内緒って。まあ無理に言えとは言わないけどさ、それにしても──付き合っている奴がいるんだったら、俺の部屋なんかにしょっちゅう来てちゃ、いろいろとマズくないか?」



 そう言葉にして、戸惑う。

 ……あれ? 俺、なんでこんなこと言ってるんだろう?

 


「あ、それは問題にならないかな。あたしたちが幼馴染だっていうことは一応知っているし」

「ってことは、俺のことも知ってる奴なのか」

「うん、まあ」

「ふーん。で? 最初の質問に戻るけど、一体いつから付き合ってるんだよ、そいつと?」

「えっと……2学期が始まったくらい、だったかな」

「それじゃあ3か月以上も前ってこと?」

「そうなるかな。うん」

「うげぇ、全然気づかなかった──あ、悪い。なんか問い詰めてる感じになっちゃったな」

「ううん、それは構わないけど」

「それじゃあまあその、とにかくお前は、今日は来ないってことでいいんだな?」

「……うん」

「了解。相手がどこの誰かは知らないけど、一応、うまくいくように俺も祈ってるから」

「一応って。フフ……うん、ありがとう」



 謝辞を口にして微笑むその顔を、極力視界に収めないよう努めた。



 それからの数分間、赤羽あかばねは何をするでもなく自席で缶コーヒーを吟味していた。

 中途半端に超加熱ウォーム・ブラッドを使ったせいで、温かくもなければ完全に冷たいわけでもなく、微妙に生温い。

口に甘みと苦みが広がる。いつもの味なのに、今日は妙に後味が悪く感じられる。不快感が口のなかに纏わりついているようだ。



 気づいたら、飲み干して空になった缶を強めに握って少しへこませていた。

少し戸惑う。普段はそんなことしないのに、一体どうしたのだろうか。おかしい。

さっきから赤羽あかばねは、自分の価値観が反転したような奇妙な感覚に悩まされていた。



 するとそこで、教室の前扉が勢いよく開くのに併せて、「ほらみんな、チャイムが鳴ったぞ」という声が響いた。空き缶を机の下に置いて、姿勢を正す。



「いや、一時間目は悪かったな。ちょっと家の都合で──ん? あれ、今日はもう赤羽あかばねがいるのか? まだ2時間目なのに? うーん、まいったな。まさかよりにもよってこの俺が赤羽あかばねよりも遅れる日が来るとは」



 一時間目に姿を現さなかった男性教師は、恥ずかしそうに笑いながら指でこめかみを掻く。

 いつもは赤羽あかばねの遅刻を咎めているのに、それが今日は赤羽あかばねよりも遅い出勤。ともすれば、肩身が狭いその心境も理解できる。教室からどっと笑い声があがる。



 遅刻をしてきた物理教師の葛城かつらぎゆうは、2学期から講師として働いている非常勤講師だ。180近くある身長と清涼感溢れる顔立ち。これだけでも女子生徒の人気の的だが、まだ23歳ということもあって生徒との距離感も近く、共通の話題も豊富だ。そういうこともあって、親近感を抱く男子生徒も少なくない。



「でもまあ、考えようによってはちょうどいいか。それじゃあ赤羽あかばね、先週の試験に出た『熱膨張』について、この場を借りておさらいするとしようか」

「え」

「なんだ? 何か問題でもあるのか?」

「そ、そんなことはないですけど……」


  

 葛城かつらぎは手荷物を教壇におくと、まるで赤羽あかばねとふたりきりのように、そのまま話を続けた。



「じゃあまずはおさらいだな。『熱膨張』っていうのはどんな現象を言うんだっけ?」

「それは、つまり、アレですよ。えーっと……熱で、その、膨張するっていう現象のことですね。はい」

「……まあ、な。一部の例外を除いてだが、『熱膨張』とは読んで字の如く、物体が熱をおびるとその物体を構成している分子が運動エネルギーを持って暴れ回り、結果的に体積が増加する、ってことをいうんだったな。身近な例でいうと、へこんだピンポン玉を熱湯につけておくと復活するアレだ。アレはピンポン玉の内部の空気が熱湯の影響でエネルギーを持ち膨張する。そのお陰でピンポン玉は死の淵から蘇る、と。赤羽あかばね、ピンポーン! なんつって」 

「……はあ。どうも」

「みんなも、この辺をまだ理解してなかったらもう一度勉強しておくように。で、赤羽あかばね

「え、また俺ですか?」

「またお前だ。え、ダメ?」

「ダメです」

「その『ダメです』がダメだ。続けるぞ。物を温めれば体積は増加するってことは、裏を返すとそれは、物を冷やせば体積は減少──いや、縮小するっていうのが道理だよな?」

「うーん、そうなのかもしれませんね」

「じゃあ、仮にここにガラス製のコップがあるとしよう。そのコップの体積がある程度増加するまで熱して、そのあとすぐに冷やしたとする。するとどうなると思う?」

「え? えっと……ど、どうにかなるんじゃないですか?」

「おお、まさにその通り。どうにかなるんだ。詳しくいえば、割れちゃうんだよ。こう、パリンっとな。なんでだかわかるよな、赤羽あかばね?」

「えーっと、それは多分、コップが脆かったとか?」



 途端、葛城かつらぎは今までが嘘のように酷く落胆した様子となり、力なく溜息をついた。



「……いいか? 熱膨張した物体を急激に冷やすと、構成している分子の運動エネルギーが一気に失われてすぐに収縮が始まる。そこで生まれる分子間の歪みが亀裂となって、結果的にその物体は損壊してしまうんだ。どうだ赤羽あかばね、俺の言ったことが少しでも理解できたか?」

「はい」

「悪びれもせず平気で嘘をつくなコラっ!」 

「う、嘘じゃないですよ。ひどいなぁ、何を根拠に、そんな」

「根拠だ? いまさらそんなもの必要あるか! 授業は毎回いないし、たまにいても寝てるわで、仕方なく補習用のプリントを出してもやってこない。いざこうして質問してみたら小学生みたいな受け答えしかできないっ! そんな奴が理解できているわけがないだろうが! なにが「はい」だ。ナメてるよな、ナメてるだろ!」

「ま、まさかそんな、ナメてるだなんて。ハハハ、人聞きの悪いこと言わないでくださいよ、もう」

「その態度がナメてるって言ってんだよ。ちなみに今の内容、全部このあいだの期末テストに出てたんだぞ」

「え? うそ、そんなの習った覚えなんか俺、ないんですけど?」

「……ああ、たしかにな。俺もお前に教えた覚えはない」

「でしょ? それじゃあ俺が知らないのも、無理もないじゃないですか」



 その言葉に葛城かつらぎは肩を落とし、「……まったく、お前には皮肉も通じないんだな」とこぼした。



「俺がお前に教えていないって言ったのはなあ、ことごとくお前が授業にいなかったからだって、そういう意味だよ」

「…………ああ」

「ああ、じゃないだろ。せめてそれくらいはわかってくれって」


  

 ふたりのやり取りに教室が笑いこけているが、その雰囲気は、けして赤羽あかばねをバカにしたようなものではない。まったくしょうがない奴だな、という親しみから生まれているものだった。

 それを肌で感じて赤羽あかばねは、内心では安堵していた。



 さすがの赤羽あかばねも、葛城かつらぎの皮肉が通じないほどにバカではない。それを理解したうえで、さらにバカを演じ続けていたのだ。

 


たしかに遅刻や居眠りをしてばかりでどうしようもない奴だ思われても仕方ないし、何なら自分でも思っているくらいだが、周りからのイメージ像がそうであるなら、それを逆手にとればいい。毒を食らわば皿までとはよく言うが、あえてバカのフリをすればいい。道化師のようにみんなを笑わせればいいのだ。そうすることで愛着を持ってもらうことができ、むしろ本当の意味でバカにされたり蔑まれたりはしない。

言わばこれは、赤羽あかばねなりの一種の処世術なのだ。

 

 

 常盤ときわは幼馴染であるがゆえに赤羽あかばねのそのあたりの心情を知っていて、人知れず嘆息していた。そんなことに気を回すくらいならまじめに勉強すればいいのに、といった具合に。

 金鵄きんしだけが、世界から取り残されたように物静かに本を読み続けていた。



 そしてそんな赤羽あかばねの処世術は、結果から先に言えば、今回はおおいに失敗したことになる。

 なぜなら、この2時限目の終了後に葛城かつらぎに職員室まで連行され、そのまま学年の教師陣の説教が始まり、終いには『明日、遅刻せずに学園に登校しなければ留年決定』という約束を強引に交わされてしまったのだ。

 まさに因果応報、自業自得である。

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