第10話 花火大会

 そのLINEを受信したのは、花火大会デートの3日前だった。


「凛くんゴメン、

花火大会の日なんだけど、部活の顧問の先生の都合で、部活が午後練に変更になっちゃったんだ…。

練習4時までだから、4時半には学校出れると思うんだけど、ちょっと待ち合わせの時間を遅らせてもらっても良いかな…?

ただ、部活終わってそのまま行くことになるから、浴衣は今回は諦めます…」


メッセージの後に、「申し訳ありません」と頭を下げるスーツ姿の犬のキャラクターのスタンプが付けられている。


「そっか、それなら仕方ないか〜…。

まあ、カナの浴衣姿が見れないのは残念だけどね。

じゃあ、待ち合わせ時間は5時半でどう?」


 とりあえず、ここでワガママを言っても仕方がない。吉田さんが悪いわけではないのだ。

 ただ、僕の中で一瞬だけ、チクリと針で刺されたようなトゲトゲしい感覚が芽生えた。


(先に約束してたのはこっちなのにな…)


「ホントにごめんね…。

浴衣、凛くんが楽しみって言ってくれたから、私も着るの楽しみにしてたんだけど…。


時間、5時半なら確実に大丈夫です!

いつも合わせてくれて本当にありがとうね!」


(好きで合わせてんじゃないんだけどな…)


 もし同じ約束をしていたのが男友達だったら、同じ理由で約束をドタキャンされたとしても、全く気にならなかっただろう。

 まして吉田さんは別に、約束をキャンセルした訳ではない。浴衣がダメになったのと、待ち合わせ時間を30分だけ遅らせただけなのだ。

 それだけなのに…僕はなんでこんなにイライラしてるんだろう…。



 花火大会当日は天候にも恵まれた。

 僕が晴れ男なのか吉田さんが晴れ女なのかはわからないが、よく考えたらデートの時に雨に降られたことは一度もなかった。前日まで雨の予報だったのに当日は雲一つない青空、なんてことすらあった。


 今年は例年に比べると冷夏だったようだが、それでもこの天気だ。やっぱり外はめちゃくちゃ暑そうだ。


 約束の時間は5時半だったが、地元では毎年恒例の花火大会ということもあり、もしかしたら久しぶりに中学時代の友達にも会えるかも知れないと思い、16時過ぎには自宅を出ることにした。


 午前中に吉田さんから、


「晴れて良かったね〜!さすが私たち!

じゃあ、部活終わったら連絡するね!


行ってきま〜す!」


というLINEが入っていたが、夏休み期間中の自堕落生活により昼過ぎまで爆睡していたため、その後の僕からの返信にはまだ「既読」は付いていないままだった。恐らく、部活前に確認できなかったのだろう。


 花火の打ち上げ開始の19時まではまだだいぶ時間があるが、すでに会場は結構な賑わいを見せていた。

 僕は昔から、夏のこのまとわり付くような熱が徐々に和らいでいく、日没までにかけての時間が好きだった。その中にあって、

花火大会のお祭りムードはまさにこれからが本番だ。ワクワクしないはずはない。


 浴衣姿の人を見ると、今日、吉田さんが浴衣で来れなくなってしまったことを思い出して少し残念な気持ちになるが、それは言いっこなしだ。


 僕はとりあえず、ひとりで会場をブラブラしてみることにした。

 途中、中学の頃の知り合いに出くわして軽い近況報告なんかもしながら、約束の時間を待った。

 ところが、約束の時間になっても吉田さんからの連絡が来ない。「部活が終わったら連絡する」と言っていたので、とっくに連絡が来ていてもおかしくはなかった。


 ただ、僕はその理由は恐らく、「部活が長引いた」からだと思っていた。

 今までも何度か経験しているし、僕はそのたびに「仕方ないよ」で済ましてきた。実際、吉田さんが悪いわけではないので彼女を責めても仕方がない。


 連絡が来たのは、まもなく18時になろうとする頃だった。


「ごめんなさい!!

部活が長引いてしまって、いま学校を出ました…!


1時間は掛からないと思うけど、急いでそっちに向かいます!!


本当にごめんね…!!」


 まあ、思った通りだったので特に驚きもしないのだが、なんだかこの日に関しては僕はいつも以上に強い苛立ちを感じていた。


「了解。待ってます。」


 そんな感情を言葉にしたところで仕方がないことは分かっているので、あえて触れる必要はない。ただ、このやり場のない苛立ちをどうして良いか分からず、僕は素っ気ない返信だけを残し、彼女の到着を待つことにした。


 そうしている間に、花火の打ち上げ時刻へむけて会場の人出ひとではどんどん膨らんできていた。できれば早めに良い場所を確保したいところだが、一度場所を確保してしまったらそこから身動きが取れなくなるので、ここは吉田さんの到着を待つ他なかった。


 そんな中、不意に視界の外側から声をかけられた。


「アレ?小室くん?」


 振り向くと、声の主は吉田さんの親友の佐野さんだった。一緒にいる女子たちも、同じ中学の面々だ。


「ああ…!どうも」


 佐野さんと僕は決して親しい間柄ではないが、吉田さんはよく佐野さんの話をするので、なんだか変な親近感を感じてしまう。

 ただ、実際に顔を合わせるのは卒業式の日に佐野さんが吉田さんの告白に立ち会った時以来だったので、少々他人行儀な挨拶をしてしまった。


「…あれ?カナは?一緒じゃないの?」


「ああ、うん。待ち合わせてたんだけど、部活が長引いたらしくて」


 できる限り苛立ちを悟られないように、淡々と事実を口にした。


「えっ…そっか…」


 佐野さんはう〜ん、と少し考える素振そぶりを見せると続けて、


「小室くん、カナ、部活忙しそうだから合わせるのとか大変かも知れないけど、高校も吹奏楽がやりたくて入ってるからさ、あんまり責めないであげてね」


と言うと、僕の肩にポンと手を置いた。


(別に、責めたこととか一度もないけど…)


と思いつつも、そんなこと言う場面ではないので無難に返答する。


「ああうん、そうだね。

まあ俺は部活やってないから、合わせられるし」


「う〜ん、そっか…。

まあ、小室くんなら大丈夫だと思うけど。


じゃあ、カナ来たらよろしく伝えといて!」


 そう言って、佐野さんたちは人混みの中に消えて行った。


 前に吉田さんは佐野さんのことを「友達というかお姉ちゃんみたいな存在」と言っていたことがあるが、何となくわかる気がする。

 そんな“姉”からの「小室くんなら大丈夫」というセリフに、なんだか男として認められた気持ちになり、少し嬉しさを覚えた。


 その直後、

「いま駅に着きました…!これから会場に向かいます!」

と吉田さんからLINEが入った。駅からは15分ほどだろうか。僕は駅方向の道路まで出て、待つことにした。


 駅のほうからは、こちらへ向かって来場客がどんどんと流れ込んで来ている。

 この人混みで吉田さんを見つけるのは難しそうだな、と思っていた矢先、道路の反対側をこちらに向かって早足で歩いてくる吉田さんを発見した。部活帰りにそのまま来ているので、当然だがいつも通りの制服姿に、部活用のサブバッグとクラリネットケースを持っている。


 電話をかけようとスマホを手に取ると、先に僕のスマホに吉田さんからの着信が入った。


「もしもし」


「あ!もしもし凛くん!?

遅くなってほんとにゴメン…!もうすぐ着きます!」


「いま、こっちからカナのこと見えてるよ。道路の反対側」


 こちらからは、それを聞いてキョロキョロする吉田さんの姿が見えている。見つけやすいように手を挙げると、こちらに気付いたようだ。


「あ!見つけた!いまそっち行くね!」


 通話が切れ、吉田さんが小走りでこちらに向かってくる。そして、着くやいなや、


「ごめん!!待ったよね…!夏休みラストの土曜だったから、部活が思ったより長引いちゃって…!

ほんとにごめんね!!」


と、顔を真っ赤にして謝ってきた。

僕は、


「いいよいいよ。それより、会場混んじゃうから、早く場所決めよう」


と、あまりその話は引っ張らないように移動を促した。

 それは彼女に気を遣ってというよりも、その謝罪にまともに返答したら、自分の苛立ちを隠せる自信がなかったからだ。


「もう開始直前だから、やっぱ良さそうな場所はどこも一杯だな〜」


「そうだね」

 吉田さんは自分が遅れた負い目もあってか、申し訳なさそうに答える。


「あの辺でいっか」


 すでに座って見るような場所が無いのは一目瞭然で、ほとんどの見物客が立ち見を決め込んでいた。僕たちも、その立ち見客の人混みの中のテキトーな場所に当たりをつけて、そこを確保した。

 もうあと10分ほどで打ち上げ開始時刻だ。


「あのさ、凛くん、今日、ほんとにごめんね…」


 吉田さんが、改めて謝罪の言葉を口にする。僕としては、もうあまり触れて欲しくない話題なのだが。


「いや、それはもう良いってば。

カナのせいで遅れたわけじゃないんだしさ」


 ほんの少しだけ、苛立ちがにじみ出てしまった。


「でも、凛くん今日、楽しみにしてたでしょ…?結局、浴衣だって着れなかったし…」


「まあ、楽しみにはしてたけどさ、そんなん言ったって、カナが部活早く上がれたわけじゃなくない?」


「それは…そうだけど…」


「だったら、俺が合わせればそれで済む話じゃん」


「……とにかく、ごめんなさい」


「…うん、わかった」


 それ以上、もう僕としてはどうすることもできなかった。

 少なくとも待たされたのはこちらなのだから、こっちから必要以上にフォローするのは変だし、かと言って「ああもう、全っ然!全く気にしてないから、オーケーオーケー!」みたいに陽気に返答するほど気にしてないわけでもない。「もういいから」と言うしか、対応の仕方が見つからなかった。


 そうして、お互いに若干の気まずい空気を残したまま、最初の花火の打ち上げられた。

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