第16話
夢を見ていた……
それは彼が望んだままの世界。
何かを得ることを望んだわけではない。
彼が望んだもの。それは失わないこと。
優しい両親。憧れの兄。いつも隣にいた親友。心から慕ってくれる後輩。期待を寄せてくれる団長。他にも多くの大好きな人たち。
そんなみんなに囲まれた宝石のような日常。
それだけあれば、他には何も望む必要などなかった。
もうこれだけあれば充分だった……
その全てが在る……ここは夢の世界。
場所は孤児院だった。
現実では彼が七歳から十三歳までの六年間を過ごした場所。
そんな幸せに満ちた世界に光が射す。
その光は希望の光ではなかった。
光はただ……真実を照らす。
満ち足りた夢の世界を消し去って、彼に目覚めのときを告げる。
彼が目を開くと、窓から日が射しこんでいた。
「本当に……夢はどうして覚めてしまうのだろう」
そう呟くと、彼――リカルドは目を擦る。
濡れていた。
強く目を拭う。
涙を拭い終わると、リカルドは自分の手のひらの中を見つめながら想った。
夢から覚めた今の世界。今、自分の手の中に在る世界。
それを想う……
そして窓を眺める。
窓から差し込んでいるのは朝日ではなかった。オレンジ色に染まった夕日。
夕日を眺めながらリカルドは思い出す。
今日は宿直明けの休日。
まだ少し眠いが、今ここでもう一度寝てしまうと今度は夜に眠れなくなってしまう。だからリカルドは起きることにした。
何かを口にしようとキッチンへと向かう。
テーブルにはサンドウィッチと「今日の分のお弁当です。起きたら食べてください。感想は明日教えてください。ラーニャ」と書かれた書置きがあった。
いつものことなので驚きもしない。
サンドウィッチを食べながら、リカルドは自分に言い聞かせるように思う。
……幸せになってはいけない。幸せを感じてはいけない。
幸せには終りがある。今――幸せを感じれば、この日常は奪われてしまう。
そう……リカルドは呪われているのだから。
誰かにそう告げられたわけではない。しかしリカルドはそう確信していた。
だって、いつもそうだった。
幸せは簡単に終りを告げる。幸せが大きければ大きいほどにそれを上回る悲劇によって塗り潰されてしまう。
失うのは居場所と大切な人。
そして奪っていくのは魔族。
だから力を求めた。
幸せを望むことが許されないのであれば、幸せだった日々に想いを馳せるしかない。
そして報いを……
幸せを、大切なものを奪っていった魔族にそれ相応の対価を支払わせる。
復讐を願わなければ、心はその傷に耐えられない。
憎しみにすがらなければ立ち上がることすらできない。
だから力を……力だけを望む。
左手には思い出。右手に求めるのは報いを与える力。
しかし今……その手の中にはサンドウィッチがあった。
すでに食べ終えた一つ目はタマゴサンド。今手の中にあるのはハムサンド。
お皿には後三つあるが、全部違う種類だ。
ハムサンドを食べ終えて、次はキノコサンドを手に持って立ち上がる。
そしてベッドの横に立てかけられた剣を握る。
左手にはサンドウィッチ右手には剣。
右手に握られているのは魔剣。リカルドの望む力には程遠い。
だが……もしその右手の中に聖剣があったとしても。次の試験で聖剣を得ることができたとしても……
リカルドの望む、兄レオナルドの力には遠く及ばない。
剣を元の場所に戻して、左手に持ったサンドウィッチを口に放り込む。咀嚼しながら目を瞑る。
そして思い出す……
大切だったもの。幸せだった時を。
目蓋の裏に思い浮かんだのは……元気でお節介な後輩の姿。ラニの笑顔。
「あぁあ…………」
わかっていた。気付いてもいた。
リカルドは今、幸せの中にある。
この五年間、ずっと血の滲む努力を重ね、力だけを求めてきた。それ以外に目を向けることなく真っ直ぐに。
幸せな日々を奪っていった魔族を憎み、力だけを求め剣を振るう日々は充実してはいたが幸せではなかった。
だがそれでよかったのだ。リカルドはそう望んでいたのだから。
それなのにラニが現れた。ラニはリカルドがどれだけ拒んでも、無理やりに幸せをくれた。
そう……ラニは無理やりにリカルドを幸せにしてしまうのだ。
ラニが存在し続ける限り、リカルドは幸せから逃れられない。
だとしたら……リカルドは思う。
仕方がないのかもしれない。
もしこの手に力を得ることができたのなら、聖剣を得ることが叶ったのならば幸せを受け入れよう。
そして得た力は復讐のためではなく守るために振るおう。
だってそれは、復讐なんかよりずっと輝いて見えたから。
そのためにも……
リカルドは再び剣を握る。
どちらにしろ、力が必要だった。
リカルドは兄のように天才ではないし、特別な才能を有してはいない。
だから力を得るには努力を重ね、自らの手によって築き上げるしかない。
リカルドは剣を握る手に力を込める。
数週間後に迫った、聖剣を賭けた試合。負けるわけにはいかなかった。
今まで以上にその手に聖剣を得る必要が生まれたのだから。
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