第6話
剣が目の前に迫っていた。
リカルドは剣を上段に構え、斬撃を受け止める。
迫りくる次の一手。横一文字の斬撃。
その一撃もまたリカルドは寸でのところで受けきる。
完全に押し込まれていた。
リカルドは交差した剣を力任せに強く弾くと後ろに大きく後退する。
十分に間合いをとると、呼吸を整えて心を静めた。
そして思い出す。
それはリカルドが勝たなければならない理由――
多くを望んだわけではなかった。
力を求めたわけでもない。
望んだのは変わらない日々。大切なものがそこにある日常。
何かを得ることなんて望まなかった。ただ……この手の中に在るものだけは失いたくなかった。
しかし……
まるでそれが罪であるかのように。
まるでそれは呪いのように。
大切なものは簡単にこの指をすり抜けて、失われていった。
奪っていったのは、いつも魔族。
十二年前、リカルドがまだ七歳だったとき、生まれ育った村は魔族によって滅ぼされた。両親はそのとき、リカルドと兄のレオナルドを守るために犠牲になった。
そして五年前、孤児となったリカルドの暮らす孤児院があった町もまた魔族の攻撃を受けた。今度はリカルドと一つ年下の親友ジアを守るために兄が犠牲になった。
大好きな家族はみんな魔族に殺された。
仲のよかった友達はみんな散り散りなってしまった。
大切な居場所も全て失った。
だから……力を求めるしかなかった。
幸せであることが赦されないのであれば。大切なものを失う呪いであるならば。
これ以上幸せを願うことも、大切なものをつくることもない。
どうせ――失ってしまうのだから。
これからは、ただ過去に生きよう。
リカルドは空っぽになってしまった手を握り締め、決意した。
大切だったもののために。失った日々に想いを馳せて。
報いを……
幸せを、大切なものたちを奪っていった魔族に、裁きを……復讐を……
そこに、それだけに生きる意味を見出そう。
リカルドは敵を見据えた。心に溢れる怒りを持って。
心は静かだった。もう迷うことも波立つこともない。
心の全ては怒りで満ちているから、波立つ隙間はない。迷う必要もない。
ただ真っ直ぐに目の前の敵に怒りをぶつけるだけでいい。
「うぉおおおーーーー!」
怒りをのせた斬撃。
受け止められた。敵の反撃。
思考が単純化しているため、剣の軌道がはっきりと見える。
受け止める必要はなかった。
上体を屈めながら、斜めに一歩踏み出してその一撃をかわす。
そしてリカルドは敵の胴に必殺の一撃を叩き込んだ。
「一本!」
声が響いた。その声はリカルドの勝利を宣言する。
「本当に強くなったな……お前には期待している。その年でこの腕だ。お前ならミカエルだって越えられるかもしれんな」
試合の相手、騎士団長クレーベル・カルレスは一撃を受けたお腹を押さえながら笑顔でそう言ってくれた。
「ありがとうございます」
クレーベルの言葉にリカルドは頭を下げる。
そんなリカルドを満足そうに見つめながらクレーベルは団員全員に聞こえるよう、声を張り上げて言った。
「よーし、昼休憩だ。次の集合は二時間後だぞ。遅れるなよ」
――それから一時間後。
リカルドはまだ騎士団の修練場にいた。
騎士団は二時間の昼休憩に入っているので、修練場にはリカルドの姿しかない。
そこでリカルドはひたすら素振りを繰り返していた。
リカルドが所属するのは、魔族領との境界近くにある都市レナトの騎士団。
この騎士団は境界近くということもあって三本の聖剣を所持していた。
聖剣――それはエーテルと呼ばれる星を巡る力を取り込むことのできる武具の総称。聖剣と呼ばれていても、剣の形をしているとは限らない。槍から盾まで多くの種類が確認されている。
その力は強大で魔族の魔法を切り裂き、身体能力まで大幅に引き上げてくれる。特に強力な聖剣は自ら持ち主を選んだ。
聖剣は人間が魔族に対抗するために必要不可欠な武具。
しかし人間自身で聖剣を作ることはできなかった。過去に聖剣を作り出した鍛冶師がいたという話もあるが、それは噂にすぎない。人間に作ることができるのはエーテルの結晶である精霊石や、エーテルを宿すことのできる精霊銀を加工して作る魔剣。その性能は聖剣には遠く及ばない。
そんな貴重な聖剣をこの騎士団は三本も所持していた。
聖剣の所持者は役職に関係なく完全な実力で選ばれる。一年に一度、試合によって騎士団の実力上位三人を選出し、その三人が聖剣の所持を認められた。
その試合が一ヵ月後に迫っていた。
だからリカルドは素振りを繰り返す。
現聖剣所持者は騎士団の遊撃部隊長ミカエル・シルベストル。騎士団長クレーベル・カルレス。副団長ヴィクトル・レスコットの三名。
リカルドの実力ではミカエルにはまだ及ばない。それでも他の二人には勝てる可能性があった。
現に今日の修練ではクレーベルから一本を勝ち得ている。
もうすぐだった。もう目の前にあった。
リカルドが強く強くひたすらに望んだ力。それをもうすぐ手にすることができた。
だから……
リカルドの素振りはより熱を帯びる。
「せんぱぁーい。リカルド先輩ー!」
修練場の入り口のほうから大きな声で呼びかけられた。
声のした方に目をやると、そこにはラニの姿。ラーニャ・ウルタード、今年騎士団に入団したばかりの十六歳の女の子。
「せんぱぁーい、今日もお弁当作ってきましたよ。一緒に食べましょう」
ラニは両手でお弁当を大事そうに抱えながらリカルドの下に駆け寄ってくる。
いつものことだった。ラニは真っ直ぐに好意をリカルドへとぶつけてくる。
三年前、まだリカルドが騎士団に入ったばかりの頃、森で獣に襲われそうになっていたラニを助けた。それが二人の出会いだった。
その日からラニは毎日、リカルドに会いに来た。
そして今年、なんとラニは騎士団にまで入ってしまった。
だから今、二人は先輩後輩の関係にある。
当初は邪険に扱っていたリカルドも初めの三ヶ月くらいで諦め、今ではされるがままになっている。
そんなわけで恒例となってしまった二人のお弁当タイムが始まった。
広げられたお弁当の中身は色とりどりのおかずと、楕円型のおむすび。
「いつも悪いな」
「いえいえ。大好きな先輩のためですから」
そう言って、ラニは無邪気に微笑を浮かべる。
その笑顔は本当に幸せそうで、リカルドまでつられて笑顔を浮かべそうになってしまう。その溢れる想いを押さえ込みながら、リカルドはお弁当を食べた。
左手におにぎりを持ったまま右手でおかずを物色する。
基本的にラニのスペックは高い。料理はかなりうまいし、運動神経も高く、剣の才能も十分にあった。容姿もボーイッシュではあるが整っているし、性格だっていい。
それでもリカルドはラニの想いに答えるわけにはいかなかった。
リカルドは幸せになることを赦されない。大切なものを作ることはできなかった。
呪われているから……
ラニの想いを受け入れ、幸せを得ても、きっとそれは簡単に失ってしまう。以前のように指の隙間からこぼれ落ちていく。
だから――耐える。
幸せを感じないように、心を硬く凍てつかせて。
方法は簡単だ。目を瞑って思い出せばいい。
大好きだった両親の笑顔。大好きだった兄の笑顔。今はもうこの手の中から消えていったたくさんの大切だったもの。
訪れる大きな喪失感。心はその痛みに悲鳴を上げる。
痛みと共に溢れる怒り、憎しみ、悲しみ、絶望。
しかし、長年……共に歩んできたその想いは、リカルドの心を乱しはしない。
かえってその想いは、真っ直ぐに進むべき道を照らしてくれた。
だからリカルドはお弁当を食べ終えると剣を握って立ち上がる。
「まだ集合まで二十分ある。もう少し素振りをしてくるよ。お弁当、うまかった。いつもありがとうな」
笑顔にならないように……想いを押し殺しながらリカルドは言う。
試合まで後一ヶ月――絶対に負けるわけにはいかなかった。
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