第37話 姉と弟2

 ――――魔力の媒介、という言葉が存在する。




 魔力の総量は、人の一生を通しての変化は成長をするごとに微々たるものだ。だからこそ、魔法を使えるものは、サイにとっては長剣であり、マシューにとっては手袋というような自身と関わりの深い何かを探し、媒介を基軸とすることで魔力を効率よく循環させることができる。



 説明は簡単だが、自身と縁を結ぶそれを見つけることができる人間は、そう多くはない。少なくとも、『ゲーム』上の彼は、媒介を使用してはいなかった。いや、自身で認めてはいなかった。




 フェルは手先の器用な男の子だった。フェルトを語源としているから、開発者達からすれば手芸が得意な男の子、というイメージを込めていたのかもしれないが、そんなことはどうでもいい。ゲーム内での彼は、ときおり会話の節々に、そうと読み取れるセリフを呟くときはあったが、正式なイベントとして表にあがってくることはなかった。だからこれからは、プレイヤーとしてではなく、ラビィとして、彼の姉としての知識だ。




 フェルは小さな頃から手仕事が好きで、好きで、大好きでふわふわな髪の毛の男の子が、ラビィの側にまとわりついて、きらきらと瞳を光らせている姿はとてもかわいらしかった。けれども彼は、いつの日か知ってしまった。この国においては、少なくとも貴族として、“手芸は男がすべきことではない”ということに。だから彼は自身のそれを恥じて、深夜にひっそりと誰もいない部屋でひたすら編み物や、刺繍を行っていた。




 ラビィの裁縫箱からこっそりと盗んだ針は、ずっと手元に持っていて、それを使って少ない布を握りしめて、こそこそと針を動かしていたのかもしれない。なぜならフェルは手芸道具を手に入れることさえも難しかったはずだ。フェルは、たとえラビィをどう思っていたとしても、その針を大事にしていたに違いない。



 いつしか手に馴染むようになったそれは、彼の媒介となった。しかしフェル自身は、それを認めなかった。ゲーム本編でも、彼が媒介を使用していなかった理由はそれだ。できなかったのではない、しなかったのだ。男である彼が、そしてヒースフェン家の長男であるこの少年が、女々しくも刺繍が得意で、もっとも縁が濃いものがただの縫い針だなんて、誰が認めたとしても、彼自身が恥として表に出すことがなかった。


 フェルは、察しが良すぎたのだ。幼い頃から周囲が求める姿を読み取り、責任感で自分自身を縛り付けた。





 フェルの落とした銀の針を見た瞬間、ラビィはすぐにそれがわかった。ゲームの知識と、姉として彼を見てきた姿が混じり合って、ただ一人の記憶では知りようがなかった事実にたどり着いた。




 フェルには勝って欲しい、と願っている。観客席から飛び降りて、あんまりにも目立ってしまったから、彼女はこそこそと壁にへばりついた。ときおり突き刺さる周囲の視線が痛くて、逃げてしまいたくてたまらなかったけれど、フェルから目を離すことができなかった。けれども試合が始まった瞬間、すぐさま観客は試合に夢中になり、いつの間にかラビィなんて蚊帳の外だ。なのに、ひどく心臓が痛くて、緊張した。こんなに大勢の中で、彼らは今、自身の足を踏みしめて戦っている。



 相手であるサイの剣戟は見事なものだった。まるでお手本のように、一つ一つ動きを刻んでフェルの動きを封じていく。魔法をまともに使うことのできないフェルに勝ち目など、万に一つもない。次第にフェルの動きは鈍くなり、サイが振り下ろす剣を受け流すことも難しくなる。模擬戦として刃が潰されている剣だとしても、当たれば痛いし、怪我をする。



 両手を握った。喉の奥がカラカラで、吐き出す息がひどく熱い。汗がこぼれた。じりじりとした日差しに叩きつけられて、体中が苦しくなる。見ていられなかった。何もできない自身が嫌でたまらなかった。だから、彼女ができたことは。



「フェルッ!!!!!」



 馬鹿のように、大声を出すことだけだ。



「負けてはだめよ!!!!」



 この大勢が詰め込まれた会場の声援の中で、小さな兎一匹の声が聞こえるわけがない。なのに少年は、たしかに、ラビィを見た。子どもの頃と変わらない、いいや、まだ13歳の幼すぎる顔つきで彼女を見た。そうして、剣を投げつけた。サイとは見当違いの方向に、ただ邪魔な剣を投げ捨てた。



 一体彼が何をしようとしているのか、すぐに分かった人間はほんの一握りだ。片手に隠し持った細い針を握りしめ、口元で呪文をささやく。木々に感謝をした。王家に連なるものは、多くは水の魔力を宿す。けれどもフェルは違う。彼は植物を操る。どこからでも小さな種に命を芽生えさせて、彼の意思の赴くままに姿を変える。本来なら、の話だが。





 魔力が陰るこの日ばかりは、フェルは何もできず、ただ剣技のみで勝負をしなければいけないはずだった。持ち前の大量の魔力は悲しいほどに身を潜め、彼が使うことができる力はほんの僅かだ。だからこそ、その細い魔力を練り込み、長い、長い糸を作った。枝よりも細く、圧縮し、強く、強靭に。彼が銀の針を動かせば、薄緑色のきらめきが溢れて、驚くほどの速さでサイの剣を絡め取った。



 まだ子供を抜けきることのない細い腕で、フェルはサイの剣を奪い、彼の胸元の寸前にぴたりと突き立てた。サイは軽く息を吐き、両手を上げた。降参の合図だ。試合場が静寂に包み込まれた。それも一瞬で、すぐさま割れんばかりの歓声が響き渡る。フェルは肩で息を繰り返し、奪い取った剣を石畳に落とした。





 幼い才能が開花した瞬間だった。


 鳴り止まない拍手の中で、彼はこぼれ落ちる汗を拭った。そうして、周囲を見回した。ひたりと、フェルと視線がかち合った。けれども彼はすぐさま顔を逸らして、ラビィに背を向けた。その姿を確認して、ラビィも逃げた。いつまでも、こうしているわけにはいかない。大勢の生徒の中に埋もれ、少年の活躍を追った。



 フェルはこの先も快進撃を続け、とうとうバルドさえも打ち破り優勝を果たした。『ゲーム』での『設定』を捻じ曲げたのだ。



 それは確かに、ラビィの一つの希望となった。


 あまりの嬉しさに勝手に足が躍ってしまった。決められた物語などないということを、フェルは証明してくれた。





 会場にはネルラがいる。本来ならば優勝者であったはずのバルドとのイベントがあるはずだが、この場合はフェルになるのかもしれない。どちらにせよ、顔を合わせることはごめんだから、ラビィは尻尾を巻いて逃げねばならない。喜びもそこそこにすたこら人混みを避けて試合場から飛び出し馬車に向かった。そんなときだ。壁を背にして、ぼんやりとサイが立っている。



「……ラビィ様?」



 彼の驚きを見たところ、ただの偶然なのだろう。「サイ様。ごきげんよう」 世話になっている方だ。無視をして通り過ぎるわけにもいかない、と慌てて頭を下げた。そうして顔を上げたとき、分かりづらい彼の表情の中でも、どこか落ち込んだ顔つきであることがわかった。なぜだろうか、と首を傾げながら、すっかり打ち解けてしまった少年に近づく。大きな体が、このときばかりは小さく見えて、やはりどこか覇気がない。



「……サイ様……?」

「あ、いえ、ついぼんやりと。申し訳ありません」



 サイにしては珍しい。少し心配になってしまった。彼はたとえ無理をしていたとしても、疲れた顔など、今まで一度だってラビィに見せることはなかった。だからこそ、ラビィは立ち止まりサイを見上げた。サイは僅かに苦笑して、それから思い出したように声を出した。



「遅くなりましてすみません、弟君のご優勝、おめでとうございます」

「えっ、ああ」

「熱心に応援していらっしゃったご様子ですから」

「そんな、そんな」



 と照れているのか焦っているのか、自身でもよくわからない気持ちで頬に手を当てて首を振ったとき、ラビィはハッとした。



『負けてはだめよ!!!!』



 このときの対戦相手はサイである。あの活気の中だ。サイが聞こえているはずがないが、いや、彼のセリフを考えたところ、しっかりと耳にしていたのだろう。このセリフ、ラビィ個人としては、フェル自身に負けないで欲しい、という意味だったのだけれども、サイからしてみれば、あいつなどぶちのめせ、というところである。



 つまりはサイをぶちのめしてもらいたすぎて、ラビィは応援席から駆けつけた。そう思われてもおかしくはない。

 今までの関係性とは一体。



「いやいやいやいや、あのう!!!」



 背中から嫌な汗がとまらない。滝汗である。

 正直、涙目でもあった。

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