第12話 疑惑

 付き合っていた恋人が、別れる。たったそれだけのこと、何も特別なことでもなく、多分、よくあること。


 ただ、いざ自分の身にそれが起きてみると、彼女が居なかった頃の自分とは別の自分になっていることに気がつく。


 例えば、彼女ができる前までは女子とLINEでやり取りするチャンスことなんてほとんど無かったし、もしそんな事があろうものなら、かなり希少かつ貴重な機会だったに違いない。

 しかし、付き合っている頃は毎日のように「彼女」という名の女子とLINEをやり取りするようになり、いつしかそれが特別なことではなく当たり前の事になっていた。


 物理的なコミニュケーションも同じだ。女子という存在に対する心の壁みたいなものが、ずいぶん薄くなった気がする。

 実際、高校でクラスの女子と話をする時も変に意識しないようになった。そもそも人類の半数は女子なのに、何をそれほど特別視していのかと思うのだが。


 しかし中学の頃まではクラスの半数を占める女子という存在との間に、僕の中ではアマゾン川くらいの隔たりを感じずにはいられなかった。

 それが、吉田さんと付き合った半年間だけで、利根川くらいまでには減った気がする。

 念のため調べてみたが、利根川の川幅1Kmほどに対し、アマゾン川は狭いところでも川幅10Km以上、河口付近は400Kmほどもあるらしい。アマゾン川すげえな!!


 ただ、そういう当たり前になっていたコミニュケーションが、別れの翌日から突然無くなったことについては、しばらくの間言いようのない消失感に襲われた。

 特に、放課後スマホを開くと必ず受信していたLINEがなかった時なんかに、それを一層強く感じた。

 ただ同時に、縛られていたものから解き放たれたような感覚も少しだけ感じていた。


 そんな感じで、吉田さんとの別れから約一ヶ月間は地に足の付かないフワフワした感覚で過ごしていた。

 だが僕はそこで、恋愛のダークサイドと言えるようなドロドロとした部分を舐めさせられることになったのだ。


 

 その日、元テニス部で特に仲の良かったメンバー3人で「久しぶりに集まろう」ということで、中学時代からよくお邪魔していた、カジこと梶谷裕介かじたにゆうすけの家に来ていた。

 当日から不良っ気の全くない健全な中学生だった僕らは、他所の家にお邪魔する時も礼儀はしっかりしていたため、カジの母親からも歓迎を受けた。


「久しぶりねえ〜!なんだかすっかり男前になっちゃって〜。

さ、じゃあみんなで裕介の部屋にでもいきますかね」


「いや、なに自然に混ざろうとしてんだよ!言っとくけど、勝手に部屋上がってくんなよ」


「いやいや、僕らは歓迎しますよ」


「いや、しねーから!

なに、なら遠慮なく〜みたいな顔してんだよ!…いや、お構いなく〜じゃねーから!

てか、なんで全部ジェスチャーなんだよ!」


 カジのお母さんは面白い人でとても良くしてもらっていたので、仲間内での好感度は抜群だったが、実の息子であるカジだけはいつも面倒臭そうに追い払っていた。

 ただ、みんなカジとお母さんのこのカラミを見たいがために、あえて挟ませてから、2階のカジの部屋へ上がるのがお約束になっている。


 お母さんに出してもらったお菓子を頂きながら、各々、近況報告をし合った。

 みんな、僕が吉田さんと付き合ったことも知っているし、先日別れたことも、すでにLINEで報告済みだった。


「あのさ、リンリンて、ほんとに吉田佳奈と別れたんだよな…?」


 マッシーこと真島竜一ましまりゅういちが、改まったように訪ねてきた。

 マッシーは西郷隆盛を彷彿とさせるがっちりした見た目と、中学生らしくない落ち着いた口ぶりから、部活内では「重鎮」と呼ばれイジられ…もとい、尊敬されてきた人物である。


「うん、報告の通り、完全に別れたよ」


「そうか。それなら良かったんだが…」


「なにマッシー、なんかあったの?」


 カジが身を乗り出す。


「その前にリンリン、今日来てもらったのは他でもなく、話さなければならないことがあったからなんだ」


「いや、うん、いいけど…。

え…なにその感じ…ちょっと待って、すげえコワいんだけど…」


 一体、マッシーは何を話すつもりなんだろうか?なんだか恐かったが、この段階で「聞かない」という選択肢はまず有り得ない。


「黒川っているだろ?俺、アイツと昔から仲いいから、今でもちょいちょい会うんだけどさ」


 野球部の黒川くんだ。面白いけど誠実で、運動もできる。誰からも好かれるタイプの人間だ。僕も時々話をしていたし、知らない間柄ではない。


「アイツさ、吉田佳奈と同じ高校行ったの知ってたか?」


「ああ、そーいやそうだったっけ?」


 ウチ中学の野球部はそれなりに強豪で、黒川くんはその中でも上位の実力者だった。

 吉田さんが通ってる高校は吹奏楽も有名だが、野球部も県内では強豪校だ。

 ただ、そこにはウチの中学から他にも何人か進学してるはずで、取り立てて意識するようなことでもなかった。


「俺さ、リンリンには申し訳なかったんだけど、リンリンと吉田が付き合ってること、黒川に話しちゃってたんだよ…」


「いや、もう卒業してたから別に隠してもなかったし、それは大丈夫だけど」


 実際、周りの目を気にしてたのも最初のうちだけで、慣れてくると知り合いに見られようが特に気にしなくなっていたので、何の問題もなかった。


「かたじけねえな」


「構わんよ」


 このメンバー内では、何かあっても大抵はこれで片が付く。男友達ってゆーのは、こーゆーとこが良い。


「続き、早よ」


 カジが促す。


「ああ、そんでさ。黒川の高校、野球結構強いだろ?だから、応援にも力入れててさ、その関係で、野球部と吹奏楽部って結構つながりあるみたいなんよ」


「えっ…じゃあまさか、黒川と吉田さんの間に何かあったとか…?」


 カジが勘ぐる。


「早まるな、カジ。アイツは野球バカ一代だぞ?」


「ああそっか、そーいや黒川って、星野さんのこと振ったんだっけ?」


 カジが言っている星野さんというのは、学年でもかなり上位に入る可愛さの女子で、男子からの人気も高かった。

 その星野さんから黒川くんが告白されて、「いまは野球のことしか考えられない」という理由で振ったというのは、黒川くんの旧友であるマッシーだからこそ知り得た情報であり、トップシークレットとして僕らに共有されていた。


「そうだ、だから黒川はシロだ」


 マッシーが言うシロというのは、刑事ドラマとかでよく使われる「無実」っていう意味のアレだ。


「黒だのシロだのややこしーな」


 カジがツッコむ。


「いや、そんなことどーでもいいから、早く教えて!」


 今度は僕が促した。

 どうやら、マッシーは黒川くんから吉田さんに関することで、何かを聞いたようだ。


「おお、すまん、そうだな。

その、黒川がな、『吉田佳奈に付き合ってるヤツがいる』って言ってきたんだよ…」


「は?そんなのあたりめーじゃん。こないだまで凛と付き合ってたんだし」


 カジは僕のことを「凛」と呼ぶ。


「いや、だから!俺、黒川にリンリンと吉田が付き合ってること言ってあるんだぜ?

それ知ってんのに、わざわざ『吉田に付き合ってるヤツがいる』なんて言ってくるわけねーだろ。

情報源におんなじ情報リークしてどーすよ?」


 マッシーは僕を心配して真剣そのものなのだが、所々に刑事ドラマ好きの一面を覗かせてくる。


「ん?待て待て、なんかややこしーな。てことは、ソイツは凛とは別の奴ってことか?」


「…そーゆーことになる」


「はあ?ちょっと待てよマッスィ〜さんよ?

凛と吉田さんは、つい一ヶ月前まで付き合ってたんだぜ?

んな短期間でもう別の男がいるとか、ありえなくねえか?」


 そうだ。マッシーには申し訳ないが、僕はまだこの話を信用していない。単なる噂話と、別れたとはいえ元彼女と、どっちを信用するかと言えば、僕は吉田さんを信じたい。


「ああ。俺がこの話を黒川から聞いたのは1週間前だからな。さすがに別れた後の3週間の間に、ってことだとしたら、そりゃ無理があるよな…」


「ちょっと待てよ…それ、捉えようによっては、凛にマジで…『かたじけねえ』じゃ済まなくなるぞ…」


 つまり、マッシーが言いたいことは、僕と別れた後で新しい彼氏ができたのではなくて、その前から…ということなのだろうか。


「正直、リンリンにこの話をすべきかどうかは、俺もかなり迷った…」


「だとしたら、お前にしちゃ今回ばかりは判断を誤ったぜ?

確かに黒川は信用できるヤツだが、その話が信用できる話なのかどうかは、別問題だろ?」


 さっきまでおちゃらけモードだったカジが、マジになってマッシーに食ってかかった。カジは本当に良い奴だ。

 ただ、カジには申し訳ないがここまで聞いてしまった以上、ここで止めてもモヤモヤするだけだ。


「ありがとうカジ。

ただ、ここまで聞いたらもう後には引けねえよ…。

マッシー、続きは…?」


「ああ。

黒川が言うには、どうやら同じ吹奏楽部の先輩と付き合ってるってことらしい」


「らしい、ってことは黒川だって誰かから聞いた話なんじゃねーか。

結局、単なる噂話に踊らされてるだけなんじゃねーのか?」


 僕も、カジの言っている通りであって欲しいと願う。


「正直、俺だってそう思いたいさ」


「まさか、火のない所に煙は立たない、とか言うつもりじゃねーだろうな?」


 カジが感情的になってくれるおかげで、むしろ僕は落ち着いて話を聞くことができたかも知れない。


「いや、むしろ俺としては、それが単なるデマだってことを証明したかったんだよ…。

それで、それがデマだってことが分かれば、そのままリンリンにはこの話をしないつもりだった」


「おい、じゃあなんで今、この話を凛にしてるんだよ…?

デマだって分かってたら、しないつもりだったんだろ…?」


 そうだ。もしこの話がデマだったのなら、マッシーはこの話をしないで済んだってことになる。しかし、マッシーは今、この話をここでしている。ということは…。


「すまん、リンリン…俺はただ、この話がデマだって事をマジで証明したかっただけなんだ…。

たけど…結果的にはこの話をせざるを得なくなった…」


「それって、どういうことだよ…?」


 カジが、ゴクリとつばを飲み込んだ。


「…佐野瑞樹に会ってきた」


「……!」


 僕の中で、何かが崩れていくような気がした…。

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