第40話
遡ること数時間前。
月と星の光の射す教会祭壇の上――突き立てた神剣によりかかり、リカルドは瞑想していた。
心を静め、リカルドは想う。
明日、戦いになることは避けられない。
互いに譲ることのできない想いがあった。話は平行線で交わることは叶わない。
こうなることはわかっていた。
同じ人間である勇者を殺し、その仲間を殺し、魔王を討つ。
そのことに異論はなかったし、望んですらいた。
魔族と手を組む勇者を殺すことにためらいなどはなかった。
だが……勇者はジアだった。その仲間の中にはレミもいる。どちらもリカルドにとっては大切な友達だった。
特にジアは……親友だ。リカルドの人生の中で一番大切な友達だった。
二人の出会いは十二年前、リカルドが故郷を失いカナンの孤児院に入れられたときまで遡る。
兄のレオナルドはもう十五歳だったため孤児院には入らず、騎士団に入り寮暮らしをしていた。だからリカルドは孤児院で一人だった。
孤児院に入ったばかりのリカルドは荒れていた。
幼いリカルドの心の中にあった怒りは、魔族にではなく理不尽なこの世界そのものに向けられていた。
だから唯一の肉親である兄以外には心を開かず、他の全てのものにその怒りをぶちまけた。
そんなリカルドに何度も声を掛けてきたのがジアだった。
その度にリカルドはジアに冷たくあたった。暴力を振るったことも何度もあった。それでもジアはめげることなく笑顔で話しかけてきた。
そして二人はいつの間にか友達になっていた。
ジアと友達になってしまえば、この孤児院ではみんなと友達になったようなもので、その後は簡単だった。
それから一月もしない間に、リカルドにとってこの孤児院での生活は故郷での生活となんら遜色のない満ち足りたものとなっていた。
それからの七年、リカルドの人生はジアと共にあった。ジアは一つ年下の親友で、弟のような存在だった。
ジアがいたからこそ、孤児院での七年間は幸せだった。
リカルドにとってジアは本当に大切な友達だったのだ。
それは失ってしまった家族やラニにも劣ることのない大切な宝。
そしてそれは、望みさえすればまたこの手に握ることの可能な唯一の宝だった。
だが……この手に握れるものには限りがある。その宝を手にするためには剣を捨てなければならなかった。
リカルドは死んでいった者たちを想う。
それは魔族によって奪われた宝たち。
両親はリカルドとレオナルドを逃がすために殺された。レオナルドはリカルドを守るために戦って殺された。ラニはリカルドと共に在ることを望んで殺された。
瞑った目から涙が溢れる。
許すことはできない。許せるわけがない。
この剣を手放すことなんてリカルドにはできない。
だから選択しなければならない。
二つの想いを秤にかけて、掲げられたほうを切り捨てる。たったそれだけの簡単な選択だ。
そう……この剣は手放せない。この憎悪を消し去ることなんてできない。
故に答えは一つ。
ジアを殺し、その仲間のレミたちを殺し、魔王を討てばいい。
リカルドがそう決意したとき、誰かが教会の中に入ってきた。
「誰だ?」
「僕だ」
それはジアの声だった。
「どうした? 確か約束は明日の夜だったはずだが。それとももう答えがでたのか?」
「答えはもう出ている。でもそれを伝えにきたわけじゃない。話し合いたくてきたんだ」
「話し合い? じゃあ、場合によってはジアが俺と一緒に魔族と戦ってくれる可能性もあるってことか?」
「いや……それはできない」
「じゃあ、話し合いではないだろ。俺を説得にきたと言え。俺にお前の考えを押し付けにきたと、はっきりそう言えばいい」
「違う! そうじゃない。リカルドなら話せばわかってくれると思ってきたんだ。どうかお願いだ。話だけでも聞いて欲しい」
「……そうだな。他でもないジアの頼みだ。話ぐらいは聞いてやるよ。さぁ、話してみろ」
そう言って、リカルドは祭壇の上に腰を下ろした。
「ぇと……ほら、僕らは魔族がずっと敵だと思っていただろう。それが神の教えだったから、ただ盲目的にそう信じてきた。それは魔族たちも一緒だったんだ。互いに相手は悪だと教えられて、言葉が通じないから分かり合うこともできなかった。でも話してみれば、魔族も人も全く変わらない。本当は戦う必要なんてなかったんだ」
ジアは自分の想いを伝えるために一生懸命、身振り手振りを交えて話す。そんなジアの姿をリカルドはとても懐かしく感じた。
「そうか……ジアが言うのなら、そうなのかもしれないな。だがな……俺は魔族に両親を殺された。兄を殺された。愛する人を殺された。ジアにはなくとも俺には戦う必要がある」
「憎しみ合っていたら何も解決しない。復讐は新たな復讐を生むだけだ。その連鎖を断ち切るためには許すことが必要なんだ。確かに多くのものを失ったかもしれない。でも仕方なかった。人間がそうであるように魔族だって人間を敵だと思い込まされていたんだから。大丈夫、リカルドなら魔族たちと話せばすぐにわかり合える。きっと許すことだってできる」
「許せだと? 俺に許せと――そう言ったのか? 俺の母は俺の目の前で首を切り落とされた。その後、父は足を切られ、腕を切られ、そして焼かれた。俺の目の前でその魔族は笑っていた。兄さんがそのとき聖剣に選ばれなかったら、俺も兄さんもその場で同じように殺されていた。それを許せだと? 言葉が通じないから仕方なかっただと?」
リカルドの目から涙が溢れた。
悲しみのためか、怒りのせいかは自分にもわからない。
「母さんは泣き叫びながら、子供たちだけは見逃してくれと懇願していた。魔族はうるさそうな顔をして、その首を切った。それが仕方なかっただと……ふざけるな!」
リカルドは立ち上がって叫んだ。
「憎しみ合っていたら何も解決しない? 復讐は新たな復讐を生む? そうだな。それはそうかもしれない。でも大丈夫だ。俺が魔族を根絶やしにしてやる。復讐の連鎖も、そうすれば問題ないだろう?」
「リカルドは本当にそれでいいのか? それでは魔族が君にしたことと同じことを魔族にするっていうことなんだぞ?」
「ああ。当然の報いだ」
「そんなの間違ってる。話せばきっとリカルドだって許せるんだ」
「話を聞いていたのか? 許せるわけなんてないだろ! どうせ言うのなら、我慢しろと言え。両親が殺されたのも、兄さんが殺されたのも、ラニが殺されたのも仕方がなかった。だから我慢しろと、そう言えばいい。俺だけじゃない。親を殺された子に、子を殺された親にもそう言ってやればいい。許すなどと二度と口にするな」
「でも……」
そうつぶやいて、ジアは目に涙を溜めて俯く。
こんなときでも自分がそうさせたのだと思うと、リカルドは心が痛んだ。
「わかった。じゃあ……リカルド、お願いだ。僕たちがこの戦いを終わらせる。人間と魔族が争う必要のない世界を作る。だからリカルドには我慢して欲しい」
ジアは涙を流しながら頭を垂れる。
その様子にリカルドは少し笑ってしまいそうになった。
すごいと思う。リカルドは本当にジアをすごいと思った。
ジアは五年前の経験を受けてなお、何も変わっていない。リカルドが共に過ごしたジアと何も変わっていない。
しかしリカルドは変わってしまった。この五年間であの頃とは別人になってしまった。
もうジアと同じ道を行くことはできない。
そう……すでに選択は下したのだ。
リカルドはその手に神剣を握り締める。
「ジア……顔を上げろ。お前の気持ちはわかった。さぁ、剣を取れ。俺には魔族を許すことはできないし、我慢もできそうにない。だから、俺を止めたいなら力ずくで止めろ。そんなに魔族と仲良くやりたいのなら、俺を殺してそうすればいい。もしそれができないのなら俺がお前を殺して、魔族を滅ぼす。その邪魔をするのなら他の人間だって殺す」
「そんな……僕はリカルドとなんて戦えない」
「それなら、ジアが死ぬだけだ。理想も大切な者も守ることができず――死ぬ。それだけさ」
「待ってくれ、リカルド。戦う必要なんてない。話し合えばわかることなんだ。一度でいいから、魔族と話してみてほしい」
「すまないが、俺は魔族なんかと話すつもりはない。魔族が俺の前に現れたのなら、俺はその魔族を殺す。ジア……もう話は終わりだ。必要ない。ジアができないように、俺にも意見を変えることはできない。もう……力でしか解決の糸口はない。さぁ、ジア、神剣を手にしろ。選択から逃げるな」
そう言ってリカルドは真っ直ぐにジアを見据え神剣を構えた。
ジアの目は先ほどまでと違う。ジアもまた真っ直ぐとリカルドを見据えて言った。
「それでも僕はリカルドとは戦わない。僕はここに話をしにきた。それに僕はこれから敵だった魔族と仲良くなろうっていうんだ。親友のリカルドとなんて戦えないよ」
そう言って、ジアは笑った。
「俺は今、ここに在る」
リカルドはつぶやく。そして叫んだ。
「数え切れぬ夜、終わらぬ絶望、果て無き憎しみを越えて俺は今、ここに至る! ジアにはできなくとも俺にはできる。俺はお前を殺す。そして報いを与えるんだ。許せない。俺には許せない。母さんが殺されて、父さんが殺されて、兄さんが殺されて、ラニが殺された。それだけじゃない。もっとたくさんの俺の大切なものが奪われた。奪っていった魔族が笑っているのが許せない。息を吸っているのが許せない。生きているのが許せない。だから俺は魔族の存在を決して許しはしない!」
リカルドは神剣を構えて駆ける。そして振り下ろす。
しかしジアは動かない。
リカルドの神剣はジアの首筋で止まった。
「本当に殺すぞ。早く神剣を呼べ」
「必要ないんだ」
「俺にはお前が殺せないと……そう、思っているのか?」
「当たり前だ。リカルドに友達は殺せないよ。こんなにも自分の大切な者を奪われて傷ついているリカルドが、友達を殺せるわけがないじゃないか」
優しい笑みを浮かべてジアは言葉を続ける。
「僕にもどうすればいいのかはわからない。だから一緒に考えよう。リカルドは選択から逃げるなって言ったけど、逃げるんじゃない。新しい選択肢を考えよう。僕とリカルドとみんなで力を合わせればきっと見つけられる」
リカルドの神剣を持つ手が震える。手から力が少しずつ抜けていく。
意思が揺らいでいた。
しかし――リカルドはもう決めたのだ。すでに選択は済ませた。
もう答えが変わることはない。あってはならない。
奪われたもの、そして神剣を与えてくれた神に報いるために……
「うあぁぁぁぁーーーー!」
まるで悲鳴のような雄叫びを上げながらカルドは神剣を振り下ろした。
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