第9話 残像

「家から出したくない…お金があれば、一歩も外へ出したくない」

 彼女は、そんなことを口にした。

 誰にも僕を見せたくない、僕が誰も見ないように…

 彼女の歪みは酷くなっていった。

 彼女にとって僕は、男というより、所有物だったのかもしれない。

 彼女は僕を育てていた。

 学歴のない僕に資格を取らせて、少しでも人並みにしようとしていた。

 人に指図されたことがない僕にとって、彼女の言葉は、いつしか絶対になっていた。

 進学も就職も、親に相談どころか報告すらしなかったし、それが当たり前だと思って育ってきた僕は、誰かから、こうしろ、ああしろ、と言われたことが無かったのだ。

 就職してからも変わらずに、上司には従わないし、勤務態度も良くはない、店員でありながら、気に入らない客とは揉める、ロクでなし。

 不思議とクビにはならずに、むしろ同期より早く上にいく…だから、僕は勘違いしていたのだ。

 これが正しいのだと…

 そんな人生だったから、僕に指図する女性は初めてだった。

 彼女は僕をモノ知らぬ馬鹿だと言う。

 その通りだった。

 空っぽの人間だった。


 彼女の娘たちが猫を飼いだし、僕は4匹の猫の面倒をみながら、それなりに満たされていた。

 朝、彼女を仕事場へ送って、迎えに行くまで猫と過ごす。

 数か月間の、そんな生活が僕を社会から遠ざけていた。

「就職しなくては…」

 思い出したかのように、僕は職安へ通った。

 資格のおかげで、専門学校の講師という職につけた。

 半年もすると、僕はその仕事の物足りなさに飽き飽きしてきた。

 この場所には競争が無い…。

 1年ほどで僕は、講師を辞めた、彼女は酷く落胆していた。

「愛は時間が経つと薄れていく…だけど情は深まっていく」

 そんなことを言った彼女は、それでも僕を傍に置いた。

 程なく、就職が決まり僕はサラリーマンとして働き始めた。

 真面目に…。

 金曜の夜には彼女の家に行き、日曜の夜に自宅へ戻る。

 そんな生活が何年か続いた。

 彼女の次女が結婚して、彼女は少しだけ変わったような気がした。

 僕は彼女との接し方が解らなくなりはじめていたのかもしれない。

 ただ『情』という言葉に意味を考えていた。

『なさけ』そう彼女が僕の傍にいるのは『なさけ』なのだろうか?

 そればかり考えていた。

 いつも週末に彼女を家から実家に戻る時、彼女は猫を抱いて寂しそうに僕を見送った。

「トラちゃんが待ってるから、また来い…」

 今も彼女の声と寂しそうな顔は忘れられない。

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