第41話 不穏の足音2


「私はぜひともあなたと手を組みたい。ご一考、いただけませんか?」




 ――――マリ、あなたの名前って、マリ・スクワノル、だったかしら?




 ユマン・ルプレノン。考える限り、動物の名とは縁がなさそうだ。この細目の赤髪の少年が見るからに胡散臭く見えてしまうのは、その名のせいだろうか。いや、まさかラビィに関わる人間すべてが動物名を持っているわけがない。なんにせよ、怪しすぎる。



 彼女が訝しげな顔をしていることを理解したのか、ユマンはゆっくりと笑みをつくった。老獪な笑いだ、となぜだか感じてしまったのは、ラビィと同じ年頃のはずが、どうにも余裕たっぷりなように見えるからかもしれない。



「手を組みたいって……というか、ネルラに敵対とは……?」

「ええ、そうです。あの女、ネルラ・ハリィ。腹立たしいと思いませんか? 元はあなたの屋敷のメイドであったと言うではありませんか。そんな女が、飄々と皇子にまとわりついている。そしてそれを、皇子自身が許している」



 苛立つようにユマンは舌を打った。「この国は、狂っている」 吐き出したセリフに、嘘はないように見えたが、そもそもラビィと手を組む、という意味合いがわからない。「なになに」 かと思えば、彼は軽やかな声を出した。「私はただ、あの少女をこの学院から追い出したいだけなのです。ですから、ただの小さな嫌がらせをする程度ですよ」



 そう重く考えることはおやめください、とこちらに媚びを売るように両手を合わせた。「……嫌がらせって?」 問いかけながらも、嫌な予感がする。



「はは、ほら、ほんの小さな嫌がらせです。机に虫を入れるでも、水をかけるでも、なんでもいい。まさか犯罪じみたことをするわけじゃありません。そんなことをしてしまえば、冗談にもなりませんから」



 その行為が冗談ではすまされなかったのが、ゲームでの話だ。(というか、そんなの、ハリネズ本編でラビィがネルラにしていたイジメと同じじゃない……!!) つまり彼は、正式なラビィの協力者だ。おかしいとは思っていたのだ。ゲーム内でのラビィは、今のラビィよりもずっと虚弱で、彼女には取り巻きの一人もいなかった。だから、彼女自身がネルラに嫌がらせをしなければいけなかったわけだが、物理的にできるわけがなかったのだ。



 ラビィにできないことはユマンが。ユマンにできないことはラビィが。二人は協力関係を結んでいたのかもしれない。以前のラビィなら、一も二もなく飛びついただろう。ネルラにいじめてくれと命令されたのだから、従わなければならない。そう、流されるように思い込んでいたはずだ。あのときのラビィのように、自分にできるわけがないと抵抗なんてしなかったに違いない。



「あなたも婚約者を盗まれたようなものです。ぶつけたい気持ちは、いくらでもあるでしょう。私は、そんなあなたのお手伝いをするだけです」



 あまりにも甘い誘いだった。


 嫌いで、憎くて、憎くてたまらない相手を、自分の手を汚さずにいたぶることができる。彼女の黒い気持ちが溢れて、暴れまわってたまらなかった――――でも、そんなのは過去の話だ。



「お断りするわ。誰とも知らない相手と手を組むほど、馬鹿ではないの」



 傲慢を作るように、鼻で笑ってやった。


 ユマンはラビィの味方ではない。本編でネルラが聖女となり断罪されたそのときに、彼の名前は一度たりとて上がらなかった。つまり彼はラビィにすべてを押し付けて逃げ出したのだ。味方も誰もいない彼女はただ処刑台に上がった。同じ轍を踏むつもりはない。



 それに、ふと、サイの顔が思い浮かんだ。



 彼と顔を合わせることができないような、そんな人間にはなりたくはなかった。


 もしかすると、一番大きな理由はそれなのかもしれない。ユマンはラビィの返答に、ひどく意外気に目を丸めた。そうして、「残念です。しかしまた、機会があれば」 そう返答をしたとき、こちらに走り寄る足音が聞こえた。サイだ。すぐにわかった。一瞬彼を振り返っている間に、影もなく少年は消えていた。奇妙な存在感だった。



(あれも、もしかするとネルラの罠だったのかもしれない……)



 ネルラに関して、考えすぎということはないだろう。自身が近づけない分、手駒を寄越したとして、ありえない話ではない。



「ラビィ様、すみません、お待たせしました」

「いいえ。それよりも何があったのですか?」



 先程の音はただ事ではなかった。サイは訝しげに顔をしかめた。「水が」「水?」 サイ自身も、困惑している顔つきだ。「ええ。大量の水が襲ってきたのだと、生徒たちは言っていました。ただ俺が行った頃には大量の水が撒き散らかっていただけでしたが……」 ただただ泣き崩れる生徒と、びしょぬれの床や机が転がっていたそうだ。



 魔力のいたずらにしては規模が大きすぎる。教室一つ分を水に沈めるなど、数人が集まってやっとできる程度だ。ひどく、胸がざわついた。嫌な感覚だ。








 ――――その晩、しとしとと雨が降っていた。まるで彼女の光の日と同じようで、ラビィが、ラビィであることに気づいた、あの日のようだ。彼女は、雨が好きだった。なのにその日はひどく寝苦しくて、幾度も夢うつつに胸を掻いた。



 影の日をネルラに知られてしまったかもしれないフェル。聖女であるネルラ、そして皇子の婚約者である、ラビィを蹴落とそうとするネルラ。魔力の低い相手を、思うままに操る隷従の魔法。影の日は、兄弟すら知らない。


 様々な言葉が頭の中で入り乱れて、何かが組み立てられていくような、そんな感覚だ。負けないで。負けてはいけない。自分がひっぱられては落ちてく。








 幼い少女がいた。10の年にも満たなくて、長い栗色の髪が潮風の中を泳いでいる。小さな彼女よりも少しだけ背の高い金の髪の少年がそっと彼女と手を繋いだ。





 これはゲームのオープニングだ。記憶を取り戻してからというもの、ときおり夢に見て、うなされた。幾度も見て、思い出したその姿だ。



 ああ、さっさと眠ってしまいたい。夢もなにもない場所に、転げ落ちてしまいたい。そう思うのに目の前から彼らが消えてくれない。夢の中までこうしてラビィはネルラに苦しめられる。目をつむってしまいたいのに、ラビィはただ彼らを見つめることしかできない。(もう嫌だ) 吐き出しそうになる言葉すらも何も伝えることができなかった。



 そんな中で、ゆっくりと少女はこちらを振り返った。少年と手をつないだまま、ラビィを見つめる。



「……え?」



 違う。



「ネルラじゃない……」



 確かに、よく似ている。けれども違う。そうして、おかしさにも気づいた。ラビィがネルラに出会ったのは6つの頃だ。ネルラとも、バルドとも違う彼らは、その年の頃にも見える。けれども、ネルラは、すぐさまバルドと今のような関係になったわけではない。彼らのような年から、ラビィが狂っていく過程と対比して、少しずつ関係を深めた。それに、この場所。遠く、きらきらと輝く海を背中に、彼らは草原の中を立っていた。



 ゲームの中だから。そう考えて、深くまで気にすることはなかったが、こんな場所をラビィは知らない。少なくとも、小さな子供が行けるような場所には存在しない。



「あなたたちは、誰なの……」



 少年は、バルドによく似ていた。それこそ間違えることも無理がないという程度には。少女が、ゆっくりと口元を動かした。



「こんなところで、終わってはいけない。負けてはいけないわ」



 聞き慣れた、可愛らしい声だ。しかしこれもネルラの声ではない。


(プレイヤーとして見ているときは、気づかなかった……)


 ヒロインにはボイスがついていなかったからだ。だから聞こえた少女の声を、ネルラのものだと勘違いしていた。



「ど、どういう、ことなの?」



 ラビィの理解がおいつかなかった。名前も知らない少女は微笑んだ。見かけには似合わない、まるで大人びた顔だ。「私は、“三番目”の聖女。あなたには、すでに手紙を届けてあるわ。せっかく準備したんだから、きちんと見つけてちょうだいね」 そう言って、少女はにこりと微笑んだ。物語が大きく軋み、動き出す音がする。ラビィは震えた。恐ろしさとも、なんともわからないような感情だった。そうして、薄暗い天井を見上げながら目が覚めた。



「手紙……」



 ああ、わかる。一つだけ、心当たりがある。まさかあの手紙なわけがないと思いながらも、確認せずには、いられなかった。

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