うさぎの行進

第32話 良き友人への道


「魔力の量は、人は一生涯変わることはありません。ただ、体力を鍛えることで、その回転を速めることができます」



 使ってしまえばからっぽになる魔力だが、体力の回復とともに、魔力も回復する。タンクの量が少なくても、そこに注いでいく水の量が多ければいいという話だ。



「戦いの場において、やはり重要視されるのは体力です。この国では、水を扱う魔力のものが多く、特に王家の血を引くものはその傾向があるとされています。ラビィ様もそうですね」

「ええ、フェルは違いますけど」



 サイはどこからか取り出したのか、ちゃきりとメガネをかけて講義をすすめる。原作ではそういったスチルはなかったよね? と首を傾げたくて仕方がないけれども動物のサイも目が悪いと聞いたことがあるので、まさかそこからきているのか。目つきが悪い悪いと思っていたのはそういうことかと聞きたいけれども、まさか空気を読まず問いかけるわけにはいかないので、ラビィはそっとお口にチャックした。





 ――――なぜこんな状況になっているのか。





『私を強くする、手助けをくださいませんか?』



 そう問いかけたラビィの声をきいて、サイは初めのあたりはただただ瞬きを繰り返していたのだが、自身の言葉の足りなさに慌てたラビィが、『いえ、ほら。見ての通り、人並み以下の体ですから、これでも、色々行ったり来たりと頑張っていたのですがっ!』とか、『試験の点でご存知でしょうが、今まで不真面目に生きてきたつけが回ってきておりましてっ!』やら、『とにかく、人間になりたいのです!』と拳を握った最後は違ったような気がするが、必死の言い訳を重ねていると、ふいに少年は口元を和らげた。



 ゲーム本編でも、常に表情を硬くさせていた彼である。あまりの珍しさに、ラビィはその真っ赤な瞳をまんまるにさせて驚いた。けれどもその表情も一瞬のことで、すぐさま元通りになったところを見て、気のせいだったかと思えば、首を傾げるラビィの顔を見て、またサイは笑った。びっくりした。



 こんな人だったっけ、と驚きつつも、ゲーム本編という眼鏡を通して、彼を見てしまっていたのかもしれない。いや現在、本物の眼鏡をしているのはサイなのだが。ラビィの願いに了承した翌日、彼は小さな黒板までも持参して、青空教室を開催した。あまりの真面目さに微笑ましさまで感じつつも、こちらが願ったことである。中庭に座り込んで、互いに顔を見合わせながら、そもそも魔力とは一体なにか、というところからのスタートである。





 体を鍛えたい、魔力を上手に使えるようになりたい、と考えてはいるものの、座学からとなると正直拍子抜けだったのだが、これがどうして。ラビィは自身の知識のなさを、改めて思い知った。


 もともと、学院に通うことも少なかったのだ。ときおり、一般的な知識が抜け落ちていると思えば、前世の記憶から知っていることもあったため、ごちゃまぜになってしまっていた。そして、体力と魔力も、密接に関わり合っていることも知った。



 サイは、体力が回復することで魔力も回復する、と先ほどは説明したが、もしかするとその反対もあるかもしれない。ラビィの体力が、人よりもとことん少ないのは、回復を増強させる魔力が低いことも原因なのだろう。



 それなら、魔力がない平民はどうなるのかと言えば、彼らはそもそも、名という守りの力から外れた存在だ。貴族とは異なったルールの上で生きている、と言えばいいだろうか。同じ人間であるのに、不思議なことだと考えるラビィは、この国とは常識が異なっている。




「あとは手っ取り早く魔力を使いこなせるようになるには、媒介を持つことが一番なのでしょう。試験での使用は、認められてはいませんが」

「自分自身の媒介を見つけられない者も多くいるものね」



 そのあたりはゲームの知識にもあった。媒介とは、自身にとって縁が近いものを使うことで魔力を効率よく循環させることができるようになるものだ。



「サイ様は、すでに何かお持ちですか?」

「ええ。詳しくはお答えすることはできませんが」



 会話のとっかかりとして尋ねてみた。基本的に、魔法は秘密主義になりがちだ。もちろんです、と返答しつつも、実はラビィはその答えを知っている。彼の媒介とは、幼い頃からともにある、ナルスホル家に伝わる細く、薄い一本の剣である。ゲームでのイベントで彼が使用することもあった。さすがに学院内で帯刀はできないので、今は実家に保管しているのだろうが。



 ラビィとしても、自身の媒介に覚えがないわけではないが、隠し持っていることにマリが気づけば卒倒してしまうかもしれないので、念には念と、とにかく厳重に隠している。





 サイの講義をきいて、改めて魔力と体力が、密接に関わっていることを理解した。何をしても、無駄ということがないと知ると、いつもよりも訓練に身が入った。ただ訓練と言っても、おそらくサイからしてみればお遊戯のようなもので、とにかく歩く姿の指導をされた。足の角度や開き方、それこそ靴の裏まで、効率的な動き方を徹底的に叩き込まれた。

 それだけでも、妙に体中が熱くなって、ぽかぽかして前を向いているような、そんな気にさえなる。



「ラビィ様は、まずはここからですね」と、子供を相手にするような扱いをされるのは久しぶりで、困惑しつつも、できたことを褒められることがくすぐったかった。







「ラビィ様、俺も昼をいただいてもいいですか?」



 それから数日のことだ。普段どおりの、おかゆ弁当に副菜を持ちつついそいそお昼の準備をしていると、ふいにサイに声をかけられた。「え?」と首を傾げて、そりゃあもちろんと言う前に、今更何をと首を傾げてみた。それからさあっとラビィの背中に冷たい汗が流れた。



 サイはいつもラビィのそばにいるものの、食事を摂取している姿など見たことがない。



「あなたが!? 食べるの!?」

「俺も人間ですから」



 たまには食いたくなります。と返答する言葉に、いやそうではなくて、と片手を振る。



「もしかして、今までずっと、我慢をしていたの!?」

「違いますよ。これくらいなんの問題もないです」



 なんで気づかなかったのだろう、と後悔をするラビィに対して、せっかくですので、ご一緒させていただこうかと思っただけです、と朗らかに声を落とす騎士は、最初の無愛想の面影などどこにもないので、ときおりこれは夢なのではないかと思ってしまう。バラ園の、小さなベンチに座り込んで、互いにもむもむと口に頬張り、軽やかな鳥の声をきいた。びっくりするくらい平和だった。




 おかゆへの愛が消えたわけではないけれど、腹持ちを求めて、本日の膝の中には使用人印のおにぎりと、お漬物だ。きゅうりを塩やらこの世界での辛子で漬け込んでみると、懐かしの幸せのお味で、くたくただった。しかしやはり汁物が恋しくなる体になっているようで、トマトをベースにして煮込んだミネストローネは保温の便利グッズのおかげで見事にほかほかしていた。こんなの和と洋がお腹の中で仲良しになってしまう。



 はふはふ満足しつつ頬を膨らませていると、こちらはただの握り飯のみのサイが、じっとラビィの手元を見つめていた。目が点になっている。以前どこかで同じ顔をしている人間を見たことがある。使用人である。



「ち、血ではありませんよ!? トマトですよ! 栄養抜群なんですよ!?」



 久しぶりの魚のような目で、煮込まれ崩れて、真っ赤に染まっていくスープを使用人は見つめていた。ラビィ様の調理方法、俺はちょっと、わからない。と最近は思考を放棄してカタコトになりつつあった。いや美味しいから。




 いくら他人から言われようとも、使用人の目が死のうと、これは美味しいものです、煮込むことは正義です、と胸を張り続けていたはずなのに、自分から叫ぶとなると、何やら負けたような気がする。



「いえ、ただラビィ様は、いつも変わったものを召し上がっていらっしゃると思っただけですが」

「かわったもの……」



 まあ、間違いはない。例えば、これとか、これとか、と漬物とミネストローネを持ち上げて軽く説明をしてみたところ、「はあ、白飯に合うと」 サイの目が漬物から離れないので、それじゃあ、おひとつどうぞと弁当を差し出してみたところ、「それではありがたく」 きゅうりを口に入れた瞬間、「んぐ」 食べ慣れない味に、サイは口元をばってんにさせたので、笑ってしまった。




 ***




 それでも、いくら見かけばかりは平和であろうとも、彼はバルドの騎士であり、ラビィの隣にいることはない。


 そのことがどこか寂しくて、何かを期待するような、そんな気持ちがあることは否定できなかった。この世界で初めて、サイはラビィに気づいてくれた。孤独に手を差し伸べてくれた。その上真面目で、優しくもあって、付け加えるのなら男前だ。言葉にするには恥ずかしい、つぼみのような気持ちが僅かに胸の奥にひそひそと囁いていた。



 だから命知らずにも、ラビィはサイに問いかけた。



「サイ様は、ネルラのことを、どうお考えでいらっしゃいますか?」



 現在のネルラの動向も気になるということもあるが、聞いてすぐに後悔した。


 サイはラビィの問いかけに、少しばかり首を傾げて、そうですね、と言葉を選んだ。「とても、気になりは致しますが」 まあですよね、という。さすがネルラ、どこまでもフラグを建設していく。そもそもサイは前半部分には登場シーンが少ない。サイ、一体どこに行っているの? とファンの間からはツッコミもあったぐらいだ。もしかすると、もともと原作の裏側では今と同じようにラビィの近くにいたのかもしれない。



 そう考えると冷静になるというものである。だいたい、こちらは鶏ガラ令嬢だ。まあ、最近では少しばかり進化して、煮干し令嬢程度には名乗れる気がするが、それでもサイと互いを比べると大変なことだ。鏡を見てから出直した方がいい。ああ、恥ずかしいことを考えた、落ち着いてよかったよかった、とぺちぺち小さく頬を叩くラビィを、ときおりサイはぼんやり見つめた。それから、自分よりも小さな彼女の頭にそろりと片手を伸ばして、すぐさま引っ込めて、じっと自身の片手を見つめていた。




 ――――サイとは良き友人になれたらいい。ラビィはそう考えている。





 なのだけれども。



「婚約者がいる身でありながら、男を侍らせていると? 一体、何を考えていらっしゃるのですか」



 ふわふわのクリーム色の髪の毛の弟が腕を組み、苛立ちながらもラビィを睨んでいた。


 どうやらラビィの小さな願いすらも、現実は難しいようだ。


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