第7話

 孤児院の中、子供たちが入ることを禁じられた一室。その中にまだ幼かった二人はいた。

 発端はリカルドの一言。

「何かこう……ドキドキするような冒険がしたいよな」

「うん。面白そうだね」

 ジアもその言葉に頷いた。

 そして二人が考え、至った冒険がこの部屋。孤児院で唯一、子供が入ることを禁じられた秘境。もし孤児院のシスターたちにばれれば、待っているのはげんこつとお説教。そのリスクも冒険にはもってこいだった。

 ジアにいつもくっついていた二歳年上の女の子、レミも一緒にこの冒険に参加したがったが、女には危険だということで男二人での挑戦となった。

「なんか面白いもんあったか?」

 リカルドに問われて、ジアは辺りを見回すがこれといって何にもない。どうやらここは物置らしく、あるのは耕具とかそんなものばっかりだ。

「何にもないよ。そっちはどう?」

 入り口付近を探索中のジアは奥の方を探索しているリカルドに聞いてみた。

「うーーん。こっちもたいしたもんはないな。強いてあげるならビンがある。中身はお酒っぽい」

「そか……」

 お酒には興味はないのでどうでもいい。

「おおお!」

 ジアは声を上げた。

「どうした? 何か見つけたか?」

 リカルドが駆け寄ってくる。

「剣を見つけた」

 耕具の奥の方から鞘に収まった剣を見つけた。ちょうど二本あったので片方をリカルドに手渡して鞘から抜いてみる。

「すげえな。やっぱ、本物は違う」

「うん。レオ兄の持ってくるやつとは全然違うね」

 リカルドの言葉にジアは頷いた。

 本当に全然違った。リカルドの年の離れた兄レオナルドは騎士団に所属していて、時々練習用の木剣を持ってきてくれるのだが、それとは全然違う。

 少し錆びて赤茶けているけど、重くて迫力があった。

 ジアはレオナルドに教わったように構えてみる。

「ジア、勝負だ!」

 同じように剣を構えたリカルドが言った。

「負けないっ!」

 そう答えて剣を構えたままリカルドの方に向き直る。

 そのとき――大地が揺れた。大きな震動。

 急に部屋の外が騒がしくなる。

 この部屋は孤児院の隅っこにあるので正確な内容まではわからないが、叫び声のようなものが聞こえてきた。

「どうしよう?」

 ジアは剣を鞘に戻して扉に向かう。

「バカ、今出たらばれるぞ。とりあえずしばらくはこの部屋に隠れて待ってよう」

「わかった」

 ジアは頷いた。

 それから二十分もすると辺りは静かになって、声は全く聞こえなくなった。

 念のため、さらに十五分くらい待ってから――

「もう大丈夫そうだね」

「そうだな」

 二人は一緒に部屋の外に出た。廊下には誰もいない。

「よかっ……」

 ――爆発音と大きな揺れにジアの安堵の声はかき消された。

 二人は走った。

 孤児院の中には誰もいない。

 外に出ると、西の空が赤く燃えて煙が上がっていた。

 そして赤い空を背に二人の方に歩いて来る一人の男。

 孤児院の職員ではなかったが大人の人だったので、二人は安心して駆け寄る。

「何が起きたんですか?」

 ジアが話しかけると、男は返事を返すことなく、唇の端を吊り上げ笑った。

「危ない!」

 リカルドが体当たりでジアを突き飛ばす。

 今までジアがいたところを炎が通り過ぎた。

「こいつ……魔族だ!」

 リカルドが叫ぶ。

「ジア。逃げるぞ」

 リカルドはジアの手を掴んで走った。

 しかし、二人の進行方向に炎の塊が飛んできて、行く手を阻む。

 振り返れば、そこにはゆっくりと迫り来る魔族の姿。

 魔族の顔が愉悦に歪む。

 頭の中は真っ白だった。絶望すら感じることを忘れて、ジアは魔族を見つめる。

「逃げるぞ」

 リカルドが小声で言った。

「左右に別れて二人別々に逃げるんだ。ジアは左で、俺は右だ。俺が行けって言ったらジアは左に走れ。わかったか?」

「うん」

「よし。じゃあ、行くぞ」

 言って、リカルドはこぶしを握り締める。

「わかった」

 ジアもぎゅっと強くこぶしを握って返事を返した。

「行けっ!」

 リカルドが叫ぶ。

 ジアは走った。走りながら振り返ってリカルドの方を見る。

「えっ?」

 信じられない光景に、ジアは足を止めてしまった。

「うおぉぉぉーーーー!」

 リカルドは魔族の方に向かって走っていた。こぶしを振り上げて魔族に殴りかかる。

 魔族は片手をリカルドに向けた。その手のひらの中に炎が生まれた瞬間――魔族の腕は虚空に舞った。

 レオナルドがいた。

 魔族やリカルドからだいぶ離れた位置。そこに聖剣を構えたレオナルドの姿。

 レオナルド・ロシャ――八歳離れたリカルドの兄。聖剣の中でも特に力を持つ、所有者を選ぶ聖剣に選ばれた騎士。その聖剣の力は絶大で、斬撃を飛ばすことができた。

 魔族の腕を切り裂いたのもその一撃によるもの。

「かっこよかったぞ。リカルド」

 レオナルドはリカルドの下まで歩み寄ると、笑顔を浮かべてそう言った。

「で、俺の弟に手を出したのはお前か? 魔族!」

 そう言って、レオナルドが魔族の方に向きを変えた瞬間――魔族の残った左手から炎の塊が生まれる。

 レオナルドは迫り来る炎を聖剣で切り裂くと、そのまま構えた聖剣で魔族の胸を貫いた。

「兄ちゃん」

「レオ兄――!」

 リカルドとジアはレオナルドが駆け寄る。

 しかし――

「早く逃げろ」

 レオナルドは聖剣を振って血を払いながら、息絶えた魔族ではなく空を睨みそう言った。

 その視線に釣られて二人も空を見上げる。

 魔族がいた。空に浮かぶ三人の魔族。その中には一人、銀の魔族の姿もあった。

「ここは俺に任せて、早く逃げろ。大丈夫だ。俺は魔族なんかに負けないから安心しろ」

 レオナルドは笑顔を浮かべた。

「………………」

 そしてリカルドだけに聞こえる大きさで一言囁いて、再び視線を空へと戻す。

「ジア。俺たちは逃げるぞ」

 リカルドに手を引かれてジアは走り出す。

「でも、レオ兄は?」

「兄ちゃんは大丈夫さ。魔族になんか負けないよ。そう言ってたろ?」

 リカルドも笑顔でそう言ってくれた。

「そうだね」

 だからジアも笑顔で頷くことができた。

 二人は手を取り合って必死で走った。

 走りながらジアは振り返る。

 そして――

「―――――っ!」

 声にならない絶叫とともに、ジアはその身を起こした。

 隣にいるはずのリカルドの姿を求めて、辺りを見回す。

 しかしそこは見知らぬ部屋。

 ジアはベッドの上にいた。

「夢……か…………」

 いまだ夢の世界を漂っている意識を連れ戻そうと、軽く頭を振る。

 ――と、一人の少女の姿が視界に入り込んできた。

 その少女はジアが寝ていたベッドの横にある椅子に腰掛けて、ベッドに倒れ掛かるようにして眠っている。

 とても可愛らしい寝顔だ。

 ジアの予想では年齢は十代中盤、十五歳くらいに見えた。

 手を枕にしているので寝にくいのか、ゆらゆらと傾く頭と一緒に揺れる髪の毛は長く美しい。

 その金糸の髪に触れようとジアは手を伸ばした――

 しかし、伸ばしたはずの右手はいつまでたっても少女の髪に触れることができない。それどころか右手は視界の中にすら現れなかった。

 ジアは不思議に思い、自らの右腕を見つめる。

 そこに……右腕はなかった。感覚はあるのに肘から先がない。

 ジアは思い出した。

 自分が勇者であること。銀の魔族二人と戦ったこと……そして目の前にいるこの少女が自らを魔王と名乗ったことを。

 ジアは神剣を求めて辺りを見回す。近くに神剣は見当たらない。

 目を瞑り、神剣を想い左手を握り締めた。

 握り締めた手の中に生まれる違和感。目を開けるとその左手には神剣が握られていた。

 神剣を手にジアは考える。

 それは自らがなすべきこと……なし得る最善の選択。

 手の中には神剣。目の前に魔王。

 勇者としてなすべきことは簡単だった。

 しかし……ジアにそれをなすことはできない。

 少女は魔王と名乗ったがそれが事実であるとは限らない。

 仮にそれが事実だったとしても少女は言ったのだ。ジアを守ると。

 そしてその言葉通りにジアは生きていた。銀の魔族と戦って意識を失ったはずなのに。

 右腕も失ってはいるが、治療が施されている。

 この魔王と名乗った少女がしてくれたのだろうか……

 そんなことを考えながら、ジアは神剣をベッドの上に置いて左手を少女の髪へと伸ばす。

 ジアが少女の髪に触れた瞬間――少女は体を起こした。

 そして小動物みたいに首だけをきょろきょろと動かして辺りを見回す。

 ジアがそんな少女の動きを眺めていると、目が合った瞬間にぴたりと動きが止まった。

 少女の金色の瞳にジアの顔が映りこむ。そしてその目から涙が溢れた。

「よかったぁーー!」

 少女がジアに飛びついてくる。

「よかった。本当によかった。やっと起きてくれた」

 泣きじゃくりながら少女はジアを強く抱きしめた。

「え……えと……?」

 急な抱擁に少しパニックを起こしながらもジアは考える。

 たくさんの疑問があった。聞きたいことは数え切れないほどあった。

 それでも、目の前の少女はジアが意識を取り戻したことを泣いて喜んでくれている。

 だから、まずは……

「ありがとう」

 ジアは笑顔で言った。そして少女を見つめる。

 金色だった。涙の溜まった瞳、腰の辺りまで伸びた長い髪。それは本当に鮮やかな金色をしていた。

「な~に、朝からイチャイチャしてるの?」

 そう言いながら、ドアから入ってきたのは二人。二人の銀の魔族。

 それはジアが意識を失う前まで戦っていた相手。

 ジアは神剣を握り締める。

「大丈夫。もう戦う必要はないから」

 そう言って、少女は微笑んだ。

「私はルル。ルル・ビダル。あっちの女の方が姉のレーネ・ビダルで、男の方がバティ・バルネッタ」

 言い終えると、ルルはジアの顔を覗き込む。

「あ、えと……僕は、ジア。ジア・ラメロウ、です……」

「ジア……私は魔王。本当はあなたたち人間の敵。でも私は人間と話してみたいと思った。そしてあなたと出会えた。あなたと会って確信した。私たちは戦う必要なんてない。きっと話し合えばお互いを理解できるし、分かり合える。だからまず、私はあなたに私のことを知ってほしい。そして私はあなたのことを知りたい」

 そう言ってルルは花のような笑顔を浮かべた。

「すごい……」

 ジアは感嘆の声を漏らす。

 本当にすごいと思った。心からすごいと思った。

 彼女は……ルルは言ったのだ。

 他の誰でもなく、魔王が勇者に向かって言ったのだ。

 戦う必要がないと。ずっと……ずっと以前から互いを憎み、争いを続けてきた人間と魔族が分かり合えると。

「ああ……」

 涙が溢れる。

「すごい。本当にすごいよ」

 ジアは自分の目の前にいるルルを抱きしめた。

 うれしくて、うれしくて仕方がなかった。

 だってもう戦わなくていい。誰も傷つかない。殺す必要もなければ、失うこともない。

 どれだけ望んでも、どれだけ願ってもこの手に届くことはなかった願いが、向こうから手を差し伸べてくれた。その差し伸べられた手を握るだけで願いが叶う。

 それも望んでいたよりずっと理想的な方法で。

「あぁぁー! 僕はどうしたらいい? 何でもするよ。あ、そっか……君のことを知って、僕のことを教えればいいの? 何でも聞いて、何でも教えるから。早く、ほら早く」

「えと、ちょっと落ち着いて。そんなに強く抱きしめられると少し恥かしい……」

 そう言われて、ジアはルルの姿を探す。

 ルルはジアの腕の中で小さくなっていた。

「ああっ、ごめん。あまりにもうれしすぎて」

「うん。まずベッドに座って。落ち着いて聞いて欲しいんだけど」

 言われたとおりベッドに座る。大切な、とても大切な話をするので正座だ。

「どうぞ」

「えと……何から話せばいいかな?」

「じゃあ、もう一回、しっかりと自己紹介をしましょう。私はレーネ、レーネ・ビダル。この子のお姉ちゃんよ」

 言いながらレーネは手を、ルルの頭の上に乗っける。

 とても綺麗な人だ。ルルとは正反対で色気の漂う大人の女性。

「属性は火。火傷しないように気をつけてね。じゃあ、次はバティ、あなたよ」

「バティ・バルネッタ」

「…………」

「…………」

 名前だけ口にして動かない。バティはおじさん。ジアの見立てでは三十後半から四十前半くらい。背も高く筋肉質だが知的な顔をしている。

「自分は……不器用です、から」

 片言な感じでそう呟いた。

 そしてその銀の瞳で真っ直ぐにジアを見つめて……

『済まなかった。君に大きな怪我を負わせてしまった。君は魔王様を守ろうとしてくれたのに、私たちは二人がかりで君を……武人として恥かしい』

 頭を下げながら意味のわからない言葉を口にした。

「バティはまだ人間の言葉を話せないのよ。自分は不器用ですからっていうのは、人間の世界だと無口の人はそれさえ言っておけば何とでもなるって話だから、それだけは覚えさせておいたの。それで魔族の言葉で言ったのは、ジア君に謝っていた。怪我させてごめんねって。私からも、ごめんなさい。でも……ルルが一番悪いのよ。もっと早く止めてくれればよかったのに」

「えっ? 私?」

「そうでしょ。お姉ちゃんたちもジア君もルルのために戦ってたんだから」

「……ごめんなさい。そうだね……私のせいだ。私のせいで右手を」

 ルルは目に涙を溜めて、今にも泣き出しそうな顔で言う。

 だからジアは自分の失った右腕を見つめてから笑顔で言った。

「大丈夫だから気にしないで。もう戦わなくていいんなら、右手くらいなくなってもたいして困ったりしないよ」

「そう言ってもらえると、お姉さんも助かるわ。よろしくね、ジア君」

「こちらこそよろしくお願いします。レーネさん」

 左手で握手を交わす。

「バティさんもよろしくお願いします」

 そう言ってジアがバティに手を差し出すと、頷きながら握り返してくれた。

『そうだな……私は言葉もわからないし、食事でも用意してこよう』

「バティが食事を作ってくれるって。バティは強いのに奥さんと二人の娘に尻に敷かれているから、家事は得意なの。期待していて。まぁ、人間と魔族では味覚の趣向が違う可能性もあるけど」

「それは楽しみです。ありがとうございます」

 そして、最後にジアはルルを見つめて……

「よろしく、ルルちゃん」

 手を差し出した。

 しかし握り返してはくれない。眉間に皺を寄せてまだ少し涙の溜まった目でジアを睨みつける。

「なんで、私だけちゃん付け? お姉ちゃんとバティにはさん付けなのに。私の人間の言葉の知識によると、ちゃん付けは子供相手使うはず。私は立派な大人なのに。確かに少し背は低いけど」

「えっ、そうなの? 何歳?」

「二十五歳」

「えっ? 嘘だ」

 ジアには信じられない。ルルの容姿はどう頑張ってみても二十歳を越えているようには見えない。

「嘘なんて吐かない。ねぇ、お姉ちゃん嘘じゃないよね」

「確かにルルは小っちゃいけど、嘘は吐かないわ。ちなみにお姉さんは三十八よ」

「ええっ? 冗談ですよね?」

「本当よ。ジアは何歳なの?」

「十八」

 ジアの答えに、ルルはぽむっと両手を打ち鳴らす。

「あっ……そうか。人間の本を呼んでいて違和感があったんだけど、人間と魔族では少し成長のスピードに差があるのね。ちなみに魔族はだいたい三十歳くらいまで背とかは伸びるの。で、大人扱いをうけるようになるのは二十歳からね。だから私は立派な大人です。ジアより年上だし、ちゃんは余計よ」

「うん。わかった。じゃあ、改めて……」

 改めて手を差し出す。今度はちゃんと握り返してくれる。

「よろしく。ルル」

「よろしく。ジア」

 ジアとルル、勇者と魔王は互いの手を強く握り合った。

「それで、ジアに確認しておきたいことがあるんだけど。ジアは勇者になったとき神から神剣を貰ったんだよね?」

「うん。そうだけど」

「まず……そのときのことを詳しく話してもらえないかな」

「わかった。んと、あれは三日前……あ、三日前って言うのは、ルルたちと会った三日前ね。いつもと変わらない普通の日だった……」

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